【008不思議】走れ! 山の判取り合戦
朝日が眩しく差し込む静かな男子部屋に、着信音が鳴り響いた。
部屋は外見の絢爛さとは程遠く、横に二段ベッドが二つ置いてあるだけと、随分質素な内装となっていた。
部屋の中に男子のいる気配は無い、そう思ったが、右の下段の布団からニュッと腕が飛び出して着信音を止める。
『よーハカセ―! 楽しんでるかー!』
電話の向こうから聞こえてきた明るい乃良の声に、博士は眉間に皺を寄せながらゆっくりとベッドから立ち上がる。
枕元に置いた眼鏡をかけ、窓から朝日を見上げると掠れた声で返事をした。
「……楽しんでる訳あるか、バカが」
『ん? 寝起きか? 寝れなかったのか?』
博士の声に違和感を覚えた乃良がそう尋ねると、博士は拍子に溜息を吐く。
「……あんなんで寝れるかよ」
そして、昨夜の事を思い出していった。
●○●○●○●
昨夜、消灯の時間が過ぎ、博士のいる男子部屋の生徒達は皆ぐっすりと就寝していた。
どこからなのか、耳を塞ぎたくなるようないびきが響いていたが、眠ってしまってのはそんな音に魘される事は無い。
博士もぐっすりと眠りについており、明日の睡眠不足は問題ないであろうと思われた。
しかし、そこに一つの声が現れる。
「ハカセ、……ハカセ」
その声と共に体を揺らされた博士は目覚めてしまい、薄らと目を開ける。
「……うわぁ!」
そこで見たものに博士は驚き、ベッドの中で暴れながら仰け反った。
さっき自分が見たものが本当に真実なのかどうなのか、博士は枕元の眼鏡を取って慌ててかける。
そこには、慌てる博士をいつもの調子で眺める花子の姿があった。
「何で!? てか、どうやって来やがった!?」
動揺を隠しきれないまま、声を荒げてそう尋ねた博士に花子は淡々と答える。
「ハカセに会いに来た。幽体化してすり抜けてきた」
花子の幽体化につくづく悩まされつつも、博士は今が真夜中であり、部屋には眠っているクラスメイトがいる事を思い出す。
さっき博士があんなに暴れたのにも関わらず、他に起きた生徒はいないようで、未だ五月蠅いいびきがグーカーと鳴り続けていた。
博士は溜息を吐くと、先程よりも慎重な声で花子に話しかけた。
「……んで、俺に何の用だよ」
博士の問いかけに花子は少し黙っていると、静かに口を開いた。
「……なかなか寝れなくて」
「そんなんで俺のところに来るなよな」
呆れた様子を見せる博士に、花子は何とか話を聞いてもらおうと続ける。
「だって、私、お泊りとか初めてだから……、その、落ち着かなくて……」
どこかたじろぐ様子の花子に博士もしょうがないかと考えていると、花子はどこかを懐かしむような目で見ながら言葉を吐いた。
「やっぱり、家のトイレじゃなきゃ寝れないよ」
「ちょっと待て、その前にお前どこで寝ようとした」
花子の言葉を聞き捨てられなかった博士が、その言葉を拾い上げる。
「えっ、どこって……、トイレだけど」
「何当然のようにトイレで寝ようとしてんだよ」
そんな理由で起こされたのかと博士は頭を抱えると、自分の座っているベッドをバンバンと叩いて花子に注目させた。
「良いか? 普通の奴らはこういうベッドに寝っ転がって寝るんだよ」
「でも、そんなところで寝たら寝心地悪そうだよ」
「俺としては便器で寝る方が心地悪いと思うけどな」
博士はそう言うと、花子に対して手の甲をブラブラさせて、再び布団の中へと潜り込んでいった。
「解ったらさっさと自分の部屋に戻って寝ろ」
眼鏡を外し、睡眠モード全開といった博士を見て、花子は未だそこに突っ伏す。
「……嫌だ」
「はぁ!?」
反抗してきた花子に、周囲を気にせず博士はそう声を荒げて上半身を起こした。
「だって、戻ったって寝れないだけだもん」
花子はそう言うと、身を乗り出して博士の体を揺らしにかかる。
「ねぇハカセー、遊ぼうよー」
「嫌だ!」
「いいじゃんかー。あっ、ハッピーターンあるよ」
「前から思っていたけど何でハッピーターンなんだよ!」
こうして、博士は夜間も花子に振り回され、結局一睡も出来なかったという。
●○●○●○●
『じゃあ何? お前夜の間もずっと花子ちゃんと一緒にいたの!? うわっ、血気盛んな若者だこと!』
「解った、お前後でぶん殴る」
電話の向こうにいる乃良の顔を想像しながら博士が腹を立てていると、乃良がくるりと話題を変える。
『でもお前、何でそんな花子ちゃんの事毛嫌いしてんの?』
「あ? それはあいつが」
『あいつが幽霊だから?』
自分が言おうとした台詞を乃良に奪われ、しばし硬直していると、その隙にと乃良が言葉を埋めてくる。
『そんな理由で嫌うのはちょっと可哀想なんじゃない? もっと花子ちゃん自身を見てあげなよ。花子ちゃん、悪い子じゃないと思うから』
電話越しにそう言ってくる乃良に、博士は少し苦い顔をする。
『というかお前、そんな寝不足で大丈夫なのか? 今日レクリエーションあるけど。……まぁいいや。じゃ、どこかで会えたらな!』
何も話さなくなった博士を察したのか、乃良はそれだけ言うと電話を切った。
博士は耳元からスマホを離し、窓に映る青空をじっと眺める。
――あいつ自身を見ろって言われても……。
そんな乃良の言葉が博士の胸に引っかかって離れなかった。
●○●○●○●
全生徒集合の時間となり、寝間着姿から制服へと着替えた生徒達が広大な芝生に集まった。
生徒達の前に立つ学年主任がこれから始めるレクリエーションについて説明を始める。
「これから皆に行ってもらうレクリエーションはスタンプラリーだ。この山に隠された六つのスタンプを班で協力して探してもらう。全てのスタンプをこれから配るカードに押す事が出来たらこの場所に戻ってきなさい」
学年主任が説明をする中、生徒達の私語がやや目立ったが、そんな事は気にせず学年主任は話を続ける。
「なお全てのスタンプを押して戻ってきた班には、先着で今日の晩御飯のバーベキューに使う極上の牛肉を景品としてプレゼントしよう」
「おぉぉぉ! マジかよ!」
「これは本気でやるしかねぇな!」
「肉は全て俺達のものだぁぁぁ!」
景品という言葉にさっきまでバラバラだった生徒達の声は、スタンプラリーへの意気込みへと切り替わった。
そんな中でも博士だけは「そんなのどうでもいいから欠場させてほしい」と願っていたのだが。
「それでは! 極上牛肉をかけたスタンプラリー開戦だぁぁぁ!」
学年主任がそう声を張り上げると、生徒達はゾロゾロと山の中へと駆け出していった。
●○●○●○●
山の中に入ると各班それぞれの思った通りにスタンプを探しにバラバラになった。
博士達の班も肉に向けてかなり闘争心を燃やしており、スタンプ探しに精を出している。
そんな班員を数歩後ろから眺めながら、博士は溜息を漏らす。
――成程、睡眠不足でこれはきついな。
電話で乃良がそんな事を言っていたなと思いながら、博士はゆっくりと班員達に付いていった。
スタンプラリーの舞台となっている山は、登山と言う程に険しくはないが、それでも運動が苦手な博士にとっては十分過酷なものだった。
道は簡単にしか整備されていなく、ほとんど獣道といったもの。
この山を頂上を目指す訳でもなく、ただスタンプを求めてグルグルするのだから、当然体力もかなり消耗されていく。
ふと博士は後ろにいる花子の方へ振り返った。
「ねぇハカセ、きのこがあるよ」
道の端にこっそりと生えていたきのこをしゃがんで眺める花子に、博士の顔が歪む。
――あいつ自身を見てあげて……ねぇ。
博士がそんな事を考えていると、花子は生えていたきのこを抜き始めていた。
「おい、何してんだよ」
「何って、きのこ採ってるの」
「んな事は解ってる。何できのこ採ってんだって訊いてんだよ」
博士の問いに花子は少々固まっていると、そのまま答えを吐き出す。
「今日の晩御飯に使えるかなと思って」
「毒きのこだったらどうすんだよ」
「毒……?」
花子は一言そう言って首を傾げると、また固まった後に博士に言ってみせた。
「ハカセなら大丈夫だよ」
「どういう意味だよ、それ」
「箒屋―! 零野―! いつまでそこにいるんだよ! スタンプ見つけたぞ! 早く来い!」
いつの間にか遠くに行っていた班長が博士と花子にそう呼びかけた。
博士は面倒臭そうに頭を掻きむしると、花子に向かってボソリと口を開く。
「……行くぞ」
そのまま博士は班長のもとへと歩いていき、花子も博士に付いていこうと歩き出す。
「きのこは置いてけよ」
博士の言いつけ通り、きのこを元あった場所に返した後で。
●○●○●○●
その後、博士達の班は一つ目のスタンプを確保し、引き続きスタンプ探しを進めていった。
「あった! あったぞ! 二つ目のスタンプ!」
班員の一人が指を差してそう声を荒げると、一行はその差した方向へと歩き出した。
博士はというと随分疲労が溜まってきているようで、足取りも少しフラフラとしている。
班長はカードを取り出し、早速スタンプを押そうとしたが、左右から同時にやって来た二組の班とかち合った。
「「「あ」」」
博士は二組の班の中にいた顔を見つけて、そう声を漏らした。
そこにはC組の班員である乃良とE組の班員である千尋、オカルト研究部一年生組が奇跡的にここに集結したのである。
「よーハカセ! 本当に会えたな!」
「出来れば会いたくなかったけどな」
「花子ちゃん! 久しぶり!」
「……千尋、久しぶり」
それぞれがそれぞれの会話をする中、乃良が博士を引っ張って小さな声で話しかける。
「んで、花子ちゃんの事どうだった?」
多分電話での事を訊いているんだろうと考えた博士は、正直に打ち明けた。
「……別に、やっぱあいつは幽霊だろうが無かろうが変な奴だよ。自分勝手だし、珍しくもないもの見て興奮してるし」
「あっ、熊だ」
「そうそうこんな感じでって」
「「「熊!?」」」
花子の衝撃発言に一同は周囲を警戒するが、辺りにそんな猛獣がいる様子はない。
皆が安堵の溜息を零すと、博士は「ほらな」と乃良に対して言葉を漏らす。
「ふーん……、そっか」
乃良はどこか残念そうな顔でそう言ったが、すぐにいつもの無邪気な笑顔に戻し、スタンプの方へと歩いていく。
「ところでハカセ、スタンプは今何個?」
「ん? 確かこれで二つ目だけど」
「そっかー、まだ二つ目かー」
わざとらしい言い方の乃良はカードにスタンプをポンと押し、そのカードを博士に見せつけた。
「俺らはこれで五つ目」
「!」
「因みに私達は四つ目―」
同じくスタンプを押していた千尋が博士に見せつけていると、乃良が少し粘ついた笑顔で博士に話しかけた。
「なぁハカセ、俺らと勝負しねぇか?」
「……勝負って?」
「なーに、解ってんだろ? この三班の中でどの班が一番最初に全てのスタンプを集められるかだよ」
「そんなの、俺らが不利じゃねぇか」
「あーれー、もしかして俺らに負けるのが怖いんですかねー千尋さん」
「まーしょーがないですよー、なんせビビりなハカセ君なんですからー乃良さん」
返って精々する様な程明らかな挑発に、博士は溜息を吐く。
「んなガキみてぇな挑発にノる訳ねぇだ」
「解った!」
「あ?」
博士の言葉を遮る形で放たれた声に博士が疑問を感じていると、その声の主である班長が班を代表して宣戦布告をした。
「その勝負引き受けてやる! 今に見てろよ!」
「いや何でお前らが挑発にノッてんだよ!」
興奮状態になっている班員達に博士はそう叫ぶと、乃良と千尋は満面の笑みを浮かべる。
「よし! 勝負成立な! 一番最後の奴はラーメン驕りで!」
「ちょ待て! 別に俺は勝負に乗った気は」
「今更勝負は無かった事にってのはナシだかんね!」
「待てって言ってんだろ!」
博士の言葉は耳に届かず、二組の班は残りのスタンプを求めてどこかへと消えてしまった。
堪らず落胆の溜息を吐いていると、そんな博士の肩にポンと手が置かれた。
「大丈夫! 勝つのは絶対に俺達だ! 行くぞー!」
『おー!』
班員達は班長を筆頭に新たなるスタンプ探しへと駆け出していった。
残された博士と花子はその場を動けず、ただじーっと走っていく班員達の背中を見つめている。
――何でそうなるんだよ!
博士はそう心で叫ぶと、呆れた表情でゆっくりと班員達の背を追っていった。
仁義なき山の判取り合戦……、いざ決着!
ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!
林間学校のレクリエーション、スタンプラリーのお話だった訳ですが、林間学校ってこんな事するんですかね?
僕が中学生の時に山をひたすら駆け回った覚えがあるので、それをヒントに楽しそうな高校生を書いてみました。
いいなー、青春してるなー!
と、ここで少しお詫びをさせていただきます。
この作品なのですが、執筆中に矛盾点を見つけたり、自分の納得がいかなかったりすると、作品の内容が一部変更している事があります。
自分が納得できる最高の作品を完成させたい為です。
もし読んでくださっている人がいるならば、本当に申し訳ありません。
過去の作品を踏まえて、『逢魔ヶ刻高校のちょっとオカしな七不思議』を読んで下さると有難いです。
それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!