【241不思議】地に足着かぬ心模様
耳を澄ませば川のせせらぎが聞こえてくるような風情ある旅館には、逢魔ヶ刻高校の修学旅行生が多数犇めいていた。
本日の消灯時刻は午後十一時だ。
生徒達は時計の針を気にしながら、折り返しとなった修学旅行に談笑を募らせていく。
旅館のフリースペースには、簡易的な土産コーナーが設置されていた。
「あー! 可愛いー!」
そんな土産コーナーで、千尋は甲高い声を上げる。
千尋の視線の先には、多数の地方限定と思われるストラップがぶら下がっていた。
「ねぇねぇ! これ小春ちゃんのお土産にピッタリじゃない!?」
「ん? どれ?」
千尋の提案に、乃良は顔を覗かせる。
「舞妓のオポッサム!」
「なんでオポッサム?」
カラフルな和装に白化粧でめかした有袋類に、乃良は疑問符を踊らせた。
「ねぇどう!? 可愛くない!?」
「うん、可愛いと思うけど、なんでオポッサムなの? こんなパッとしない生物で地方限定ストラップ作られても宣伝効果皆無だと思うんだけど……」
「こっちの舞妓のオポッサムは小春ちゃんのお土産にして、賢治君には新撰組のオポッサムのストラップ買ってあげよ!」
「だからなんでオポッサム?」
乃良の尽きない疑問を余所に、千尋は自由に土産品を品定めする。
これでは折角の受け取る側も、受け取った瞬間に首を傾げる事となるだろう。
そうと決まれば次は百舌への土産を探そうと千尋が土産コーナーを探索する中、博士はまたもや浮かない顔をしていた。
この旅館の中で曇り空の様な顔をしているのは博士一人だけだ。
ここまで暗い顔で土産に目を落とす観光客もいないだろう。
そんな博士に、膝を屈めてストラップを観察していた花子が視線を向けていた。
博士の不機嫌そうな表情に、花子が表情を変える事はなく、その無表情の奥に隠れているだろう心理を読み取る事は出来なかった。
●○●○●○●
フリースペースに訪れた教師に部屋に戻るよう諭され、生徒達は自室へと戻っていった。
とはいえ、彼らの夜が終わる事はまだない。
「いやっほー! 今日は疲れたなー!」
「おい! それ俺の布団だろ! 飛び込むなら自分の布団に飛び込めよ!」
まっしぐらに博士の布団にダイブした乃良に、博士が声を荒げる。
博士の忠告など全く耳に入れようとせず、乃良はそのまま博士と自分の布団を股に掛けて、グルグルと体を回していた。
口を開くだけ無駄と悟った博士は、溜息を吐いて肩に掛けていた荷物を下ろす。
「よし! じゃあ恒例の枕投げやるか!」
「やんねぇよ。大体二人でやったって楽しくねぇだろ。大人数でも楽しくねぇけど」
「じゃあ枕叩きする?」
「近接攻撃になっただけじゃねぇか」
「じゃあ枕レスリング?」
「どうやって戦うんだよそれ」
聞き馴染みのない戦闘スタイルに、博士は無気力に声を返していく。
「あっ、じゃあちひろん達の部屋に遊びに行くか!」
「はぁ? 異性の部屋に入るのは禁止の筈だろ?」
「でもそういえばちひろん達汗掻いたからすぐ大浴場行くみたいな事言ってたなぁ。という事は今あいつらの部屋には誰もいない……。よし! 今からこっそり部屋遊びに行って、ちひろん達が帰ってくるの待ち伏せて脅かしてやろうぜ!」
「バカ言ってんじゃねぇよ」
博士はそう言うだけで、乃良の意見に賛同する素振りはない。
これが博士の平常運転だ。
しかし中学からの親友である乃良は、博士の些細な異変も感じ取っていた。
「……まだ考えてんのかよ、花子の事」
「!」
突然ふざけた話から一転して図星を突かれた博士は、あまりの驚きに声を失っていた。
そんな博士を置いて、乃良は話を進める。
「お前分かりやす過ぎんだよ。折角の修学旅行だっつってんのに、ふと目を向けたら難しい顔しやがって。もう少しくらい一生に一度の修学旅行楽しもうって姿勢見せろよ」
きっと親友である乃良だからこそ、気付けた博士の異変だろう。
「この前は俺から話は訊きやしねぇなんて言ったけどな、ここまで来たら話は別だ。人に話して解決する悩みだってあるだろ」
乃良はぐっと俯き気味な博士に身を寄せる。
「それにほら、こうして男同士布団の中で恋バナするのだって、修学旅行の夜の恒例の一つだろ?」
ふと博士は乃良に目を向ける。
そこには白熱灯よりも目に眩しい乃良の笑顔が、燦々とこちらを照らしていた。
そんな乃良に、博士は口元を緩ませる。
気付けば博士は、現在の自分の胸中をぽつりぽつりと口に出していた。
●○●○●○●
空を見上げれば、満天の星空がこちらを見下ろしている。
昼間の青空も美しかったが、夜間の星空の美しさもとてもじゃないが捨て難い。
露天温泉の湯気の隙間から覗く夜空は、雰囲気も相まって地元で見るよりも美しいように感じられた。
「んはーっ! 極楽極楽! 今日の疲労が全部吹き飛んじゃった気分ー♡」
湯船にたっぷりと浸かった千尋が、思わず声を漏らす。
今日京都の街を歩き回った足から、熱めの温泉に浸されて毛穴から疲労成分が溶け出ている様な気がした。
ぐっと両腕を上げて、徐に伸びをする。
するとたわわに実った千尋の胸が、むくっと湯船から頭を覗かせた。
隣には花子も肩までその湯に身を浸かっている。
温度を感じ取れない花子にとって温泉がどれ程心地良いものかは分からないが、両手で湯を掬っては元に返すその動作は、十分愉しんでいるように思えた。
「やっぱり楽しいね! 修学旅行!」
千尋は夜空に轟かせるような勢いで、花子に声を掛ける。
「皆でたくさん観光スポットに行って、たくさん美味しいもの食べて、たくさん写真撮って! こんだけ楽しいのにまだ半分もあるなんて最高だよ! 私、花子ちゃんと一緒に修学旅行来れて良かった!」
衣類を一切纏っていないからか、千尋の言葉からは解放感が感じられる。
「ねっ! 花子ちゃ」
花子に同意を求めようとして、千尋は花子へと振り返る。
しかし結果として、それが千尋の声を塞ぐ事となった。
「……花子ちゃん?」
花子の表情は、どこか悲しげな色を見せていた。
今まで鉄仮面の様に表情を変えてこなかった花子とは思えない程の表情の変化だった。
「……ハカセは、修学旅行楽しんでるかな?」
「えっ?」
突然上がった博士の名前に、千尋は声を漏らす。
「勿論、私は楽しいよ。私も千尋と一緒に修学旅行に来れて良かった。でも、ハカセはどうなのかなって」
千尋の不安を払拭しつつ、花子は自分の想いを口にしていく。
「ハカセ、たまに目を向けると、どこか悩んでるみたいな顔してるの。もしかしたらハカセ、あんまり楽しくないのかなって。どうしたらハカセも楽しくなるかなって、考えてみるけど、よく分かんない」
乃良の気付いた異変に、花子も気付いていたようだ。
花子は不出来な思考回路をなんとか回してみるが、良さそうな策は見つからず口元まで湯船に滑らせていく。
そんな花子に、千尋は胸を締め付けていた。
「……大丈夫! ハカセも楽しんでるよ!」
わざと語調を強めて、千尋は胸を張る。
「ほんと?」
「ほんとだって! だってこんなに楽しいのに、楽しいって感じてない訳ないじゃん! ただハカセは、楽しいって感情を表に出すのが苦手なだけ! 心の中では、きっと誰よりも楽しんでる筈だよ!」
千尋も花子や乃良程ではないが、博士の異変に勘付いていた。
そして、その原因が恐らく花子である事も。
それでも花子の手前、今はこう言う他道は無かった。
「そうかな……?」
疑いを残しつつ、花子は湯船に泡を生ませる。
「だから花子ちゃん!」
そう力強く名前を呼ばれ、花子は千尋へと振り返った。
「心の中から表に溢れ出ちゃうくらい、もっともっとハカセを楽しませよ!」
今自分達に出来る事はそれだけだ。
心の中に渦巻く悩み事も忘れてしまうくらい、目の前の世界に夢中にさせてしまえば良い。
自分達ならきっと、それが出来る筈だ。
「……うん、そうだね」
花子は水面下から顔を戻して、そっと口元を和らがせた。
「よし! そうと決まれば早速部屋に戻ってハカセ達とトランプ合戦だよ! 花子ちゃん! 戦の準備は出来てる!?」
「うん」
水飛沫を大いに上げて、千尋は全身を浸かっていた温泉から立ち上がる。
秋風が肌を直接撫でるが、千尋の胸に燃える闘志のおかげで湯冷めする事は決してなかった。
●○●○●○●
一方の博士と乃良の男子部屋では、博士の口から全てが告げられていた。
花子の過去が明らかになってから今日までの、全ての真相を。
「ふーん、成程……」
布団に寝そべって頬杖を突く乃良は、博士の本意にそんな声を漏らす。
「……なんか、思ってたよりもしょうもなかったわ」
「はぁ!?」
乃良の口から呟かれた衝撃的な発言に、博士は思わず声を荒げる。
「テメェなに言ってやがんだ! 俺は真剣にこの事について考えてて!」
「だって別に普通の事なんだもん。前に俺言っただろ? 今お前が両想いだって事が当たり前じゃねぇって事を忘れんなって」
博士が乃良に初めて花子への想いを打ち明けた時、確かにそう伝えられた。
当時は特に感じていなかった言葉の重みが、今ではこれでもかと博士に圧し掛かっている。
「第一、お前はスタート地点から変わってんだよ。今まで会った事のない初対面の女の子に会って早々告られた? 全国民にアンケート取ったってそんな奴お前ぐらいしかいねぇよ。それからずっとアプローチされ続けて、お前も断り続けて、一年以上経ってやっと自分の気持ちに気付いたと思ったら、今度はお前の片想いになってる」
軽くおさらいすれば、恐らくこのような状態だろう。
「良いか? 今のお前の悩みは、そこらの一般男性と同じ悩みなんだよ。一体今相手がなにを考えてるのか。誰の事を好いてるのか。皆それが分かんなくて、苦しくて、悩んでんだ。それが、誰かを好きになるって事なんだよ。お前は今まで環境に恵まれてただけだ」
乃良の言う事は尤もである。
今の博士の悩みは、少女漫画に出てくる様な恋する乙女のものと酷似していた。
「そうなった時の解決策はもとより一つだ。……実はお前も気付いてるんじゃないか? どうすればその悩みに終止符を打てるのか」
博士の心を透視するかの様に、乃良は顔を覗く。
眼鏡の奥の瞳は、随分と狼狽えているようだ。
「……でも」
ここまで動揺を露わにする博士も珍しい。
もう少しこの博士を観察していたいという気持ちもあったが、乃良はその気持ちに蓋をして助言した。
「大丈夫」
「想いの届け方なら、今まで散々体験してきただろ?」
確かにその通りだ。
乃良の説得力の秘めた言葉のおかげで、博士の迷いに迷っていた道標が目的地を指し示した。
「……ありがと」
博士は照れ隠しも交えながら、早口でそう口にする。
「行ってくる」
徐に立ち上がると、乱雑に放置していたスマートフォンを右手に握り締める。
玄関口に向かって早足で歩いていき、ドアノブへと手を伸ばした。
「行ってらっしゃーい」
乃良の見送りの言葉も途中に、博士を外へと出した扉が音を立てて閉まる。
一人部屋に取り残されてしまった乃良だったが、その表情はなんとも嬉しそうだった。
●○●○●○●
「ぷはーっ! やっぱり風呂上がりのフルーツ牛乳は最高だなー!」
大浴場の脱衣所で旅館の用意した浴衣に身を包んだ千尋は、腰に手を当ててそう瓶入りのフルーツ牛乳を飲み干した。
その飲みっぷりは宣伝の依頼が舞い込んでもおかしくない程だ。
花子も早速牛乳の蓋を開けたいところだったが、通知の届いていたスマホに手が止まる。
「ん? 花子ちゃんどうしたの?」
千尋も花子の異変に気付いて、花子のスマホを覗く。
人としての道徳を疑う行為でもあったが、今はそんなちんけな事はどうでも良い。
その画面に、千尋も同じく硬直してしまった。
差出人は博士。
『今から会えたりするか?』
『旅館の中庭で待ってる』
いつも通りのぶっきらぼうな文面。
それでも意味を勘繰ってしまいたくなるような文面に、花子の思考回路は混乱に拍車が掛かる。
止まった筈の心臓が、二人の恋が、今確かに動き出した気がした。
二人の恋に、遂に決着が……!?
ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!
今回は修学旅行の夜をテーマに書いてみました。
修学旅行といえばやっぱり友達と部屋で朝まで遊んだり、大浴場で大いに盛り上がったりと、下手したら昼間の思い出よりも充実なものだったりしますよね。
僕自身も修学旅行の夜、友達と遊んでて楽しかったなーって印象です。
同級組の登場人物が少ないので、あまり盛り上がりに欠けている感はありますけどね。
さて、物語はとうとう二人の恋の決着に向かいます!
長かった二人の恋の行方は!?
最終回まで、残すところあと二回!
それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!




