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鬼姫の曼珠沙華 ─濡烏の章─  作者: 紫木 千
第二章『頭領争奪編』
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【第二章】分かれた命

 草木張の統括者、二代目如月死去。この報せが如月の長男、次男に届いたのは都の襲撃から翌朝のことである。野々姫の実家に強制的に引き止められていた二人は、都が襲撃されていたことなど知らなかった。母の死を未だ受け入れられず、幼馴染を問い詰めれば、珍しく真剣な表情で答えてくれた。


「如月様に頼まれてたのよ、あなたたちを我が家で保護するようにと」


 野々姫は腕を組み、眉間に皺を寄せて兄弟を見据える。動揺し硬直している弟とは違い、練清は迷わず部屋を出て引き返し始める。


「兄上……!」

「ちょっと、何を考えているのかしら」


 慌てて後を追う弟と幼馴染に、練清は険しい表情で言葉を返す。


「母上の死を、この目で見ておらん、そんなもの信じられるわけがない」


 昨日まで母は笑っていた、いつものように。屋敷を抜け出そうとしていた自分たち兄弟に呆れたように笑いかけて、そのまま叱ることもなく見送ってくれた。

 しかし、今思えば最近の母はどこかおかしかったかもしれない。何かに追われて焦っているようだった。草木張に一時滞在していた文月とこそこそ相談している様子も見たことがある。

 文月は現在、母の命を奪ったらしい頭領の妻だ。二人が密談していたということは、その時から頭領の手が迫っていたということ。


 大切なものは、ふとした時に消えてしまうのです。


 文月の言っていたあれは、母の死を意味していたのか。何度も自分たちの身を案じて声をかけてくれていた文月や母に対して、自分は適当にあしらってしまっていた。もっと早く気づいていれば、母を救えたかもしれない。今更後悔してももう遅い。

 廊下を突き進んでいく練清の着物を掴んで引き止めて、野々姫は残酷な言葉を立て続けに言って攻めた。


「行っても無駄。御屋敷は潰れて、頭領の兵が都を徘徊してる。御屋敷で働いていた女中もみんな死んだわ」

「……」

「戦えない者は如月様が予め避難させてたから生きているでしょうけれど、戦いに参戦した者は誰一人として生き残っていないわ」


 草木張は死んだも同然だ。生き残りは如月が逃がした女子供や病の者。自ら戦うことを選んだ草木張の兵は殲滅。女中も母も心中。

 出かけている間に、母も故郷も奪われてしまった。あの男に、母の弟に潰されてしまった。


「暫くは妾のお城に住めばいいわ。草木張には、近づかない方がいい…」


 野々姫の言葉を受けて練清は拳を強く握りしめる。鋭い眼光には憎しみを秘めていて、背中からは殺気を放っている。

 野々姫は頭を押さえて長い溜め息を吐いた。練清はきっと、頭領の元に乗り込んでいって意地でも母のかたきを討とうとするだろう。しかし、相手は鬼神、妖の国の頂点に立つ男だ。そんなものを相手に勝てるわけが無い。


「あの男、絶対に殺してやる」

「頭冷やしなさいな。いくらあなたが強くても勝てるわけないじゃない。戦力も兵力も向こうが上よ」


 練清の眉が盛大にひそめられる。野々姫の実家も有名な名家ではあるが、相手が鬼神の頭領となれば話が違う。誰だって強力な敵を相手に丸腰で戦場に赴きたくはないだろう。それでも、母を殺された怨みは増幅し、練清の殺意を際立たせる。

 兄の強い圧を感じ取り母親似の目元を下げる練徳に、野々姫は呆れ顔であなたの兄上様はいつも考え無しに動くのねと、容赦なく口をついて出た。当然、練徳は怒り、野々姫を横目で睨みつける。元々練徳と野々姫の仲はあまりよろしくない、一気に三人の間に不穏な空気が流れ始める。

 今まで如月からの深い愛情を惜しみなく注がれてきた練清と練徳にとって、如月の死はあまりにも衝撃的で、若さのあまり現実を受け止められるほどの心の余裕がない。


「情けないですよ、練清様」


 低くてはっきりとした、しかし安らぐような穏やかな雰囲気を持つ声が耳に届き、練清は反射的に顔を上げた。幼い頃から慣れ親しんできた姿に、揺さぶられていた心が途端に落ち着く。

 母の傍で、自分たち兄弟の傍でずっと見守ってきてくれていた鈍色の僧衣を纏う鬼神は、険しい顔で練清を見据えている。


「師走、生きていたのか……」


 母も故郷も一夜にして妖の頭領の手に落ちたとなれば、打ちひしがれるのも無理はない。昨日まで会っていたはずの師走の姿を見て声を聞くだけで、何故か懐かしさや安堵が込み上げてくる。

 師走も長く生き過ぎて涙の流し方を忘れたかのように、切なく憂いを帯びた表情をしている。


「練清様、あなたは如月様の長男としてやるべきことが山ほどある。ただ憎しみを抱くことばかりではありません。あなたと練徳様は、母が残して逝った最後の救いなのです、唯一の、光です」


 唯一の光と口にした時の師走の声音は、泣き叫びたくなるような、縋り付きたくなるような痛みを纏っていた。

 練清と練徳は同時に目を見開いて、二人を正しき方向へ導こうと手を差し伸べてくる師走を見据えて、表情を引き締める。

 覚悟を決めろ、師走の瞳はそう語っているのだ。


「練清様、あなたがいかに酷な道を選ぼうと、私はあなたを支え続けます。ただ、お覚悟を決めてください、棘だらけ刃だらけの道を踏みしめるお覚悟を」


 師走は暖かな笑みを浮かべて、どこまでも練清について行く姿勢を見せた。練清の迷いが、一瞬にして吹き飛ぶ。師走は、誰よりも賢く聡明な男だ。師走が居てくれて本当に良かったと、練清は瞳を伏せて、瞼の裏側で覚悟を決める。

 これから進む先に想像を絶する痛みが待っていたとしても、全て薙ぎ払い、己の手中に収めてやろう。恐れるものはなにもない。


「俺は、この国の頂きに立つ、この国を変える。あの男が壊してきた全てのものをあるべき形に戻す。そのために、俺に力を貸してくれ」


 いつも勝手に突っ走ってた悪ガキの練清はもう居ない。ここにいるは妖の国の唯一の救い、光、希望だ。

 練徳と野々姫も心を突き動かされ、凛々しい表情で練清の背中を見つめている。

 力を貸す、もちろん貸すとも。この国を変えるのは練清でなければ始まらない。


「この練徳、どこまでも兄上について参ります」


 練清は振り返り覚悟を決めた弟の瞳に、お前はいつだってついてきてくれていたなと、口端を上げる。

 母は言っていた、練清、お前は誰よりも強い子、どこまでも這い上がれる子。きっと何もかも上手くいく。練徳、お前は誰よりも賢い子だから、兄をしっかり支えてあげなさい。

 どこまでも這い上がれる。毎日毎日怒鳴り散らし、鬼神の頭領になりたいと言っていた練清に呆れてばかりだった母は、密かに練清の言葉を尊重し応援してくれていたのだ。

 今更知ってしまった、母の思い。練清は、母がいるであろう天を仰ぎ、地上を照らす眩きお天道様に目を細めた。


………………



 突然、鈴紅は口元を押さえながらうずくまった。いち早く異常に気づいた金音が、即座に駆け寄り鈴紅の様子を伺う。いつもよりも顔色の悪い鈴紅が、必死に込み上げてくる吐き気と格闘している。

 最近食事も取れていない、何かの病かもしれないとすぐに医者が呼び出された。

 鈴紅の姉の紅華の時にも世話になった竜宮出身の医者、アマが鈴紅の検査をし、目を細めてこう告げた。


「おめでたですね」

「……は」


 鈴紅の表情が固まる。そろりと視線を自分の腹に向けて、目を見開いたまま硬直している。

 つまり、鈴紅の腹に子がいるのだ。紛れもない、憎き頭領との間の子が。今まで子が生まれにくく、頭領に石女と罵られていた日々が一瞬にして砕かれる。

 もう罵られることもないという安心感と、姉の仇との間に出来た子を産むことへの不安が同時に湧き上がる。

 命が宿っているらしい己の腹を空虚の瞳で見つめて、唇をきゅっと結んだ。

 唯一の肉親であった姉を殺され、育ての親である叔父夫婦を捕らえられ、心の支えであった二代目如月は草木張の都と共に潰され、自由を奪われた。そんな男の血を継いだ子を孕んでしまうなんて、どうして、どうして。


「文月様、生まれてくる子は妖力が強く、大変賢く聡明に育つことでしょう。いつか、頭領を越すかもしれません」


 頭領の跡継ぎとして申し分のないほど条件の揃った子だと思われる、しかし何が問題なのか、アマの表情はどこか悲しげで暗い。一体、アマは何を心配していたのだろう。



 やっと子を孕んだという報せを受けたはずの頭領の反応は、案の定最悪なものであった。


 ――ようやく子が出来たのか、少しは役に立つようだな。


 それが子を孕んだことが分かってから最初にかけられた言葉だ。夫であり、父親となる男とは到底思えない。

 全てを統べる頭領として、夫として、父親としての責務を十分に全う出来ない男の隣で、自分は何をしているのだろうか。何がしたいのだろうか。そんな疑問も誰にぶつければいいのか分からない。鬼の子、特に鬼神同士の間に生まれた子はかなり丈夫で強く、賢く聡明な子に育つそう。鬼神の頭領と鈴紅との間に生まれる子は十分な妖力を持つはずだ。

 しかし、子が中で生きている腹になど気にも留めず、鈴紅はただ、呆然と外を眺めることが多くなった。

 頭領は未だ練清と練徳の居場所を探している。あの男は自分の立場を揺るがす存在を確実に消したがる。次代の鬼神になる可能性を考えれば、如月の血が流れている練清と練徳を野放しになど出来ないだろう。

 如月は多くの命を救った、己が命と、最期まで己に付き従い続けた屋敷の者達の命と引き換えに。

 両眼から透明な涙がホロリと零れ落ちて、輪郭を撫でて顎から滴り落ちる。誰か拭ってくれないだろうか、意味のない泣き顔を、袖で覆い隠してくれないだろうか。

 赤子なんて、生まれたって意味がない。結局何も守れなかったのだ、生まれてきたところでこの子も野垂れ死にするだけだ。

 寂しい、虚しい、紅華姉様。亡き姉に縋るしかない、情けない。泣くのを必死に堪える鈴紅の脳裏には、安否不明の草木張の住人たちの姿だけが残っていた。


………………


 安心する、ひだまりの中で寝そべる喜びに今まで悩み苦しんできたもの全てから開放されたような気分になれる。

 それに誰かが頭を撫でてくれているようだ、温かな掌の温度を感じる。確認したくても、瞼が重くて上がらない。誰でもいい、この温かさからは悪意も殺意も感じられないのだから。ならばもう少しだけ甘えさせてほしい。

 すうっと息を吸い込むと、花の香りが鼻を擽った。

 上から、優しく微笑むような吐息が耳に届く。


「ありがとう、文月様」


 聞き覚えのある、その穏やかな声に鈴紅は反射的に体を起こす。

 微笑を浮かべる、今は亡き草木張の主と目が合った。


「如月…様……」


 もう二度と会えないと思っていた大切な御方を前に、鈴紅の瞳が揺れる。嬉しくて堪らない、涙腺が緩み、幼子のように涙を流しながら如月の名をもう一度呟く。

 如月は困ったように笑って、金色の袖で鈴紅の涙をそっと拭った。


「お顔色が悪い、せっかく綺麗なお顔をしているというのに。無理ばかりするからですよ、ちゃんと寝ていらっしゃるの?」


 まるで母が娘を宥めるように、温もりを宿した手が鈴紅の頬に触れる。

 欲しかった、冷えてしまったこの心を優しく包んでくれる掌が、自分を心配して怒ってくれる声が。


「如月様、生きていてほしかった。練清様と練徳様と、幸せになって欲しかった……」


 如月は涙を拭う手をピタリと止めて、鈴紅の震える声を黙って聞いていた。

 如月は大切な我が子達に嘘をついて死を選んでしまったことを悔やんでいる。自分が最期に選んだ道は決して正しい判断であったとは思えない。草木張に残った者たちと心中を迎えた彼女の心には、死んでも埋められない穴が出来てしまった。


「幸せ、でしたよ」


 如月は悲しく微笑んで、鈴紅を見つめる。眉をひそめて必死に口のはしをあげている様子は、まるで今にも溢れ出しそうな涙を堪えているよう。


「本当に幸せでした。もう十分、私の後は練清と練徳に託します」

「如月様……」

「私はあの子たちが無事なら、それで良い。母ですもの、母が子のために命をかけた、ただそれだけのことです」


 如月の、子を案じるような声を聞いた途端、鈴紅は練清と練徳が羨ましくなった。鈴紅には母が居ない、親代わりだった叔父と叔母も、姉も居ない。自分よりも上の立場にいる者に守ってもらえる幸せを、久しぶりに味わってみたかった。

 元々妹気質な鈴紅にとって一人で耐えることは何よりも苦痛で、家族のいない寂しさを、八重や如月に甘えることで埋めていたのだ。

 母が欲しかった、自分にとっての親を欲していた。もしかすると、鈴紅の腹に宿っている子も、生まれてきたら同じように寂しい思いをする羽目になるかもしれない。


「大丈夫、あなたは誰かを守れる強さを既に持っていらっしゃいますから」

「わ、たし……あなたの事も救えなかったのに……」

「どう足掻いても、私が助かる道はありませんでしたよ。あなたは、これからあなたが出来ることを成し遂げれば良いのです」


 言葉の一つ一つに重みを感じる。自分に出来ることとは一体何なのだろう。今まで何も成し遂げられなかった者に、何が出来る。

 そうしてふと、自らの腹に視線を向けた。まだ子ができたばかりだというのに、小さな命は鼓動を刻んでいる。気の所為かもしれない、そう思ったがそこにあるは命に変わりない。


 弱き者を、守るのです


 最後に聞いた如月の遠い声に反射的に顔を上げたが、目の前に広がるのは何も無い、空虚な白だけであった。




 居眠りをしていたのだと気づいたのは、 自室の畳が目に入ってから息を吐き出した時だった。

 重い体をゆっくりと起こすと質素な羽織りが肩まで掛けられていることに気がついて瞳を瞬かせる。


「お目覚めですか」


 この声は金音ではない、はてと首をめぐらせると髪をひとつに纏めた幼い女中が不安げにこちらを覗き見ていた。


「あ、申し訳ございません! ご無礼を……」


 冷や汗をかきながら慌てて後ずさる少女の手は傷だらけであかぎれも酷く、とても少女の手とは言い難い色をしている。

 近頃自分のことで精一杯で周りに目がいかなかったためかこのように幼い女中が傍にいたことに気がつけなかったようだ。


「菖蒲と申します。お加減はいかがでしょうか、奥方様。腹の子に障ってはいけません、ご気分が優れないようでしたら、お布団をお敷き致しましょうか」


 まだ子供の割には慣れたように話す姿勢に圧倒されつつも、ゆっくりと頷けばすぐに寝床の準備に取り掛かり始める。元々しっかりした子のようだ、仕事は早く誠意に満ちた顔をしている。

 菖蒲は切りそろえられていない、女にしてはぞんざいに扱われているような髪の毛を鬱陶しそうに束ね直し、布団を綺麗に整えると鈴紅に笑顔を向けた。


「どうぞ」


「菖蒲」


「なんでしょう」


「金音に髪を切ってもらいなさい」


 突然のことに目を見開く菖蒲に、静かに檳榔子黒の瞳を向ける濡烏。どれだけ作法や仕草が完璧であっても容姿を疎かにしてしまっては輝くはずの原石もくすむばかりで誰にも気づいてもらえない。

 まだ少女のうちにこの御屋敷で働いている菖蒲には何かしらの理由があり美に関わりもなかったのかもしれないが、せめて乱雑な髪を整える程度には手を施してやりたい。

 弱っていても強く美しい濡烏、自分には遠い存在であると無意識に線引きをしてしまっていた菖蒲は、自らの髪に触れ、遠慮気味に首を振る。


「私は、このままでも大丈夫です」


「女に生まれたからには髪を大切になさい。いつか役に立つ日が来ます」


 凛とした声に菖蒲は頬を赤く染めながら、枝分かれしている髪の毛を見つめて躊躇いがちに頷く。


 この時、少女、菖蒲が後に鈴紅にとって重要な存在になることを双方共に知らなかった。


………………



「はい、軽くなったでしょう?」


 渡された鏡を見つめて嬉しそうに微笑む菖蒲の後ろで、金音は得意げに鈴紅に視線を送る。

 無造作に伸ばされていた髪はすっかり短くなり、丁寧に切りそろえられている。


「ありがとうございます、金音さん」


 自分よりも幾分か背の高い金音を見上げて年相応の笑顔を見せる菖蒲に鈴紅は安堵する。あまりにも出来た娘なので逆に心配になっていたが、少女らしい顔もするようだ。

 鈴紅は縁側から庭に降り立つと袖の中から赤みがかった紫色の細長い織物を取り出して菖蒲の元へ歩み寄る。


「あなたの名前と同じ菖蒲色。あなたの髪によく合うでしょう。人の町で買ってきたものです」


 鈴紅が桃花色の髪に触れると恐れ多いというように身じろぎをする。桃色によく映える菖蒲色の髪飾りに少女は、はたまた頬を染めて機嫌良さそうに唇の端を上げる。

 着飾ると愛らしい見た目をしている。やはり鈴紅の言葉に間違いはなかった。


「私、元々は人間の持っていた櫛だったのです。持ち主が亡くなってさまよっていたところ、人の国に来ていた妖たちに拾われ今はこの御屋敷で働いております」


 男が女に櫛を送る意味は、一生を添い遂げようという意味がある。とある人間の男が女に櫛を送り、女は快くそれを受け取ったそう。娘も生まれて幸せに暮らしていたが女は病にかかって暫くして亡くなったのだとか。持ち主を失い悲しみにくれた櫛が妖怪と成り果てた姿が菖蒲なのだ。

 人間はやはり儚い。鈴紅たちにとって人間とは気づいた時には死んでいる生き物である。だからこそ、心寂しくなるものがある。


「人の元へ帰りたいですか、菖蒲」


「私の持ち主だった方の娘がどうも気がかりですが、家の帰り方も分かりませぬもの」


 そう言って静かに瞳を伏せる菖蒲はどこか大人びていて、静かに咲く一輪の花のような佇まいをしていた。


「奥方様も金音さんもお優しい。正直に申し上げますと、鬼は強くて威厳のある妖ですので近寄り難い存在でした。しかしお二人のような慈悲深き方々に出会えて、少し考えが変わりました」


 菖蒲のようなモノに命が宿り生まれた者たちは、鬼、特に鬼神のような大きな存在に恐怖を抱くだろう。しかしながら鬼神の頭領を家主とするこの御屋敷でよく耐えてこられたものだ。


「奥方様、産まれてくるお子もあなたような聡明でお優しい方に育ちますね」


 純粋で玉のように輝く菖蒲色の瞳に見つめられて、心が暖かくなる。鈴紅は整った唇で弧を描き、そうねと微笑んだ。



 それから菖蒲は美しく優しい鈴紅に憧れを抱き、積極的に手伝いをするようになり、金音の後に続いて行動するようになった。

 肩身の狭い思いをしていた鈴紅も、金音と菖蒲の存在に安心感を得られ、大切な者を失った心の傷も癒されるようになった。

 子はもうすぐ生まれてくる。たとえ家族や如月の仇である男との間の子であっても愛してみせる。守ると、如月と約束したのだから。



 そしてついに子は誕生した。腹を痛めて苦しみに悶え、ようやく生まれてきた子は、―――男女の双子だった。



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