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鬼姫の曼珠沙華 ─濡烏の章─  作者: 紫木 千
第一章『初恋編』
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【第一章】鬼の姉妹

鈴紅すずべに! 鈴紅っ!!」


 口元が隠れるまで布団を引きあげて眠りについていた時、悲鳴に近いような声が耳に届き、パッと目を見開いた。

 酷く疲れきった顔が寝室に飛び込んできた。


「鈴紅、私を助けてっ!」


 年の離れた実の姉が、涙をぼろぼろと零しながらすがりついてくる。


紅華姉様べにかねえさま……?」


 しゃくりを上げながら、幼い妹の着物に涙の染みを作っていく。姉は酷く怯えていて、肩はがくがくと震えている。

 その冷たい手を両手で包んであげると、姉は涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。


「鈴紅……」


 妹は震えている姉の手を自らの頬に押し当て優しく微笑んだ。


「大丈夫、大丈夫。紅華姉様は何も悪くないよ」


 姉が少しでも安心できるように、これ以上涙を流さぬように。たった一人の家族を守るために、幼い鈴紅はこうして毎晩姉を励ますのだ。



 紅華は二代目の文月だ。両親を亡くし、親族の家に妹の鈴紅と共に引き取られた。

 文月は鬼神族の中でも戦闘に適した能力を持っているため、鬼神の二代目頭領は紅華の代からは殺しをするよう命じた。

 心の優しい紅華は、殺し屋には不向きでついには心を病んでしまった。そんな姉を鈴紅は支え続けた。



 その翌日、鈴紅はやせ細った姉と共に琴を弾き、歌を歌った。屋敷にある色んな楽器に触れて遊んだ。

 姉の様子はというと、昨夜のことが嘘だったかのように晴れやかな笑顔を見せてくれた。もしかしたら、あれは夢だったのかもしれない。だって姉はこんなにも優しくて明るい性格だというのに。


 それでも夜になると、命を奪った時の、曼珠沙華という刀で全く面識のない者たちを斬った時のあの感触が蘇り、姉は怯えて泣き出してしまう。


「紅華姉様、大丈夫。鈴紅がおそばにいるから」


 そう声をかけてあげれば、姉は安心したように微笑むのだ。


 ──姉様に笑ってほしい。


 ──姉様に泣いてほしくない。



…………………………………………………………



「紅華は、病を患っているの。医者をお呼びするしかない」


 紅華、鈴紅の姉妹を養子として引き取った叔父夫婦は鈴紅にそう伝えた。この夫婦は心優しく、いつも姉妹を気にかけてくれている。


「しかし、あれは心を病んでいるのだろう? どう治せというのだ。二代目の卯月様に治癒を依頼しても、病を患って床に伏せていらっしゃると伺った」


 叔父の義覚が頭を抱えて唸ると、叔母の義賢も眉間に皺を寄せた。


「紅華、可哀想に。あの子も立派な文月様だと言うのに……」


 思い悩む夫婦を心配そうに見つめる鈴紅。まだ幼いというのに、苦労をしている。


「お医者様をお呼びするの?」


 鈴紅の問いに、叔父は皺だらけの顔でこくりと頷いた。


「とにかく、やれることはやってみよう」




 数日後、長い髪を引きずりながら医者が屋敷を訪れた。長い髪と鱗を持つこの妖、大変優秀な医者でどんな病もぴしゃりと言い当て、患者がその後どうなるのかも直ぐに分かってしまうという。


「竜宮から、参りました。ええ……アマとでもお呼びくださいませ」

「アマ様、面白いお顔をしていらっしゃいますね」


 アマは尖った口をぱくぱくと動かしながら話すのだ。それがおかしくて、好奇心旺盛な鈴紅はアマの顔を下から覗いた。

 叔母は鈴紅の頬をつねって、失礼しましたと代わりに謝罪した。


「いえいえ。子供は元気が一番でございます。ところで、二代目の文月様はどちらに」

「あの子の部屋は奥にございます」


 さあさあと叔母はアマを紅華の部屋へと案内した。


 子供は外で遊んでおいでと屋敷の外に出されて機嫌を損ねた鈴紅は、反抗心が芽生え、こっそり姉の部屋を覗きに行った。

 縁側の下に潜り込み、医者と姉の会話に耳を傾けた。


「──」

「──」


 よく聞こえない。もっと近くまで行ってみよう。縁側から出て、障子を少しだけ、ほんの少しだけ開いた。姉の長い髪が見えた。


「あなたの妹さん、とても賢そうな方ですね」


 二人の会話がちゃんと聞こえてきた。紅華は元気そうで、とても心を病んでいるとは思えない。それもいつもの事だが。


「先生、はっきり仰ってください。私はこの先、生きてはいけないのでしょう?」


 紅華のとても悲しそうな声が鈴紅の耳に冷たく響いた。

 続いて、部屋にいた叔母の慌てた声が聞こえてきた。


「紅華、そんな後ろ向きなことを言っては駄目」


 叔母にそう言われても、紅華の表情は晴れない。

 アマは困り顔で溜息をつく。


「あなたの容態は悪化する一方。殺し屋としての仕事は出来なくなるでしょう。その先に待っているのは、妹の鈴紅さんへの試練」

「鈴紅……?」


 紅華は眉間に皺を寄せて、首を傾げた。

 何故ここで鈴紅が出てくるのだろう。それは鈴紅自身も疑問に思い、話をもっと正確に聞き取るために、神経を研ぎ澄ます。


「あなたは、これからも殺しを続けていきたいですか」


 その問に紅華はくしゃりと顔を歪めて、仕舞いには袖で顔を覆って泣き始めた。


「私、私、もう誰も殺したくない……。人間の子供を殺した時に、ふと我に返ったのです。私はなんてことをしてしまったんだろうと。何故、何の罪もない、弱きものから命を奪わなければならないのだろうと……」


 情けない声でそう言った紅華を、叔母は抱きしめた。


「大丈夫よ、紅華。もうそんな辛い目に合わせやしない。私たちがお前のことを守ってあげるからね」

「叔母様……」


 そんな哀れな様子をじっと見つめるアマは複雑な表情をさせていた。

 そうですか。もう殺しはしないのですね。そう呟くのだ。


「しかし、それでは鬼神の頭領はお怒りになられるでしょう」

「それでも、私どもはこの子を全力で守ります。この子だって、我ら妖が支えるべき鬼神ですから」


 鈴紅は瞳を伏せて、そっと障子を閉じた。



……………………………………………………




 紅華に殺し屋としての役割を与えた頭領、二代目の睦月は人間の屋敷を奪い、そこを拠点としていた。


「文月は最近仕事をしていないようだが」


 頭領の問いかけに、家臣は困り顔で答えた。


「どうやら、病を患っているご様子」


 苛々とした表情で二代目の睦月は舌を鳴らす。

 紅華に無理矢理殺しをさせて、その報酬は全て頭領に流れていた。

 最近では紅華が身も心もぼろぼろになってしまい殺し屋として機能しなくなったため、報酬は全く届かない。


「あやつも、使えんの」

「頭領、我々が義覚ぎかくの屋敷を訪ねてみましょうか」

「任せた」


 家臣は頭領に深々とお辞儀をすると、早速、紅華のいる屋敷に行く準備を進めるのであった。


……………………………………………………



 頭領の使いが義覚と義賢の夫婦を訪ねてきたのは、今朝のことだった。


「困りますよ、文月様」


 妙な話し声が聞こえて、鈴紅は屋根の上からひょっこりと顔を覗かせた。

 頭領の使いは苛々とした口調で紅華を攻撃していた。


「頭領のご命令に背くとは何事か。下手すれば死罪になりますぞ」

「申し訳ありません」


 深々と頭を下げる紅華を、叔父は庇い立てた。


「何と無礼な。あなた方はこの子がどういう立場にあるのかわかっていらっしゃるのですか」

「滅を司る鬼神が、役割を全うせぬとは情けない。頭領はお怒りだ」

「この子は道具ではありませぬぞ」


 居心地が悪い。鈴紅は縮こまって不安げに姉を見下ろした。

 使いの者と叔父夫婦の口論が酷くなる前に、紅華は止めに入った。


「叔父様、大丈夫です。私が頭領に直接お会いして、お詫びを申し上げます」

「何を言うのだ、紅華」


 しかし、使いの者は気に食わなさそうに眉を顰める。


「頭領に許しを得られるわけがなかろうが」

「それでも、どうか、お話だけでもさせてください……」


 紅華が根気強く説得すると、使いの者はやっと折れてくれた。叔父夫婦は酷く心配していたが、紅華はそのまま使いの者と一緒に牛車に乗って、行ってしまった。




 その夜、姉のことが心配で寝付けなかった鈴紅は、布団の上でごろごろと寝転がりながら溜息をついた。


「──鈴紅」

「紅華姉様?」


 姉様が帰ってきた! 鈴紅はパッと笑顔になって障子を開いた。しかし、鈴紅が笑いかけても何の反応もなかった。


「紅華姉様、大丈夫?」


 すると、紅華は両手で顔を覆ってうずくまってしまった。


「姉様……どうしたの……」


 紅華は妹の小さな腕に泣きついた。その様子があまりにも可哀想で、鈴紅は姉の頭を撫でてあげた。


「頭領になにかされたの? 酷いね。嫌だったね」


 鈴紅はいつものように大丈夫、大丈夫と囁いて姉を安心させる。姉をひとりぼっちになどさせない。どんなに辛くても、自分は姉の味方だ。



……………………………………………………



 頭領は腹を立てていた。

 二代目文月、紅華が屋敷を訪れた時のこと。


 ──もう殺しはしたくない、どうかお許し下さい。


 そう言って、図々しくもたった一人で自ら頭を下げに来た。もちろん頭領は命令が聞けぬのかと彼女を罵った。

 ところがこの二代目文月、外見はなかなかのもの。そこで、頭領はこう返した。


 ──我が嫁になれば、報酬の半分はくれてやる。


 そう言って無理矢理我がものにしようとしたが、当然断られてしまった。求婚を拒んだ二代目文月は頭領の怒りを買ってしまった。




 紅華が帰ってから、頭領はすぐに家臣を呼び出した。


「何と無礼な女だ」

「どうなさいます、頭領」


 頭領は扇で隠しながら、おもむろに唇の端を吊り上げた。


「……鬼神はどのようにして決まるのか、知っておるか」

「はて」

「今の代が死ねば、鬼神の武器はすぐに次の代を探しに行く」


 頭領は扇をパシンと閉じて立ち上がった。


「使えんものを持っていたって仕方あるまい。のぉ?」


 冷たくそう言い放つと、扇を床に投げつけた。



…………………………………………………



 その日の夜、鈴紅は微かな物音を聞き取り、目を覚ました。隣には泣き疲れて鈴紅よりも先に眠りについた姉がいる。

 初めは気の所為だろうと特に気にとめていなかった。だが、屋敷の周辺にいくつもの気配を感じる。


「姉様、姉様」


 鈴紅に体を揺すられて、紅華は目を覚ました。


「変な音がするの」


 鈴紅がそう言うと、紅華はそっと障子を開いてどこかを見据える。やがて顔を顰めて、鈴紅の手を引いて部屋を出た。


「姉様?」

「静かにしなさい」


 紅華の厳しい声が上から降りかかり、鈴紅は肩をすくめた。

 紅華は妹の手を引いて、屋敷の奥にある抜け道まで連れて行く。


「行って。私は叔父様と叔母様と女中たちに──」


 突如、悲鳴が響き渡った。それは屋敷の女中の声だった。

 紅華は問答無用で鈴紅を抜け道に押し込んだ。鈴紅は後ろを気にしながらも言う通りに狭い道を駆けて行った



 屋敷に大柄な鬼達が押しかけてきた。女であろうと容赦なく斬られていく。紅華は慌てて叔父と叔母の寝室に駆け込んでいく。

 しかし、叔父と叔母は向かってくる敵を薙ぎ倒していた。


「義覚と義賢を倒そうなんざ千年早いぞ!!」


 紅華は曼珠沙華で敵を追いやり、叔父夫婦の元へ駆け寄った。


「叔父様、叔母様っ!」


 だが、夫婦は首を振った。


「紅華、ここを出なさい」

「あなたは鈴紅を守るの。私達は代々受け継いできたこのお屋敷を守らねばならない」


 迷っている時間はない。敵は次から次へと現れる。紅華は涙をぐっと堪えて頭を下げた。


「ごめんなさいっ」


 全ては自分のせいだ。紅華は悔しさのあまり、唇を噛みしめながら謝罪した。そして、今まで育ててくれた夫婦に背を向け、妹の後を追った。


 姉妹の逃亡を確認出来た義覚、義賢夫婦は普段はしまっている牙や爪を敵に見せつけた。


「貴様ら……鬼というのは、わしらのような荒くれ者のことを言うのだ!!」


 義覚と義賢は獣のごとく豪快に動き回り、敵を蹴散らしていく。強くたくましいこの二人に近寄れる者はいない。

 敵はその夫婦を睨みつけて、唸り声をあげる。


「負け犬の遠吠えよ!! 我らの屋敷をこれ以上汚させぬ!!」



「──負け犬となるのは、貴様らの方だろう」


 他の奴らよりも強い気配を感じとり、夫婦は身構えた。

 現れたのは、鬼神族頭領、二代目睦月である。


「頭領……」


 頭領の手には、睦月にしか使えない白い刀、覇刀菊が握られている。その美しさを見せつけるように、頭領は夫婦に向かって切っ先を向けた。


「あなたは……紅華を散々利用し、挙句の果てに命まで奪うというのですかっ!」


 義覚が声を荒らげて問うと、頭領は呆れ顔で溜め息をついた。


「あの女が我の求婚を拒んだのだ。無礼にも程があるだろう? だからまとめて死罪とする」

「何ですと!!」


 紅華と鈴紅を本当の娘のように育ててきた夫婦は、頭領の冷徹な言葉を耳にした途端、怒りを抑えきれなくなった。


「あなたは……妖の頂点に立つべき存在ではないッッ!!!」


 夫婦は頭領に向かって猛突進する。大きく腕を振りかぶって、頭領の頭上に急降下する。だが、頭領はそれを簡単に避けて、ニヤリと笑った。


「愚か者め」


 頭領はまず、妻の義賢の体を切り刻んだ。


「義賢!」


 一瞬のことであった。義賢は体中から血を吹き出し、床に倒れ込んだ。妻のことを気にかけている余裕はない。次に襲いかかってきた刀を、義覚は素手で受け止めた。


「さすが、丈夫な体をしているな」


 義覚は牙を向けて、頭領に食らいつこうとした。だが、何故か体が動かない。それに、この身体中に駆け巡る強烈な熱さは…。


「最後に聞こう、文月はどこにいる」


 覇刀菊が義覚の体を突き刺している。


「どこにいるのだ」


 頭領の冷たい目が、義覚を射抜く。義覚は口から大量の血を吐き出しながら、口をがぱりと開いた。


「いずれ、お前は死ぬッ……! ──がッ」


 腹から喉にかけて、覇刀菊が流れた。義覚の大きな体は、先に仕留められた妻、義賢の隣に横たわった。

 頭領は刀に付着した血を拭き取り、鞘に収めた。


「頭領!」


 体の大きな鬼が頭領の御膳に跪いた。


「この屋敷の者たちは全て始末致しましたが、文月の姿が見当たりませぬ!」


 その報告を受け、頭領は険しい顔で舌を鳴らす。


「文月を探すのだ。この屋敷にはもう用はない。火を放て」



…………………………………………………………



 鈴紅は懸命に走った。さっきからずっと嫌な予感がしていた。それでも、涙を堪えて走り続けた。


「あっ……!」


 木の根っこにつまづいて、鈴紅は土の上を転がっていく。痛みこそないものの、口の中に土の味を感じて顔を歪めた。

 ふと、振り返ると屋敷がめらめらと燃えていた。


「叔父様の屋敷が……」


 恐らく姉を狙って頭領たちが襲撃しにきたのだろう。叔父と叔母は無事だろうか。


「紅華姉様……」


 今戻っても、鈴紅には何も出来ない。悔しくて、ついに涙が溢れた。とにかく、逃げなければ。鈴紅は燃え盛る思い出の場所に背を向けて、走り出した。


「おい、ガキだ! ガキがいるぞ!!」


 野太い声が聞こえて、鈴紅は青ざめた。


 ──見つかってしまった!


 すぐ後ろから足音が迫ってくる。鈴紅は坂を転がる勢いで駆け下りる。身を軽くするため、着物を破いて地に捨てていく。

 奴らの手が、鈴紅に触れる──直前。


「うわッ!!?」


 紅色の刀が一瞬にして敵を切り倒した。


「紅華姉様っ!」


 駆けつけた紅華は、鈴紅を連れてもっと速く走る。追手はすぐそこまで迫ってきている。

 橋の上まで来た時、ついに挟み撃ちにされてしまった。紅華は鈴紅を抱えて、橋の上から川を見下ろした。川は深く、流れも速い。

 死はすぐそこまで迫っている。迷っている暇はない。


「鈴紅」


 紅華は金色に輝く美しい鈴を、妹に渡して、抱きしめた。


「鈴紅、ごめんね、全部私のせい。母様の鈴をしっかり持っていてね」


 紅華はそう言って、妹を橋の上から落とした。

 どぼんと水しぶきが上がる。川に流されながら、何とか水面から顔を出す。橋の上に取り残された姉は頭領の手下に囲まれている。


「姉…さまっ……!」


 どんどん姉が遠ざかっていく。あんな数を相手になんか出来るはずがない。姉は死ぬだろう。

 鈴紅は水に逆らいながら何度も姉を呼んだが、それは水の音に尽く掻き消されていった。




 妹を逃がした紅華は目の前にいる敵兵を睨みつけた。囲まれていて、逃げ場はない。やがて、頭領がやってきた。


「文月、お前は我を敵に回してしまったのだ」


 紅華は俯いた。もう、これまでだ。

 全ての思いを託すように、短刀に変化した曼珠沙華を取り出した。

 それで迎え撃つつもりかと頭領は思ったが、そうではなかった。


 ──紅華は自分の首を掻っ切った。


 首から血を吹き出しながら、紅華は頭領の足元に倒れ込んだ。彼女は自害を選んだのだ。


「哀れな女よの」


 頭領は動かなくなった紅華を見下ろし、鼻で笑った。



……………………………………………………



 川に流されていた鈴紅は何とか岸に上がり、なるべく遠くへと走る。

 しかし、頭領の兵を甘く見ていた。奴らはすぐ近くまで迫ってくる。着物が水を吸ってさっきよりも重くて走りづらい。鈴紅はついに着物の裾を破き、足元を軽くする。


「待て、このガキ!」

「……!」


 大柄な鬼は、鈴紅の黒髪を掴み、地面に押さえつけた。


「おい、ガキを捕まえたぞ!」


 鈴紅はもがいたが、大人の大きな手から逃れることが出来ない。


「いやっ! 離してよ!!」


 すぐに他の鬼もやってくる。


 ──殺される。


 恐怖が鈴紅の心を襲う。


「ちょこまかと逃げやがって……」


 敵は小さな鈴紅を囲んだ。


「おい、二代目文月はどうした」

「奴はついさっき自害した」


 ──紅華姉様が、死んだ?


 鈴紅の大きく見開かれた瞳が揺れた。この鬼たちは何を言っているのだ。嘘だと思いたい。でたらめを言っているに違いない。


「嘘! 嘘だ! 姉様が死んだなんて!!!」

「騒ぐな、すぐに送ってやるから心配するな」


 鈴紅を押さえつける鬼はそう言って醜く笑った。

 そんなの、信じない。信じたくない。鈴紅の頭が混乱してくる。


 ──チリン。


 鈴紅の手にしっかりと握られている鈴。母の形見であり、姉から託された大切な鈴。それを見つめて、鈴紅は涙を流した。


「じゃあな、ガキ」


 鬼は鈴紅の頭を乱暴に掴み、握り潰そうと試みた。頭が軋む。脳が悲鳴をあげている。鈴紅は下唇を噛んだ。


 ──許さない。許さない。許さない。


 まだ幼い鈴紅の心の中に闇が広がっていく。怒りと悲しみが入り交じって、どんどん広がっていく。



 ──殺してやる。


「──!」


 鈴紅の頭を掴んでいた鬼の体が真っ二つに斬られた。他の鬼も突然のことで呆気に取られている。

 鬼神、文月にしか与えられない刀、曼珠沙華を握る鈴紅の姿があった。


「なんだと……!」


 鈴紅は曼珠沙華を振るい、驚愕する鬼たちを容赦なく切り裂いた。

 辺りは鬼たちの血に塗れ、その中心に鈴紅が立っている。


 こうして鈴紅は、三代目の文月となった。

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