【041不思議】プールの人魚
辺りが薄暗くなった午後六時過ぎの部室で、多々羅はそう高らかに声を上げていた。
「七不思議巡りだ!」
「七不思議!?」
「切り替え早ぇなお前」
さっきまで頬を膨らませて捻くれていた千尋はどこかへと飛んでいき、今は目を眩しいくらいに輝かせていた。
千尋の輝きを放置したまま、乃良も少し楽しげに声を漏らす。
「七不思議って久々ですねぇ」
「おぅ、こっちにも事情があってな。夏合宿の時に七不思議を紹介すんのが、ある種の定番になってんだよ。夏といえばあいつだしな」
「七不思議を夏季限定商品みたいに言うな」
多々羅が冷静に話す中、千尋は興奮を抑えきれないままに問い詰める。
「それで! 今回は何の七不思議ですか!?」
その千尋の質問に多々羅もまんざらではないという様に口角を尖らせ、堂々と答えを解き放った。
「プールの人魚だぁ!」
「出たぁぁぁぁ!」
「五月蠅ぇなお前ら!」
テンションが最高潮にまで上がった千尋を、博士がそう怒鳴り上げる。
博士の怒鳴り声に千尋は顔をムッとさせ、指を差しながら博士の元へ歩いていった。
「良いじゃん別に! どうせハカセの事だからまたなーんにも知らないんでしょ?」
「いや流石に調べたっつーの」
「え?」
予想外だった博士の回答に、思わず千尋は言葉を詰まらせてしまった。
「いや、一応俺もオカ研部員な訳だし。後々俺が全部正体を学問で証明しないといけないんだから当然だろ」
真面目に聞いている部員達を前にどこか照れ臭いのか、博士は顔を少し赤らめながら説明した。
そんな博士に千尋は少々戸惑っている様子だった。
「そのぅ……、何? ……やるじゃん」
「何かよく分かんないけど取り敢えず気に食わねぇ」
しどろもどろと動揺する千尋を前に、博士は苛立ちを露わにする。
苛立つ博士に、乃良は能天気に口を開いた。
「それじゃあハカセ、プールの人魚がどんな怪談なのか教えてよ!」
「あぁ? そりゃあれだろ? 確かあれは女子高生が」
「待って!」
記憶を手繰りながら話していた博士を、さっきまで楽しそうに笑っていた千尋が強制的に止め、博士は反動で固まってしまう。
「それは私の仕事だから言わないで!」
「お前どれだけ怪談話す事に懸けてんだよ!」
博士は易々とその仕事を千尋に譲り、千尋はいつもの様に気分の良さそうにその怪談について語り出していった。
●○●○●○●
プールの人魚
これはとある女子高生達が実際に体験した物語の記録である。
女子高生達は素行が悪く、学校の中でも名前を聞けば誰か解るくらいの悪名になっていた。
その行動は目に余り、ある時女子達は学校で真夜中のプール掃除当番に任命された。
生徒達はそれぞれ嫌そうだったが、断ったら退学になると言われてしまえば、放棄する訳にはいかない。
真っ暗な空の中、女子高生達はジャージ姿でプールへと入っていき、少し悪ふざけしながら掃除を行っていた。
そんな時である。
最初に気付いたのは、プールの水を相手にかけていた少女だった。
――なぁ、プールの中に何かいないか?
その少女の声に、女子高生達は一斉にプールの方へと目を向ける。
確かにそこには何やら人影のような、しかし人影じゃないような影があり、彼女達はそれに目を凝らしていた。
影について議論していくうちに、その影はどんどんと大きくなっていく。
その影が大きくなっているのではなく、近付いているのだと気付いた時、彼女達は思わず目を疑った。
プールの中を漂う影の正体は、上半身が人、下半身は魚の目を奪われる程妖艶な人魚だったのだ。
その人ならざる姿は水面から浮上し、こちらを釘付けになって見つめる女子高生達に目を向けた。
――たす……けて……。
人魚はそう言うと、答えを聞く間も無く彼女達を無理矢理プールへと引きずり込んだ。
後日、女子高生達は無事プールで見つかったようだが、彼女達は口を揃えてこう言ったらしい。
彼女にもう一度逢いたいと。
あの日に魅せられたプールの人魚に、もう一度逢いたいと。
●○●○●○●
暗くなった学校、まだ夏の気温が残ったプールへの道のりで、千尋の語っていたプールの人魚の怪談が幕を下ろした。
「流石千尋ちゃんって感じね」
「ちひろんの怪談じゃないと聞けなくなっちまったな!」
「えへへぇ、それほどでもぉ」
熱烈な賞賛の声に、千尋は遜る様子も無く、満更でもない表情で後ろにいる先輩達に目を向ける。
その為、突然足を止めた多々羅に気付かず、多々羅の背中に突撃してしまった。
「あ痛っ」
「おら、着いたぞ」
特に気にした様子も無い多々羅の声に顔を上げると、そこは確かにプールのようだった。
多々羅は手にしていた職員用のプールの鍵を手にして、鍵穴に刺し込む。
「……良いのかよ。こんな時間帯にこんなとこ来て」
「楠岡に了承済だよ」
「あの人七不思議の事何も知らないんだろ。何で了承するんだよ」
その声に答えが返ってくる事は無く、代わりに鍵の開く音が湿り気のある空気に空しく響いた。
そのまま歩いていけば、見慣れた二十五メートルプールが目に入ってくる。
千尋と乃良が興味津々に人魚を探す中、多々羅がどこかにいるであろう人魚に向かって声を上げた。
「おいローラ! 一年生連れてきたぞ! さっさと姿現せ!」
多々羅の声を聞いて、人魚はまだかと千尋達はプールへと目を輝かせる。
すると、一部にプクプクと水の泡が立ち始め、その下をよく見ると何やら影が見えた。
その影は深いところにいるようで水上へと上がってきており、それと同時に水の泡の量も増えていく。
そして影は大きくなっていき、いよいよ水面から勢いよく姿を現した。
「ごへっぶはっがばぼっぐへっどばっがっしっしぬ」
「溺れてんじゃねぇか!」
水面で何とかもがいている人魚であろう姿に、博士は今日一番の大声を張り上げた。
「優介! 浮輪!」
「うん!」
多々羅の命令に、斎藤はどこからか持っていた浮輪を手に取り、それを人魚に向かって投げ飛ばした。
人魚は投げられた浮輪に必死で掴まり、苦しそうな呼吸をしている。
浮輪には糸が取り付けられており、斎藤は糸を引っ張って人魚の体を引き寄せていた。
美しい人魚を予想していたであろう二人もこれには目を見開いており、開いた口が塞がらない様子だ。
とうとう人魚がプールサイドに上がってきたと思っても、人魚は過呼吸のまま胸元に手を押さえつけている。
やっと呼吸が整うと、人魚はこちらに向かって整った顔を見せてきた。
「こいつが人魚のローラだ」
「おぅ、ローラだ」
「おぅじゃねぇよ!」
長々と見せつけられた人魚救出作業に、博士はストレスが溜まっていたのか、博士は滑々と言葉を並べ立てていった。
「何で人魚の癖に溺れてんだよ! 下半身魚なんだろうが! えら呼吸できんだろうが! 何であんな苦しそうに溺れてんだよ!」
「ローラはカナヅチなんだよ」
「だからそれが何でだって言ってんだよ!」
多々羅の端的な答えも振り払って、ローラへと指を差し言葉を投げていく。
「アンタほんとは人魚の格好してるだけで人間なんじゃ……」
そこで博士はローラの姿をじっくりと見つめていく。
艶のある長いセピア色の髪に、仏も三度見するんじゃないかと言う程の美しくクールな顔立ち。
体も大きな胸元に下着一枚と大胆な服装をしており、浮輪の下へと目を動かすとそこには鱗やヒレなど完全に人魚そのものだった。
「……ねぇな」
目の前に映る事実に、博士は少し顔を赤くしていた。
「……おい少年」
「少年?」
ローラの呼んだ相手が自分であると自覚した博士は、目を体から顔へと移していく。
「出逢った事も無いような妖艶な容姿に夢中になるのも解らなくないが」
「なってねぇよ」
「そうあまりジロジロと見てくれるな。照れる」
「見てねぇよ!」
ローラの恥じらいながらの言葉に、博士は一気に顔を赤らめて慌てる様に大声を上げた。
そんな博士の態度に花子も目を細めている。
「……ハカセ、えっち」
「見てねぇって言ってんだろ! お前も乗っかってくんな!」
博士が慌てて叫んでいるのを見て、ローラはその相手が自分の知っている人物だと気付いた。
「ん? お前、花子か!」
「久しぶり」
さっきまでのクールな表情から明るい笑顔に変わったローラは、そのまま花子に話しかけていく。
「噂には聞いていたが、お前本当に入学したんだな。ん? という事はお前があれか。花子がベタ惚れしているっていう男は」
「うん、ハカセ」
「やめろその紹介。あとヒロシだ」
「全く、ダメじゃないか。花子という相手がいながら私の体に釘付けになって」
「だからなってねぇって言ってんだろ!」
話を全く聞かないローラに、博士は大声を連続で発したせいで、気付けば息切れしていた。
一足先に自己紹介した博士に続こうと、千尋と乃良も名乗り上げていく。
「はい! 四月よりオカルト研究部に入学しました一年の石神千尋です!」
「同じく一年の加藤乃良です!」
「おぅ、よろしくな」
勢い任せのような自己紹介にも、ローラは子犬を可愛がるような笑顔で出迎える。
そんなローラの姿を見るなり、千尋は水面に反射する程に目を輝かせた。
「私、七不思議の大ファンなんです! よかったら握手してください!」
「あ? まぁ、構わないが……」
そう言いながら、ローラは快く握手を承諾し、千尋にガンガンと腕を振り回される。
握手に満足したのか、千尋の話は次の段階へと進んでいた。
「怪談も大好きです! 『たすけて』って溺れてるのを助けてって意味だったんですね!」
「あ? あぁ、あれか。そうだな」
ローラはそう言うと、昔を思い出しているのか、どこか懐かしむような目でプールを眺めた。
「あの時も今と同じようにプールの中で溺れちまってな。たまたま掃除しに来てた女子生徒達に助けてもらったんだよ。本当命の恩人だわ。それからすっかり意気投合しちまってよ。その日以来よくつるんでたんだよ。今でもたまにLINEとかするぜ?」
「こんなに心温まる怪談聞いた事無い」
「というか当然の様にスマホ持ってるんですね」
「あぁ、勿論防水のな」
そう言って男前に笑いかけてくるローラに、博士は溜息交じりに素朴な疑問を口にした。
「……つーか、何でカナヅチなのに水中にいるんですか。陸でも生活できるんなら、わざわざ水の中で溺れながら生活する理由無いでしょ」
その言葉に、ローラを含めた全員が博士に向かって視線を飛ばした。
一斉に降りかかってきた視線だったが、博士は気にしていない様子で飄々としている。
「そりゃ何でってお前、人魚だから水中で暮らすのは常識だろ」
「カナヅチの人魚に常識語られたんだが」
ローラの答えに納得がいっていないのか、博士は空気を吸い込むとありったけの不満をぶちまけていった。
「大体何なんだよここの七不思議は! 意味不明な奴らばっかじゃねぇか! いや七不思議がいる時点で意味不明なんだけど! 何だよカナヅチの人魚って! ちゃんとバタ足から水泳学んでこい! ……あっ、バタ足は無理か。とにかく、俺は今そこの幽霊と巨人で頭いっぱいなんだよ! これ以上俺に面倒臭ぇ問題増やすんじゃねぇこの魚女!」
「おい」
博士の言い分を聞いたローラが、そうドスの効いた声を聞かせた。
その声を聞いて博士も言葉を詰まらせ、上級生達はみな顔を引きつらせていった。
ローラの表情は俯いてあまり読めなかったが、後ろの禍々しいオーラから只事じゃない事は解る。
「ガキが何ほざこうが勝手だけどよ」
妖艶な姿とは似合わないローラの声に、流石の博士も血の気が引いていく。
ローラがふと顔を目の前の博士に向けた時、その表情が人魚とは思えない鬼の形相をしているのが解った。
「それは流石に言い過ぎなんじゃねぇのか? お?」
「わぁぁぁぁぁぁぁ!」
ローラの押し潰されそうな眼力に、博士の仰け反り、思わずアスファルトに尻をつけた。
「一応言っとくけど、ローラ怒らすとめちゃくちゃ怖ぇからな」
「あぁ、ハカセ君大丈夫?」
斎藤がそう声をかけるも、恐怖のあまりにガクガク震える博士には届いてない模様。
代わりにローラが両腕を使って博士の元まで向かうと、博士の襟元を掴み上げ、まるで不良のカツアゲのように恫喝した。
「生意気言うガキじゃねぇか、あ? お前そんなんで花子貰えると思ってんのかよ。こんな奴私が絶対許さねぇぞ。お? おい誰か刺身包丁持ってこい! この減らず口のガキ捌いてやる!」
「ごっ、ごべんなさい」
「そんな簡単な謝罪で許されるとでも思ってんのかぁ!? おぉ!?」
「やめてローラ、ハカセが刺身になっちゃう」
意識が飛びかけている博士とそれを揺らすローラ、そのローラを何とか宥めようとする花子という何とも異質な光景が目の前に繰り広げられていた。
そんな光景を少し離れたところで眺めていた千尋と乃良は、その光景に呆れながらも、ローラは絶対に怒らせないようにしようと心に決めていた。
カナヅチの人魚、ローラさん登場回でした。
ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!
さて、逢魔ヶ刻高校のちょっとオカしな七不思議というタイトルなのにも関わらず、七不思議がなかなか現れない今作品ですが、いよいよ四人目が登場しました!
人魚のローラさんです!
もともと人魚という設定は決まってたんですが、この曲者揃いの七不思議、どうしようかと。
あれこれ悩んだ結果、カナヅチの人魚になりましたww
ちょっと気の強い人魚という事で何か引っかかった人がいるかもしれませんが、すいません、参考にしてます。
ですが、ちゃんと自分色に染まったローラさんにしたいと思うので、よろしくお願いします!
ローラさんの登場に持ってかれましたが、今は夏合宿!
これからも愉快で五月蠅い、いつも通りな夏合宿が続いていきますよ!
それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!




