【064不思議】満月
「……俺、もうすぐ死ぬんだ」
稀に見るくらいの澄んだ夕焼け空の下、乃良の小さな言葉が溶けていく。
博士は目の前にいる乃良を見つめながらも、その焦点は眩む程にぼやけていた。
心臓の鼓動が早くなるのを感じて、博士は乃良の言葉を反芻する。
「……………………え?」
何度リピートしても、簡単には理解できない文章だ。
――あいつ……、今なんて……?
乃良の言っている事が信じられなくて、信じたくなくて乃良を見つめる。
そこには悲しげな笑顔を浮かべる乃良しかいなくて、博士はただただ混乱するばかりだった。
しかし、「ふっ」と乃良の前髪が揺れる。
何事かと目を向けていると、途端にいつもの調子に乗った乃良の笑い声が聞こえてきた。
「アハハハ! なぁんてな! 冗談だよ!」
さっきまでの乃良と様変わりした笑顔に、博士は硬直していた。
乃良はそんな博士を気にも留めず、上機嫌に口を開きだす。
「俺が死ぬなんてそんな事ある訳無ぇじゃん! だってほら、こんなに元気なんだぜ!? こんな冗談に騙されるなんて、ちょっとハカセ具合悪いんじゃねぇの」
その乃良の言葉の途中、突如乃良の左頬に制裁が飛び込んできた。
目を閉じて優雅に話していた乃良は、そのままアスファルトのど真ん中に腰を着く。
拳を振り投げた博士は、暴力に慣れていないのか肩で息をしていた。
肩に引っさげていた筈の鞄はいつの間にかアスファルトに倒れており、眼鏡の奥の瞳は僅かに揺れている。
そんな博士を見て、乃良は惚けた笑顔を吐いた。
「痛ててて、いきなり何すんだよ」
「しょうもねぇ冗談言ってんじゃねぇよ」
またしても乃良の言葉を遮る形で聞こえた博士の声に、乃良は視線を博士に向ける。
博士は身をくるりと返し、地面に落とした鞄に手を伸ばした。
「死ぬなら勝手にさっさと野垂れ死んでくれ、バカ」
そう言って、博士は一人帰路へと歩き出してしまった。
取り残された乃良は道路の真ん中で足を組んでおり、小さくなっていく博士の背中を見送っている。
乃良のその儚げな表情は、一度も振り返らなかった博士には気付かれなかった。
●○●○●○●
窓を覗けば、満天な星空を眺める事が出来る。
家に帰り夕食を済ませた博士は、そんな景色に目もくれないで、今日も一人参考書に挑んでいた。
ノートを広げ、シャーペンで文字をスラスラと書き上げていく。
ふとパキッとシャー芯の折れる音がした。
いつもなら用意しておいた芯を新調するところだが、今日の博士にそんな余裕は無かった。
『死ぬなら勝手に野垂れ死んでくれ、バカ』
――……バカはどっちだ。
放課後のやり取りが蘇り、博士は歯を食い縛る。
心の底から溢れ出す怒りの矛先が向けられているのは、紛れもない自分自身だった。
――あいつがあんなしょうもない冗談言わねぇ事なんて、お前が一番解ってんだろ!
自然とシャーペンを持つ手に力が入った。
――あいつがこんな事言うなんて、よっぽど人に言いたくない事情があるのか、それとも……。
あれは、冗談なんかでは無かったのか。
博士はふと視線を机の脇に置かれたスマートフォンに向けた。
あの冗談の真意を訊く手っ取り速い方法は、今連絡を取って直接訊く事だ。
博士はスマホに手を伸ばし、それをじっと見つめる。
今まで誰かから連絡が届いた事はあったものの、自分から連絡を取った事なんてそうそう無い。
相手に連絡を取る時、どういう出だしで訊けばいいのか解らない。
スマホを片手に見つめたまま硬直していると、そのスマホが手元でブルッと振動した。
何事かと画面を見ると、それは乃良からの新着メッセージだった。
『悪ぃ、今からちょっと会えるか? 話したい事があんだ』
まさか向こうから連絡が来るとは思ってもいなかった。
博士は迷う事なく、乃良へ返信の文章を綴っていく。
『どこでだ?』
博士は端的にそう返し、乃良の返信を待った。
すると一分も経たないうちに、乃良からの返信を報せるバイブが鳴り出す。
そこに映し出された乃良の指定した場所に、博士は目を開かせた。
●○●○●○●
それは夜の逢魔ヶ刻高校だった。
学校に来るという事でわざわざ制服に着替え直した博士は、目的地に辿り着いても乃良の真意が解らなかった。
「あっ、ハカセー!」
「!?」
視界の外から自分を呼ぶ声が聞こえてきて、博士はそちらへ振り返る。
そこには千尋をはじめとしたオカ研部員達が顔を揃えていた。
「千尋!? 先輩達まで」
予想だにしなかった面子に、博士は状況を呑み込むのに手一杯という様子だ。
「何でここに……?」
「いきなり乃良に呼び出されたの。ハカセもそうじゃないの?」
「あぁ……」
どうやら千尋達も乃良に呼び出されて学校の前まで足を運んできたらしい。
しかし、その人影の中に呼び出した本人である乃良の姿は無い。
謎が頭の中でグルグルと掻き回る中、校舎の方から聞き馴染みのある声が聞こえてきた。
「よぉ、お前ら」
その声はこちらに向かって歩いてくる多々羅のものだった。
隣にはトコトコと多々羅の後をついてくる花子の姿も見える。
「多々羅先輩。先輩もあいつに呼び出されたんですか?」
「ん? ……まぁな」
若干間を開けてそう返事をした多々羅は、くるりと背を向けてもと来た道を歩き出した。
どういう訳か、混乱して足を止めている博士達を背中で感じた多々羅は、首だけ博士達の方に回した。
「……来いよ。乃良が待ってる」
「「「「「!」」」」」
多々羅はそれだけ言うと、再び歩き始めてしまった。
博士は隣にいた千尋と顔を合わせると、決心した様に校内へと足を踏み入れた。
●○●○●○●
しばらく校内を歩き回っていると、多々羅は前触れなくその足をピタリと止めた。
目的地に着いたのだと気付くと、博士達も足を止めて辺りを見回す。
「……中庭?」
そこはオカ研一年生組が毎日昼食を取っている中庭だった。
週に一回のペースでそこに顔を出している千尋は、どこか恐怖を感じている様子である。
「……あいつは?」
博士は多々羅の顔色を窺うようにそう尋ねる。
しかし多々羅はこちらに背を向けていて、顔色一つ覗く事が出来ず、おまけに返事が返ってくる事も無かった。
多々羅からの返答を諦め、博士は夜の中庭に目を回していく。
「お探しなのは、もしかして俺っすか?」
「「「「「!」」」」」
何度も聞いたおちゃらけたその声に、博士達は目を向ける。
その声の主は何故か一階の渡り廊下の屋根の上に乗っており、こちらを見下ろしていた。
「乃良!」
博士は代表して、屋根の上の相手の名前を叫ぶ。
月夜に浮かぶ乃良の表情は、いつもと変わらないひょうきんな笑顔だった。
「いやいや皆さん! 今日は急なお呼び出しなのに集まっていただき、誠にありがとうございます! 失礼を承知でお伺いしますが……、もしかして皆さん暇なのでは?」
いつも通り乃良は面白おかしくそう話し、楽しそうな表情である。
それは乃良だけのようで、中庭にいる部員達は皆そのようなテンションでは無く、いつもの楽しげな会話には発展しない。
乃良もそれは察していたらしく、特になんて事無いリアクションだ。
「話って何だよ」
いきなりそんな声が下から聞こえてくる。
その声を発したのは紛れもない博士であり、その瞳には何か熱いものを感じた。
「何で、俺ら全員を呼び出したんだよ」
それは全員共通の疑問点のようで、他の部員達も答えが知りたそうに乃良を見つめる。
そんな部員達の視線に、乃良は困ったように肩を上げる。
「えー、もうその話しちゃうの?」
本題に入る前にもっと無駄話をして、この夜を楽しみたいようだ。
しかし他の部員達にそんな気持ちは欠片も無く、ただ無言で乃良の答えを待っている。
そんな部員達に、乃良は思わず溜息を吐いた。
「……今日は、ちょっと皆にある告白をしようと思ってね」
「告白……?」
乃良の言葉に、千尋が訳も解らないと首を傾げた。
「あっ、勿論愛の告白なんかじゃねぇよ!? 何て言えばいいのかなぁ……」
乃良は顎に手を添えて考え込んでいると、何か思いついたようで口角を厭らしくクイッと上げた。
「まぁ、見てもらった方が早いか」
そう一言乃良が言うと、いきなり部員達の間に夜風が吹いた。
割と強いその風は博士達の髪を掻き乱し、一同は思わず瞼を閉じる。
夜風に体が慣れてきたと感じると、博士は目を再度開けた。
見間違いかと思った。
さっきまで目を瞑っていたものだから、まだ目が慣れていなくて幻を見ているのだろうと。
しかしその幻は紛れもない現実で、博士の目にそれを突きつけてくる。
他の部員達もその現実をどう捕えればいいのか迷っているというように目をこれでもかと丸くしている。
信じられなかった。
信じていいのか解らなかった。
それでも、何度目を疑ってもその景色は変わらなくて、博士はとうとう疑う事を諦めた。
夜に映った乃良の黄金色の髪には、獣の形をした耳がピョコンと飛び跳ねていた。
「俺……、人間じゃないんだ」
乃良はそう言うと、薄らと優しくも儚げな笑顔を浮かべる。
今宵は満月。
目に滲む程に輝いている月夜の下で、オカルト研究部員達は知られざる真実に直面していった。
とうとうここまで来たか、という感じです。
ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!
今回のラスト、いかがだったでしょうか?
読者の皆さんにとんでもない衝撃を与える事が出来たでしょうか。
それとも今までの伏線が解りやすすぎて、「やっぱそーゆー事ねww」とかいう人もいるんでしょうか。
出来れば全員が前者である事を願います。
ここで色々話すのも野暮なので、今週はこの辺で。
来週は少し時間が遡ります。
それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!




