【034不思議】ウラナイ
いつもの朝、いつもの教室、いつものクラスメイト。
代わり映えのしない、しかし退屈もしない日常の風景を前に、千尋はいつもの笑顔で教室に入っていった。
近くのクラスメイトに軽く挨拶をすると、その人もつられて笑顔に変わる。
周囲の人々を笑顔に変えていきながら、千尋は教室の真ん中で楽しくはしゃいでいる沙樹達を目に捕えた。
千尋は少し歩調を早め、沙樹達のもとへ向かう。
「おはよー!」
千尋はそう言って、沙樹達に満面の笑みを浮かべた。
沙樹達もその声に気付き、一斉に千尋の方へと目を向ける。
向けたのだが――。
「………」
沙樹達から千尋へと声を発する事は無かった。
そのまま沙樹達は何も言わないままその場を後にし、千尋の前から姿を消していく。
「……?」
千尋はしばらく不思議そうに沙樹達の背中を眺めていたが、担任の先生の声が飛んできて、頭の片隅でぼんやりと考えながら自分の席へと向かっていった。
●○●○●○●
それから何日が経とうと、沙樹達が千尋に声をかける事は無かった。
あれからどれだけ沙樹達に話しかけても、沙樹達は千尋を見るとすぐに会話を中断してどこかへと行ってしまう。
かと思うと、その後すぐに沙樹達を見つけた時には、また楽しそうに会話をしているのだ。
最初はただのすれ違いだと思っていたが、どうやらそんな軽い問題では無さそうだ。
原因は大雑把に分かっている。
避けられるようになった前日に、千尋が沙樹達に花子に対して悪く言うのを止めて欲しいと言った事だ。
大よそその千尋の言動が気に入らずに、話し合いの結果切り落とす事が決定したのだろう。
しかし、その原因について、千尋が後悔する事は無かった。
例え花子自身に悪く言われている自覚が無くとも、花子が悪く扱われるのは気分が良くないし、沙樹達が花子への陰口を止めなければ、自分から縁を切っていただろう。
結果、沙樹達が花子に対して悪口を言うのは無くなった。
それだけで千尋は十分満ち足りた気持ちになり、言って良かったと本気で思えた。
例え花子に変わる次の標的が自分自身だったとしても。
それから何度か沙樹達に話しかけにいったが応えてはくれず、必然的に千尋は沙樹達から離れ、一人で生活する事が多くなった。
授業と授業の間の小さな休み時間も一人。
移動教室へと移動する廊下も一人。
昼休み、水曜日以外の教室で食べる弁当の時間も一人。
周りの友達もクラスカースト上位に君臨する沙樹達を気にして、なかなか千尋に話しかけられないでいた。
いつも笑顔だった千尋の日常は、気付いた時には音も無く崩れてしまっていた。
――………。
気付いたら、千尋は上の空になっている事が多かった。
特に何かを考えている訳でも無く、ただぼーっとしてどこかを見つめているだけの時間。
そうしていて何かがどうなる訳でも無いのだが、気付いたらしてしまっているのだ。
「……ちゃん」
――………。
「千尋ちゃん!」
「!」
唐突に呼ばれた自分の名前に、千尋は体を震わせた。
また上の空になってしまっていたんだと千尋は反省しながら、軽く辺りを見渡す。
そこはオカルト研究部の部室で、全部員達が千尋に注目していた。
「はい、呼びました?」
「さっきから呼んでるでしょ? 千尋ちゃん、全然反応しないから心配しちゃって」
千尋の間の抜けた返事に、西園は心底心配な表情で千尋の顔色を覗いた。
千尋自身に呼ばれていたという自覚は無いのだが、周囲の反応を見る限り、単に自分が気付いていなかっただけなのだろう。
そこで千尋は自分が心配されている事にやっと気付いた。
千尋はこの部員に、特に花子には今の自分の近況を知られたくなく、昼休みもいつも通り水曜日しか一緒に過ごしていなかった。
知られたら確実に心配され、同情されるに決まっているからだ。
自分に向けられる神妙な空気に、千尋は居ても立ってもいられずに、作り笑いを浮かべる。
「ごめんなさい、全然気付きませんでした」
「大丈夫? 何だか最近ぼーっとしてる時が多い気がするけど」
「大丈夫ですよ! それより、何の話ですか?」
「あぁ、それはね」
そう言って千尋はいつもの部室の空気へと戻し、話に入っていった。
そこには千尋の笑顔も見られたが、心なしか辛そうな表情にも見える。
そんな千尋の表情に博士だけが気付いたが、それについて口を開こうとはせず、そっとしたまま博士も話題に参加していった。
●○●○●○●
しかし実際は、大丈夫でもなんでもなかった。
沙樹達がこちらに話しかけてくる様子は一向に見られず、千尋自身も沙樹達と関わるのを諦めていた。
千尋は教室での一人の孤独に耐えていたが、嫌がらせは日に日にエスカレートしていった。
千尋が目の前にいるのにも関わらず堂々と悪口を言ったり、千尋を見て露骨に舌打ちをしたり。
挙句の果てには、古典的ないじめのような机の落書きをされる事もあった。
先生に言えば簡単に解決するのだろうが、案の定そう言う性格の為ただ黙って耐える事しか出来なかった。
行き場の無い悲しみは心の中を彷徨い、暴れ回る。
今の千尋の唯一の楽しみは放課後の部室にいる時間だった。
だったのだが――。
オカルト研究部部室の前、千尋はドアを開ける事なく立ち止まっていた。
ドアの隙間からは、耐え切れずに中の音が漏れ聞こえてくる。
「それでは行きます! 男多々羅の腹踊り!」
「よっ! 待ってました!」
「止めなよ! 西園さんもいるんだから!」
「あら、楽しくていいじゃない」
「ハカセ、腹踊りって何?」
「大バカがああやって腹見せて無様に踊る、需要も無いただの恥さらし」
部室から漏れる声はどれも楽しそうで、中の光景が鮮明に脳内に浮かんだ。
しかし、今の千尋にとって、それはただ胸を苦しめるだけだった。
いくら部活が楽しいと言っても、心の奥には深い悲しみが根付いていて、千尋が部室で見せている笑顔はどれも作り笑いだった。
もう今までの自分がどうやって笑っていたのか忘れてしまったくらいだ。
「……ごめん」
千尋はそう言って、部室に向けていた足を玄関の方へと直して、ゆっくりと歩き出す。
袖で目の辺りをそっと拭ったその姿は、誰にも見られなかった。
●○●○●○●
まだ空が明るい帰り道。
最近日が昇っている時間が長くはなっていたが、こんなに明るい家に帰るのは部活が始まって以来初めてくらいの事だった。
しかし、空が明るいからといって、千尋の顔色は明るくはならない。
逆に空の明るさが、千尋の暗さを一際際立てている様にすら思えた。
そんな折に千尋の携帯にメールの通知を伝えるバイブが鳴る。
親からだろうかとメールの差出人に目を向けると、千尋は思わず目を丸くしてしまった。
何日振りの沙樹からのメールだった。
『今まで酷い事してごめんね。突然だけど今から会えるかな? 千尋にしかお願いできない事があるんだ。あそこ、って言ったら解るよね?w そこで待ってるから』
その文面を見た時、千尋はよく理解が出来なかった。
いつもは数秒で読み終わるメールの文章が、今では数分もかかってしまう。
――これって……。
もしかしたら、沙樹達との関係をやり直せるかもしれない。
文面の意味を理解すると、さっきまでの暗い表情から明るい表情に変わる。
千尋はメールを返すのも忘れて走り出していた。
沙樹の言う『あそこ』とは、恐らく昔四人で遊んでいた公園の事だ。
その公園で待っている沙樹達の事を考えて、千尋は今の高校生活から逃げるかのように公園へと走っていった。
●○●○●○●
気付けば辺りはすっかり暗くなっていた。
電灯はわずか一つしかなく、唯一の光源体が頼りなく公園を照らしている。
公園の周囲は人通りが少なく、人影はたった四つしか存在しなかった。
「………」
千尋は背中越しに鉄格子の温度を感じながら、目の前の三人を見つめていた。
千尋の目には、どことなく恐怖のようなものが感じられる。
その恐怖の対象である沙樹達は、まるで千尋の逃げ場を塞ぐようにして、千尋を取り囲んでいた。
「ねぇ、そろそろ良いでしょ」
沙樹はそう不敵に笑って、今日何回目であろう説明を口にした。
「明日、私達他校の男子三人と合コンなの。だけど今日それ忘れてお金使いまくっちゃってさ。一万円でいいんだって。ちゃんと後で返すから」
沙樹の声を聞きながら、千尋は体を震わせながら、必死に声を絞る。
「でっ、でも、一万円とか今持ってないし、そんな大金貸せない……」
「だぁかぁらぁ、貸してくれたら千尋の分もセッティングしてあげるって言ってんじゃん」
沙樹はさっきまでの優しい口調から少しずつ苛立ち混じりの声に変わっていった。
それを感じて千尋は更に怯えるが、何とかして震えた声のまま絞り出した。
「わっ、私、まだそういうのに興味無くて」
「あぁ、そっか、アンタそういやオカルトバカだったな」
沙樹はじっと見つめていた千尋への視線を退かし、愚痴のように漏らした。
その言葉に関しては本人も自覚ありの為、千尋は何とも思わなかったが、さっきまでの緊張した空気は変わらない。
そこに一本の着信音が流れてきた。
誰の着信音かと四人が辺りを見渡すと、どうやら音は千尋の鞄から流れているようだ。
「……あの」
申し訳なさそうな千尋の顔を、沙樹は辛辣な目で見つめる。
「いいよ、出たら?」
その言葉を聞いて千尋はペコリと頭を下げると、鞄の中を漁り始めた。
しかし、携帯を見つける前に、鞄は千尋の手から剥がされてしまった。
鞄は公園の地べたに転がっており、着信音だけが空しく流れている。
「まぁ、出れたらだけどね」
沙樹はそう言って千尋に意地悪な目を向け、千尋もそれを見て目付きが厳しくなる。
何とか電話に出ようと千尋は鞄に近付こうとするも、一人に服を掴まれ投げられてしまい、千尋も鞄の横に倒れてしまった。
それを見て沙樹達は「アハハ」と声を出して笑う。
「私も一緒に携帯探してあげるー」
そう言って沙樹は鞄の底を蹴って、鞄の中に詰まった中身を吐き出させる。
「止めたげなよー! それじゃあ苛めてるみたいになっちゃうでしょ!」
「そっかーごめーん。あっ、電話切れちゃった。アハハ!」
「あっ、ここから財布探せばいいんじゃない? 大丈夫、後でちゃーんと返すから!」
そう言いながら、三人は鞄を蹴って財布を探し始めた。
人の鞄をまるで玩具の様に扱って、持ち主の千尋を地面にほったらかして。
鞄の蹴られる音を耳に入れながら、千尋の視界は滲んでいった。
――何でここに来ちゃったんだろう。
――何で……、やり直せると思っちゃったんだろう。
たくさんの後悔が浮かんでは消えていき、また浮かんでは消えていく。
そして行き着く先の結論は、どうしようもない自分への言葉に言い表せない怒りだった。
漫画でこんな情けない登場人物が出たら、嫌い過ぎて反吐が出る。
そう思ってはまた視界が滲んでいき、悔しさのあまり声も出せなかった。
そんな視界の中、千尋の目に歪なコントラストのものが現れた。
最初は不鮮明でよく解らなかったが、目を凝らしていくうちに、それが自分の鞄から飛び出したものだと理解する。
地面に転がり、砂塗れになってしまったトラ夫人だった。
刹那、今までの、オカルト研究部での楽しかった思い出が、さっきまでのちんけな後悔を掻き消していった。
「……ら」
さっきまで少しも声を出せなかった千尋だったか、その時は自然と声が出せていた。
今まで黙っていた千尋の突然の声に、沙樹達も蹴っていた足を止めて、千尋へと目を向ける。
「……んだから」
「なーにぃ? 聞こえなーい」
沙樹のバカにした声に、千尋は歯を立てると、ここ最近で一番の大声で沙樹達に聞かせてやった。
「今月の私は、今世紀史上最高にスーパーラッキーなんだから!」
千尋はあまりの大声に、地面に転がりながら息を荒らしている。
「は?」
そう端的に言葉を返したのは沙樹だった。
「何? いつもの得意なオカルト話? いいよ、アンタはそれで。アンタの話すオカルト話、結構好きだったし」
だらしなく言葉を紡ぎながら、沙樹は肩に掛けていた鞄の持ち手を手にしっかりと握る。
「でも……、当分良いかな」
そう言って、沙樹は勢いのままに鞄を千尋の顔面にぶつける。
その寸前だった。
「千尋!」
突然の声に、鞄を振り下ろそうとした沙樹をはじめとする三人は、その声の方へ目を向けた。
思わず目を瞑っていた千尋も、その声に気付いてそちらに目を向ける。
その目に映った憧憬に、千尋は自然とそこにいた人物の名前を口にしていた。
「花子ちゃん……?」
こちらに向けてじっと視線を浴びせてくる花子に、その場の空気はガラリと変わっていった。
重っ……!
ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!
引き続きの千尋編ですが、今回はめちゃくちゃ重たい話になってしまいました。
作者も思わず読み返してドン引きですww
もうここまで来ると千尋に同情しちゃいます。
頑張れ! 多分もうすぐ花子ちゃんが助けてくれるから!
そんなこんなで今回のサブタイトルは『ウラナイ』です。
このサブタイトルは前々回の『ウラオモテ』とかけている訳ですが、裏表の裏を無くしたというような意味合いです。
思いついた当初は「めっちゃ上手くね!?」とか思ってましたが結構際どいですよねこれww
実はトラ夫人はこのサブタイトルからの後付け設定だったりします。
結構話でも重要な位置に立ってるし、オカルト好きの千尋とマッチングして、気に入ってるサブタイトルです。
という事で、千尋に明るい笑顔が戻ってくるのか!?
次回、いよいよ千尋編最終回です!
それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!




