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鬼姫の曼珠沙華 ─濡烏の章─  作者: 紫木 千
第一章『初恋編』
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【第一章】生きた証を残すために

 重労働はまだしも、妖退治に赴くことすら出来なくなった八重。蛍助はそんな八重を付きっきりで看病した。

 あんなに仲の悪かった二人がまさか恋仲になるとは思わなかったと、狭霧は満足そうに笑っている。

 しかし、全く機能しなくなったとまではいかないが、八重は戦力にならなくなってしまった己を恨むようになっていった。彼女が精神を保っていられるのも、蛍助のおかげと言えよう。

 そんな時、八重は蛍助にこんな話を持ちかけてきた。


「私、この御屋敷を出るわ」


 蛍助の目が見開かれる。決して突然の事ではなかった、八重が霧の部族から出て行くことは前々から勘づいていた。それでも、蛍助の心臓が焦ったように大きく鳴り始める。


「何で、ここにいたって良いじゃないか」

「いつまでもここのお世話になるわけにはいかないもの。火ノ壱村で生き残った人たちが村の復興に力を入れてるそうね。だったら私も、村へ帰るわ」

「でも、それだと…!」


 村を襲った化け物として、八重は一生蔑まれて生きていくことになるだろう。辛い目に会うはずだ。しかし、霧の部族にいる意味もなくなった八重を、誰が必要としてくれるのだろうか。

 生まれ育った故郷にさえも見捨てられてしまった八重を救う方法はたったひとつだけ。


「……なら、俺の家に来るか」


 蛍助の故郷には年老いた両親もいて、近々帰らねばならないと思っていたところだった。いつか蛍助の嫁さんを見てみたいと母もよく言っていた。

 火ノ壱村よりも安全で、霧の部族よりも居やすい場所なのだ、そこでなら生活が出来るはず。

 最初はそう簡単に頷いてはくれなかったが、蛍助の説得でだんだんと興味を示し、やがてゆっくりと頷いてくれた。


 話が決まった翌日、蛍助は屋敷を出て八重と暮らすことを頭領、狭霧に伝えた。狭霧は「そうか、そうか」と寂しそうに微笑んだ。

 蛍助と八重は優秀な人材だった。だんだん仲良くなって息もピッタリ合うようになってきた二人を、男親のごとく見守ってきた狭霧。

 戦力にならなくたって構わない、ここに居ても良かったのにと、狭霧は立ち去っていく蛍助の背中を見つめながら呟いた。


………………



 霧の部族を発つこととなった二人は、最後に月火の社に足を運んだ。二人にとっての、人生最大の友を訪ねて。


「文月」


 彼女の姿はどこにも見当たらない、けれども気配は確かに感じる。ここにいるはずだ。蛍助の声に反応し、どこかで耳を傾けてくれているはずだ。


「俺たちは、ここを出るよ。故郷に帰るんだ」


 烏の濡れ羽色の髪を持つ、心優しき紅裙の鬼。彼女を決して忘れることはないだろう。


「文月、ありがとう」




 鈴紅は、本殿の影に身を潜めて蛍助の声に耳を傾けていた。やはり、蛍助は八重を選んだようだ。肩を並べながら歩む二人を見て、咄嗟に隠れてしまった。我ながら情けない。

 けれども、どうして二人してこの町を出て行くなんて言うのか。別れたくない、まだ一緒にいてほしい。蛍助と結ばれなくたって構わない、今度はこんな風に隠れたりしないから、まだほんの少しだけ、二人と一緒にいさせて。

 胸が痛くなるようなお別れなど、幼い頃から幾度となく訪れた。何度も涙を流してきた。それでも苦しいものは苦しい。


 いつまでも姿を見せないでいると、二人は残念そうに息を吐いて、社に背を向けて歩き出した。

 行ってしまう、消えてしまう、失ってしまう。気が付けば、駆け出していた。足音に気付いた二人が振り返る前に、背中に縋り付いた。


「行かないでよ……」


 蛍助と八重は、鈴紅の体温を背中越しに感じて、嬉しそうに口を綻ばせる。


「ねえ、私、一人だよ。一人になってしまう、行かないでってば…」


 二人の着物をしっかりと掴んで駄々っ子のように泣きじゃくる。みっともないなと自分を罵る余裕もない。でも、離してしまえば、もう二度と会えなくなるような気がして。


「お別れしてしまうなんて、もう会えなくなってしまうなんて……私たちが出会った意味がないじゃないっ」


 妖同士だったなら、ここで別れてもいつかは会えるかもしれないのに。長い時を生きるからこそ、きっと大丈夫だと安心しきってしまうのだ。

 けれども、二人は人間だ。鈴紅と違う時を生きる人間で、もしかすると、気づいた頃には二人とも亡くなっているということも有り得る。


 ──いかないで。


 そう願った時、蛍助と八重は振り返って、鈴紅を抱きしめた。


「……!」


 久しぶりだった、誰かに抱きしめてもらえるのは。叔父の膝の上でお喋りした時、叔母に抱きかかえられた時、姉に頭を撫でてもらった時も、こんな風に暖かかった。


「私たちが出会った意味は、無くならないよ」


 八重は優しく、姉のように語りかけた。


「人の一生は短い、けれども人が生きた意味は必ずそこに残るわ。もしも私たちが死んでも、あなたが、私たちが生きた証になる」


 八重の言葉を聞いた蛍助は、鈴紅を更に強く抱きしめて微笑む。

 八重はそんな蛍助をちらりと見て、そうねぇと、思案する。


「人は、生きた意味を残すために、誰かと出会ったり、子孫を作るのだと思うの。──いつかきっと、私たちの子や、孫が、巡り会う日が来るわ」


 それは、本当に本当に優しい声だった。もしかすると本当に、二人の子に出会うかもしれない。二人と出会ったことで、子孫に何か影響があるかもしれない。

 そうなれば、良いのに。


「…鈴紅」

「え?」

「私の本当の名前は、鈴紅というの」


 こうして、鈴紅は久しぶりに自分の名を口にした。文月が鬼神になって以来、初めて本名を告げた相手が人間だったとは、誰も予想出来なかっただろう。


「いい名前だな」

「ありがとう……」


 優しい笑みを浮かべる青年を見つめていると胸の奥が熱くなるのを感じた。

 蛍助。鈴紅の初恋の相手。決して叶うことのない、苦しい恋だった。お別れだ。

 でもきっと、会える。再び巡り会う時がくる。そう信じて、鈴紅は涙を拭って微笑んだ。


「向こうに着いたら文を書くよ。鷹を飛ばして月火のここに送る」


 それは、蛍助と文通するようになった時の方法だった。鈴紅との繋がりが途絶えぬように、二人で文を書くつもりらしい。それがとても嬉しかった。


「ありがとう、蛍助、八重さん。『また、会いましょう』」

「ああ、また。鈴紅」


 蛍助と八重は鈴紅に背を向けて、鳥居へと歩き出す。どんどん遠ざかっていく二人の背中を見つめながら、鈴紅は再び込み上げてくる感情をじっと我慢して、無理やり口角を上げる。笑っていないと、また悲しくなってしまうから。

 鳥居をくぐって、完全に社を後にした二人。




 ──蛍助、あなたに恋したことを忘れない。あなたは八重さんと結ばれるべき人だった。あなたはあなたの幸せを歩めば良い。私は、私の道を歩むから。




 もしも鈴紅が全てを投げ出して蛍助と結ばれていたならば、鬼神の頭領は怒り、蛍助を探し出して殺していただろう。蛍助はそんな自分と結ばれるべきではなかったのだ。

 これでいい。これで、いい。



………………



 あれからどれほどの月日が経っただろうか。人と比べて、妖は時の感覚が鈍いから、よく分からない。長寿だからといって、いいことばかりではない。


 この間、社を訪ねてみれば、蛍助の鷹が文を持って鈴紅を待っていた。

 文によれば、二人は元気にしているとのこと。八重は蛍助の両親から大事にされ、何不自由なく暮らせている。蛍助の親切さと明るさは両親から引き継いだものだった。


 文でのやり取りは暫く続き、ある日、鈴紅は新しく届いた文を読んで思わず感嘆の声を上げてしまった。

 二人の娘が生まれたというのだ。


「蛍助と、八重さんの娘…」


 蛍助は意外と不器用で娘をあやすのが下手くそだと、八重の字で綴られていた。


 ──娘は、春の日、春の日差しという意味を持つ、『春日』という名を付けられた。


 やはり巫女の血を継ぐ子で、春日には八重と同等の霊力を感じるらしい。

 いつか、会ってみたいと思う。






「仕事だ」


 二人が居なくなってから、鈴紅の生活は元に戻ってしまった。

 無造作に放り投げられた書類の数々を拾い上げて、投げた張本人である頭領を見上げる。冷たい目、冷たい声、冷たい態度。全て、いつもの事だ。


「今回は、どのような依頼でしょうか」


 そこから、二人の会話が始まる。当然、鈴紅への依頼というのは殺しだ。しかし、その報酬のほとんどは頭領に流れ、鈴紅の屋敷にはほんの少ししか与えられない。

 それならいっそ、この男の妻になってしまえば楽になるだろう。それが頭領の狙いなのかもしれないが。


 辛い日々を過ごしていても、蛍助と八重から届いた文を読むだけで、救われるのだった。





 第一章 完

【前作を読んだ方なら分かる】

 蛍助と八重は春日の父親と母親です。つまり、夕霧の祖父母ということになります。

 まさか、自分たちの孫が鈴紅の娘と結婚するなんて思いもしなかったでしょうね。

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