【238不思議】旅の報せ
灰色の空に、冷気を乗せた北風が吹く。
あれだけ若々しく芽吹いていた木々の葉達は、随分と年老いてか弱い風に吹かれて木枯らしとさせていた。
季節は順調に進んでおり、今ではすっかり立派な秋である。
とは言っても、逢魔ヶ刻高校の学生達の日常が変化する訳ではない。
今日も今日とて、教室は平和である。
「ねぇねぇ、今度着てくパジャマ決めた?」
「ううん、まだ全然」
「それじゃさ、今日の帰り一緒に見てかない?」
「行く行く!」
二年A組の教室で、女子二人が休み時間にそんな談笑をしている。
意図せずして盗み聞きしてしまった博士だが、二人が一体なんの話をしているのかはさっぱり分からなかった。
しかし、それは本日のLHRで明らかとなる。
博士達の日常に、間もなく一大イベントが訪れるという事も――。
●○●○●○●
「さて、皆さん来週はいよいよ修学旅行です」
『イェェェェェェェェイ!』
担任の馬場の発言により、クラスメイト達は仮にも授業中であるにも関わらず、祭りの様な大喝采を披露した。
修学旅行。
普段は授業を共にする教室の仲間達と観光地を巡ったり、旅館で話を咲かせたり、高校生活の中でも群を抜いて目玉となる最大級の行事だ。
生徒達の異常な大興奮も、しばらく前から募り募らせた期待が溢れてしまった結果だろう。
「やっほー!」
「やったぜー!」
「俺もう夏休み明けてからずっと待ち望んでたぜ!」
「甘いな、俺は二年生になってからずっとだ!」
「私なんて、一年生の時からずっと楽しみにしてたよ!」
「俺は」
「静かに!」
収まりそうにない歓声に、馬場が事態の鎮静に一喝を入れる。
それでもまだ私語は目立ったが、これくらいならと馬場は目を瞑って修学旅行の詳細を口にした。
「今年の修学旅行の旅先は京都。皆さんには三泊四日の旅行の間で、京都の街に残る歴史や伝統についてを学んでもらいます」
というのは建前で、実際にそれらを学びに旅する生徒はいないだろう。
「今からやっていただくのは二日目の自由行動で行動する班決めと、そのルート決めです。四、五人程の班を作り、その中から一人リーダーを決めた班から、当日どこに行くかのルート決めに取り掛かってください。それでは皆さん、後は自由にお願いします」
馬場の指示に合わせて、生徒達は一斉に教室中を移動する。
皆、仲の良い友達のもとへと集まっては、机をくっつけて班の体制を築いていた。
一向に席から動こうとしないのは博士ぐらいだ。
博士は参考書を広げた机に頬杖を突いて、修学旅行と大きく書かれた黒板を眼鏡の奥で凝視している。
来週に迫った修学旅行に、未だ博士は現実味を覚えていないようだ。
「おいハカセ! お前もちったー動けよ!」
「ちょっと乃良! もっとそっち詰めて!」
「これ以上こっち行けねぇっつーの!」
博士が上の空になっていた間に、乃良、千尋、花子の三人は博士の席まで集まってきていた。
花子に至っては、知らぬ間に博士の真ん前の席を陣取っている。
「……いやお前ら、なんで当然の様にこっち来てんの?」
「はぁ? だって私達同じ班でしょ?」
「いや別にそんなの決まってねぇじゃ」
「じゃあ他に誰か組みてぇ奴いんのかよ」
「それは居ねぇけど」
「じゃあ決定ね! ほら! ハカセがリーダーなんだから、班決定したって馬場先生に伝えてきて!」
気持ちが良い程強引に、乃良と千尋が博士を詰問する。
どこかこの展開を予想していた博士は無理に抗おうとせず、溜息一つを吐いて落ち着いていた。
「……分かったよ」
「お願いねー!」
馬場のもとへ報告に歩き出した博士を、千尋は明るく見送る。
彼女の興奮は、既に爆発間近だった。
「さぁ! いよいよ修学旅行だよ花子ちゃん!」
「修学旅行?」
先程の馬場の説明を全く聞いていなかったのか、花子は首を傾げる。
「そうだよ! ここにいるクラスの皆で一緒に旅行に行くの! 紅葉彩る京都の街に皆でお泊りなんて、考えただけでエモいよね!」
「エモ?」
「ちひろん、エモいの意味分かってる?」
「勿論! エモーションの略でしょ!」
「じゃあエモーションの意味は?」
「分かんない!」
「本末転倒じゃねぇか」
報告から返ってきた博士が、千尋をそう斬り捨てて、貰ってきたガイドブックを合体させた机に放り投げる。
「それで、お前らどこか行きたいとこあんのか?」
自分は特に候補が無いのか、博士が椅子に腰掛けながら、そう三人に質問を投げる。
すると隣に座っていた乃良が、いの一番に声を上げた。
「勿論あるぜ!」
乃良は張りのある声で、自分の提唱する候補地を断言する。
「俺の行きたい場所は……セブンイレブンだ!」
「どこにでもあんだろ」
それはここからでも徒歩で行ける距離に立ち構えるコンビニエンスストアだった。
「分かってねぇなーハカセ。京都には屋外広告物条例ってのがあって、街の景観を守る為にデザインが茶色だったり、瓦屋根のセブンイレブンがあったりするんだよ!」
「知ってるよ。だからって修学旅行でわざわざ行く程のもんじゃねぇだろ」
「なんでだよ! 瓦屋根のブンブン気になるじゃねぇか!」
「お前セブンイレブンの事ブンブンって略してんの?」
頑なに意見を退こうとしない乃良は、余程京都の景観に興味を示しているようだ。
そんな乃良に、千尋が軽く鼻を鳴らす。
「ふんっ、そんなものに興味があるなんて、やっぱり乃良はお子様ねー」
「なんだと!?」
千尋の安い挑発に、乃良はまんまと乗ってしまう。
「私達が行くのは修学旅行だよ? ここはやっぱり、日本の歴史を学びに行かないと」
学びとは、普段の千尋からは連想し難い言葉だ。
妙にペダンチックな千尋に博士は淡い期待を浮かべながら、千尋の候補地に耳を貸した。
「ここはやっぱり、東大寺でしょ!」
「奈良だよ」
博士の淡い期待は、予想通りに泡となって弾けた。
「えぇっ!? あの大きい大仏が居る東大寺だよ!?」
「奈良だよ。奈良の定番スポットだよ」
「お寺の中に大仏の鼻の穴と同じ大きさの穴が空いてる柱がある、あの東大寺だよ!?」
「お前どんな覚え方してんだよ」
念を押して確認してみたが、二人の想像する東大寺は一致しているようだ。
東大寺が駄目ならと、千尋は別の候補地を並べ立てていく。
「じゃあ法隆寺は!?」
「奈良だよ」
「吉野山は!?」
「奈良だよ」
「奈良公園は!?」
「思いっきり奈良って言ってんじゃねぇか」
どうやら千尋の候補地は全滅してしまったらしい。
意気消沈して、千尋は机に項垂れる。
「そんな……私、この修学旅行で全部周れると思って楽しみにしてたのに……」
「まぁ、また今度修学旅行とは別に皆で奈良に行こうよ」
突っ伏す千尋を、乃良がそう宥める。
千尋の相手は乃良に任せるとして、博士は残すところあと一人となった班員に目を向ける。
「……花子はなんか行きたいところあるか?」
とは言っても、修学旅行の存在も知らなかった花子だ。
京都の情報も隣の千尋以上に皆無だろう。
行きたい場所はと訊くだけ無駄だったと思われたが、不意に博士の目が止まる。
花子は博士が持ってきた観光ガイドブックを開いていた。
そこには人気の定番スポットから、ディープな穴場スポットまで、数多くの観光スポットが掲載されている筈だ。
その中の一つに、花子は目を奪われていた。
そこは間違いなく全員が知っている定番スポット。
しかし、観光地としてはあまり名に上がらない穴場スポットでもあった。
「……京都タワー?」
それは白と赤のコントラストに包まれた京都のシンボル塔だった。
「京都タワー?」
「ちひろん知らないの? 京都に建ってる紅白色のタワーだよ」
「へぇ、京都にもタワーあったんだ」
偏差値の低い感想も、花子の耳には入らない。
それ程までに花子は京都タワーの魅力に取り憑かれているようだった。
「……そこ、行きたいのか?」
博士の問い掛けに、花子は時間差で頷く。
「……んじゃ行くか」
「でも京都タワーってそんな観光するようなところだったか?」
「まぁ良いんじゃね?」
観光地としての心配をする乃良に、博士は杞憂に呟く。
「花子が行きたいって言ってんだからさ。もうそれで良いだろ」
その横顔は、どこか優しさが滲み出ているような気がした。
「……そうだな」
乃良もそう呟いて表情を崩す。
「よし! それじゃあ決まったのは京都タワーとセブンイレブンだけか!」
「ちょっと! なにしれっとセブンイレブン入れてんの!?」
「セブンイレブンなんて他のところ行く道中のトイレ休憩とかで寄れるだろ」
「バカ! セブンイレブンで用を足そうなんて罰当たりも甚だしいぞ!」
「なんでだよ!」
「定番でいうと、やっぱり清水寺か?」
「んー清水寺はありきたり過ぎじゃねぇか? ほら、どの作品の修学旅行でも絶対清水寺行ってるだろ」
「別に定番なんだから良いじゃねぇか」
「あっ! 私スイーツ食べたい! 抹茶スイーツ!」
「私も」
「俺も!」
「お前ら食い物の事になると妙な連帯感生まれるよな」
一向に候補地が決まらないまま、班の会議は続いていく。
旅行は計画段階が一番楽しいと良く言う。
確かに今の博士達は随分楽しそうだったが、当日もっと楽しい事が待ち受けているのは明白だった。
最終章、開幕。
ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!
今回より、マガオカの最終章ともなる修学旅行編が始まりました!
この修学旅行編の終了をもちまして、このマガオカは完結となります!
今回はその修学旅行編の冒頭という事で、自由行動の班結成、そして班会議のシーンを書いてみました。
これも以前より書きたかったシーンですね。
しかし、書きたかったとはいってもどんな内容にしようかは全く決めてなかったので、会議の内容は今回最初から考えました。
花子が京都タワーに興味を持ったのも、ほとんどひらめきです。
これでハカセ達が京都タワーに行かなきゃいけなくなったのですが……、まぁなんとかなるかww
今回ネタとしてセブンイレブンをブンブンと略すというのを使ったのですが、実際本当に略してる方っていらっしゃるんですね。
このネタを書いた後に実際に使ってる人を見て、「あーなんか申し訳ねぇ」と思いましたw
そんなこんなで始まった修学旅行編!
一体物語がどんな結末を迎えるのか、残り僅かですが最後までよろしくお願いします!
それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!




