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問題1―萌絵

 もう、たくさんだ。

 終わりのみえないテスト勉強に、萌絵もえはウンザリしていた。


 幼稚舎から通うカトリック系ミッションスクールでは、一般科目のほか、キリスト教文化論など特別科目の範囲も広い。いくらやっても「これだ」という安心が得られない。


 中間テスト、期末テスト、学力テスト……大人になるまで、あといくつ試験があるのか。どれだけ試されなければならないのか。この窮屈きゅうくつさから一体いつ抜け出せるのか。

 山積みのテキストの下になっていたスマホが、メッセージの着信を知らせた。


『テスト勉強マジつらい』


 マジ同感。返信しようとしたが、キリがないので止めておく。

 SNSのグループトークは便利だ。既読(きどく)スルーしても誰だかわからない。きっと他のサークルメンバーが返すだろうし。


 そのとき――

 ぴしっと何かがきしむような音がして、萌絵は肩をふるわせた。


「……んだよ」


 なんのことはない、サイダーに浮かべた氷が割れた音だ。

 思わずぼやいた萌絵は、グラスの表面についた水滴をティッシュで拭きとり、そのまま底にしく。面倒くさがってコースターを使わないから、机のマットには輪の染みができていた。

 はしたないわよ、萌絵さん。お嬢様なサークル会長に見られたら(とが)められるにちがいない。想像してふっと笑う。


 クリーム色のカーテンをめくると、街頭に照らされてう雪が見えた。おぉ寒そうだ。

 暖房を思いっきり効かせた部屋で、飲んだり食べたりする冷たい飲み物やアイスクリームほど、おいしいものはない。


 時計に目をやると、まもなく妹が塾から帰ってくる時間だ。

 萌絵は伸びをして勉強机からいったん離れる。そろそろ料理の仕上げをしよう。


 今日は妹の有紗(ありさ)の誕生日。

 土下座しそうないきおいで謝りつつも同窓会に出かけていった両親の代わりに、自分が祝ってあげなければ。めずらしくお姉ちゃんの使命感にかられた萌絵は、サプライズで有紗の部屋を飾りつけ、ささやかなケーキまで用意していた。


 部屋を出ると、ひんやりした空気が肌をでる。

 去年引っ越してきた築二十年の中古住宅は、部屋数は多いものの、断熱がイマイチで屋内でも温度差が激しい。両親はリフォームを考えているらしいが。


「……え」


 階段を降りようとしたところで、違和感をおぼえた。


 妹の部屋のドアが開いている(、、、、、)――


 一時間ほど前、〈HAPPY BIRTHDAY〉のガーランドを吊り下げたり、四畳半の床を風船でいっぱいにして、パーティーらしく飾った。最後に、エアコンとストーブの電源をオンにしてドアを閉めたはずなのに。いや、きっちり閉めた確信はないが、あんな中途半端な開け方はしなかったはず……


 隙間からのぞくやみに何かが潜んでいそうな気がして、萌絵はあわてて目をそらした。

 テスト勉強のストレスで神経質になっているのかもしれない。

 今この家には私ひとりだ。他に誰もいない。呪文のように唱えて、気分を落ち着かせる。


 キッチンに降りて、下ごしらえしておいたローストチキンをオーブンにセットして、デコレーションケーキの最後の仕上げをした。といっても、苺を並べて、プレートにチョコペンで名前を書くだけだが。


 さて、有紗はまだ帰ってこない。

 勉強の続きでもしようか、テストは明日に迫っているのだから。重い足取りで二階へと上がった彼女は、次の瞬間、凍りついた。


 有紗の部屋のドアがさらに(、、、)開いていた。

 勘違いなんかじゃない。さっきは数センチ程度だったものが、数十センチほどに広がっている。明らかな変化だ。どうして……?


 ぞくり、と肌があわ立った。

 暗闇の向こうに表現しようのない禍々(まがまが)しいものがいて、今にも自分に襲いかかろうとしている――得体の知れない悪寒に()かれてしまった。


「っきゃ!」


 部屋着のポケットに入れていた着信音に、飛び上がるほど驚く。どうせグループトークのメッセージと思いきや、


『回答制限時間まであと1分』


 違った。三日前、見知らぬ相手から気味の悪い文章とクイズが送られてきた。アカウント名は〈かごめ〉だったか。回答期限が迫っているらしい。


「なによ。こんな(、、、)の……わかるわけないじゃん」


 戸惑いは混乱になり、声になってこぼれた。

 じわじわと溜まった恐怖は全身をおおって、まとわりついてがれない。

 ぬうっと生暖かい空気が部屋から漏れてきた。反射的に足が一歩、二歩と後ずさる。


「早く帰ってきてよ……お願いだから」


 念じるようにつぶやいたとき、玄関のチャイムが鳴った――有紗だ。

 助かった! いや、でも……

 安心しかけた萌絵は、おかしなことに気づく。有紗は家の鍵を持っている。わざわざチャイムを鳴らす必要などないのだ。もちろん両親も。こんな時間に家族以外の誰が訪れるのか。


 背後にはおぞましい気配があり、正体不明のチャイムに急かされ、『お前の逃げ場所はどこにもない』と責められているようだった。


 神様、たすけて――

 知らず知らずのうちに祈っていた。膝頭がふるえている。スマホはまたメッセージの新着を告げている。本能が知らせる。見てはいけない。見ては……


『回答制限時間まであと10秒』


 でも、と一方で心の声がいう。

 鍵を持ち忘れたドジな妹から、もしくは両親からの連絡だったら?

 今すぐメッセージを確認して、玄関扉を開けよう。何事もなかったように平然へいぜんと。

 息が止まりそうな緊張から解放されたい。悪魔が優しく手招きしているような誘惑に逆らえず、萌絵はスマホの液晶画面を見てしまった。


『うしろの正面だあれだ?』


「――ッ!?」


 大きな破裂音が響き、振り向いた萌絵は、身体のバランスを崩した。

 ぐらりと視界がゆがみ、気づいたときには階段を転げ落ちていた。


 意識が、ゆっくりと、暗く、沈んでいった。



『問:妹の部屋のドアを開けたのは、なにか?』 

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