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20.「つまり私は二度苦しみ、死ぬことになる」

「あらためておさらいね」と、小賦はあぐらをかいて言った。「最終的に渡海船は沈んじゃうんでしょ? だって、オールもない船じゃん。波に揺られ、風に吹かれるがまま。子供のときに作った笹舟とおんなじ原理。いくら無知なあたしだって、いつの日か、海の藻屑もくずとなるぐらい予測がつく。笹舟だって、海に着くまでには、たいてい沈んじゃうんだろうし」


「たしかに」


「なんにせよ、前回祐タンはこの渡海で死んだんでしょ? 祐タンの初見の体験ではなく、再現って言ったよね」


「さよう。私がかつて渡海したものを、あらためて追体験している。木食聖もくじきひじりとして苦行を強いられているのも再現しているため、私自身、二度目の苦しみを体験しているのだ。そしてこれから死にゆくまで、迷い、苦悩、恐怖をも味わっている。つまり私は二度苦しみ、死ぬことになる」


「で、ついでに同行者であるあたしも、ハードな体験をさせられると」


「かくも現身うつしみのまま浄土に渡るとは、どれほどたいへんか思い知ることになるだろう」


「で、ゴールしないと、あたしは現実の世界に戻れないわけ」


「ゴールは往生、すなわち自死同然で死ぬことになる」


「ふーん。ま、あたしが死ぬのは当面、おあずけにするとして」と、小賦はお気楽に言ったあと、祐遍を指さした。「二度死ぬってことは、一度目は死んだことになるってわけで。それじゃあ、ズバリ聞くけど、祐タンは幽霊?」


 めずらしく祐遍は眉を吊りあげた。


「無礼な。私はちゃんと仏に生まれかわったのだ」


 と言ったものの、乾いた骨と皮だけの顔は見るにたえないほど苦悶に歪んでいた。とても仏には縁遠いところにいるような気がした。


「仏に生まれかわって……なんでまた、裏野ドリームランドみたいな廃墟で、観音浄土クルーズの営業活動、してたのよ。えらく落ちぶれちゃったんじゃないの?」


「それはな、オブどの」と、祐遍は真っ向から見すえた。まばたきのタイミングまでシンクロした。まるで鏡だ。「おぬしのために、すべては現れたのだ。おぬしの心を救うために、御仏が私を特別につかわした」


「特別に、ね。ありがたくてうれし涙がチョチョ切れる」


 小賦は言ってふくれっ面をした。


「それにしても補陀落渡海ふだらくとかい」小賦は頬杖をついて言った。「自殺をすすめる教義なんて、完全なカルト教団じゃん。いくら熱狂的なくらい信仰してるからって。現代人からすりゃ、ありえない」


「たしかに遅かれ早かれ、そんなそしりを受けるようになる。私とて、寛永四年、江戸時代初期において、すでにそんな批判があるさなか渡海した。じつは反対の意見も多く、ときにはおのが信仰を疑ったときさえあった」


 ふいに小賦はある疑問を思いついた。


「祐タンは根が真面目だからわかるとして。なかには行かなきゃいけないような雰囲気になって、泣く泣く渡海したお坊さんだって、いるんじゃないの? ことなかれ主義のイエスマンな人だと、多くの人から催促されて逆らえなくなり、仕方なく行かざるを得なくなった、みたいな。いくら自分の命がかかわっているからって、はっきりノーと言えばよかったのに、世論の圧力があって、みたいな」


 イエスマンと自身で言っておいて、小賦は胸が痛んだ。子供のころの自分だって、まわりの顔色をうかがって、リスみたいに生きてきたじゃないか……。


 祐遍は結跏趺坐けっかふざの姿勢のまま、力強くうなずいた。


「よくぞ気づいた、オブどの。補陀落渡海ははじめこそ、現身うつしみのまま往生するのをしきたりとしていた。ところが、ある事件(、、、、)を境に見なおされることとなる。熊野那智山の場合だと、住職が亡くなり、その遺体を水葬する形で、渡海船に乗せて送り出すよう変更されたのだ。もちろん変更されても、反対を押しきって、あいかわらず生きたまま渡海する僧もいるにはいたが」


「ふーん」


「それが、いまからおよそ六〇年まえの永禄八(一五六五)年――熊野那智山の金光坊こんこうぼうという住職の事件だ」


◆◆◆◆◆


 熊野那智山における補陀落渡海は、平安時代、九世紀の慶竜上人から江戸時代の一七二二年、最後の享保七年に渡海した宥照ゆうしょう上人まで、二十五名(※現在の補陀落洛山寺の境内にある記念碑には、歴代の渡海上人の名が刻まれているが、記録にない修験者も含めれば、これよりはるかに多い人間が渡海したことになる)を数えることができる。


 補陀落渡海は、いわば生きたまま渡海することが本義。これが江戸時代のはじめから批判を浴びるようになるのだ。

 自分から命を捨てることはいけない――と、世間に浸透しはじめた儒教精神から、宗教的自死に対する風当たりが強くなる。


 というのも、戦国時代の真っただ中である永禄八(一五六五)年、生きたままの渡海が見なおされるきっかけとなる、ある事件が起きる。

 それが金光坊という人物の渡海時におけるできごとである。

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