【047不思議】図書館だより
夏休み、それは子供達にとって何よりも楽しい夢の様な時間。
学校での規則的な日々を全て放棄し、一日中太陽の下遊び呆ける事が出来る時間だ。
道端を眺めてみると、小学生くらいの男子三人が虫かごと網を持ってどこかへと向かっていくという、正しく夏を感じさせる風景が見られた。
見えたのだが、彼は見なかった。
開けっぴろげの窓の外から子供達や蝉の声が聞こえる中、部屋の中で聞こえる音といえばシャーペンがノートを滑る音だけ。
余程集中しているのか、彼は外から聞こえる音に注意する素振りもなく、必死に目の前の参考書に食らいついていた。
ふと、彼のノートに一滴の水滴が落ちた。
それが自分の汗だと気付くと、彼は汗を左手でそっと拭き、右手でシャーペンを持ったまま器用に水の入ったペットボトルを掴む。
ペットボトルの中身もあと僅かで、彼はほんの一瞬で飲み終えてしまった。
ペットボトルを自分の口から離し、ふと息を吐いた。
「……流石に暑いな」
お察しの通り、博士である。
暑いのは当然の事で、今日の朝のアナウンサーの話では真夏日になるそうだ。
わざわざエアコンを付けずに窓を開けていたのは、光熱費を心配した博士なりの優しさである。
「折角部活が無いから一日中勉強できると思ったのに……」
今日は部活の予定の無い、完全なる休日。
いつもは煩わしい部員達に散々振り回され、勉強なんて言えたものでは無い為、今日くらいは勉強にどっぷり浸かりたい気分だ。
しかし、流石にこの気温の中勉強に没頭する気力は無かった。
「……図書館行くか」
『図書館』、無条件にエアコンの恩恵を浴びられる、夏の定番スポットの一つだ。
あの五月蠅い部員達なら、図書館で鉢合わせるという最悪のパターンも無いだろう。
博士はそう決めるとすぐに外出の準備を始め、空になったペットボトルを少し離れたゴミ箱へと投げ捨てた。
●○●○●○●
図書館に寄る途中、博士は通り道にあるコンビニへと足を踏み入れた。
さっき空になってしまった水の代用として、新たな水分を手に入れる為である。
博士は特に目移りする事も無く、目的の飲料コーナーへ歩いていく。
その歩く途中に、目立つ銀髪が目に入った。
「あっ」
博士は目の前に映ったその人影に、思わずそう声を漏らした。
向こうも同時ぐらいで気付いたらしく、こちらに視線を向けている。
「あっ、ハカセ君! 奇遇だね!」
その人影は、菓子コーナーで夢中になって菓子を物色していた斎藤だった。
知っている顔に偶然会ったのが嬉しいのか、斎藤は博士に向かって笑顔を浮かべる。
「これからお買い物?」
「まぁ、そんなとこっすね……。斎藤先輩はこれからどこか行くんですか?」
「うん、図書館で勉強。流石に受験生だしね」
照れたように笑う斎藤の言葉に、博士はピクッと反応した。
「えっ、斎藤先輩も図書館行くんですか?」
「うん。えっ? ハカセ君もなの?」
「まぁ、はい……」
「へぇ……、すごい偶然だね!」
斎藤の嬉しそうな笑顔に博士は少し困った表情になりながらも、簡単に相槌を打つ。
「それじゃあ」
そう言って博士はするりと斎藤の後ろをすり抜けていった。
そのまま飲料コーナーまで行くと、特に迷う様子も無く手短な飲料水を手に取る。
後はレジに並ぶだけなのだが、その背後にこちらをじっと見つめてくる人の気配を感じた。
振り返ってみると、案の定斎藤である。
「……何ですか?」
「いや、二人とも行く場所は同じ訳だし、折角だし一緒に行こうかなぁなんて……」
照れているのか指をモジモジと動かしている斎藤を、博士は細い目で見つめていた。
「お断りします」
「へぇ!?」
博士の拒否が余程ショックだったのか、さっきまであんなに幸せそうだった斎藤の表情は一気に真っ青になっていた。
「別に勉強しに行くんだから二人で一緒になって行く必要ないでしょ。一人の方が集中できるし。斎藤先輩も一人で勉強頑張ってください」
「そんな事言わないでよ! 折角なんだからさぁ! あっ! アイス! アイス奢ってあげるから!」
店内で割と大きな声を上げる斎藤に、周りの客や店員も何事かとこちらに視線を向けている。
その視線に博士は気付きながら、目の前の涙目の先輩をどうするか考えながら、耐え切れずに溜息を吐いた。
●○●○●○●
たくさんの書籍が詰め込まれた市立図書館の中には、たくさんの人が押し寄せていた。
課題に励む学生や、楽しく絵本を読む家族。
大勢の人で溢れているにも関わらず静かなのだから、図書館とは少し不思議な空間のようにも思える。
そんな異空間の片隅で、博士はソーダ色のアイスに齧り付いていた。
「……すいません、奢ってもらっちゃって」
「いいのいいの、僕が奢らせてって頼んだんだし」
「それもそうですね」
一応形だけの感謝だったのか、博士はそう言うと再び躊躇無くアイスに齧り付いた。
机を挟んで座っている斎藤も思わず苦笑いしてしまっている。
「それじゃあ、勉強しようかな」
そう言って斎藤は机に広げた問題集に向かっていった。
まだアイスを食べ終えていない博士は、そんな斎藤をじっと見つめている。
「そういや訊いてなかったですけど、斎藤先輩ってどこの大学志望してるんですか?」
不意の質問に斎藤は顔を上げると、特に言いよどむ事無くそれを口にした。
「正碁王大学だよ」
「正大って……、普通に難関大学じゃないですか」
斎藤がさらりと口にした大学は、この近辺にある難関私立大学の一つであり、毎年数多くの受験生が挑んでは半数近くが叩き落される。
そんな難関大学を志望するとは、博士も予想外だった。
夏休み直後に西園が言っていた一言をふと思い出し、博士は椅子に凭れて息を吐く。
「それで余裕で合格圏内ってすごいっすね」
「いや、余裕じゃないよ? 毎日勉強し続けて、今の成績を維持できたら入れるかなっていうくらいで」
「いやいや、ちょっと見直しましたよ」
「ほんと? ありがとう」
滅多に聞けない博士の賞賛に、斎藤はもとの性格からか顔を赤らめる。
斎藤の赤くなった顔に気付きもしないまま、博士はそのまま話を他の三年生の事へと繋げていった。
「多々羅先輩は大学行かないとか言ってましたけど、学校に残るんですか?」
「え? あぁうん。もとの七不思議に戻るみたいだよ。もともと僕の為に入学してくれたんだしね」
「西園先輩は?」
それを聞いた瞬間、さっきまで火照っていた斎藤の顔は急激に青ざめていく。
「西園先輩はどこの大学に行くんですか?」
斎藤のあからさまな異変に気付いていないのか、博士は着々と言葉を並べ立てていく。
涼しい筈の図書館でダラダラと汗を垂らしている斎藤に、流石に異変を感じた博士は斎藤の表情を覗く様に窺った。
「斎藤先輩?」
「教えてくれないんだ……」
「?」
やっと吐いたかと思ったその言葉は、やけに非力だった。
その一言で堰が切れてしまったのか、斎藤はその後ボツボツと一人で呟き始めた。
「西園さん、志望大学僕にだけ教えてくれないんだ。他の人には教えてるのに僕だけだよ!? 志望大学聞いた人に教えて貰おうと思ったのに、口止めされてるからって言って断られるし。どうして僕にだけ教えてくれないんだろう。西園さん、僕の事嫌いなのかなぁ……」
斎藤は一言口にしていくに連れて背中を曲げていき、背後の負のオーラを濃くさせていった。
「……あの」
目の前の話し相手にそう声をかけられ、斎藤は潰れた顔をクイッと上げる。
「西園先輩が斎藤先輩の事どう思ってるかなんて知らないんで。アイス食べ終わったし、もう勉強始めても良いですか?」
そこに映っていたのは、鉄仮面の様な冷徹な表情ではずれと書かれた木の棒を揺らす博士だった。
完全に興味の無さそうな相手に、斎藤も話す相手を間違えたと言わんばかりに表情を真っ新にする。
「うん、そうしようか」
斎藤がそう言うと、博士は木の棒を机に置き、すぐにシャーペンを手にした。
斎藤も少し止まっていたが、ふと我に返って参考書に目を通していく。
さっきまでの二人の会話は完全に消え、図書館には心地よい静けさが漂っていた。
聞こえるのは誰かが本のページを捲る音だけ。
そんな無音の中で、ふと斎藤は顔を博士の方に向けた。
博士は完全にノートの方に集中しているようで、斎藤へ視線を返す様子は無い。
それは何となく予想できていたのか、斎藤は少し残念そうな表情をすると再び勉強に集中していった。
その後、何度か視線を向けるも、博士は勉強に集中するばかり。
斎藤ももう諦めたのか、博士がこちらに視線を返す気が無いと悟ると、じっくり目の前の課題に没頭していった。
「……しりとりでもしよっか」
「しねぇよ!」
恐る恐るといった斎藤の提案に、博士は耐え切れず大声でそう叫んだ。
「何なんですかさっきからチラチラチラチラこっち見て! 全然集中できてねぇじゃないですか! 勉強しにきたんならちゃんと勉強しろ!」
「だって、折角二人で来てるのに無言とか、なんか気まずいじゃん!」
「じゃあなんで一緒に勉強しようなんて言ったんですか! だから俺は一人で勉強したかったんすよ!」
さっきまでの静かな空気とは一転し、二人の大声が響き渡る図書館。
読書や課題に夢中になっていた周囲の人々は、訝しげな目で二人を見つめていた。
その後、司書に注意され、二人は図書館を追い出されるのだが、二人にはそんな明らかな未来すら見えていなかった。
図書館で勉強するだけの回でした。
ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!
夏合宿は終了しましたが、夏はまだまだという事で、夏にどんな話をしようか考えました。
どうせだから外出する話を書こう、でもハカセは遊ぶようなところには行かない。
色々考えた結果、「図書館は?」とハカセが行きそうで夏っぽい最適な場所を発見し、今回の話ができ上がりました。
ハカセ一人だとあれなので、一応受験生の斎藤先輩も同伴です。
作中で少し触れた三年生の進路の話ですが、僕もリアルで高校三年生なので色々と考えるところがありますね。
僕は願書出しただけで終わりだったのですが、みんな頑張ってます。
でも斎藤達が卒業する頃にはもう大人になってると思うと、ちょっとシミジミww
それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!




