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【233不思議】シオン

 そして、遂にその日はやってきた。

 空には雲一つ浮かんでおらず、眩しいくらいに降り注ぐ月光のおかげで、屋内は蛍光灯をつけずともそれなりに明るかった。

 昼間とは真逆の閑散を見せる校舎からは、二人分の足音が聞こえる。

 一人は眼鏡を掛けてネクタイを締めるスーツ姿の男性。

 もう一人は真っ白な袴を身に纏い、首から九字の記された数珠のネックレスを下げる、どうにも胡散臭い男性だった。

 聞かずとも分かる、どう見ても依頼を受けた霊媒師だ。

「こちらです」

 案内役の教師がそう言って足を止めたのは、一階の女子トイレ。

 霊媒師は到着した目的地を俯瞰で眺めると、無言のままトイレの中へと侵入する。

 用があるのは最奥の個室だ。

 特に変哲のないただの便器とトイレットペーパーがあるだけの個室だったが、霊媒師にはそこから漂う霊気が確かに感じられた。

「……案内ご苦労だった。もう下がって良い」

「えっ?」

 続いて入ってきていた教師は、霊媒師の言葉に間の抜けた声で返す。

「いやっ、でも」

「除霊というのは、我が神経を削る様な儀式だ。人の目が一つでもあれば、集中が乱され除霊が成される事はない。私と共に入った校舎の入口で待っていなさい。除霊を果たしたら、私もそこまで戻るとしよう」

「はぁ……」

 正直に言えば、夜の校舎を一人で歩くのは心細い。

 そんな恐怖心で一向に足を動かそうとしない教師に、霊媒師は喝を入れる。

「ほらぁ! さっさと戻らんか!」

「はっ、はいぃ!」

 突然の怒号に、教師は擦れた眼鏡の調整もしないままトイレを飛び出していった。

 徐々に遠くなっていく足音に、霊媒師は溜息を吐く。

「……ほれ、もう出てきて良いぞ」

 どこに掛けられたか不明な言葉。

 しかしその言葉に反応して、女子トイレの用具入れの扉が確かに開いた。

 中から出てきたのはタタラ、英徳、そしてさゆりだった。

「……見学って、もしかしてご法度ですか?」

 先程盗み聞きしていた会話を思い出し、さゆりが恐る恐る霊媒師にそう尋ねる。

「私は歳月にしておよそ七十年間、この仕事で飯を食ってきたのだ。今更何人から目を向けられようと、私の仕事に支障が出る事はない。さっきのは彼奴をここから追い出す為のホラだ。彼奴がここに居ては、貴様らがなかなか出てこれなかっただろう」

 どうやら霊媒師には、隠れ場所も、こちらの事情も全てお見通しのようだ。

 その上でここまでセッティングしてくれたという事は、間接的に見学の許可が下りたという事だろう。

 ほっと胸を撫で下ろすさゆりを置いて、霊媒師はトイレの個室を覗く。

 そこには先程居なかった筈の女幽霊が、こちらに深々と頭を下げていた。

「……これで最後だ。貴様ら、なにか此奴に言い残した事はないか?」

 霊媒師はそう言って、さゆり達に別れの場を提供してくれる。

 最初に口を開いたのはタタラだ。

「卑美子! 今までありがとな! お前と一緒に七不思議できて本当に楽しかったぜ!」

 夜にも関わらず太陽の様に笑うタタラ。

 そんな無邪気な笑顔に、卑美子も自然と表情を緩ませた。

 次に口を開いたのは英徳。

「卑美子さん、今までお世話になりました。どうかお元気で……って、これ合ってますかね?」

 今から極楽へ向かう卑美子にこれは正しい言葉なのかと、英徳は首を傾げた。

 そんな真面目な英徳がおかしくて、卑美子はまた笑う。

 最後はさゆりだ。

「卑美子さん!」

 大きな声で名前を呼んださゆりに、卑美子も目を奪われる。

「私、幽霊の卑美子さんに出会えて本当に嬉しくて、それから一緒に遊んで、一緒にお話しして、気付いたら卑美子さんは掛け替えのない親友になってて、だから、これでもう会えなくなっちゃうのが悲しくて……」

 別れの最中にさゆりの顔が俯く。

 また不貞腐れてしまったのかと、卑美子が心配そうに顔色を窺おうとする。

「でも泣かない!」

 しかし、その心配は杞憂だった。

「だってどれだけ離れてても、卑美子さんが私の親友である事には変わりないんだから!」

 さゆりの確信に、卑美子は胸を打たれる。

「卑美子さん! 卑美子さんはずーっと私の親友だよ! 例え私がこれからどんな人と出逢おうと、どんな人と結婚しようと、私の親友は卑美子さんだよ! だから卑美子さん! 私は笑って、貴女を見送る!」

 ニカッと白い歯を見せるさゆり。

 その笑顔は一見強がりにも見えたが、不思議と強かな美しさが感じられた。

「卑美子さん! さよなら!」

 潔く手を振って、さゆりは卑美子にそう別れを告げる。

 目尻に涙を浮かべたのは、寧ろ卑美子だった。

 卑美子は人差し指で軽くその涙を拭うと、笑顔なさゆりに釣られて一緒に笑みを溢す。

「……貴様もなにか言う事はないか?」

 霊媒師は卑美子にもそう口にする。

 卑美子は少しきょとんとした瞳で霊媒師を見つめていたが、お言葉に甘えて一人一人に最後の言葉を贈った。

「……タタラ君。こんなおばさんを仲間内に入れてくれてどうもありがとう。他の七不思議達の事、よろしくね」

 タタラは任せろと強く胸を叩く。

「……ノリ君。さゆりちゃんの事、よろしくね。この子は案外傷つき易くって、その傷をなかなか人に見せようとしないから、君が気付いて、その傷を手当てしてあげてね」

 英徳も決意に満ちた表情で頷く。

「……さゆりちゃん」

 さゆりに目を向けた卑美子は、どこか我が子を心配する母親の様だった。

「貴女が昨日どんな理由でそれを訊いてきたのかは分からない。でもね、さゆりちゃん。一つだけ約束して。なにがあっても、昨日訊いた事は絶対に行動に移さないって」

 会話のバックボーンが読めずに、英徳は首を傾げる。

 さゆりは卑美子の忠告を全て理解した上で、その首を縦に振る事はなかった。

 ただ静かに耳を貸すだけ。

 そんなさゆりに卑美子は心配を募らせたが、ここはさゆりを信じるしかないと口元を緩ませた。

「私は先に天国で待ってるね。私はずっと待ってるから、さゆりちゃんはゆっくり来て。もしさゆりちゃんがこっちに来る日が来たら、その時は会えなかった日の分までいっぱい喋ろ」

 卑美子はそう言って、さゆりに笑顔を向ける。

「その日まで、またね」

 伝えたい事は全て伝えられた。

 もうなにもこの世に残した未練などない。

「……十分か?」

「……えぇ」

 霊媒師からかけられた声に、卑美子は頷く。

「もう、十分よ」

 卑美子が溢した一声。

 そこには確かに、死すら越えて積み重ねてきた経験値が上限まで到達した様子が感じられた。

「相分かった。それではこれより、除霊の儀式を始める」

 霊媒師はそう宣言すると、袴の隙間から赤みの強い数珠を取り出した。

 人の血を濃縮した色合いの数珠を右手の親指と人差し指の付け根に引っかけ、心に響く重低音で経を唱える。

「観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色……」

 素人から見ても、迫力が肌から伝わってくる。

 経を唱える度、霊媒師に力が宿っているのが見て取れた。

「此岸に彷徨える魂よ。霊媒師板宮の名の下、その魂彼岸に還られよ」

 霊媒師はそう決まり文句を口にすると、瞼を閉じていた両の目を覚醒させる。

 そして、右手に引っかけた数珠に力を集約させ、その力を卑美子に向かって全身全霊に解き放った。

 特に霊媒師の手からビームが出る様な超常現象は起きない。

 しかし気付けば、卑美子の体から光の粒子の様なものが零れ出てきていた。

「!」

 夏の夜の蛍を連想させる淡い光。

 卑美子の体は自然と宙に浮き、いよいよその時がやってきた。

「卑美子さん!」

 我慢できずに、さゆりが宙に浮く卑美子の名前を呼ぶ。

 そこに先程までの眩しい笑顔は見当たらず、押し殺そうとしていた感情が耐え切れず溢れ出してしまったようだ。

 そんな姿も愛おしいさゆりに、卑美子の顔は綻ぶ。

「さゆりちゃん、ノリ君、タタラ君」

 宙から見下ろす卑美子は、まるで皆を見守っているようだった。

「皆、本当にありがとう。皆に出逢えて本当に良かった」

 光の粒子が卑美子の体を分解していく。

 現世に形を残していられるのは残り数秒だと、卑美子は消失していく体でそう実感していた。

 卑美子はその数秒を振り絞って、一同に正真正銘最後の言葉を伝える。

「それじゃあ、またね」

 その言葉と共に、卑美子は女子トイレから姿を消した。

 卑美子だった粒子は月に吸い込まれるかの如く、夜の空へと漂流していく。

 見る人を和ませた優しい笑顔は、もうどこにもない。

 ここにもう悲しませる笑顔はなくなったと知ると、さゆりは今までの我慢も忘れて嗚咽を漏らした。

「……うっ、うぐっ」

 一度堰を切った感情は止まる事を知らない。

 さゆりは大粒の涙を頬に伝わすと、子供の様に感情のまま大声で泣き喚いた。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 卑美子との思い出が、走馬灯の様に蘇る。

 思い返せば思い返す程、もう卑美子と会う事はないという現実が、さゆりの心を蝕ませていった。

 あまりの大泣きに一人では立っていられず、さゆりは英徳に寄り掛かる。

 最初は驚いた英徳も、胸の隙間から漏れて聞こえるさゆりの泣き声に、無言で胸を貸す。

 泣きじゃくるさゆりに、英徳はぽんっと頭を撫でた。

 タタラも霊媒師も、さゆりの涙を見て見ぬ振りしている。

 女子トイレから響き渡るさゆりの大泣きは、卑美子の居なくなった夜の校舎で静かにこだましていった。


 そんなさゆりの涙を、もう一人聞いている人物が居た。

 漆黒のスーツを身に纏った男。

 窓の開いた女子トイレの内部を外から監視していた逢魔は、そこから見えるさゆりと英徳の姿を覗く。

「……見ーつけた」

 逢魔の吊り上げた口角からは、戦慄を覚えさせる様な狂気が滲み出ていた。

二度と逢えない一生の別れ。

ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!


今回は卑美子との最後の別れの回となりました。

花子の過去について考えていくうちに、そのきっかけになるようなキャラクターが欲しいなと考え、卑美子というキャラクターが生まれました。

その時から、彼女の結末は決まっていた訳ですね。

彼女が生まれたおかけで、この過去編の厚みが増したかなと思っています。


この霊媒師役を板宮にするというのは、比較的後日に決まりました。

最初に繋がったら面白いかなーと思ったのは、小春の家に皆で遊びに行った回。

小春の先祖の像が置かれていた訳ですが、もしその像のモデルが過去編に出てきたら伏線回収になるんじゃないかと考えてました。

実際は恐らくもう数代前の先祖の像かと思うのですが。

そして先日小春の姉である小雪の除霊シーンを書いたので、この台詞を丸々過去編で使おうと睨んでいた訳です。

特に大した伏線じゃないけど、気付いてくれたらちょっと嬉しい伏線でした。


という訳で、卑美子の居なくなり席の一つ空いた逢魔ヶ刻高校の七不思議。

さゆりの心は大層落ち込んでおりますが、現実はそれどころじゃありません。

逢魔とのゲームの行方は。


次回、過去編クライマックスに突入です。


それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!

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