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【234不思議】タツナミソウ

 まだ空が白んでいる、朝焼けの逢魔ヶ刻高校の屋上。

 今日はやけに風が強く、耳元を風の切る音が掠め通っていく。

 見下ろせば欠伸を垂らしている生徒が早くも校舎の中に入っていくのが見えるが、誰も屋上に立つ人影の存在に気付かない。

 ふと屋上の扉が、音を軋ませて開かれた。

 漆黒のスーツに袖を通した逢魔は、待ち侘びた来客にゆっくりと振り返る。

 そこに立っていたのは、おかっぱ頭のさゆりだった。

「やぁ、おはよ。さゆり」

 逢魔は表情を緩ませて、暢気に挨拶をする。

 一方のさゆりの表情は、親の仇を見るかの如く強張っていた。

「良かったよ。ちゃんと来てくれて。このまま逃げられたらどうしようかってずっと思ってたんだ」

 逢魔と秘密のゲームを始めてから一週間。

 今日がさゆりの命運を決めるタイムリミットだ。

 どこかほっと胸を撫で下ろした逢魔に、どうせ来なかったら無理矢理にでも引きずり出して来るのだろうと睨むさゆり。

 そんなさゆりの無言の圧力を、逢魔はにへらと躱してみせた。

「……さて、それじゃあ早速答え合わせといこうか」

 逢魔はそう言って、本題に口を滑らせる。

「君の命よりも大切なもの。それはズバリ……」

 数歩屋上を遊歩すると、逢魔はさゆりの瞳にそう断言した。


「英徳君だね?」


 逢魔の回答に、さゆりは口を噤む。

「福越英徳君。君と同じオカルト研究同好会に所属する、逢魔ヶ刻高校の一年生。君は同好会として一緒に活動するうちに、いや、もしかしたら同好会に誘う前からずっと、英徳君に好意を抱いていた。ただの友達としてではなく、一人の異性として」

 好意を抱いたタイミングなど、逢魔にはどうでも良かった。

 大事なのは、さゆりが英徳に特別な感情を持っているかどうかである。

「とにかく、君にとって英徳君は特別な存在である筈だ。それは家族や友達以上に、それこそ、自分の命を投げ打っても良いと思う程の大切な存在……。違うかい?」

 逢魔はさゆりに、当否の判断を窺う。

 さゆりは逢魔に顔を向けようとせず、屋上の床に目を落としたまま唇を強く噛み締めている。

 その姿は、暗に逢魔にその回答が正解である事を立証していた。

「……その沈黙は、僕の答えが正しかったって事で良いかい?」

 念を押して、逢魔はそう確認する。

 しかし屋上で初めてさゆりの口から吐かれた言葉は、逢魔の確認に対しての否定でも肯定でもなかった。

「……お願い」

 風に吹かれて消えそうな声に、逢魔は耳を澄ませる。

「ノリ君を……殺さないで」

 それは藁にも縋る様な切望だった。

 さゆりのこの世で一番、命よりも大切なものを見つけ出し、それを破壊、または殺害する。

 それが逢魔の宣告したゲームのルールだ。

 たった一度の回答権でずばり正解を的中させた逢魔は、次に英徳の殺害に走るだろう。

 ゲームの初日、黄昏の屋上で躊躇いなく鴉にナイフを刺した逢魔を見れば、その狂気的な行動も簡単に想像できてしまった。

 ここで止めなければ、英徳は殺されてしまうのだ。

「……それは無理な相談だって分かっているだろ?」

 さゆりの切望を、逢魔は容赦なく切り捨てる。

「君の命よりも大切なものを当てられたら、僕がそれを破壊する。それがこのゲームのルールだった筈だ。君の大切なものを当てた今、僕はそれを壊し」

「その代わり!」

 逢魔の言葉を遮って、さゆりが力強く声を出す。


「……私が死ぬ」


 そう宣言したさゆりに、逢魔は目を見開いた。

「貴方が知りたいのは、大切なものを自分を犠牲にしてまで守ろうとする命の輝きとやらでしょ!? だったら私は、この命を貴方に差し出してノリ君を守る! だからノリ君には手を出さないで!」

 力の籠ったさゆりの直訴。

 逢魔は顔の上がったさゆりの瞳に焦点を合わせた。

 確かな恐怖はあるものの、それが霞んで見える程に熱く燃え滾る覚悟の炎。

 それを見れば、さゆりの言葉が本気である事は瞭然だった。

「……本気かい?」

 分かった上で、逢魔は尋ねる。

「君は僕のように不老不死じゃないんだ。一度死ねば二度と生き返れない。君の大切な英徳君とも、会う事は叶わないんだよ?」

 その言葉に、さゆりは英徳の顔を思い浮かべる。

 不甲斐なくも優しく笑う英徳の笑顔にさゆりの炎が少し揺らぐも、決意が揺らぐ事は決してなかった。

「……ノリ君が生きてくれるのなら、それで」

 さゆりの覚悟に、逢魔は口角を吊り上げる。

「そっか」

 すると逢魔はさゆりと直線上に並んでいた立ち位置から、少し左に逸れた。

 逢魔が視界から逸れた事により、さゆりの視界に屋上の景色が飛び込んでくる。

 こんな高い場所から景色を眺める事もないので、鳥にでもなった気分だ。

「それじゃあさ、ここから飛び下りてよ」

「!?」

 逢魔の言葉に、さゆりの心臓は飛び跳ねる。

 驚愕を露わにするさゆりを前に、逢魔は飄々と事の心意を曝け出した。

「だって、僕が君の命を奪うのは簡単じゃないか。僕は君が英徳君を守る為に自ら命を投げ出すところが見たいんだよ」

 不死という才能は、ここまで人を狂わせるものなのか。

 平然と口にするその表情が、さゆりの不快感を更に煽らせる。

 しかし英徳の命が懸かっている以上、ここで反発する訳にもいかずに、さゆりは一歩足を踏み出した。

 一歩、一歩と屋上の端に近付いていく。

 ただ歩いているだけなのに、その先は確実に死へと続いている。

 ここまで足を重く感じたのは、生まれて初めての体験だ。

 端に辿り着いて、さゆりは下を見下ろしてみる。

 三階建ての屋上。

 昇降口に吸い込まれていく生徒達はまるでゴミの様で、植物やライトもミニチュアサイズに見えた。

 ここから真っ逆様に落ちれば、さゆりの命程度一瞬で塵になるだろう。

 ごくりと飲み込んだ唾は、味がしないのに何故か不味かった。

 さゆりは震える足に鞭を打って、小学生でも飛び越えられる様な簡素な塀に足をかける。

 両足を乗せた時、屋上に吹く風が更に強くなった気がした。

 あと一歩踏み出せば、この世界とはおさらばだ。

 たった一歩の簡単な事なのに、その一歩がとてつもなく難しいように思えた。

 子供ながらに死を覚悟してここにやって来た筈だったのだが、いざその場に立つと覚悟なんてものが見栄っ張りな虚勢である事に気付かされる。

 それでも、さゆりは覚悟を決めなければならない。

 彼を守ると、そう決めたのだから。


「……さゆり?」


「!」

 名前を呼ばれ、さゆりは慌てて振り返る。

 屋上に立っていたのはここに居る筈のない、たった今思い浮かべたばかりの人物だった。

「……ノリ君」

 何故英徳がここに居るのか見当もつかない。

 それは英徳も一緒だった。

「今朝学校に来たら靴箱に『すぐに屋上に来るように』って書き置きがあって、それで来てみたら……どうしてさゆりが居るの?」

 そんな書き置きを書く人物は、一人しか心当たりがない。

 差出人である逢魔は、英徳の背後で愉しそうにほくそ笑んでいた。

 そもそも逢魔は答え合わせの後、英徳を殺害しようと企んでいたのだ。

 さゆりの絶望の淵を観察する為に、さゆりの目の前で殺すつもりだったのかもしれない。

 すぐ後ろに居るにも関わらず、英徳が逢魔の存在に気付く素振りはない。

 それよりも英徳は、目の前の現状に思考を絡め取られていた。

「……どうしてそんなとこ立ってんの」

 屋上の塀の上で佇むさゆり。

 そこに立ってこれからしようとする事など、一つしか思い浮かばなかった。

「下りなよ。危ないよ?」

 英徳はさゆりにそう優しく声をかける。

 それでもさゆりは、塀から足を下ろそうとはしなかった。

「早く下りなよ!」

 一向に下りようとしないさゆりに、英徳は声を荒げた。

「最近さゆりおかしいよ! 全然体育館倉庫に遊びに来ないし、俺の事なんか避けてるみたいだし! 俺なにかした!? なにかあるんだったら俺に言って欲しい! 直して欲しいところとか、悩み事とか、なんでも良いから言って! じゃないと分かんないよ!」

 それは数日前から英徳がずっと腹の内に籠めていた本音だった。

 不自然にこちらに接触してこないさゆりに、英徳は違和感を覚え、ストレスを募らせていった。

 それでもなにか理由があるならと目を瞑ってきたが、それも我慢の限界だ。

「嫌なところがあったなら直すから! なんでも相談乗るから! だから!」

 英徳の頬を、一縷の涙が伝う。

「……そこから下りて、話聞かせてよ」

 魂を振り絞った様な英徳の説得に、さゆりの決意が揺れる。

 一度零れた涙は止まる事を知らず、英徳の眼鏡の隙間から大量の涙が堰を切って溢れ出した。

 そんな英徳の背中を擦ってあげたいと、さゆりは右足を浮かせる。

「!」

 しかし、その足はすぐに止まった。

 英徳のすぐ後ろ。

 そこに立つ逢魔の手元に、光り輝くポケットサイズのナイフが見えたからだ。

 ナイフの刃先は、嗚咽を漏らして泣きじゃくっている英徳の首筋を狙っている。

 迷えば殺す。

 そう静寂の中で脅迫されている事は明白だった。

 この場所に来た時点で、否、逢魔と出逢ってしまった時点で、さゆりの逃げ場などなかったのだ。

「………」

 さゆりの瞳からも、涙が一滴落ちる。

 それでも折角の最期、さゆりは泣いて終わりたくなどないと、制服の裾で強く両目を擦った。

 どうせ最期なら、笑って終わりたいと。

 どうせ最期なら、君に想いを伝えたいと。


 風が強く吹いている。

 空き缶を吹き飛ばす様な荒々しい屋上の風は、塀の上に立つさゆりの髪を荒く靡かせた。

 英徳は使い古した雑巾みたく、ぐちゃぐちゃに泣いている。

 一方のさゆりは、塀の上にも関わらず、いつもと変わらない笑顔を見せていた。

「ノリ君!」

 さゆりの声に、英徳は顔を上げる。

 涙の止まらない英徳の視界では、ろくにさゆりの顔立ちも確認できなかった。

 しかし彼女は、

 英徳の滲んだ視界でも、一歩でさよならな死の際でも、

 ただ、美しかった――。


「大好き」


 そう言い残し、さゆりはベッドに体を預ける様に、英徳の視界から消えていった。


「さゆり!」

 英徳はなんとかさゆりを止めようと、その場から走り出す。

 しかし、既に視界から消えてしまったさゆりを止める手段などどこにもなく、英徳の伸ばした掌は空を掴んだ。

 代わりに、バシャッとなにかが弾けた音が、下から微かに聞こえてくる。

 次に聞こえてきたのは、複数人の重なった甲高い絶叫だった。

 突如空から落ちてきたそれに、地上は大混乱のようだ。

 しかし、そんな大混乱もフィクションの世界に感じられる程に、今の英徳の精神は荒んでしまっていた。

「……あっ」

 目の前で好きな人が飛び降りた。

 自分はなにも出来なかった。

「ああっ」

 信じたくないが数秒前に体験した出来事はあまりにも現実的で、夢だと疑う隙がただの一つも見当たらなかった。

 その背後に立つ、黒いスーツ姿の逢魔。

 逢魔はさゆりの飛び降りる直前の姿を、その両目に焼き付けていた。

 何度も恋い焦がれてきた命の輝き。

 見つめ過ぎると失明してしまうのではと思うくらい輝いていた生の瞬間に、逢魔の表情は猟奇的に崩れていた。

 ――あぁ、美しい……。

 待ち望んでいたそれに遂に出逢えた喜びに、逢魔はこれから幾日か退屈しないで済むだろうという実感を得ていた。

 しかし、英徳は違った。

 英徳は、最早明日さえも見えなくなっていた。

「ああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 喉の機能を全て潰す勢いで、英徳はそう絶叫する。

 英徳の絶叫は朝焼けの校舎に轟き、地上で起こる大混乱の渦に溶け込んで、誰にも知られぬままに消失していった。

あまりにも美しき、さゆりの最期。

ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!


とうとう今回、さゆりと逢魔の直接対決となりました。

花子の過去編という事もあり、彼女が命を落とす事はお分かりいただいた上での話だったと思いますが、それでもこの話を書いている時は流石に苦しかったです。


今回、以前書いていた文の踏襲をしていた事には気付いていただけたでしょうか。

百七十九話の花子と逢魔が対面した時の回想ですね。

あのシーンは、いずれそのシーンを丸々過去編で使うつもりで書いていたので、結構力の入っていた文章だったりします。

その分、良い構成になったかなと思うので、伏線も回収できて満足です。


さて、こうして命を落としてしまったさゆりですが、過去編はもうちょっとだけ続きます。

次回、過去編最終回。

そして物語は、現代へと戻っていきます。


それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!

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