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2.「竹内 小賦投手の登板よ。投球練習はいらない」

 青空のはるか向こうには巨大な積乱雲のかたまりがとどまっていた。

 じっと見つめていると、ゆっくり時間をかけて姿を変え、それは誰かの顔のようにも見えてきた。誰の顔なのか、見当もつかなかった。なんだか怒っているような表情だった。


 小賦おぶは河川敷の斜面に寝そべり、


「退屈すぎて死にそ」と、言った。「なにかおもしろいことないかな。胸躍るようなできごとが」


 今年の夏は八月に入ってから記録的な猛暑が続いており、宮崎県日南市の、九州の小京都と称される飫肥おびの人々を屋内に釘付けにしていた。

 しかし十六歳の小賦と、甥っ子の賢人けんとだけはそれにも負けず、河原へ暇つぶしにきていた。

 すぐ頭上は橋がかかり、斜め下は日陰になっていた。橋の上では思い出したように自動車がけだるいエンジン音を出して行き来していた。


 賢人は飽きもせず、川のなかにひざまでつかり、タモ網でなにかを追っていた。

 しょせん小学五年生だ。夏休みに入ってからというもの、小賦の家に入りびたっており、世話を見なきゃいけない役目をまかされていた。ふだんから自宅でゲーム三昧なので、こんな他愛のない川遊びも新鮮に映るものなのだろう。


「暇」と、小賦は独り言をつぶやいた。「なんとなく死んでみたい。わたしの命なんて、小さいものじゃない。明日からいなくなったところで、わずかな人が悲しんでくれるだろうけど、それもしばらくのあいだだけ。半年もすれば人の記憶から忘れられちゃう。それで、この世はなにごともなかったみたいに進んでいく。時間はとまらない」


 この空は、なぜ海の色と同じなのだろうか。

 空を見あげていると、どこまでも落ちてしまいそうだ。


「どうしてかな。なんでイスラム国みたいな過激派組織が生まれ、なんの落ち度もない子供や、お年寄りが殺されなきゃいけないのか。この世は理不尽すぎる。それにくらべ、日本は平和だ。ジュクジュクに熟しすぎた柿みたいに、だらしないほど平和」


 と、ぼんやりとつぶやいた。なんとなくスマホのネットニュースを眼にしただけで、ISISの政治的理念や主義主張をくわしく知っているわけではない。


「この世に救いがないのなら」小賦は空を見つめながら言った。「行ってみたい。べつに死ななくてもいい。生きたままあの世へ行けるなら、神さま仏さまを踏んづかまえて、なんでこんな世のなかを作ったんだと、小一時間、みっちり問いつめたい」


 賢人が中腰のまま、顔をあげた。


「オブ。なにひとりでブツブツ言ってんだよ。まるでこの世の終わりみたいにさ」


 河川敷の斜面に寝転んだ小賦がふり向いて、


「詩人になりたい。さもなくば生きていたくない、と言ったのはヘルマン・ヘッセって詩人でね」


 と、高尚ぶった。ほんの二、三日前に知った言葉にすぎない。


「へっ、せーですか」


 賢人はまた水中をのぞきながら、生返事をよこした。


「そのくせ」と言って、橋の上を行く大学生ぐらいの青年を物憂げに見あげ、「男には興味があったりするわけで。それってつまり、本能ってわけよね」


 と、言った。青年は素知らぬ顔で行ってしまった。


「げえ。オブって発情してんのかよ」


「べつに憧れてる人がいるわけじゃない。これといって好きな男はいない。なんとなく、恋に恋するって感じかな。どこかでいい人とめぐり会えないっかな」


「意味わかんない。盛りついてて、おかしくなってるだけだろ」


「さようでございましょうね。お子さまには難しすぎるかも」



 そのうち賢人が、「お。……やり」と歓声をあげ、タモ網をかかげた。「またまたザニガリ、ゲット!……アメリカザニガリだらけだよ、ここの川」


「そんなにバケツ一杯捕まえて、あんたどうするつもり? 養殖でもすんの」


「アメリカではふつうに食べてるらしいよ。持ち帰って、母さんに料理してもらおっかな」


「バカね。この川、生活排水がじゃんじゃん流れこんでるよ。いますぐ捨ててきなさいって怒られるのがオチ」


「やっぱ、汚いかな。たしかに臭うし」賢人は手を嗅いで、鼻にしわを寄せた。「だったら、これぜんぶ、どーすんだよ。バケツんなか、二十匹近くあるのに」


 小賦は反動をつけて起きあがった。


「それじゃ、こうしよう」


 賢人のところまで斜面をくだっていくと、バケツのなかに手を突っこみ、大物の一匹を捕まえた。


「どうすんのさ」


「見てて。竹内 小賦投手の登板よ。投球練習はいらない」 


 川べりでエースピッチャーみたいに振りかぶった。

 反対側の岸壁めがけ、全力投球した。


「えいや!」


 赤い甲殻類がコンクリートの岸壁にぶつかると、がしゃっと硬い音がし、粉々に砕け散った。


「ひ・ど・い。ザニガリ殺しで通報されちゃうかも」


「こんなことで前科はつかないって。どうせ、外来種で生態系を乱すし、農家さんにとっても悪さする生き物なんだし」


 と、ケロリとした表情で小賦は言った。


「それもそっか。じゃあ、おれも」


 賢人もまねて、ザニガリを岸壁に向かって叩きつけはじめた。ピッチングフォームから投げるのではなく、助走をつけてから投げた。まるで外野からバックホームするみたいだ。

 二人は笑いながらザニガリを投擲とうてきした。コンクリにぶつけると、ザニガリの部位はバラバラになり、白いお肉が四方八方飛び散った。脱皮したての、殻がまだ定着していないブヨブヨのそれなど、ひとたまりもなかった。


 賢人が笑った。


「やっぱりエビフライにして食べたくなるな」


「たしかに食欲そそるかも」と、小賦は額に汗を浮かべて言った。「命をもてあそんでるって気がする。刺激的だね」

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