1.問.夜の校舎に侵入したら?
至極めんどくさい夜が、唐突に俺のもとを訪れた。
「ちょ、ちょっと動かないでよっ! さ、触ったらぶち殺す!」
「し、仕方ないだろ狭いんだから。それより静かにしろよ。警備員の人に見つかっちゃうだろ」
俺は今、夜の真っ暗な教室で幼馴染の美少女と掃除用ロッカー入っている。
とんだラッキースケベだ。
世の中の多くのやつがそう思うだろう。しかし俺にとってこのシチュエーションはラッキーでもなんでもない。むしろアンラッキースケベだ。
それは一緒にいるこの女が原因で、俺──空渡星斗にとって彼女──日ノ上アイルはいがみ合う天敵だからだ。
「だいたいなんであんたがここにいるのよ。ホントキモい、死ね」
「それはこっちのセリフだ。このブス! 俺は明日の荷物検査のこと聞いて慌てて不要な物を取りに来ただけだ」
そう俺は先程、親戚の担任教師から明日荷物検査があると聞いて、教室のロッカーに置きっぱなしにしていたギャルゲ『ふにゅ! ナイスな幼馴染100人とナイツなパンツでファイツなトキメキ(全年齢版)』とノリで書いて、机の中にしまったままの好きな子へのラブレターを取りに夜の校舎に侵入したのだ。
そこでこの女と鉢合わせになり、警備員の足音が聞こえて慌ててロッカーに隠れたのだった。
「今ブスって言ったな! 私がブスだったら世界にいる女子ほぼ全員がブスになるんだけど、このブス! ぼっち! インキャ! ムシ!」
「くっ……」
言い返せない自分が情けない。
確かにアイルの言っている事は傲慢などではなく、この上なく正しい。
なぜならこの女、日ノ上アイルはアイドルをしているからだ。
しかも学園のアイドルとかそんな規模の小さいものではなく、全国的に活動している本物の芸能人アイドルだ。
白銀のツインテールに大きいつぶらな瞳。鼻立ちもはっきりとしていて、キュッとしたアヒル口も可愛らしい。当然スタイルもモデル並みだ。
さらに愛嬌があり、性格もいいと評判で学校では男子からモテまくり、女子からは羨望の眼差しで見られている。
だが俺はこいつの本当の姿を知っている。理不尽なほどにツンツンしていて、ムカつくほどにわがままだ。
端的に言うと、常日頃から猫をかぶっている。
対する俺はというとコミュ障で捻くれ者のアニメとゲームが趣味な、教室の隅っこで生きている日の当たらない人間。
そんな俺に対してアイルが中学の時に付けたあだ名はダンゴムシ。
ひっそりと物の下に隠れ、誰かに突かれると丸まる。
最近ではダンゴムシに悪いとのことでダンゴがなくなり、ムシと呼ばれる。
「お前、本当に俺に対してだけひどいよな。俺、お前になんかしたか?」
「なんかって……。いや、あんたが単にムカつくだけ。私と話す時だけそうやってグチグチと喋る癖に他の人と話すとキョドるとかマジキモいんですけど」
「しょうがねーだろ。お前は昔から知ってるからな。どうでもいいやつとは普通に話せるの」
「なにそれ! ムカつく、ムカつく、超ムカつくー!」
がんがんと後頭部をロッカーに打ち付けるアイル。
真っ暗でまだ目が慣れてないだけに響く音がホラー的に怖い。
「お、おいやめろ! 警備員に──」
「なんだ! なんかいるのか!」
まずい……。
警備員が音を聞きつけ駆けつけて来たのだろう。
慌てた俺は無意識にアイルの後頭部に手を回すとそのまま彼女を抱きしめた。
「ちょちょちょちょ、ちょっと」
「静かに……」
そうひっそりと声を潜めて言うと警備員が過ぎ去るのを待った。
ほのかに香る甘い香りと、柔らかい胸の感触に俺は鼻息が荒くなりそうなのを堪えるため、グッと手を握り締めて息を止めた。
その間にゆっくりコツコツと遠ざかっていく足音。
アイルも息を止めているのか、かすかな呼吸の音さえ聞こえない。
「「ぷはぁ……」」
そう2人で声を漏らしてロッカーを開けた。
「あ、ああんたさ、私のこと抱きしめといて謝りもしないわけ!?」
「仕方ないだろ。お前が猟奇的ホラーみたいにがんがん頭打ち付けるんだから」
「私のファンが見てたらあんたぶち殺されて、バラバラにされてバラバラにされて駿河湾に捨てられるわよ」
何回バラバラにしてくれるんだよお前のファンは。それもう粉々だろうが。
てかなんでわざわざ駿河湾なんだよ。ここ東京だぞ。普通東京湾だろ。
「あーはいはい、すいませんでしたよ。それでお前はなんで夜の学校に侵入したんだよ?」
「わ、私のことはどうでもいいでしょ。それよりあんたの不要な物ってなんなのよ?」
「お前が言わないのに言うわけないだろ。この妖怪猫かぶり」
俺は手に持ったギャルゲとラブレターをそっと後ろ手に隠した。
「うっさいわね。ムシの癖に生意気よ! 見せなさい! 見せないと学校に侵入して女子の体操着をくんかくんかして、ぺろぺろしてたって言いふらすわよ」
「学校に侵入したのはお前だって同じじゃねーか。俺もあることない事ネットに書き込んでやるし、お前の親にもバラしてやる」
くっと口をしかめて睨みつけるアイル。
どうせ俺の学校生活など終わっている。だからこいつに何を言いふらされようが構わないのだ。
失うもののない俺と守るべき体裁のあるアイルでは脅しの効果が違う。ひれ伏すがいいこの性悪アイドルめ。
「あーもうなによ! 私も先生から明日荷物検査があるって連絡があって不要な物を取りに来たの。私も見せるからあんたも見せなさい! せーのっ! で出すのよ」
ほほーう。そうきたか。
この勝負俺の勝ちだ。
それにしてもあの教師め、こいつに伝えるとか余計なことを。
「ああ、いいぜ」
「「せーのっ!」」
俺は左手に持ったギャルゲを机の上に置いた。
普通に考えれば女の子にギャルゲを見られることはいささか良くないことだが、アイルは中学の時から俺がギャルゲやエロゲをやっていることを知っている。
それに今更こいつにどう思われようと知ったこっちゃない。
だからバレてもモーマンタイなのだ。つまり俺、最強!
だがさすがにラブレターは見られる訳にはいかないので後ろポケットに隠しておいた。
「何これ?」
「ふにゅ! ナイスな幼馴染100人とナイツなパンツでファイツなトキメキ(全年齢版)。通称、ナイナイパンツだ」
「死ね! ムシ! 幼馴染が100人も居るってどんな環境なのよ。会ったやつみんな幼馴染のハッピーな頭してんのか!」
「んなことより、お前はなんでなんも出さないんだよ! 約束が違うだろ」
アイルは悪びれることもなく腕を組みながら首を傾げて眉を吊り上げている。
まったくなんて女なんだ! こんな女がアイドルやってるとは片腹痛いわ! ちょっとムカつき過ぎて胃も痛いわ!
「あんたまだ手に何か持ってたわよね? それも出しなさい。ほら後向け、後ろ」
「お前カツアゲしたことあるだろ? 言い方がやるやつのそれだ」
「はぁ? したことあるわけないでしょ? あんたが隠したの出したら私も出すわよ!」
「あーもうめんどくさいやつだ。分かった、出してやるよ! じゃあいくぞ」
「「せーのっ!」」
アイルが机の上に出したのはいい匂いのしそうなピンク色の可愛らしい封筒だった。
これは紛れもなくラブレターだ。
「おま、これ!?」
「あ、あんただって一緒じゃない! どうせ相手は水ノ下美織しょ?」
「ななんで分かるんだよ」
「あんたいつも美織のこと見てるからバレバレなのよ」
「なんで俺が水ノ下のこと見てるってわかるんだよ! お前こそ俺のこと見てんじゃねーよ」
「み、見てるわけないでしょ! このぶうぁるーらかあ!」
バカと言いたかったのだろうか、舌を巻きすぎていてなんて言ってるのかさっぱりわからん。
それにしても現役アイドルがラブレターとは衝撃的だ。
是非アイルの好きな人を知って弱みを握ってやりたい。
しかし交友関係の広いこいつの好きな人などさっぱりと言っていいほど検討もつかない。
「お前のは誰宛なんだよ」
「はぁ? 教えるわけないでしょ」
「ですよねー」
「それよりもあんた私の秘密知ったんだから、これから私の恋愛に協力しなさいよ。じゃないとこのラブレター、美織にわ・た・すからぁ」
机の上に置かれていたラブレターがいつの間にかアイルの手の中にある。彼女は摘むようにラブレターを持つと片頬だけ上げて不適な笑みを浮かべた。
「お、お前いつの間に! 返せよ」
「協力してくれたら返してあげるわよ」
「普通に考えてみろ。俺が恋愛事の役に立つわけないだろ?」
おうっ。自分で言ってて実に悲しい言葉だ。
まあ役に立たないのは100%事実なわけだが。
アイルは俺を睨めつけると人差し指を向け、仁王立ちでこう言った。
「私にギャルゲ教えなさい!」
「はぁぁぁぁ!?」
かくして俺は夜の学校に忍び込んだことで、幼馴染でアイドルの日ノ上アイルの恋愛を手伝っていくこととなったのだ。
まったくこの先が待ち遠しくない展開だ。切実に。