クラブ棟・備品室
ペナルティで追加された問題を読み終えると、お兄さんは、また夢からさめたような表情になり、わしわしと頭をかいた。
「輝夜さんというのは――」
「はい。一年C組の村崎輝夜さんです。一昨日から風邪でお休みしているそうです」
すぐに答えると、変な顔をされた。
「なにか?」
「……いえ、ランドリールームはクラブ棟でしたね。現場検証しましょうか」
と、おもむろに歩き出す。
ちょっと迷ったが、付いていくことにした。
お兄さんとわたしのコンビは悪目立ちした。途中、数人の生徒とすれ違ったが、あまりにも自然に「こんにちは」と彼が挨拶するから、つられて挨拶する生徒もいた。いや今ごろ通報されているかもしれない……。
ぶっそうな予感を抱きつつ、歴代学園長の肖像画が飾られた廊下を過ぎる。ちなみに現学園長はサーシャ・ゴドウィン。なぜ写真じゃなくコストが高い肖像画なのよ。これだから私立のお嬢様学校は……。
優雅に微笑む中年女性の絵にグチっていると、クラブ棟に到着した。
お兄さんは、まず、ランドリールームに入る。
ドラム式の洗濯機が二台に、全自動換気システム。中学校の部活動にしては贅沢すぎる造りだ。天井に設置された物干しにかかっているタオルから、フローラルな柔軟剤の香りがした。「ふむ」と納得したように腕組みしたお兄さんは隣の備品室へ向かう。
輝夜さんによると、この戸が開きづらかったらしいけど……。
お兄さんが取っ手に手をかける。
「んっ? 普通に開きますね」
予想に反して、あっさり開いた引き戸にわたしは拍子抜けした。なんなのよ!
彼女が体験したことは一体何だったのだろう。
扉が開かなくなったり、はたまた萌絵さんのように勝手に開いたり。そんなことがあり得るのか。うーん……オカルトは信じない派だけど、嫌な想像をしてしまう。
作り付けの棚に洗剤のストックや掃除用具が整然と並べられている。
広さはランドリールームの半分もない。窓が小さくて、うす暗く、陰気な雰囲気だ。怪談めいた話を読まされたからか、よけい不気味に感じる。
「これは誰が持ち込んだのかな」
部屋の隅に立てかけられていた物干しハンガーに、キツネ似の顔をしかめるお兄さん。きっと、輝夜さんはこれにタオルやユニフォームを干していたのだろう。
「困るなあ。この部屋はランドリー向けに作られていないのに」
さらに室内を見回っていたお兄さんは、「あーっ!」と大声で叫んだ。
「換気扇の電源がオフになっている!! 勝手に空調を弄らないよう周知しているはずなのに」
「寒いからじゃないですか。ランドリールームと比べて日当たり悪いし」
「……寒い冬こそ換気が重要なのに。この換気扇は熱交換式で暖かさが失われにくく……」
よくわからない専門用語をぶつぶつ言っていたが、やがて気を取り直したのか、換気扇の電源をオンにした。モーターの動作音が響きだす。
「わかりましたよ――正解が」
あっさり告げられて、「へっ」とマヌケな反応をしてしまった。
見上げると、お兄さんはズル賢いキツネみたいな笑みを浮かべている。
「なるほど、よくできた問題でした。たったひとつの現象に気づけば、萌絵さんと輝夜さん――どちらの怪談にも説明がついてしまう」
「……たったひとつの現象?」
「あくまでも仮説ですが」
と前置きして、語り出す。
「萌絵さんの話を思い出してください。誕生日だった妹の部屋を、彼女はどんなアイテムで飾り付けたでしょう?」
「え、えっと……ガーランドと……たしか、風船」
戸惑いながらも答えると、満足そうにうなずかれた。
「床を風船でいっぱいにして、エアコンとストーブで室内を暖めた。――さて、これらの条件から、その後、何が起こり得たでしょうか」
「…………」
四畳半の床を埋めつくす風船の群れ。二つの暖房器具で一気に暖められる部屋。
ひとつずつ頭のなかで思い浮かべ、組み合わせる。膨らませた風船が、熱風でゆれる様子を想像した。現象……現象?
遅まきながら、わたしは閃いた。
「熱膨張?」
ご名答、とお兄さんが拍手して、
「鍋を火にかけて沸騰すると、蓋がカタカタ鳴り出します。これは鍋の中の空気が熱せられて膨らみ、蓋を押し上げるからです。この現象を〈熱膨張〉という。――同じことが風船にも起こったのではないでしょうか」
「……風船の中の空気が温められ膨張した。で、最初の状態よりも膨らんだ風船の大群がドアを押し開けた……?」
「萌絵さんはドアを『きっちり閉めた確信はない』ようでしたが。築二十年の中古住宅なら、ドアの開閉に役割を果たすラッチ部分が弱くなっていて、元々開きやすかったのかもしれませんね」
呆然としていたわたしは、はっとして、
「――じゃ、じゃあ、輝夜さんの話は!?」
どんな現象で説明できるのか。
興奮して答えを迫ると、ペットを落ち着かせるように「どうどう」と手で制せられた。
「当時、備品室は常に洗濯物が干されている状況だった。さらに、悪天候が続いて乾きづらかった上、換気扇の電源もオフにされていた。そういった状況が悪さをしたのです」
お兄さんは木製の引き戸を指して、
「木材は、僕たちが思っている以上に湿気を吸収し、膨張しやすいものなんですよ」
戸が、膨張する……?
思ってもみなかった答えに、わたしはただ言葉を失う。
「湿度が高い雨期に、木戸が湿気で膨張して枠に当たって開かなくなる、というのは実際にあるトラブルなんです。
輝夜さんは、数日前から異変に気付いていたようですね。換気をしていれば違っていたでしょうが。当日、彼女は長時間洗濯作業をして手がかじかんでいた。そのせいで指に力が入らず、よけい開けづらいと感じたのではないでしょうか。今は湿気が抜けて問題なく開け閉めできますね」
「――や、でも! ランドリールームも同じ木戸ですよね。なぜ同じ状況にならないの?」
疑問をぶつけると、「全然違いますよ」と冷静に返される。
「あちらは全自動換気システムが機能しているうえ、採光も十分に取られている。他にも色々と装備はありますが、使用する目的によって設備は全く異なります。違う目的で使えば、当然ゆがみが出てくる。そもそもですよ、勝手に空調設備をいじるなんて……」
説教モードに入りかけたお兄さんが喋るのを止める。
マナーモードにし忘れていたわたしのスマホが鳴ったからだ。
『回答制限時間まであと10分』
〈かごめ〉からのカウントダウン。
もう恐怖はなくなっていた。怪異としか思えない状況に説明が付けられてしまったから。
お兄さんを仰ぐと、大丈夫、というように首を縦に振ってくれた。わたしは覚悟を決めて返信する。
二つの怪談に共通する答――『膨張』。
ほとんどライムラグなしで、〈かごめ〉から次のメッセージが届いた。
『BCP004前に集合』