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【235不思議】名のない花

 一名の死者を出した逢魔ヶ刻高校は、急遽当面の間休校となった。

 噂話が好物な生徒達の間では、屋上から飛び降り自殺をしたという生徒の話題で持ちきりである。

 何故彼女は屋上から身を投げたのか。

 教師も目を背けるようなイジメを受けていたとか、聖人も耳を塞ぐようなバイトをしていたとか、着色のある憶測が飛び交うも真相は闇の中。

 現場をこの目で見ていた一人の男子生徒でさえ、その理由は分からなかった。

 ただ一人、彼だけは予想がついていた。

 凛野さゆりが飛び降りたその原因に。

「お前だろ」

 タタラは相手の胸倉を掴み、憤りを込めた顔面を眼前に突きつける。

 休校中の校舎は静かなもので、屋上には風の横切る音だけがこだましていた。

 胸倉を掴まれた逢魔は、どうも平然とした様子でタタラを宥める。

「ちょっ、ちょっとタタラ、いきなりどうしたの?」

「今思えば、さゆりの様子がおかしくなったのはお前と会わせた時ぐらいからだ。お前がさゆりになんかいらねぇ事吹き込んだんじゃねぇのか?」

 刑事も顔負けな迫力で、タタラは問い詰める。

 どれだけ誤魔化しても決して逃がさないといった覚悟を見せるタタラだったが、逢魔の自白は意外とあっさりしていた。

「……あぁ、そうだよ」

「!」

 瞬間、タタラの怒りが弾け飛ぶ。

「僕が退屈しのぎにさゆりにゲームを持ちかけたんだ。さゆりの命より大切なものを、僕が当てる。もし当てたら、僕はその大切なものを壊す。それがゲーム。それで僕はさゆりの命より大切なものをズバリ言い当てた。そしたらさゆり、大切なものを守る為に自分が犠牲になるって言って、だから」

 あまりにも淡々と語る逢魔の口を、タタラが胸倉を掴む両手に力を入れて止める。

 このまま聞き続けていたら、病に侵されてしまいそうだった。

「テメェ、自分がなにしたか分かってんのか!?」

 タタラは距離感を間違えた大声でそう叫ぶ。

 鼓膜がバカになるのを感じながら、逢魔は確かに口を開いた。

「……勿論」

 その不気味な笑みに、タタラは戦慄した。

「僕はこの目でさゆりが飛び降りるのを見たんだ。分かってない訳ないじゃないか。さゆりの死に際は美しかったよ。それはもう、風にそよぐ一輪の華の様に……」

 瞼を閉じれば、今でもさゆりの最期の姿が目に浮かぶ。

 自分が生涯見てきたどの景色よりも美しい絶景。

 その美しさを思い出すと、自然と逢魔の口からは笑みが零れてしまっていた。

「……そういえば、あの子はどうしたの? 英徳君」

 ふと思い出したように逢魔が尋ねる。

 風の噂だが、英徳は家どころか部屋から一歩も動けずに閉じ籠っていると聞く。

 食事も口にせず、ただ起きては寝てを繰り返す毎日だと。

 想い人が目の前で飛び降り自殺は図ったのだ。

 気持ちが分かる、とは口が裂けてもいえないが、塞ぎ込んでしまう理由はなんとなく想像できた。

 この事を全て語る道理はないと、タタラは口を噤む。

 しかし、返ってきたのは粘ついた笑顔だった。

「元気してる?」

「!」

 耐え切れず、タタラは掴んでいた逢魔を屋上の床へと叩きつけた。

 ようやく解放された逢魔だったが、腰を襲った強打にしばらく動けそうにない。

「痛たた、酷いじゃないか」

「黙れ! お前の口にする言葉全てに反吐が出る!」

 逆流する胃酸を呑み込んで、タタラはそう声を荒げる。

 逢魔は仕方がない奴だと言いたげな表情で、一つ息を吐いていた。

「……オーマ」

 覚悟を決めた表情で、タタラは名前を呼ぶ。

「約束しろ」

 名前を呼ばれた逢魔は、タタラへと顔を振り向かせた。

「もう二度と、ノリ達人間とは関わるな。お前とあいつらを会わせた俺が間違ってた。お前は、あっちの世界に関わって良い存在じゃねぇんだよ」

 タタラの宣誓には、確固たる覚悟が宿っているのが分かった。

 対する逢魔は、あまり乗り気ではなさそうだ。

「えー、そこまでしなくても良いんじゃないかなー」

「五月蠅ぇ、お前に拒否権なんざねぇよ」

 約束とは名ばかりの刑執行だ。

「全く、タタラは過保護だなー」

 逢魔は不服そうに口を窄めていたが、すぐにその口角を吊り上げる。

「……良いよ。約束してあげる」

 言質は取ったと、タタラは脳の深くに強く刻む。

「でもその代わり、タタラが僕の遊び相手になってよね」

 その表情は例えるなら、ゲームの対戦相手を父親に強請る子供の様だった。

 そんな無邪気な表情も、タタラに効果は無い。

「誰がテメェの遊び相手になるかよ」

 タタラは冷酷な目で逢魔を見下して、屋上の扉を強く閉ざした。

 一人ぼっちとなってしまった逢魔は未だ床に横たわったまま、冗談の効かないタタラに呆れ笑いを見せていた。


●○●○●○●


 ドンッ!と怒り任せに校舎の壁を殴る。

 殴ったところで、タタラの腹の底から湧き立つ怒りが落ち着く事はなかった。

「……くそっ!」

 逢魔とさゆりを引き合わせたのはタタラだ。

 タタラがさゆりを逢魔と会わせなければ、彼女はまだこの世に生を残していた筈だ。

 さゆりを殺したのは、自分と言っても過言ではない。

 そういった味の悪い罪悪感が体中を駆け巡っており、気を許せばそいつに呑み込まれてしまいそうだった。

 元々逢魔はこのような狂人ではなかった。

 初めて会った時は、礼儀の正しい方向音痴な人間とだけ思っていた。

 しかししばらく会わないうちに逢魔の中で生の価値観が狂ってしまい、逢魔を生に執着する悪魔へと育て上げてしまった。

 確実に死の待っているタタラには分からない倫理だ。

 それでもタタラは、分かりたいとは思わなかった。

 純然たる好奇心で人の命を玩具の様に扱う化け物の気持ちなど、決して分かりたくなかった。

「タタラ君!」

 タタラを呼ぶ声が校舎に響く。

 振り返ってみると、そこに居たのは息を荒らした人体模型というなんとも突飛な怪奇現象だった。

 もけじーは逸る心臓を落ち着かせる暇もなく、慌ててタタラに用件を伝える。


「女子トイレに、凛野さんが!」


●○●○●○●


 これはあくまで推測だが――、

 卑美子が除霊される前日、さゆりが卑美子のもとに駆けて尋ねたのは、幽霊になる為の方法だったのではないだろうか。

 さゆりは逢魔とのゲームで、自らが命を落とすかもしれないという未来を予想していた。

 そんな最悪な未来に、さゆりは予防線を張っていたのだ。

 さゆりも、卑美子も、当事者の消えてしまった今、真相は闇の中だが。

 慌てた足取りで、タタラともけじーは教室棟一階の女子トイレへと駆け込む。

 そこで待っていたのは一人の少女。

 ぴったりと直線に揃えられたおかっぱ頭に、死人である事を証明する真っ白な白装束。

 振り返ってみせたその顔は、先日この世を去った彼女と完全に一致した。

「さゆり!」

 タタラがそう名前を呼ぶ。

 しかし、さゆりの反応はどうも鈍かった。


「……誰?」


「「!」」

 さゆりはこちらを見つめて、そうこくりと首を傾げる。

 その顔は間違いなくさゆりと同じものなのだが、表情が凍結されているかの如く無機質だった。

 温かかったさゆりの笑顔はどこにも見当たらない。

 顔は同じなのに、表情はまるで別人だった。

「……私は、誰?」

 さゆりは無表情のまま、相当に混乱しているようだ。

 私は誰だと自問自答しているその姿は、とても猿芝居をしているようには見えない。

 客観視で、本当に記憶を失っていると確信できた。

「さゆり……」

 推測が正しければ、さゆりは自ら命を落として幽霊へと転生した。

 もしかすると無理に幽霊となってしまった反動で、生前の記憶が全て失ってしまったのかもしれない。

 間違いないのは、ここに居るのはさゆりで、さゆりだった頃の記憶を全て失ってしまったという事。

「なっ、何を言っているんじゃ! 君の名前は凛野さゆ」

 もけじーがさゆりに名前を教えようとするのを、タタラが片手で制止する。

 タタラは生前さゆりと話していた会話を思い出していた。

『……私、自分の名前嫌いなんだよね』

『誰にも知られずに道端に咲いているような、名前も知らない花になりたい』

「……花子」

 さゆりの想いを背負って、タタラはそう命名する。


「お前の名前は、花子だ」


 逢魔ヶ刻高校に、トイレの花子さんが降り立った瞬間だった。


●○●○●○●


 八十年後。

 朝から訪れている筈の病室は、知らない間に夕陽が窓から差し込んできていた。

「……今伝えたのは、タタラから聞いた話を織り交ぜたものだ」

 病床に横たわったまましばらく昔話を披露していた英徳は、後日談を語るようにしわがれた声を鳴らしていく。

「……私は、結局学校には行けなかった」

 年のせいか、その声は震え気味だった。

「学校に行くと、どうもあの時の事を思い出してしまってね。三年間家に引き籠もっていたよ。学校は家にテストを送ってくれたりなどして、有り難い事にこんな私にも卒業資格をくれた。タタラは学校に行けない私の為に、私の家まで遊びに来てくれた。他愛のない話や真面目な話まで、本当に沢山の話をしたよ」

 英徳の話を、博士は静かに聞き入る。

 相槌やジェスチャーでの反応を見せる事もなく、ただひたすらに耳を澄ませていた。

「学校を卒業した後は就職をして、恋に落ち、子供を産んだ。その子供が更に子供を産み、私の孫が生まれた。本当、私には勿体ない程の幸せな人生だった」

 歩んできた人生の道のりを思い出し、英徳は口元を緩ませる。

「……さゆりの幽霊が居るというのは、タタラから聞いていた」

 ふっと英徳は口角を下げる。

「何度も会いに行こうと通学を試みたが、私の足は言う通りに動いてはくれなかった。私はさゆりが命を落とすのを、この目で見ていた。私は、何も出来なかった。タタラの言う事が本当なら、さゆりは私の為に命を落としたのだ。好きな女に守ってもらって、一体どんな顔をして会いに行けばいいのか、私には分からなかった。……それでも、今思えば会いに行くべくだった。それが一つ心残りでなぁ……」

 当時の英徳の心情を、博士は分からない。

 分からないが、それが何十年となって後悔となった事は少しだけ共感できた気がした。

「……さゆりは、今も元気にしているのだろうか」

 答えの返ってこない質問を、英徳は窓の外に尋ねる。

 老人には夕焼けは眩し過ぎて、英徳はすぐに目を閉ざした。

「……元気だよ」

 瞬間、返ってこない筈の回答が窓の反対方向から返ってくる。

 回答に驚いたのは、隣に座る博士も一緒だった。

 博士が隣に目を向けると、そこにはずっと一緒に英徳の話を聞き続けていた花子が居る。

 しかしその横顔は、まるで別人の様に感じられた。

「色んな事があったけど、タタラとか、ハカセとか、色んな人に出逢えて、毎日楽しく元気にやってるよ」

 ぎゅっとスカートを掴んだ花子の手に、一滴の雫が落ちる。

 それは紛れもなく花子の瞳から落ちた()だった。


「だから……安心して、ノリ君……!」


 花子は笑顔で英徳にそう告げるも、その瞳からは堰を切ったように涙が溢れ出す。

 嗚咽を漏らして、花子は英徳の倒れる病床に身を寄せた。

 泣きながらそう訴えた花子に、英徳も最初は驚いた顔を見せていたが、その目尻にはひっそりと涙が浮かんだ。

「そうか……、そうか……! なら良かった……!」

 降り注ぐ夕陽が、二人の涙を反射する。

 博士はただそれを眺めるだけだった。

 泣くという感情は、今まで見てきた喜怒哀楽のどれにも当てはまらない、花子が初めて見せた感情だ。

 否、もう彼女は花子ではなかった。

 涙を純粋に流す彼女を、博士はただ見守る事しか出来なかった。


●○●○●○●


 ガタンゴトンと電車は揺れる。

 帰りの電車はまたしても博士と花子の二人しか乗っておらず、静かに二人を帰りの目的地へと送っていた。

 ふと博士は花子に目を向ける。

 花子は相も変わらず、行きと全く同じ姿勢で車窓の海を眺めている。

 夕焼けの海は、朝焼けとはまた違った顔をして美しかった。

 しかし博士が見つめるのは、車窓に広がる海ではなかった。

 大海原に見惚れる花子は、いつもと変わらない無表情。

 数分前まで赤子の様に泣きじゃくっていたその様子は、どこにも見当たらなかった。

 なんとなく、博士は名前を呼んでみる。

「……花、……さゆり」

「花子で良い」

 思い止まって言い直した博士に、花子は海を見つめたまま答える。

「……花子が、良い」

 それは博士の推理が当たっているというなによりの証拠だった。

 博士も視線を花子から逸らして、物思いに耽る。

 英徳から全て明かされた花子――さゆりの過去。

 他人事に聞いていても凄惨な物語だったが、それは博士にとある事実を叩きつけていた。

 ――……花子が好きだったのは俺じゃなくて、俺と同じ顔をした福越英徳さん……。

 以前聞いた乃良の言葉が、不意に蘇る。

『世の中には両想いになりたくてもなれない奴なんてざらにいる。今お前が両想いだって事が当たり前じゃないって事、忘れんなよ』

 ――……くそっ、


 ――結局、俺の片想いじゃねぇかよ。


 博士もふと海の映る車窓に目を向ける。

 夕陽に反射した海は今の博士には眩し過ぎて、博士はすぐに目を背けた。

花子、誕生。

ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!


ぶっちゃけて言ってしまえば、この花子の過去編は当初は全く予定にありませんでした。

執筆以前からどんな話にしようかなと空想していたこの物語ですが、その時にはこの話は構想すらもなかったんですね。


しかし、執筆が始まり第二話で花子が登場した時、これは花子の過去編を書くしかないと思いまして。

そこから花子の過去に対する構想を始めました。

つまりここまで書いてきた物語は、言ってしまえば壮大な後付けだった訳ですね。


どうして花子は命を落とし、幽霊となってしまったのか。

そこを考えていくうちに、七不思議の禍と主人公と瓜二つな少年という、二人のキャラクターが出来上がりました。

後付けな設定ではありますが、これだという確信を得ました。


そんな訳で過去編が終了し、現代に戻って泣き崩れる花子と、電車の中で悟るハカセのシーン。

これも過去編の構想を練る段階で生まれた、ずっと温めていたシーンになります。

今まで基本的には無表情で、時折笑顔を見せる事はあった花子ですが、そんな花子が見せる涙というのはあまりにも新鮮でした。

それは頑なに恋に目を伏せていたハカセの悟りも同じです。

このシーン、この花子編を書くにあたって、二人の成長が実感できた気がして、どこか寂しかったりもします。


さて、過去編は終わりましたが、物語はもう少し余韻が続きます。

次回からもどうぞよろしくお願いします。


それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!

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