【第二章】赤く染まる菊
二代目睦月と三代目文月の間に双子が生まれた。女の方は瑞華、男の方は瑞樹。二人とも母譲りの烏の濡れ羽色の髪を持つ美しい赤子である。
頭領の待望の後継が生まれたことで妖の国は次々と祝いの祭りを開いた。鈴紅の傍に寄り添い続けた金音と菖蒲も大変喜んだ。
「双子?」
ようやく子が生まれたというのに、父親は顔を顰める。家臣は汗をかきながら次なる言葉に耳を傾ける。
「双子など、汚らわしい。獣じゃあるまいし。男と女だと、ならせめて男は良いが女はいらぬ」
あまりの言いようにさすがの家臣も目を見開き、口を挟んだ。
「しかし奥方様はどちらにも深い愛情を注いでいらっしゃいます。どちらかを奪うなどあまりにも酷な……」
その瞬間、大広間に悲鳴が上がる。傍に控えていた妖たちは腰を抜かし、今にも逃げ出したい衝動に駆られている。頭領に口を出した家臣の首がゴトリと鈍い音を立てて床に転がり落ちた。
刃についた血をその場で払い、静かに鞘に収めると、頭領は冷たい目で周囲を見回す。誰も反論する者はいない、逆らえば同じように首が飛ぶ。恐怖の対象となった頭領は、動けない彼らに恐ろしく不敵な笑みを浮かべた。
……………………
鈴紅の自室で、二人分の赤子の笑い声が上がる。時折指をくわえて母を見上げる姿は実に愛らしく、自分によく似た瞳を向けられた時に抱いた初めての感情に戸惑いつつも、鈴紅は微笑みを絶やさなかった。
金音と共にあやしているとたまに菖蒲が来て瑞華と瑞樹のどちらかを腕に抱きたいと頼みに来る。菖蒲が抱くと双子はいつになくご機嫌になってくれるのでとても助かっている。
特に瑞華は菖蒲が来ると気配で分かるのかとても嬉しそうに高い声をあげて歓迎するのだ。
双子は鈴紅が話しかけると返事の代わりに紅葉のような手を握ったり開いたりする。愛い、愛いと頬を寄せて、鈴紅は我が子達を大変可愛がった。
そんな生活の中、気になることと言えば、緤那の存在。
鈴紅が我が子達をあやしていると、ふとした時に現れ鈴紅と、その腕に抱かれている双子をじっと見つめてくることがある。
鈴紅が移動すると後ろからついてくることもある。
「どうしてついてくるの?」
最初こそ警戒はしていたがなんの害もないため恐る恐る話しかけてみた。しかし緤那は何の反応も示さず、ただぼんやりとした目でこちらを見つめてくるだけだった。暫くして、緤那がついてきても気にならなくなったのは鈴紅自身も意外に思う。
この謎の行動、実は鈴紅と緤那は命が繋がっているためその影響で感情、心までも同化してしまったのだ。鈴紅が嬉しいと思えば緤那は表情を緩め、悲しいと思えば鈴紅に寄り添うようにそこにいる。
その証拠に、鈴紅が愛しい我が子と過ごしていた時、緤那は双子を見つめ静かに微笑んだ。
「緤那と私は、心が同化しているのね」
相変わらず、緤那は何も答えなかった。しかしあの男が作ったからと言って残虐な心を引き継いでなどいないのだと知った日から、鈴紅は常に緤那に話しかけるようになった。会話などしない、ただの人形のような青年だが、緤那がいるだけで心が安らぐ。
青年とは言っても、小柄で鈴紅よりも上背が低い。鈴紅の行くところにいちいちくっついて来るのでまるで息子がもう一人出来たような気持ちになる。
試しに瑞樹を抱かせたことがある。ボロボロの黒い袖を引きずりながらそろりと両手を差し出し、ゆっくりと瑞樹を抱える様子は、まるで見たことの無い生き物に出会ったかのようでおかしかった。
瑞華と瑞樹が少し成長してよく口を聞くようになった頃、頭領は練清と練德の居所をとうとうつきとめたが、二人は武力、腕力に長けた野々姫の実家の庇護下にあると知り、それ以上足を踏み込まぬようになった。
当主を失った草木張の都も、頭領の監視下にあるとはいえ、落ち着きを取り戻し始めたために生き残りたちが戻ってきて復興を進めているという。
しかし、以前のような美しさは失われ食べ物や救いを乞う者達が集う様はまさに地獄。都の母である二代目如月はもういない、どこにもいない、手を差し伸べてくれる者は二代目睦月が黄泉に葬った。実に絶望的である。
そこで鈴紅は、度々草木張を訪れ食べ物や生活用品を都の者達に与えるようになった。頭領は妻の勝手な行動に良い顔はしなかったが、予想に反して口出しはしなかった。
「濡烏……助けて……」
その日も鈴紅は草木張を訪ねて都の生き残りたちの世話をしていた。一人の女が鈴紅の着物を掴んだ。腕の中には痩せこけた赤子が抱かれている。
「どうなさったの」
「子供が、泣かないのです……」
女は泣きそうになりながら、何度も我が子の顔を覗き込む。鈴紅は赤子の冷えた頬に触れて眉をひそめると、治癒能力を持った妖たちを大勢集めて赤子の治療をした。息はしている、意識を取り戻したらまず母乳を飲ませなければ。そのためには、同じように痩せこけた母親も救わなければ。
もう死にたいと、絶望する寸前だった女の小さな両手を包んで、「必ず、あなたたちを助けますから。生きてください、最期まで」と強く囁くと、堪えきれなくなった涙が女のこけた頬を伝った。
―――草木張の者達の心はもうとっくに限界のようね。
布団の上でぐったりとしている赤子を見つめて俯いていると、突然横から白い手が伸びて、赤子の頭を撫でた。相変わらずついてきていた緤那が、鈴紅の隣で赤ん坊の頭を撫でている。鈴紅の心を汲み取ったかのように、大切に大切に愛でる。
「緤那……」
ただ、鈴紅の感情が投影されただけのはずなのに、緤那の行動はまるで本心からきているように見えて仕方ない。
赤子の小さな手がピクリと動いて小さな声をあげた。母親は顔を両手で覆い安心したように泣いた。
……………………
練清と練徳のいる野々姫の実家に、頭領の現状をこっそり伝えるために書をしたためた。
見つかれば殺されるかもしれない、しかしあの男、鈴紅を殺そうとはしない。恐らくじめじめとした蔵に放り込まれるか手足を縛られ川に放り込まれるかのどちらかだ。
書き終えたら物の怪に手渡し、野々姫の実家へ行くよう命じれば、闇の中にズブズブと潜り込んで消えていく。これが頭領に勘づかれることなくものを運べる唯一の方法だ。物の怪たちの移動速度も速いので練清たち兄弟の元に辿り着くのもすぐだ。
誰か頭領の野望を止めてはくれないだろうかと、罵られる日々に耐えながら密かに願い続けた。そこで出会ったのが練清だ。誰よりも頭領の座を狙う執念を持った若き男。母と故郷をズタズタに引き裂かれ、新たに知った復讐心を燃やして近いうちに頭領に牙を向けてくるだろう。
「練清様…」
それは二代目如月の長男にして、いずれは妖の頂に君臨するであろう重要な男の名だ。頭領が野放しにするはずがない。
もう、死んでほしくない。練清と練徳まで如月のようになってしまえばこの妖の国に差す光は閉ざされる。
「どうか、生きてください。白き光よ」
濡烏の髪が、風に靡いた。
数日後、鈴紅の元に物の怪が文を手に戻ってきた。鈴紅は部屋の戸を閉めて蝋燭に火をつけて文を開く。文には練清の言葉で、野々姫の元での暮らしについてと、これからのことについて綴られている。
読んでいて分かったが、さすがに敵の妻に情報を伝える訳にはいかないようで内容は実に軽いものであった。
しかし、それを補うように、赤い菊が添えられていた。
―――赤い、菊。菊が、赤く染まる。
鈴紅は蝋燭の火に照らされて揺れる赤に眉をひそめる。
睦月の武器は覇刀菊、如月の武器は真刀菊、どちらにも菊の名が入っている。
赤く染まった菊、これは如月の死を意味しているのだろうか。それとも、睦月――頭領の死を意味しているのだろうか。
―――これが、頭領を殺すということ、練清からの宣戦布告だとすれば、近い将来反乱が起きるやもしれない。
瑞華と瑞樹の避難を予め考えておかなければ。
もしも鈴紅なら、練清側につくだろう。しかし、頭領の妻として下手に動くことが出来ない。
………………
姿見の前で菖蒲は鈴紅の美しい髪をとかしながら、ふと、飾られている赤い菊に視線を向けた。赤々としている絢爛豪華な花に、菖蒲は口元を緩める。
「菊、ですか。奥方様」
「あるお方に頂いたの」
「殿方ですか?」
「そう、ね」
そう言うと、菖蒲は菊と鈴紅を交互に見て神妙な顔つきで頭領からでしょうかと問うたので、まさか、そんなわけないでしょうと口元を袖で隠しながら笑ってやった。
それにしてもどうしてそんなこと聞いてくるのやら。菖蒲は赤い菊を見つめながらぼうっと息を吐く。
「菖蒲…?」
「美しい、風情がありますね」
鈴紅が振り返ると黒く艶やかな髪が滑らかに肩から流れ落ちる。
菖蒲は思った、こんなにも美しいお方に惚れない男はいないと。
「赤い菊の花言葉は、あなたを愛しています、ですからね」
浅く息を吐き出し、黒い瞳が大きく見開かれる。
睦月と如月の死を意味していたと思っていたが、それだけではなかった。鮮やかな赤には、鈴紅に対する練清の熱い想いが込められていたのだ。
「本当、諦めの悪いお方」
皮肉っぽく呟いて、瞳を伏せた。
敵の妻を好くなど、正気とは思えない。母のかたきの女に、よくもまあ花など贈ろうと思えたものだ。
それとも、練清は鈴紅のことを敵の妻ではなく、ただの女として見ているのだとすれば、それもまたおかしな話。
―――練清様、私はあなたの想いにお答えすることができません。
心の中でなら言えても、容易に口にすることができないのは、気付かぬうちに練清に救いを求めているからだろう。
なぜか紅のさした頬に触れて、鈴紅は俯いた。
……………
月は人の国で見ても妖の国で見ても、変わらぬ顔で静かに地を照らす。たとえ住む場所が違えど、見ている景色は変わらないのだ。
草むらで鳴く鈴虫の切なげな音も同じ。踏みつけられる草花の間で互いに求め合う声を、人もまた、美しいと感じるのだろう。
鈴紅は愛すべき友人、蛍助と八重の姿を思い浮かべ涙を流す。二人は今、幸せに暮らせているだろうか。今も愛娘の春日と共に笑い会う日々を送っているのだろうか。
二人からの文は途絶えている。文を交わすのはそう簡単にはいかない、けれども、いつまででも待っている、また会えると信じている。―――そう、この、月火の社で。
はて、もしかすると、ここも随分と廃れてしまっているだろうか。
人の町に行くと、見慣れた顔がいつの間にか変わっていた。見るもの全てに違和感を覚えた。不安感に苛まれ、心がざわつく。
そんな時、月を背に、鋭い翼をはためかせて一羽の鷹が飛んでくる。
「こんな夜中に、変わった鳥だこと」
夜を諸共せず、自身が鳥であることを忘れたかのように闇に溶けて飛び舞うその姿には、見覚えがあった。
「蛍助と八重さんの鷹…」
ああ、文がきたんだ。たとえ景色が変わっていても、二人は変わってなどいない。二人からの便りを何よりも心待ちにしていたせいか、それまでポロポロと落としていた涙が一気に溢れ始める。
鷹は風音を立てて鈴紅の腕に着く。脚に付けている小さな筒の中から丸められた一枚の紙を取り出し、そうっと広げて中を確認する。
しかし、差出人は蛍助と八重ではなかった。
――――文月様。一月すれば、そちらへ参ります。月火の社にてあなたにお会いしたく存じます。 春日。