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34.うけるべくしてうけた聖痕

 砕けるザニガリ。飛び散る肉片。

 賢人が無邪気に笑う。命をなんとも思っちゃいない。

 長谷川のおたまが鎌首をもたげたコブラのように巨大化する。『印』を与えに、イヴをたぶらかした蛇は執拗に迫る。


 あの日、うけた火傷は聖痕スティグマだ。うけるべくしてうけた。

 彼岸では仏の化身みたいな保坂たちが、楽しそうに笑っている。八女先生を加えたあのグループは、この世の理想郷。

 矢継ぎ早に現れては消える映像。

 フラッシュバックするかのごとく切り替わった。

 もうなにがなんだか、わけがわからない。




 そういや、祐遍の行方は?

 見つけた――青黒い海の、はるか下を沈んでいく。

 小賦は平泳ぎで追った。 

 海底にも黒潮の流れがあるらしく、祐遍はどこかへと流されていく。

 小賦も流れに乗った。


 まるでなにかに引っ張られているかのようだ。抗えない力で運ばれる。

 ぼんやりと黒い海底が見えてきた。

 なにか人工的な物体が横たわっていた。

 朽ち果てた船が海底に眠っていた。


 なんてことだ……渡海船だ。

 無数の殯の船。小賦が乗っていた船とは、微妙に形や大小異なるが、入り母屋型の屋形に四つの鳥居をそなえた船や、粗末ないかだ、なぜか焼け焦げた曳航船までもが、疲れ果てた象みたいに船体を横たえ、その役目を終えていた。


 かつて象にも墓場があると信じられたように、そこは渡海船の墓場だったのだ。

 そのうち、船にはめこまれた殯のすき間から、ミイラとなった遺体が片手をさしだし、こっちへ来いと手招きしていた。

 手招きはそこらじゅうの船からもやっていた。閉じこめられた屋形のすき間から、うらめしくミイラの顔をのぞかせ、口をパクパクさせている渡海僧までいた。


「うはっ……ちっとも仏さまになんか、なれてないじゃん。たんなる犬死だ!」


 観音浄土へ渡れると信じて死んだのに、浮かばれていないなんて! やっぱりカルトだ!

 眼の前が鮮烈にフラッシュバックしたとたん、渡海船の墓場の光景がかき消された。


◆◆◆◆◆


 あれっ……なんで?

 瞬時にして、殯の箱のなかに戻っていた。

 さっきまでいた窮屈な船内じゃないか。

 嵐がうそのように、静まり返っている。

 どうなってるんだ?


 壁のすき間から月の光が入り込み、格子状の柵となっている。まるで罪人を閉じ込めるような光のいたずらだ。

 膝を抱え、闇を見つめる小賦。またしてもおなじみの姿勢のシルエット。

 顔の火傷痕もむごい小賦自身だ。小賦の偽物だ。

 だったら、祐遍はどこへ行ったのか?


 ふいに、直綴を着た相手は腹這いになった。

 なぜに腹這い?

 イグアナみたいにこっちに這いずってきた。

 両眼はあさっての方向を向いていた。舌を突き出し、口の端から泡を吹いている。

 正気じゃない。


「死ぬ気がないのなら、私がとどめを刺してやろう。――この手でな」


 と、聞いたことのない老人の声で言った。

 これはバッドトリップだ。そうに決まってる!

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