15.「そのゴールって、結局、命を落とすってことでしょ!」
覚悟もくそもあるもんか。
まばたきした瞬間、またしても眼の前の風景が切り替わっていた。
それこそ休む暇もない。
だが小賦は、既視感を憶えて眉をひそめた。
「なんだかここって、見たことあるような景色だけど……」
それもそのはず、飫肥の城下町を流れる酒谷川を見おろす高台だった。時代はさかのぼれども、川の姿形など、さほど現在とかわりあるまい。
ひときわ奇妙な物体が眼に飛び込んできた。
小賦の視界の真正面――川の深いところには、例の屋形船が浮かんでいたのだ。
眼にもあざやかな朱塗りの鳥居と、卒塔婆で組まれた垣根が異様な渡海船。『南無阿弥陀仏』の文字が書かれた帆が張られ、すでに風をはらんでいた。
河原には大勢の人間がつめかけていた。
小賦は自身の恰好を見た。
やはりお遍路さんの姿だった。ばっちり手甲と脚絆までつけ、右手は杖をにぎっていた。今度はご丁寧に、頭には菅笠まで乗っている。
思い出した――これって、一昨年、亡くなったおばあちゃんを棺桶に入れたときの恰好だと思った。
それって、つまり死に装束?
死に装束。
祐遍は補陀落渡海に出かけると言った。
それは観音浄土へ行くと大義名分をかかげておきながら、物理的にはたどり着けない死出の旅にちがいない。
いくら熱烈な信仰のためとはいえ、自殺行為にひとしい。
周囲の人間は、誰もそれをとめることができず、むしろ檀家や信者らは船出してほしいと願うのは無茶な話だった。
それに小賦自身が同行するわけだ。だから前もって死に装束をつけているのだ。どう考えても助からない旅路なのだから。
いまさらながら小賦は、百歳のおばあさんみたいに膝がふるえてきた。
回れ右して脱走しようかと考えがよぎった。
その前にスマホで賢人か誰かを呼び出し、救出してもらおうかと思いついた。
片手を背中にまわした。
あれ……。ない。背中のミニリュックがない!
リュックにスマホを入れていたのに、そっくりなくなっている!
「なにをしておるのだ、オブどの。今日は渡海するにはいい日和ではないか。聞くところによると、海も穏やかな日が続いているそうだ。……ついてくるがよい」
小賦の横から、ふって湧いたように祐遍和尚が現れた。
網代笠を目深にかぶり、墨染の直綴を着こなした旅装のいで立ちである。地面の玉砂利を踏みしめ、サクサク音を立てながら河原をおりていこうとする。
「ちょっと、祐タン!」と、網代笠に声をかけた。やけに死に装束のサイズが大きく、動きづらかった。「スマホがないのよ。これじゃあ連絡とれないじゃん。LINEすりゃいいって言ったのは祐タンでしょ」と、金剛杖をふりまわして言った。
「残念ながら没収した。船にはよけいなものを乗せることは禁じられているのでな」
「話、ちがうッ!」
「船出し、ゴールにたどり着けたら、もとの世界に戻ってこられるのだ。それまで辛抱するがいい。スマホ依存症を克服しないと、ろくな大人になれぬぞ」
「おおきなお世話」小賦は鼻を押しあげて豚の表情をしてみせた。「そのゴールって、結局、命を落とすってことでしょ!」
祐遍は寂しげに唇を曲げただけでとくに反論せず、さっさと下り坂をおりていった。なんだか顔色が悪すぎた。
太陽は中天からかなりさがったところに位置していた。午後三時から四時ぐらいだろうか。
蜩が鳴いていた。
河原には大勢の人々がつめかけていた。どれもが昔チックな着物姿だった。なにせヴァーチャル・リアリティーのなせる業だ。
男たちはひっつめた髪型や、月代を剃って、まげを結った銀杏頭をしているのが特徴的だった。
かたや女性たちは、いつの時代も流行を追いかけたり、独自のセンスをもとめるのものなのだろう。下げ髪にはじまり、その先端をまるめた玉結びや、セレブっぽい人は、いかにも時代劇に出てくるような元禄島田にかため、ゴテゴテにかんざしを刺していた。小さな女の子など輪の形にして束ねた変わったものもあった。
いずれにせよ、そんな人々がいまや遅しと、祐遍たちを待ちかまえていた。




