6.修行の一環
場ちがいにもほどがある。
つむじ風が生じたところに、純和風な人物が忽然と現れたのだ。
どう見ても仏教徒の托鉢僧だった。
薄くスライスした竹で編み込んだ網代笠を目深にかぶっているため顔は見えない。
男であるのはまちがいない。尖ったあごのラインぐらいしか露出していない。墨染直綴を着こなし、すねに脚絆をあて、草鞋履きといういで立ち。
子供のとき、自宅でひとり留守番しているときにかぎって呼び鈴を鳴らされ、玄関を開けると、こういった人が立っていたことを思い出す。
般若心経を唱えられ、お金か食べ物を催促されたことがあった。
結局、どういった作法をとっていいかわからず、玄関で棒立ちになっていると、そのうちどこかへ行ってしまった。
のちにあれが托鉢の行なのだと親に教えられた。見た目だけで判断するのは失礼ながら、正直、怖いと思ったものだ。
小賦はリュックの肩ベルトをつかんだまま、思わず後ずさりした。
本能的に、来てはいけない場所に足を踏み入れてしまったと思ったが、時すでに遅し。
「待たれるがよい。ここにまいったということは、すなわち御仏のご託宣があったからにほかなるまい」と、托鉢の僧侶は尖ったあごを動かして言った。「夢で例のチラシを受け取ったのであろう。とすれば、私と関連がある」
「え……ミホトケのゴタクセン?」と、小賦はひきつった笑みをなんとか浮かべ、小首をかしげた。「なんのことやら、あたしにはさっぱり――すみませんね、学がないばっかりに」
「学のあるなしは関係ない。ずばり、千手観音さまに導かれたのであろう。私こそ菩薩の使いとして派遣された。おぬしとは出会うべくして出会った。これ、必然のめぐり合わせなり」
「それってかなり高度な口説き文句ってことでオッケー?」
小賦は困った表情で上目づかいに見た。
円錐形の笠をかぶったその男は、かるくずっこけ、
「……私は大真面目に言っておるのだ。なにゆえ、『同行者』をたらしこまねばならぬ」
「ドウギョウシャ? またまた……なにそれ。新手のナンパ師のやり口でしょ」
男は声からしてそれほど年はいっていないはずだ。二十代なかばすぎから三十代前半ぐらいだろう。
朗々たるクリアな低音ボイスは、いかにも好男子ではないかと思わせるような甘さと艶があった。まるで全盛期のGACKTみたいだ、と小賦は思った。
それに全身から放出されている男性フェロモンがすごくて鼻血が出そうだ。網代笠に隠れたルックスは、さぞかしイケメンにちがいない。ひと月分のお小遣いを賭けたっていい。
「だから」と、僧侶は辛抱強く言った。「千手観音さまはおぬしを選んだ。修行の一環で、ある荒行の疑似体験をさせてやろうとの計らいだ。身におぼえがあるのではないかな」
片手に鉢、もう片方に持鈴をさげたまま近づいてきた。
シャンと鈴をひと鳴らしした。びっくりするほど澄んだ音が園内に響いた。
「は。身におぼえ」人差し指を頬のえくぼにめりこませ、眼を斜め上に向けた。「逆に言えばありすぎて、なにを指すのやら見当もつかなかったりして」
網代笠の男は、ちょっとあごをそらし、ふっと笑ったようだった。やけに口もと全体が赤いのが気になった。
「素直なことはよきこと。救いようがある。これがひねくれて凝り固まってしまうと、人はなかなかもとに戻らぬものだ。――ならば私についてきなさい。おぬしがここにまいったのは、御仏との縁があったからに相違ない。いまさら気持ちを変えて、家に帰るなどとは申されるな」
「うう。帰っちゃダメ? いくらなんでも危険な香りがする」
「案ずるな。誘拐するわけでも、衣服を破るつもりもない。誓う。――重ねて言うが、千手観音さまはおぬしを試そうとしているのだ。その水先案内人を私がつとめるのだ」
「それはいいとして、家に言づてひとつ残さず来ちゃったのよ。甥っ子にさえ伝えてないっていうのに。もしも、このまま行方くらませちゃったら、ウチの親も大騒ぎしちゃうだろうし」
と言いながら、若いころのGACKTみたいな男とバックれるのも悪くないと内心思った。
「現代にはLINE、なるものがあるはずではあるまいか」と、僧侶は言った。LINEの発音が妙に尻あがりになった。「永禄生まれ、寛永初期にみまかったとはいえ、浄土においては現代文明について学んでおるぞ。それを用いれば、リアルタイムに文を送ることができると習った。これも研鑽の賜物」
「それもそっか――スマホの電波が届くかぎり、なんとかなるかも」と、小賦はお気楽に手を叩いた。「でもって、ちょい待ち。エイロク生まれ? カンエイにミカマッタ? なにそれ、まじで日本人なんですか?」
「あいすまぬ。口がすべった。いまはそれに触れてくれるな。――とにかく、ついてきなさい」
僧侶はそう言うと、踵を返し、しずしずと歩き出した。
小賦はそのすきに回れ右して、ゲートまで猛ダッシュしようかとも考えたが、ニカッと笑った。
ひと夏の冒険になるかもしれないという好奇心が勝った。
それほどこの夏は倦んでいた。




