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8.「捨身行の壮絶さを理解していただけるのではないか」

「やたらと勧めてくるけど、あたしにとって人生にプラスになるってわけ? それよか、このアトラクション、なんていう名前なの」


「さしずめ……そうよな」と、僧侶は網代笠の向こうで思案したあと、「さしずめ、観音浄土へ、生きながらめざすという疑似体験アクアツアーとでも言うべきか。題して、『観音浄土クルーズ』」


「とっさに、東京ディズニーランドのジャングルクルーズをパクったと見た。センス悪すぎ」


「そういうことになるかもしれぬ。そうとってもらってもけっこうだ」と、僧侶は取ってつけたように賛同した。網代笠の向こうのあごのあたりがチラッと見えた。やはり、唇周辺がやけに赤いのが気になった。


「でもって、これは一人用のアトラクションなわけ」


「さよう。だが今回は特別仕様で、私も同乗する。ちと狭苦しいが我慢せい」


「観音浄土へ、ね。死んで、あの世へゴーってことですか」


「ちょっと意味がちがう。この渡海船とかいせん、もといアトラクションは、かつて私が体験したことを再現するツアーなのだ。おぬしは私の『同行者』として参加してもらう。疑似体験中では脇役になってしまうが、十二分に補陀落渡海ふだらくとかいにおける捨身行しゃしんぎょうの壮絶さを理解していただけるのではないかと思うておる」


「????? お坊さん、言ってること、ワケわかんないよ」両手を広げ、お手あげのポーズをした。「トカイセン? 大都会、新宿の都会?」


「渡る海の船と書いて渡海船」


「あそう」


「とにかく船に乗り、これから観音浄土――別名、補陀落浄土へと向かう」


「フダラクジョウド、ね。よくわかんないけど、つきあったげる」


 小賦が言ったとたん、托鉢僧は捻挫するようなポーズをしてみせた。


「よくわからないのに、ホイホイつきあうと、いまにとんでもない目にあうぞ。そんな軽いノリでいいのか」


「とんでもない目にあってるのは、まさにいまでしょ!」


 小賦は渡海船とやらをよく見た。屋形の部分は船首側、船尾側とも戸板でふさいだうえ、釘で封印され、はめ殺しになっているではないか。


「この状態で、どうやって乗り込むわけ」


「渡海船は、言うなれば棺桶船だ。屋形を取り囲むように取りつけられた四つの鳥居――東門は『発心ほっしん門』、南方は『修行門』を表す。西は『菩薩門』、北門は『涅槃ねはん門』を意味しておるのだ。修験道しゅげんどうの葬送作法によれば、死者はこの四門しもんをくぐって浄土往生すると考えられていたそうだ。すなわち、この船こそもがり、つまり葬送の場であったと言えよう。――なに、心配いらん。私が合図すれば、おぬしの魂魄こんぱくが船に入る。それで乗ったも同然だ。細かい理屈はツッコんでくれるな」


「?????」小賦はアヒル口をした。「ななな、なにそれ。ほっしん、ねはん、じょうどおうじょう、ももも、もがり? もがりってなんじゃい?」


 僧侶は笠の上から頭を抱えた。


「もっとわかりやすく説明したいところだが、ほかに適当な言葉が見つからん。渡海船に乗ったならば、逐一順を追って説明いたそう」


 小賦は腰に手をあて、ニカッと快活に笑った。


「まあ、せっかくここまで来たんだし、挑戦してみよっかな。どうせ予定もなかったし……。それはそうと、お代はいくらするの? あんまし高額なのはムリだから」


「おぬしのために特別と言ったはずだ。料金は発生せぬ。ただし、ある契約を結んでほしい。いったん船出したら、ゴールまで後戻りはできない。それだけ肝に銘じてほしいのだ」


「なるほど、料金はいらないのは得した気分だけど、契約ね。まあ、見たところ、十分ばかり乗っていれば済むんでしょ。いいよ、その条件、飲んだげる」小賦は船端ふなばたに手をかけ、「そのまえに」と、言って托鉢僧を下からのぞき込んだ。「そのまえに、お坊さんの顔、見せてくんないかな。なんだか声がかっこいいし、もしかしたら、すっごいイケメンなんじゃないかと予想するんだけど」


「それとこれとは話につながりはあるまい」


と、硬い声で抵抗した。あきらかに動揺した色は隠せない。


「あたしのために特別サービスしたっていいじゃん。取ってよ、帽子」


 と、小賦は唇をとがらせ、手を差し出した。

 僧侶はたじろいて、その手をつかんだ。


「……よろしい。そんなに見たくば見せてやる。そのかわり覚悟したまえ」


「やり。交渉に勝った」


「ならば見るがいい、この醜い顔を」と、網代笠に手をかけ、ぐいと押しあげた。とたんに僧侶の顔があらわになった。「それと、おぼえておけ。私の名は祐遍ゆうへん願成就寺がんじょうじゅじ第五世で知られた祐遍和尚(おしょう)だ!」


 小賦は両手を口にあて、思わず悲鳴をあげた。それこそ絶叫した。

 祐遍なる僧侶の顔面は真っ赤に焼けただれ、皮膚が蜘蛛の巣状の筋をつくっていた。

 ケロイド状になった見るも無残な顔面様相となり、ジクジクとうみがあふれていた。


 鼻や耳までもが醜く変形してしまっており、髪をり落とした頭全体もが赤くただれ、唯一、やけにギラギラした眼球だけは生命力が宿っていた。

 ひきつれた口もとは不自然に口角が吊りあがり、ニヤニヤ笑いをしているようにも見えた。重度の火傷の痕だろうか……。


「人を顔だけで判断してはならんぞ。恐れるなかれ。私はおぬしのために、積み重ねた功徳くどくを見せようとしておるのだ。口もとは歪んで見えるかもしれないが、いたって真面目だ」


 と、冷静な声で言った。


 小賦は一瞬、意識を失いかけたが、すぐ平静を取り戻し、


「……やっぱ、乗るの、やめておこっかな」


「ならぬ。ここまできたら、乗らずにはいられまいて。ここで帰られでもしたら、私の失態」


 祐遍が手にした金色の持鈴をふった。涼やかな音がひときわ大きく鳴り響くと同時に、小賦は意識が閉ざされ、爆破されたビルが倒壊するように、そのままくずおれた。

 意識がブラックアウトする寸前、


「ああ、もう……好きにして」と、洩らした。

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