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【236不思議】Endroll

 真実を知った日から一夜明け、また次の一日が訪れた。

 逢魔ヶ刻高校、早朝の二年A組には続々とクラスメイトの顔が集まってくる。

「花子ちゃーん!」

 登校してきた千尋は、教室に花子の影を見つけるや否や、花子に駆け寄って抱き着いた。

 出会って早々の強襲に、花子は抵抗する暇無く捕縛される。

「昨日大丈夫だった!? なにか怪我とか、嫌な思いとかしなかった!? ハカセにその気に乗じてなにか変な事されなかった!?」

「おい」

 どさくさに紛れて聞こえてきた冤罪に、千尋と同じタイミングで到着した博士が自席に鞄を置きながら反応する。

 ただ懸命に花子に問い詰める千尋の表情は、本当に心配した様子だった。

 目の下に出来たクマからは、その心配の度合が窺える。

 しかし、そんな千尋の心配を無に帰すかの如く、千尋に抱きかかえられた花子の無表情がふっと緩んだ。

「……うん、大丈夫」

 眼前で覗いた花子の顔に、千尋は目を疑う。

 それは確かに無表情だった。

 しかしいつもの花子の冷たい無表情などではなく、どこか温かみを感じられる様な、そんな無表情だった。

「……花子、ちゃん?」

 間違いなく同一人物である筈なのに、人違いの様な錯覚をして、千尋が首を傾げる。

 違和感を覚えていたのは、乃良も一緒だった。

 乃良は気になって、博士の様子を窺う。

 博士の横顔は全てを察しているような、そんな顔をしていた。

 やはり昨日というたった一日で、花子になにかしらの変化があったようだ。

 花子の過去。

 その全貌を尋ねようとしたその時、

「はーい、席に着いてー」

 と、扉を開けて入ってくる馬場の声が聞こえ、乃良と千尋の疑問は喉元に留まって唾と共に呑み込まれた。


●○●○●○●


 放課後。

 今日のオカルト研究部部室に、毎日の様に轟く喧騒は聞こえない。

 一同、口を閉じて一日振りの花子に視線を注いでいた。

「……それで、どうだったんだよ。昨日の話」

 部員全員の気になっていた疑問を代弁するように、乃良が博士に向かって投げかける。

 博士の眼鏡の奥の視線は、正面の机の上を彷徨っている様だった。

「……あぁ、分かったよ」

 重かった口が、ゆっくりと開き出す。

「花子がどうして死んだのか、どうやって幽霊になったのか、そのなにもかも」

「「「「「!」」」」」

 長らく解けないままでいた謎が解明され、部員達は全員目を見開いた。

 常に読書の片手間に耳を傾ける百舌も、今日は本を閉じている。

 すると今度は、花子の傍に座っている千尋が恐る恐ると口を開いた。

「……それって、私達も聞いて良いのかな?」

 花子の過去、それは全員が興味を持つ内容だ。

「勿論! 花子ちゃんが嫌だって言うなら、私達も無理に聞かないよ!? ずっと秘密にされてきた事なんだから、きっとデリケートな内容なんだろうし、私達は知らなくても、花子ちゃんと一緒に居られるだけで、それだけで楽しいから!」

 取り繕うように、千尋は早口気味に言葉を並べる。

 それはきっと本心なのだろうが、その隙間からは隠し切れない興味も覗いて見える。

 その興味に気付いても、博士の口からは決して真実は語れなかった。

「……ううん」

 しかし、花子の口が開かれる。

「千尋にも、皆にも知って欲しい。私が……花子になった経緯を」

 そう口にする花子は、どこか異様だった。

 目の前に座るのは間違いなく花子なのだが、そこから漂う雰囲気はどこか柔らかい別人の匂いが感じられる。

「花子……」

 博士が心配したように花子に声をかける。

「大丈夫」

 花子は、そう博士に声を返した。

「私は大丈夫」

 そう答えられては、博士ももう返す言葉を失ってしまった。


 こうして、花子はオカルト研究部の部員達に、昨日判明した全ての事実を打ち明けた。

 自分は生前凛野さゆりという人間だった事。

 七番目の禍である逢魔と出逢い、命を懸けたゲームを行った事。

 そのゲームに敗北し、大切なものを守るべく自らの命を犠牲にした事。

 トイレの花子として、逢魔ヶ刻高校の七不思議となった事。

 それは全て先日英徳から聞いた話と同じ内容だったが、どこか別の話の様に聞こえたのは、その話の全ての視点が当事者になっていたからだろう。

 部員達は相槌もなく、ひたすらに花子の話に耳を澄ませていた。

 賢治は瞬きもろくにせずに花子を見つめ続け、小春は時折絶句していた。

 部室全体が、花子の話に呑み込まれていたのだ。

「……とまぁ、ざっとこんな感じかな」

 上手な話の纏め方が分からず、花子が雑に物語の結末を迎える。

 全てを聞き終えた後も、部員達は何を口にすれば良いか悩んでいる様子だ。

 人の死を用いた話だ。

 それもその死は目の前のストーリーテラーに訪れたものなのだから、言葉を失うのも無理ないだろう。

 花子自身も、次に口にする言葉を模索しているようだった。

 そんな中、千尋がぎゅっと花子の体を包み込む。

「!」

 突然の抱擁に、花子は硬直する。

「ちひ、ろ?」

 たどたどしく名前を呼ぶが、肩に顔を埋める千尋に反応はない。

 その抱擁は今朝の様な突撃的なものではなく、そっと花子に温もりを与える毛布の様なものだった。

「……辛かったね」

 ぽろりと千尋が口にする。

「ごめん、当時の花子ちゃんの気持ちがどんなものだったのか想像してみたけど、私には見当もつかない。だから、辛かったねとか、怖かったねとか、そんな抽象的な言葉しかかけてあげられない。……ごめんね」

 花子の体を結ぶ腕が、ぎゅっと引き締まった。

「……でも私は、今こうして花子ちゃんと友達になれて、すっごく幸せだよ? だから、上手く言えないけど、花子ちゃんも私と同じように思ってくれていたら、私は嬉しい」

 千尋の瞳には大粒の涙が滲んでいた。

 それを引っ込めようと鼻を啜り、嗚咽を塞ぐように口を花子の肩に当てる。

 不器用に伝えられた言葉は、確と花子の胸に届いていた。


「……うん。私も、千尋と友達になれて幸せだよ」


 花子の言葉を耳元で聞いた時、千尋の我慢の糸はゆるりと解かれた。

「……うっ、うぐっ、うわぁぁぁぁぁぁぁ!」

 子供の様に赤裸々に泣きじゃくる千尋。

 そんな千尋に、花子は表情を崩して背中を擦った。

 まるで自分の事の様に涙を流してくれる千尋に、花子の心も揺さぶられていた。

「……あれ、ハカセは?」

 二人の抱擁を見守っていた乃良が、ふと気になって部室に目を回す。

 眼鏡の奥に常駐する目付きの悪いその二つの目は、知らぬ間に部室から姿を消していた。

「そういえば居ないですね」

 思い返してみれば、花子が語っていた最中から居なくなっていたかもしれない。

 消えてしまった博士の影に、乃良は少し嫌な予感を働かせていた。


●○●○●○●


 屋上を吹く風からも、気付けば秋を感じられるようになっていた。

 黒のスーツを身に纏った男がその風を独り占めしていると、人知れずキーッと軋んだ扉の開く音がする。

 振り向くと、そこには決別した筈の博士が居た。

「博士君……」

 突然の来訪者に、逢魔は目を疑う。

 しかしその目は、直ちに歓迎の色へと塗り替わった。

「いやぁ、嬉しいよ。また君に会えて。もう君には会えないと思っていたから」

 再会に昂って舌を回す逢魔に、博士が返答する素振りはない。

「タタラ達七不思議からね、君を含めた全ての人間に関わる事を禁止されたんだ。だから、君のもとに会いに行く事が出来なかったんだよ。でもこれなら良いよね。別に僕から関わりに行った訳じゃないんだし」

 博士は逢魔の声を擦り抜けて、着実に歩み寄っていく。

「ねぇ博士君。僕と話そうよ。僕は君と話したい事がいっぱい」

「おい」

「ん?」

 逢魔の眼前まで来て、博士は足を止めた。

「ちょっと歯ぁ食い縛ってろ」


 瞬間、博士の握った拳が逢魔の左頬に向かって飛び込んでいった。


 突然の襲撃に、逢魔は為す術無く直撃する。

 予想の範囲外から迫ってきた不意打ちはあまりにもダメージが大きく、逢魔は体勢を崩して床に倒れ、腰部に追い打ちを畳み掛けてきた。

「痛た、随分と手厳しい再会だなぁ」

 そう言って頬を擦る逢魔の表情は、依然旧友とじゃれ合っている時の様に見えた。

「五月蠅ぇ、こうでもしねぇと俺の気が収まんねぇんだよ」

 慣れない本気の暴力に、博士は拳を解いて軽く払う。

 床に這い蹲る逢魔を見下すその目は、まるで塵でも見ているかの様だった。

「花子の件も、さゆりの件も、俺は絶対お前を許さねぇ」

「さゆり?」

 久方振りに聞いたその名前に、逢魔は首を傾げる。

「……あぁ、君も聞いたんだね。あの日の事」

 口にした『あの日』の事を思い出してか、逢魔は恍惚とした表情を浮かべた。

「あれは本当に最高の瞬間だったよ。今でも瞼を閉じれば鮮明に思い出せる。彼女の美しい死に際。八十年が経った今でも、あれ程美しい命の輝きを見た事は一度も無いよ。あれだけ最高の瞬間を楽しめたんだ。今更君に許してもらうつもりはないよ」

 聞けば聞く程、腹の奥底の気分が悪くなる。

 博士は再度逢魔に殴り掛かりたくなる衝動に襲われたが、なんとか矛を鞘に納めた。

「……俺もその方が助かるよ」

 くるりと博士は体を翻し、屋上の出口へと足を進める。

「えー、もう帰るのかい?」

「用も済んだしな」

 逢魔の頬に一撃与えたところで、博士の用件は既に完了していた。

 しかし、気を改めて博士の足が止まる。

「……これだけは覚えてろ」

 そう前置きをして、博士は首だけを立ち上がっていた逢魔の方向へと回した。


「もしまた花子に近付いたら、その時はテメェを殺してやる」


 突飛な発言に、一時逢魔は硬直した。

「……おかしな事を言うな。知ってるだろ? 僕は死ぬ事の出来ない不老不死だって」

「知るか。どんな手段を使ってでもぶち殺してやる」

 おどけたように笑う逢魔に、博士は淡々と殺意を吐く。

 それは決して冗談の声色などではなかった。

「……そっか、それは気を付けないとね」

 博士の言葉を本気と断定して、逢魔はそう返答する。

 どこかこちらを揶揄っているような逢魔に苛立ちはしたが、博士はそれ以上口にする事なく屋上の扉を閉めた。

 これで今度こそ、逢魔が博士と対面する事は二度とないだろう。

 そして、花子とも。

 それでも逢魔は、寂しいという感情が全く湧かなかった。

「……ふふっ、ふははっ」

 逢魔は屋上で一人笑みを溢す。

 それは先程の子供じみた脅迫をしてきた博士を思い出してか、それともこれからの博士の愉快な明日を想像してか。

「君は本当に面白いなぁ、博士君」

 一頻り笑って、逢魔は目尻に浮かんだ涙をそっと拭う。

「君を見てるだけで、僕も退屈しないで済みそうだよ」

 そんな逢魔の独り言は、屋上の風に攫われて秋の空へと溶け込んでいった。

決別の時。

ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!


今回は前回までの花子過去編の後日談です。

花子が昨日判明した自身の過去を、部員達に打ち明ける回となりました。


前回から花子は明らかに変化しており、そこらへんの微妙なニュアンスを書き分けるのに苦労しましたね。

しかし花子は良い友達を持ちました。

自分事の様に泣いてくれる千尋に、僕としてもどこか救われた気持ちになりました。


そして、後半のハカセと逢魔。

ハカセが逢魔に殴り掛かるというシーンだけは前からあって、そこをどこに組み込もうかと考えていました。

随分前のハカセ編の時にしようかとも思ったんですが、見送って今回に組み込む事に。

作中でも書いていますが、これ以上逢魔がハカセ達に関与してくる事は一切ありません。

というか、僕がもうそんな話書きたくありません。

逢魔が改心する事は万が一にもないと思いますが、今は屋上で一人退屈に過ごしてもらうとしましょう。


それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!

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