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【232不思議】ユリ

 逢魔との不条理なゲームが始まってから、大凡五日程の歳月が経っていた。

 参加者であるさゆりはというと、学校生活を送るその姿勢にいつもの活力が見当たらない。

 授業も常に上の空。

 食欲もなく、食事も残し気味。

 毎日言葉を交わさない日のなかった英徳とさえ、さゆりはまるで意図的に英徳を避けるように日々を過ごしていた。

 屋上で会ったあの日から、逢魔からの接触はない。

 それでもどこかで見られているような気がして、さゆりは生きた心地がしなかった。

「はぁ……」

 さゆりは体育館倉庫の机に、深い息を吐いて突っ伏す。

 今日は英徳が一足早く帰ったようで、英徳と逢わないようにしていたさゆりは久方振りに倉庫を訪れていた。

「……お前最近どうしたんだよ」

 項垂れるさゆりに、タタラが声をかける。

「ノリが言ってたぞ。最近さゆりの様子がおかしい、なんだか避けられてる気がするって。もしかしたら自分がなにかやらかしちまったんじゃないかって、変な妄想まで始めてるぞ」

 タタラの話を、さゆりは顔を伏せたまま傍聴する。

 やはり意図的に避けていたのは、英徳にも勘付かれていたようだ。

 別に上手く避けていた訳でもなく、あからさまな対応ばかりだったので、勘付くのも当然の結果だろう。

 英徳が自分の架空の罪を責めていると思うと、さゆりの胸がきゅっと痛む。

「なぁ、なにかあったのか? あいつには言わねぇから、俺にだけでも話してくれねぇか?」

 タタラの優しさに、さゆりは思わず甘えたくなる。

 しかし、ここで全てを明らかにする事は出来なかった。

『それと、ゲームの事は他の誰にも言わない事。タタラ辺りに知られると、色々面倒な事になりそうだから』

 逢魔から告げられた、数少ない禁止事項。

 逢魔がどこかで見ているかもしれないと考えると、口が裂けても話す訳にはいかなかった。

「……ううん、なんでもない」

 どう見ても、なんでもない事はないだろう。

 それでも、タタラにはそれ以上追及する事が出来なかった。

「……そっか」

 座っていたパイプ椅子の背凭れに、タタラは背中の体重を預ける。

「明日は卑美子の除霊の日だろ? 最後の日なんだから、明日ぐらいはノリともいつも通りに話してやれよ」

 知らぬ間に、卑美子との別れの日は翌日にまで迫っていた。

 明日になれば卑美子とは今生の別れ。

 英徳と一緒に見送る約束をしていたので、卑美子の為にも、明日は英徳と一緒に笑顔で卑美子を弔わなければならない。

「……分かってるよ」

 いつまでも机に突っ伏していた顔を、さゆりはゆっくりと上げる。

 起き上がったその膨れた面構えを視界に捕え、タタラは堪らず溜息を吐いた。

「なんて酷ぇ顔してんだよ。それじゃあ折角の百合の花が台無しじゃねぇか」

「………」

 百合の花。

 恐らくさゆりの名前を準えて口にされた台詞だろう。

 その台詞に、さゆりは一つ物申したい事があった。

「……私、自分の名前嫌いなんだよね」

「はぁ?」

 突然の発言に、タタラが顔を顰める。

「なんでだよ。『凛と野に咲く百合の花』だろ? いつものお前にピッタリの名前じゃねぇか」

 確かに普段のさゆりは、柔らかい笑顔に確かな強かさを秘めている。

 風に髪を靡かせれば誰もが振り返るその美しさは、野原に一輪だけ凛と咲き誇る百合の花と比喩されてもなにもおかしくないだろう。

 ただ、さゆりは肯定しなかった。

「ううん、私はそんな大した人間じゃないよ。本当の私は愚かで、百合の花なんかよりもずっと汚れてる」

 さゆりはその汚点に目を瞑りたくて、ぎゅっと瞼に力を入れる。

「私は、誰もが知ってる百合の花になんてなりたくないの。そんなものよりも、誰にも知られずに道端に咲いているような、名前も知らない花になりたい」

 ふと登校中の道端に、さゆりはよく目が止まる。

 アスファルトの隙間から鮮やかな色を咲かせる一輪の花。

 道すがらの人は、誰もその花の存在に気付かない。

 誰もその花の名前を知らない。

 それでも名のない花は、人の視線などお構いなしと、自分の咲きたいように咲き誇っている。

 そんな花に、いつしかさゆりは憧れを抱くようになっていた。

「ふぅん……」

 タタラは分かったような分かっていないような、微妙な相槌を打つ。

「まっ、頑張りゃそのうちなれるんじゃねぇか?」

「なにその適当な言い方ー」

「適当じゃねぇよ。あっ、そうだ。花になりたいんだったら肥料とか飲んだら良いんじゃねぇか? 朝昼晩の食事前に一日三錠みたいな」

「それもう薬じゃん」

 タタラの突飛な提案に、さゆりは思わずぷっと吹き出す。

 表情を緩ませたさゆりに、タタラの口も綻んだ。

「……なんか、お前の笑顔久々に見た気がするわ」

「!」

 タタラに指摘され、さゆりも自覚する。

 きっとタタラが久々にさゆりの笑顔を見たのではなく、さゆりが久々に笑顔になったのだろう。

「……あんま見ないでよ」

 急に恥ずかしくなって、さゆりの頬が少し赤らむ。

「なに恥ずかしがってんだよ。柄でもない」

「なっ! 私だって女だっちゅーの!」

「あーあ、今の顔写真撮っときゃ良かったなー。絶好のシャッターチャンスだったのに」

「ちょっと! そんなの許さないからね! 撮るんだったらちゃんと事務所通してよ!」

「お前事務所なんてねぇだろ」

 徐々に会話の拍子がいつも通りになってきて、さゆりの雰囲気も明るくなる。

「やっぱそっちの方がお前らしいよ」

 今のさゆりを写真に収めて英徳に見せてやりたいという気持ちを秘めて、タタラはさゆりに口を溢す。

 さゆりはやはり少しくすぐったかったが、とても光栄に思っていた。

「これで明日は大丈夫そうだな」

「あー! 明日卑美子さんの最後の日じゃん!」

「さっき話してたばっかだろ」

「嫌だー! 卑美子さんとお別れしたくないよー!」

 どれだけ泣いて拒んだとしても、日が沈んでまた昇れば、卑美子との別れの日は平気な顔で訪れてしまう。

 それでも抗おうとするさゆりに、タタラは息を吐く。

「しょうがねぇだろ。例え既に命を落としてる幽霊でさえ、最後の日は来るんだ」

 その言葉の一片に、さゆりはピクリと反応する。

「卑美子は自分が成仏すんのを嫌がってる訳じゃなく、寧ろ嬉々として成仏できんのを待ち望んでんだよ。だったら俺達のするべき事は、卑美子の新たな門出を笑顔で見送るこ」

「そうだ!」

「ん?」

 タタラの声を遮るようにして、さゆりは突然立ち上がる。

 視線をさゆりに向けた時には、彼女は既に体育館倉庫の扉に手を掛けていた。

「おい、どこ行くんだよ!」

「卑美子さんのとこ!」

 さゆりはそれだけ言って、倉庫から飛び出してしまう。

 一人取り残されたタタラは、慌ただしく行動に移ったさゆりの突飛な言動にしばらく首を傾げていた。


●○●○●○●


 女子トイレの窓からは、美しい月の光が差し込んでくる。

 こうしてゆっくりと月見に浸れるのも今日で最後だと、卑美子はしっとりと今宵の月に見惚れていた。

 明日でこの慣れ親しんだ此岸ともお別れだ。

 随分と遠く離れた場所へと旅立つ事になるのだが、旅の支度などは必要ない。

 その為、今夜はゆっくりと思い出に浸る事が出来た。

 この世に未練など有りはしない。

 ただ唯一心残りがあるとするならば、折角仲良くなったさゆりや英徳達と金輪際接触する機会が断たれる事だ。

 そう思うと、白装束で包んだ胸の辺りがきゅっと苦しくなる。

 そんな細やかな胸の痛みなど吹き飛ばすように、突如として真夜中の女子トイレの扉は開かれた。

「卑美子さん!」

「!?」

 突然の訪問者に、卑美子は月から目を逸らす。

「さゆりちゃん!?」

 そこに現れたのは、丁度想いを馳せていた友人のさゆりだった。

 随分慌てて駆けつけたのか、さゆりの肩は苦しそうに息をしており、右腕で壁に体重を預けている。

 それでもさゆりは、疲れなど微塵も感じさせない迫力でそう声を上げた。


「ちょっと訊きたい事があるんですけど!」


 その質問の内容を知った時、卑美子の瞳は大きく見開かれた。

さゆりが卑美子のもとに駆けつけた目的とは。

ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!


今回はさゆりと多々羅の会話劇が主な内容となりました。

この過去編で名前については書こうと思っていた内容の一つでした。

あからさまな伏線ではあるので皆さんお気付きでしょうが、こういう事なら『百合子』という名前にした方が良かったでしょうね。

しかしさゆりという名前が気に入ってしまったので、そのまま採用する事にしました。


そしてなにを思い立ったのか、さゆりは卑美子のもとへ駆けつけます。

さゆりが卑美子に尋ねた内容とは?

それに関して判明するのはもう少し先になりそうです。


それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!

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