23.殯船のなかの祐遍
あれから何日経ったのだろう。
どれだけの時間を船ですごしたかわからない。
幸いにして海は荒れることなく、ぶじ航海は進んでいた。
――いや、観音浄土は、あくまで観念的にしか存在しえず、いくら大海を渡ったところで目的地にたどり着けないのだ。
だとしたら、あたしたちはなにをしに、南方の彼方へ出かけているんだろうか?
小賦はときどきわけがわからなくなった。
補陀落渡海の本質がぼやけてしまうことがあった。このまま漠然と風に吹かれるがまま船旅を続けていても、終わりはやってこないではないか。
相も変わらず祐遍は念仏をつぶやくだけ。
まるっきり食事や水さえも手につけない。
痩せ衰えていくのがわかる。それもゆっくりと、でも確実に死に近づきつつある。
昼間は灯りをつけず、箱のすき間から漏れてくる光を頼りに、ときおり会話してすごした。
夕方以降、寝るまでのあいだ、灯明をともし、観音浄土のことについてレクチャーを受け、退屈になると、小賦は眠りについた。
◆◆◆◆◆
祐遍は刻一刻と骨と皮のみの肉体へとなっていった。
それは小賦もおなじだった。死は確実に忍び寄っていた。
それにしても、閉じ込められた船内の居住スペースは狭すぎた。
天井までの高さは一メートル二十ほどで、常時座ったままでないといけない。壁にもたれた状態で両腕を左右にのばしても、腕が広がりきらないうちに支えてしまう。
わずか五十センチ先に祐遍が向かいあって座っているのだ。
おたがいの吐息が届き、箱のなかにこもった。息苦しいったらなかった。
日南市の陸から出てからというもの、おなじ姿勢を強いられているので身体の感覚がおかしくなっていた。
関節がこわばり、そこらじゅう痛んだ。
眠るときは、膝を抱えて腕に頭をもたれさせるか、胎児のように縮こまってどうにか横になったり、ときには祐遍の膝に頭をのせて甘えたりもした。
が、相手の疲労を考えると、それも遠慮するようになった。
豚のような寝息を立てた。
食料も粗末なものだから、エネルギーに還元されることもない。わずかなあいだだけ、生命を引き延ばしているだけにすぎないのだ。
二人の死は目前まで迫っていた。
そのころから、小賦は深夜、ふと目ざめるようになった。
暗闇のなか、箱のすき間から格子状に月の光が入り込んでいる。
あたかも二人は、月光の柵で囚われた罪人のようだ。
自身の内面を見つめるように、膝を抱え、真正面を見た。
ぼんやりと人型のシルエットが見える。祐遍までが膝を抱えた恰好で、小賦を見返してくる。
「祐タン、ちっとも寝てないみたいだけど、だいじょうぶなの?」
返事はない。月明かりのなかで照らされた赤い火傷の痕が痛々しい。
火傷の痕は、いやでもあのことを思い出す。
殯船のなかの祐遍は、小賦の内部をカリカチュアした鏡像だ。
むろん、小賦自身には焼けただれた顔の傷はない。
傷は、ふだん見えないところにかくまっていた。
あれから五年経った。
小学五年、二学期のできごと。ずいぶん時間がすぎたように思えるが、されど五年だ。切り裂かれた心までは修復しきれていない。
なんにせよ、五年、時が流れていた。
右腕の火傷の痕は、生物学的には皮膚の新陳代謝のおかげで、当時よりかは白っぽくなり、森のなかで擬態するカメレオンのように目立たなくなった。
とはいえ、傷の周囲の皮膚は放射状に引っ張られ、いまだひきつっている。これでも見た目はましになったのだ。
痛みはない。
むしろ月夜の晩にだけ現れるという幻肢痛みたいに、チリチリとした痒みに悩まされることがあった。
まるで、『おれのことを忘れてくれるな』と言わんばかりの抗議だった。
基本的にどんな猛暑だろうが、制服にしてもカジュアルなそれにしても長袖を着るよう心がけた。
今回の裏野ドリームランドを探しに出かけたときこそ、肩から下がむき出しのタンクトップだったが、しっかりテニス用のサポーターをはめていた。それで傷痕を隠していた。
学校の体育の時間のときもつけていた。クラスのみんなや先生に指摘されたら、腱鞘炎がひどいためだと誤魔化した。けっしてリストカットの痕を隠しているわけじゃあない、と冗談めかして言うのは忘れなかった。
リスカは自身で傷つけ、耕した跡地だ。
だが、この右腕の火傷の痕はちがう。これはあきらかにやられたのだ。
――長谷川 茉莉たちに。




