寄宿舎・デイルーム
寄宿舎は男子禁制――にもかかわらず、お兄さんは、規則に厳しい寮監のオバサンと二言三言話すだけで、入場を許された。嘘でしょ……?
遠巻きに見守っていたわたしは不思議でたまらない。たとえ肉親でも、男性が入るには学園長の許可が必要なのに。彼は何者なのか、謎は深まるばかりだ。
「BCP004――これですね」
一階のデイルームには共有のPCが四台置かれている。
ほか三台はスリープ状態になっているのに、ワープロソフトが起動した一台に、その記号はあった。デスクトップの脇に貼られたシール――〈備品管理番号〉だ。寮生じゃなければ、気づかなかったに違いない。
「あっ、これ、輝夜さんの話です!」
SNSで送られてきたものの原文がそこにあった。
「萌絵さんのデータもありますね……」
誰かがここで怪談めいた物語を綴ったのだ。さっきとは違う気味の悪さに、背中に冷たいものが走る。
「すべて真実とは限りませんよ」
お兄さんが落ち着いた声で言う。
「萌絵さんが階段から落ちてケガをした。輝夜さんは風邪で学校を休んでいる。
これらは事実ですが、他は想像かもしれない。さっき僕らが検証したように、彼女たちがこういった現象に遭ったのではないかという仮説を、オカルトに仕立て上げた」
「でも……」
創作、というわりには描写がリアル過ぎないか? まるで自分が体験したかのように。
お兄さんは首をひねって考え込むような仕草をした後、「あの」と遠慮げに口を開いた。
「ずっと疑問に思っていたことがあります。あなたについてです」
「わたし?」
「あなたは、萌絵さんと輝夜さんが学園の生徒で、彼女たちに何が起こったかを把握していました。しかも、輝夜さんについては昼にメッセージが届いてから放課後までに特定していた。学園に馴染めないと悩んでいたわりに、ずいぶん情報が早いな、と」
なんだそのことか。わたしはネタを明かす。
「ルームメイトの椿木さんが教えてくれたんです。〈奇跡研究会〉に所属しているのですが、萌絵さんも輝夜さんも数少ないメンバーだそうで、名前を伝えると、すぐに詳しい情報をくれました」
「輝夜さんはバレーボール部では?」
「部活動は二つまで掛け持ちが許されているから」
というのは置いておいて。
かごめは誰か――? わたしには考えがあった。
「かごめの正体は、世津ケ谷萌絵と村崎輝夜です」
ほお、とお兄さんはうなって、
「どうしてそうだと?」
「本人ならば描写がリアルなのも納得できます。〈かごめ〉の名も二人から作られたのです。moeとkaguya――アルファベットにして、それぞれmoeとkagを抜き出し並び変えると〈kagome〉ができます!」
「本当だ! よく気づきましたね! でも、メッセージを送ったのは彼女たちではありませんよ」
「なぜっ!? 学校を休んでいるから? SNSを通してなら自宅でもできますよ」
「たしかにそうです。けど、僕らは監視されていましたよね」
お兄さんに打ち明けた直後に送られてきた、『大人に相談したペナルティ』というメッセージ。
わたしたちを目撃していなければ、あのタイミングで送ることはできない。
「寄宿舎のPCを使っていることからしても、おそらく寮生でしょう」
「……萌絵さんも輝夜さんも自宅生でした」
落ち込むわたしを元気づけるように、
「ただし無関係というわけではなさそうです。あなたの言うとおり、かなり詳しい内容ですし。おそらく〈かごめ〉は、彼女たちから、じかにああいった話を聞ける立場の人物ではないでしょうか」
「こんにちは」
どこからか涼やかな声がした。
わたしたちは息を殺してデイルームを見回す。
窓にかかったカーテンが午後の陽を柔らかく透かしている。端のドレープが揺らめき、濃紺のセーラー服を校則どおり着こなした少女が現れた。
「はじめまして。中等部三年生の花籠メイナです。奇跡研究会の会長を務めています」
聖なる学園の生徒らしい優美な動作で礼をした。大人っぽく整った顔立ちで、生まれ持ったような気品がある。
「こ、このタイミングで、そんな場所から登場したということは――あなたが〈かごめ〉ですか?」
仰天して腰を抜かしたらしい、お兄さんがヨロヨロと立ち上がり、
「なるほど。花籠メイナ――〈はな(かごめ)いな〉から取った名だったのですね」
「私と、それから、彼女のことですわ」
慈愛に満ちた笑みを浮かべ、花籠さんがこちらを向く。
「あの物語は、二人をお見舞いしたとき聞いた話を、私が小説風にアレンジしたものです。楽しんでいただけましたか」
楽しむ? わたしはぎりと唇を噛む。
「わたしのIDをどこで?」
「あなたと友達になりたくて、椿木さんに聞きました。ああ、それと、〈かごめ〉からメッセージが送られてきた件はフィクションです。より面白くなるかなと思って。萌絵さんが階段から落ちたのは不注意で、輝夜さんは単なる風邪。ご心配なく」
この人は何を言っているのだろう。
怒るよりも呆れていると、「奇跡研究会の活動内容はごぞんじ?」と柔らかな物腰で尋ねられた。
「……奇跡の証明と認定について研究しているとか」
アバウトな回答に、花籠さんが説明を加える。
「ローマ法王庁のバチカンは世界中から寄せられる奇跡報告を調査し、『科学的に証明しようがない』と結論に至ったものだけを“奇跡”と認定します。私たちが行っている活動も、基本的にはそれに準じるものです。けれど――」
悩ましげに頬に手をやって、
「メンバーから寄せられた報告は、すぐに解釈を付けられるものばかりでした。
私はまもなく中等部を卒業しサークルを引退しますが、奇跡研究会には真偽を見極められる〈調査官〉が必要です。つまり、あなたに奇跡研究会の次期会長になってほしいのです。
だって、幼少から美しい檻でゆるりと過ごしてきた生徒にその役目は向いていませんもの。難しい編入試験をパスした外部生のほうが相応しい。そう思いません?」
〈かごめ〉からの問題を解いたのは、わたしじゃなくて、お兄さんだ。花籠さんもそれを知っているくせに。彼女がわたしにこだわる理由は、きっと――
「アドバイザーをここまで従えてきたのは予想外でしたけど」
ちらとお兄さんを見やって、血色の良い唇を開く。
「なにより――あなたが特別だからですわ。神倉メアリさん」
「……ひとつ聞いていいですか?」
わたしはずっと気になっていたことを尋ねる。
「萌絵さんと輝夜さんの物語、どこまでが本当でどこまでが嘘ですか。テスト勉強や部活動にグチっている場面とか」
「あれは、想像」言いかけて花籠さんは頬を赤らめた。「いえ、私の不満も反映されているでしょうね。恥ずかしい……。どうしてそんなことを?」
「いえ。花籠さんみたいな人でも、あんなことを考えるんだなって」
彼女はきょとんとして、わたしを見つめ返してきた。
「よくない――よくないですよ。花籠さん」
そこへ、だんまりだったお兄さんが口を挟む。
「萌絵さんと輝夜さんは、あなたを信頼して体験を語ったわけでしょ。会長の資質を試すテストとはいえ、あんなふざけた怪談話にするなんて。彼女たちに失礼だと思いませんか。奇跡研究会に必要なのは疑うことでなく、信じることではないですか」
首をかしげていた花籠さんは、口元をふっと緩ませて、楽しげに返す。
「――だって私、奇跡なんて信じていませんもの。謎を解く方が楽しくなってしまって。神倉さんにも共感して欲しいから、メッセージを送ったの。
むしろこの世の奇跡をすべて暴きたいと考えていますわ。あなたはどうです? 奇跡は存在すると思いますか」
役目を突きつめるあまり、目的を見失ってしまったのか。歪んだ思考の彼女に、お兄さんは弱ったように笑う。
「僕は霊感ゼロだし怖い話は苦手ですが。二十年以上生きていると、たまに、奇跡としか思えない巡り合わせがある――そう感じることがありますよ。ほら」
お兄さんは、長い指ですっと床をさした。
南に面したカーテンからの斜光が三人の影を床に映している。
花籠さんの背後にあるのは、いびつなかたちの十字――十字架のシルエットだった。
「っ!」
はっとした彼女が振り向いた瞬間、十字架は消えた。
文字どおり跡形もなく消失したのだ……!
物心ついたときから礼拝堂で祈りを捧げてきた彼女にとって、ショッキングな光景だったに違いない。瞳を大きく見開いた花籠さんがデイルームを去った後、わたしは窓辺に寄ってカーテンを乱暴に開けた。
スコップをかかえた用務員のおじさんの小柄な後ろ姿が見えた。
除雪作業を終えたのだろう、窓枠まで積もっていた雪はなくなり、代わりに中庭の隅に雪山ができていた。
「雪だるま」
「はっ?」
「雪だるまなんです、あれ」
答えるお兄さんの声は消え入りそうなほど小さい。
「昨日、除雪を手伝う合間に作ったのですが。難しいものですね。丸くしようと雪を転がすのに、どんどん細長くなってしまって。しかも今日の晴天で溶けて、ますます痩せ細り……。あんまりに不格好だ、ってからかわれていたんですが。まさか今のタイミングで潰されるとは」
十字の、横のラインは、腕を模した棒か何かだったのだろう。
細長い雪だるまって。妙なおかしさがこみ上げてきて、わたしは笑い出す。
「花籠さんが知ったら怒りますよ。――ていうか今、中庭で花籠さんが雪だるまの残骸を見つけたようです」
窓の外を見て、お兄さんが「ぎゃっ」と悲鳴をあげた。
「励ますつもりが逆効果になってしまったなぁ。フォローお願いします。あの――」
急に神妙な声音になる。
「花籠さんは〈かごめ〉を彼女自身と、あなたのことと言っていましたが。どういう意味ですか」
「…………」
わたしは今度こそ諦めたように肩の力を抜いた。
「わたしの本名は、神倉・ゴドウィン・メアリ。氏名とミドルネームの頭文字を並べたら〈かゴメ〉になるからでしょう」
「ゴドウィンって」
「はい。ゴドウィン学園長の娘です」
ショートカットの襟足を撫でて、ぶっきらぼうに明かす。
英国人の母とハーフの父から生まれたわたしは色素が薄く、髪色は金に近いほど明るく、瞳も碧がかっている。
昔からこの容姿が嫌いだった。母国語を話すだけで、意外そうな目を向けられるのは勘弁してほしい。むしろ英語は苦手科目なのに。
「それより――」
わたしは、とても大事なことを問う。
「お兄さんこそ誰なんですか?」




