【237不思議】Trick or Smile!
後日、博士は一人体育館倉庫を訪れていた。
簡素なパイプ椅子に腰掛けた博士は、魂でも抜けてしまったかの様に無気力に背中を曲げている。
如何にも構って欲しそうな来客に、体育館倉庫の主である多々羅が特に気を掛ける事はなかった。
「……昨晩、ノリが亡くなったと」
ようやく開いた口からは、そんな言葉が聞こえてきた。
「奥さんや子供、更には孫にまで看取られて、最期は眠るようにして安らかに息を引き取ったらしい。ほんと幸せ者だよ、あいつは」
きっと最期の瞬間、残された家族は大量の涙を流した事だろう。
そんな遺族の涙を頬に落として、英徳は微笑むように口元を柔らかくしてこの世を去った。
博士と花子に真相を告げてから、まだ日も浅い。
まるで、自分の現世での使命は果たしたとでも言うかのようだった。
「……どうして、俺達とあの人を会わせたんだ?」
顔を上げようとしないまま、博士がそう多々羅に尋ねる。
あれだけ過去を知られるのを嫌っていた多々羅が、どうして自分達と英徳を引き合わせたのか、その理由が未だ博士の中で解けていなかったのだ。
「……この前、突然ノリから電話が掛かってきてな」
多々羅は英徳から着信のあった先日の事を回想する。
●○●○●○●
「もしもし?」
多々羅一人取り残された体育館倉庫で、多々羅は突如掛かってきた見覚えのない電話番号にそう声をかける。
『やぁ、タタラか?』
「……えっ?」
電話越しに聞こえてきた声は、随分としわがれていた。
それでもその声の主を、多々羅は直感的に確信していた。
「ノリだよ、福越英徳。覚えているかい?」
病院の片隅に置かれた公衆電話の受話器に、英徳は念を押すようにして自身の名前を連続して口にする。
どうやら英徳の事を、多々羅は確と記憶していたようだ。
『なっ、お前、どうしたんだよ急に』
八十年前と全く変わらない若かりし声に、英徳は口元を緩ませた。
「良かった。随分前に教えてもらった携帯番号だったから繋がるか心配してたんだけど、まだ変えていなかったんだね。どうだい? 元気にしてるかい?」
『元気かって、それはこっちの台詞で!』
電話越しに飛び込んできた声は、まるでじゃじゃ馬の如く荒々しかった。
当時から暴れ馬の様に暴れ回っていた多々羅を思い出しながら、英徳はようやく電話を掛けた本題に入る。
「……私の命は、もうそう長くない」
あれ程五月蠅かった受話器の向こう側が、一気に静まり返る。
「先日医者に言われてね。自分でもそうなんじゃないかと、薄々勘付いていたんだ。自分の体の事は自分が一番分かるとはよく言ったものだよ」
自身の余命の話であるにも関わらず、英徳の口調はどこか軽やかだった。
「いざ死期が迫っていると思うと、どうも昔の事が恋しくなってしまってね。こうして、用もないのに君に電話を掛けてしまった訳さ。悪かったね、急に掛けて。でも、君の元気そうな声が聞けてなによりだよ」
受話器からは、相槌もろくに聞こえてこない。
一方的な語りかけではもうとっくに話の種は尽きたと、英徳は受話器を公衆電話に戻そうとする。
「……それでは、これで失礼するよ」
『……待て』
ようやく聞こえてきたその声に、英徳の皺の寄った手が止まる。
多々羅は苦悩していた。
英徳が死ぬ。
自分よりも人間の寿命が短い事は、とうの昔から分かっていた事だ。
それでも自分の知っている人間がその直面にまで来ていると思うと、どうも胸が苦しくなる。
それに英徳は、花子もといさゆりの死を見ていた人間である。
さゆりの死を間近で見てしまったが為に、英徳はトラウマとなって学校に通う事が出来なくなってしまった。
結果として、英徳にとってその体験はマイナスの方向へと作用しただろう。
それでもその体験は、さゆりが強く、気高く生きていた証でもあるのだ。
凛と美しくその命を咲き誇らせたさゆりを知る人間がこの世から居なくなってしまうのは、随分と惜しいものを感じる。
せめて、せめて誰かにその事を伝えられたら――。
「……一つ、頼みてぇ事があるんだけど」
気付いた時には多々羅は覚悟を宿した瞳で、電話越しの英徳にそう依頼していた。
●○●○●○●
「さゆりの事を知っている人間が居なくなるのは惜しい。巨人や不老不死じゃない、人間にさゆりの事を知って欲しかったんだ。それには俺の口からじゃなくて、実際にさゆりの傍に居たノリの口から聞いた方が良いと思ってな」
多々羅は今回の事の経緯を、洗いざらい博士に打ち明ける。
博士から尋ねた筈なのに、博士の反応は全くの無だ。
そんな多々羅に博士は息を吐きながら、そのまま独り言を続け出した。
「初めてお前と会った時はビックリしたよ。当時のノリの生き写しなんじゃねぇかって思うぐらいに瓜二つなんだから。ノラから事前にお前の写真を見せられてなけりゃ、驚き過ぎて腰抜かしてたところだったぜ」
多々羅はそう言って、三年程前の記憶を思い出す。
乃良が入学した中学で友達が出来たと、嬉しそうにその友達とのツーショットを多々羅に見せつけた時の事だ。
そこに映っていた友達に、多々羅は目を丸くする。
乃良の横に不機嫌そうに映っていたのは、紛れもなく英徳だったからだ。
彼は一体何者だと、多々羅は乃良に問い詰める。
しかし乃良はただの勉強オタクの中学生だと言って、不自然に詰問する多々羅に疑問符を浮かべていた。
他人の空似とは、正にこの事なのだろうか。
もっとも、この一件を乃良は覚えていないだろう。
しかし多々羅にとっては、とても忘れ難い記憶となった。
そのおかげで、博士との初対面で多少驚きはしたものの、腰を抜かすという失態は犯さずに済んだのだから。
「まっ、実際関わってみれば、ノリとは似ても似つかない別人だったけどな。お前はガリ勉で、プライドの高い頑固者で」
ふと多々羅は、パイプ椅子に項垂れる博士に目をやる。
「……似てるとこといえば、同じ相手を好きになった事くらいか?」
「!」
前触れもなくそう言った多々羅に、博士はとうとう顔を上げる。
「……知ってたのか」
「舐めんなよ。俺はそういうとこ結構目敏いんだよ」
多々羅は少し自慢げに、腕を組んで胸を張る。
しかし博士には、その胸の奥が透けて見えていたようだ。
「……嘘吐け。どうせ乃良に教えられたんだろ」
「ギクッ」
あまりの図星に、多々羅は擬音をそのまま声に出す。
「まぁ別に、隠してる訳じゃねぇから良いんだけどよ」
どこかバツが悪そうな顔をしている多々羅を宥めるように、博士が口にする。
それでも博士の表情が一向に晴れる兆しを見せないのは、その要因が全く別の部分にあるからだった。
多々羅はそれを察して、博士に声を投げる。
「……今のあいつが花子かさゆりか。それは俺にも分からねぇ。でもただ一つ言えるのは、今までの花子が居なくなった訳じゃねぇって事だ。今はそう考えるだけでも良いんじゃねぇか?」
今居る彼女は花子か、それともさゆりか。
きっと彼女は花子であり、そしてさゆりでもあるのだろう。
今までの花子に、さゆりの記憶が上書きされているイメージだろうか。
そしてその記憶には、きっと彼女の好きだった人間も上書きされている筈だ。
「……そうかもな」
そう考えると、博士はそんな虚ろな返答しか出来なかった。
●○●○●○●
体育館倉庫を後にした博士は、一人オカルト研究部の部室へと歩いていた。
知らぬ間に窓の外は暗くなっており、静かな校舎に博士の足音が響く。
正直、今の博士は部室に行く事に気が引けていた。
仮入部だった頃の理由とは訳が違う。
今はあの終始お祭り状態の様な部室に居る事が、どうも胸の黒い部分を一際黒くさせるような気がしていた。
そう思っているうちに、博士は部室の前に着いてしまう。
博士は諦めるように息を吐いて、その扉に手を掛けた。
「ハカセ!」
「「「「「トリックオアトリートォ!」」」」」
開いた瞬間解き放たれたクラッカーの発砲音に、博士は硬直する。
目の前に現れたのはお祭り状態などではなく、本物のお祭りだった。
部室はなにやら不気味な飾り付けで彩られており、部員達の見た目も制服ではなく不思議な装いをしていた。
「……はぁ?」
事態が呑み込めず、博士がそう声を漏らす。
そんな博士に追い打ちをかけるかの如く、代表して千尋が博士に距離を詰めた。
「ほらハカセ! お菓子くれなきゃイタズラしちゃうぞ!」
「なにやってんだよお前ら」
千尋の近接攻撃も、博士には不発に終わった。
「なにって、今日はハロウィンだよ! ハロウィンパーティーに決まってるじゃん! 去年も皆でやったでしょ!?」
そう、本日は十月三十一日、ハロウィンである。
オカルト研究部では部員全員仮装をしてはお菓子を持ち寄るハロウィンパーティーが、毎年の恒例行事となっている。
昨年も参加している筈の博士だったが、元よりイベントに疎い博士はすっかり失念していた。
「あぁ、そういやそんなのあったな」
「ほら見て見て!」
千尋はそう言って、くるりと博士の前で体を一回転させる。
白の戦闘服とも言えるナース服を身に纏った千尋の露出した肌には、血痕の赤と腐食の緑がところどころに入り混じっていた。
「今年のテーマは、『最後までゾンビ化を解く解毒剤の開発を研究していたけど、寸でのところでゾンビに噛まれてしまい、戦線離脱を余儀なくされたナース』だよ!」
「相変わらずクオリティ高いな」
「俺はね! 化け狐!」
「お前は頑なに猫から離れんのな」
千尋とは打って変わって、乃良は和装に猫耳を生やしただけであり、普段とこれといった変化が見られなかった。
博士に仮装を見せて満足したのか、千尋は満面の笑みで博士に手を差し出す。
「はい! だからトリックオアトリート!」
「あぁ? お菓子なんて持ってねぇよ」
博士の手元にあるのは精々参考書程度だった。
「はぁ!? なんで持ってきてないの!」
「だから今日がハロウィンなの忘れてたって言ってんだろ? そもそも覚えてたとしても、お菓子なんざ持ってきてねぇけどな」
「なんですとぉ!?」
「まぁまぁ」
乃良は激昂して頭から湯気を湧かす千尋を宥めると、ぐっと博士の肩に腕を回す。
そして誰にも聞こえないような声で、そっと博士に耳打ちした。
「ハカセ、お前もちょっとは楽しめよ」
「はぁ? なんで俺が」
「お前、ここんとこずっと悩んでんだろ?」
突然核心に踏み込んできた乃良に、博士は思わず言葉を失う。
「あの日からずっとそうだ。どうせ花子の事でなんか考え込んでんだろ? 別にその事について俺から訊きやしねぇよ。ただ、皆も薄々気付いてる。お前がなにかについて、ずっと悩んでるって事に」
博士と長く時間を共にしている間、博士の胸中が皆も読めるようになったようだ。
一番長く共にしている乃良程、確信には迫っていないようだが。
「折角のイベントなんだ。今日ぐらいはなにもかも忘れて楽しもうぜ。皆の為にも、自分の為にも、そして、花子の為にも」
不意に花子の名前を出され、博士はふと顔を上げる。
花子の姿を探すと、それはすぐに見つかった。
花子はなにやらオレンジ色の被り物をしており、その傍を小春と賢治の一年生組が固めている。
「零野先輩はなんの仮装してるんですか?」
「……かぼちゃ」
「もっと他にあったでしょうに……」
小春は大きめの黒いワンピースを纏った魔女に、賢治は額に札の貼ったキョンシーに扮している。
そんな二人に挟まれた花子は、確かに異様だった。
視界の奥には去年仮装に参加していなかった百舌も、今回は包帯を体中に巻いて参加している。
誰もがハロウィンというイベントを存分に楽しんでいるようだ。
そして、花子が誰よりも楽しんでいるように見えた。
「……そうだな」
そんな花子を見て、博士も表情を崩す。
久し振りに見た博士の笑顔に、乃良も口角を吊り上げた。
「よぉし! 持ってきてないんじゃあ仕方ない! ハカセにはイタズラを執行するしかないようだね!」
「はぁ?」
唐突な千尋の執行宣言に、博士は顔を歪める。
「お菓子を持ってこなかったハカセが悪いんだからね! 恨むんなら自分の非行を恨みな!」
「ふざけんな。誰がイタズラなんか」
「乃良! 逃がさないようにしっかり捕まえといて!」
「イェッサー!」
「おい!」
博士がその場から離れようとするも、肩に腕を回していた乃良ががっちりと博士の体をホールドする。
これで博士の退路は、完全に断たれてしまった。
「さぁて、どうしてやろうか」
「ちょっ、待っ! やめろって!」
「髪型モヒカンにする?」
「背中に鯉のタトゥー掘る?」
「眼鏡黒塗りにしてサングラスに作り替える?」
「全部イタズラの度が過ぎてんだよ!」
「よし、全部しよう!」
「それが良いですわ」
「ハカ先輩、動かないでくださいねー」
「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
怪奇な夜に、オカルト研究部の部室からそんな断末魔が轟く。
博士が部員総出で悪戯を施されるのを、花子はかぼちゃの被り物を外して見つめていた。
本気で抵抗する博士に苦悩の影は一切見当たらず、花子は人知れず、ふっと無表情を緩めていた。
笑顔にならなきゃイタズラしちゃうぞ!
ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!
今回の前半は、ハカセと多々羅の二人きりの会話劇から始まりました。
全ての真相を知っていた状態で物語が始まった多々羅の、答え合わせといった感じでしょうか。
乃良の件も含め、物語の序盤では隠されていた真実を全て把握していたので、多々羅を書く時は矛盾が生まれないように気を付けて書いていました。
その部分を少しでも打ち明けられたのは、個人としては嬉しいですかね。
そして本題であるハロウィン回。
一年目のハロウィンを書くと決めた時点で、二年目のハロウィンは丁度花子の過去が明かされた後だなーと考えていました。
その時は、きっとハカセの心が病んでいる筈だ。
ならここは敢えて部員の皆でバカ騒ぎしてもらうしかない!
と、部員総出でハカセを強制的に元気づけてもらいました。
言ってしまえば昨年のハロウィンは今回に向けての伏線だった訳で、こちらも長年の伏線が見事回収されました。
さて、そんなこんなで十月が終了。
そして物語の終了も、だんだんと視界に捕えられるようになりました……。
次回もどうぞお楽しみに。
それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!




