【076不思議】巨人観察日記
今日のオカルト研究部部室ではゆったりとした時間が流れていた。
それぞれがそれぞれの業務に身を働かせ、聞こえてくるのは細やかな会話程度である。
そんな空気の中、多々羅は眉をピクピクと動かしていた。
しばらく我慢していたようだが、やがてそれは爆発し、多々羅は怒号と共に椅子から立ち上がった。
「だぁーっ! やってられるかこんなもん!」
机の上に置かれたプリントも同時に、宙を舞っていく。
「こんなんじゃバカになっちまう! 遊ぼう! ボビーオロゴンのモノマネ選手権でもしよう!」
「しないよ!」
隣で暴れ出す多々羅に、未だプリントに手を付ける斎藤が注意した。
「一緒に勉強しようって言ったのは多々羅でしょ!? だからこうして宿題教えてあげてるのに!」
「それはお前が最近勉強しかしないからだろ!」
物申すと言わんばかりに口を出した多々羅に、斎藤は思わず噤む。
すると多々羅はそのまま最近の不満を口にしていった。
「ここんとこお前変だぞ!? 取り憑かれたように勉強ばっかして! なんだお前は! ハカセか!」
「すっげぇ腹立った今」
悪口のように吐かれた名前に、博士が表情を歪ませる。
博士の表情に気付きながらも、斎藤に前言を撤回させるような平常心は残っていなかった。
「それはぁ……」
受験生だから、当然だ。
しかしそれ以前の問題として、斎藤は西園に目を向けた。
こちらの視線には気付いていないようだったが、その横顔は実に可憐だった。
どうしても、彼女と同じ大学に受かる必要がある。
とは西園のいる部屋で口に出来る筈もなく、斎藤は話を逸らす事にした。
「……とにかく、どこで行き詰ってるの? 分かんないとこがあったなら教えるから」
「ぐがぁー」
「いつの間に寝たの!?」
ある程度大きかった斎藤の声でも起きないという事は、余程の熟睡状態に入っているようだ。
何とも図太い神経に、斎藤は堪らず溜息を漏らす。
それは傍から見ていた博士も同じだった。
「……多々羅先輩って、授業とかちゃんと受けてるんですか?」
ふと零れた疑問に「えっ?」と斎藤が反応する。
「……うん、一応授業は真面目に受けてるみたいだよ」
「そうなんすか……」
一応三年の間高校生の業務を果たしている筈なのだが、その寝顔にそんな姿勢は見当たらない。
博士は訝しげに多々羅を見ると、とあるアイデアが頭に浮かんだ。
「……斎藤先輩、明日一日多々羅先輩を観察してくれませんか?」
「えっ?」
聞き慣れない申し出に斎藤はもう一度訊き返す。
「明日一日、多々羅先輩を観察して欲しいんです。それを何かノートでまとめて……、俺に見せてくれないかと。そしたら巨人の研究に役立つかと思って」
博士の目を見れば、それが冗談なんかではないと容易に判断できる。
しかし斎藤はすぐに首を動かさなかった。
「んー……、でも授業とかちゃんと受けないといけないしなぁ……」
「ほんと一言だけでもいいんです」
何とか説得しようとする博士だが、どうも斎藤の反応は良好ではない。
すると別方向から違う声が聞こえてきた。
「いいじゃない別に」
目を向けてみると、そう口にしたのは西園だった。
「別に大した事はしなくていいんでしょ?」
「でっ、でも……」
未だ乗り気にならない斎藤に、博士もこれはダメかと諦めかける。
「それに」
西園がそう後押しをするまでは。
「後輩のお願い聞いてあげる先輩って、カッコいいじゃん」
「うん! やるよ僕!」
――斎藤先輩、いつか西園先輩に酷い目に合いますよ。
斎藤の将来を心配しながらも、多々羅の観察を了承してもらえたので、取り敢えず良いという事にした。
●○●○●○●
そして翌日。
「書いてきたよー」
斎藤が部室のドアを開いて中へと入ってくる。
「ありがとうございます」
斎藤が目の前の椅子に座るのを確認して、博士は小さく頭を下げた。
すると斎藤は当の本人を探して部室を見回す。
「……あれ、多々羅は?」
先に部室に向かったのだから、もうここにいる筈だ。
どういう訳かと探していると、それを見透かしたように博士が答えを口にする。
「多々羅先輩に居られると何かと不都合があるかもしれないので、千尋と一緒に蝶々取りに行かせました」
「小学生か!」
いつまでも変わらない子供心に、斎藤は思わずそう叫んだ。
「それより早く見せてください」
「俺も見たい見たい!」
「あぁ、ちょっと待ってね」
隣にいた乃良も身を乗り出して、鞄を漁る斎藤を待つ。
やっと取り出したノートの表紙には、『巨人観察日記』と書かれていた。
「夏休みのアサガオの観察日記みたいだな」
「一応朝から少しずつ書いていったよ」
乃良の小さなぼやきも、斎藤の説明も、博士がそれらを気にする様子は無い。
「んじゃ、見ますか」
そう言って博士は最初のページを捲った。
『朝。今日は多々羅を観察する為に早めに教室に行くと、案の定多々羅はもう教室にいました。なんか教卓の上で一人でラジオ体操をしていました』
「何やってんだこの人!」
開幕いきなり出てきた謎の生態に、博士は部室を壊す勢いで叫び声を上げた。
「多々羅って家が学校だから、いつも一番に教室にいるんだよ」
「いや驚いてんのそこじゃない! なんで教卓の上でラジオ体操してんのってとこですよ!」
斎藤の補足説明に更に火が付いてしまい、博士は喉を酷使していく。
そんな博士を何とか宥めようと、乃良が肩に手を置いた。
「おいハカセ、まだ授業も始まってねぇぞ。もう少し落ち着いてこうぜ」
「あぁ……、そうだな……」
乃良の言葉に何とか落ち着きを取り戻した博士は、次のページへと手を向けた。
『一時限目、国語。早くも多々羅は机に突っ伏して、先生に怒られてました』
「「寝てんじゃねぇか!」」
思いがけない衝撃に、さっきまで宥めていた乃良も息を揃えて叫び出す。
「昨日斎藤先輩言いましたよね!? 授業は真面目に受けてるって!」
「きっ、昨日は割と難しい数学の宿題があったから、きっと夜遅くまで頑張ってたんじゃないかな?」
何とか多々羅の威厳を保とうとする斎藤に疑心を持ちながら、博士はページを捲る。
『二時限目、数学。宿題を忘れて先生に怒られてました』
「宿題やってねぇじゃねぇか!」
止まらない勢いに、博士もブレーキを踏むのを忘れていた。
「この人真面目に授業なんかしてませんよ! じゃあ何で一時限目から寝てるんすか!」
「てかさいとぅー先輩この事知ってましたよね!? なんで解っててあんなフォローしたんすか!」
二人の怒涛の言葉の羅列に、斎藤は身を小さくさせる。
ふと次に書いた日記の事を思い出して、斎藤は初めに補足を付け加えた。
「あっ、次は三時限目と四時限目合わせての体育だよ」
「体育……?」
何を言われても、最早真面な事が書いてあるとは到底思えない。
博士は少し覚悟しながら、次のページをヒラリと捲った。
『三、四時限目、体育。今日は長距離でした。グラウンド十周に皆がクタクタになりながら走る中、多々羅だけが上機嫌に走っていました』
「体力だけはあるからなぁあの人」
『しかもなんか数え間違えて一人だけ十二周してました』
「数える事も出来ねぇのか!」
やはりそこには突飛な観察結果しかなかった。
しかしこれまで散々な記述を見てきたので、もう叫ぶ気力も残っていなかった。
「三、四時限目が終わったって事は、次は昼休みですか?」
「うん、そうだね」
「そういやあの人、昼飯はどうしてんだろ?」
不意にそんな疑問が過って、博士はそう声に漏らしていた。
その疑問を解決するべく、博士はページを捲ってそこに書いてある文章を読んでいく。
『昼休み。多々羅は毎日購買のパンで昼食を取っています。いつも誰よりも早く購買に行き、カツサンドを独り占めする事から『カツサンドの独裁者』と呼ばれています』
「「カツサンドの独裁者!?」」
初めて聞いた異名に、再び二人の声は綺麗に重なった。
「カツサンドの独裁者って何!? 初めて聞いたわ!」
「あの幻のカツサンドを独占してたのがタタラだったなんて……」
「お前はどこに驚いてんだよ!」
「いつも一人で美味しそうに食べてるよ」
「心狭っ! 一個ぐらい譲ってやれよ! てか独占するような金どっから出てくんだよ! もうツッコミどころ渋滞してるわ!」
他にも色々と触れたい部分はあったが、いつまでもやっているとキリがないのでここまでにする事にした。
昼休みが終了して、次は五時限目である。
「次の五時限目なんだけど、僕と多々羅は選択科目が違うから授業が別だったんだ。だから多々羅と同じ日本史を受けてる友達にどうだったか教えて貰ったよ」
「ちゃんと真面目にやってくれてるんすね」
後輩のごっこ遊びに真面目に働いてくれる斎藤に、乃良は感心する。
博士は斎藤の補足説明に耳を貸しながら、そっとページを捲っていった。
『五時限目、日本史。僕は世界史選択で授業が別だから詳しい状況は解らないけど、友達から聞いた情報によると、なんだかんだあって顎が外れたらしいです』
「何があったんだよ!」
断片的な情報に博士は堪らずそう叫んだ。
「何がどうなって授業中に顎が外れるんだよ! もっと詳しい情報訊けなかったんですか!?」
「うん、これしか訊けなかったんだ」
「いやちゃんと訊いてくださいよ! これじゃ何にも解りませんよ!」
博士からの叱咤に、斎藤はただ頭を下げるばかりだった。
乃良は話を聞き流しながら、残りのページの枚数を確認する。
「残ってるのってあと六時限目だけですよね」
「うん、そうだよ」
斎藤はそう答えると残ったページについて語り出した。
「今日の六時限目は訳あって急遽LHRになったんだ。その情報も一応書いといたよ」
臨時のLHRと聞いて良い気はしない。
しかしこれで最後だと、博士は固唾を呑んで最後のページに手を伸ばした。
『六時限目、LHR。今日は英語の授業が中止され、急遽LHRが行われました。三年A組に関わるとある事件についての話だそうです。その事件というのが……、花瓶の水がオレンジジュースにすり替えられていたという事件です』
「誰がやったんだそんな地味なイタズラ!」
「えぇぇぇ!? クラスでそんなイタズラあったんすか!?」
記述の途中、博士は耐え切れずに劈くような絶叫を張り上げていた。
「まぁまぁハカセ! まだ途中だから!」
『犯人はこの中にいる。そう確信した先生は、このLHRで犯人に自白してもらうよう頼みました。全員目を瞑って、犯人にだけ手を挙げてもらう事にしたのです』
「よく見るヤツだ」
「これ本当に受験生のLHRの話?」
『僕も目を瞑っていたので犯人が誰かは解りません。犯人が解った後、全員目を開けて次の先生の言葉を待ちました。
「それじゃあ多々羅、後で職員室に来なさい」』
「「お前かよ!」」
全ての文章に目を通した後、最早打ち合わせしてあったような声の揃った叫び声が放たれた。
「犯人タタラかよ! あいつ一体何やってんだよ!」
「何か受験で頑張ってる皆にサプライズがしたかったんだって」
「いらねぇよそんなサプライズ!」
「ていうか先生も先生だろ! 何でわざわざ全員に解らないように犯人見つけ出したのに犯人自分の口から言ってんだよ! バカなの!?」
腹の底に溜まった鬱憤を全て吐き出した二人は、そのまま深い息を吐いた。
このノート一冊に随分振り回されてしまった。
「と……、こんな感じかな?」
観察記録を全て報告した斎藤は、感想でも待つように二人を眺める。
「まぁ面白かったっすけど、観察日記って感じじゃないっすね」
「そうだね」
「これじゃあ巨人の研究なんてのにも使えないんじゃねぇか? ハカセ」
乃良はそう言って、隣の博士の返答を待った。
博士は閉じた観察ノートをじっと見つめて、深く考え事をしているようである。
ふと博士の言動を待っていると、不意に口を開いた。
「……斎藤先輩」
「はい」
「あと一週間やってくれませんか?」
「はい!?」
二日連続でされた予想外の申し出に、斎藤は肩を揺らす。
「たった一日観察しても解らないんで最低一週間、よければ一ヶ月程やって多々羅先輩の生活習慣を把握したいんですけど」
「えぇ!?」
「お前って本当そこら辺真面目だよな」
博士のどこまでも真っ直ぐな目を、斎藤は逸らす事が出来なかった。
博士もまたその弱さにつけ込むように斎藤の目を逃さない。
結局再び西園の名前を持ち出され、斎藤は一週間多々羅の観察日記を書く事になった。
その後一週間多々羅の奇行が記録されました。
ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!
この話を考えたそもそものきっかけは、生活習慣の観察ターゲットは百舌でした。
しかし紆余曲折あって多々羅の観察をする事になり、観察日記にしてそれを読みながらというスタイルになりました。
多々羅に出番を作ろうという策略もあったのですが、見事に出番がありませんでしたww
こういう話の作りは好きなんですが、如何せん難しいですね。
何かを読んだり見たりしながら、そこに転がっている小さなボケを回収していくのは、とにかく書くのが難しいです。
そこら辺は色々改正の余地がありますね。
個人的にアサガオの観察日記みたいに書けたと思って気に入ってるんですが……、アサガオのが素直ですねww
それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!




