【230不思議】ベゴニア
「ふーん、さゆりちゃんもオーマ君に会ったんだ」
日の傾いた逢魔ヶ刻高校の校舎。
その校舎一階の女子トイレにある最奥の個室から、何故か女性の声が二人分聞こえてきた。
「どうだった? 最後の七不思議と会った感想は」
「楽しかったよ! 最初はどこにでもいる普通の男の人にしか見えなくて、正直ガッカリしたけど、でも話してみると面白かったし、また会いたいって思った!」
先日の逢魔との初対面を思い返して、さゆりは基本トイレで湧く筈のない興奮を湧き立たせていた。
そんなさゆりに、話相手の女性は口元を緩ませる。
「あらあら、これはあの子が嫉妬してしまいそうだねぇ」
「ん? あの子って?」
「いいや、なんでもないよ」
そう誤魔化すと、女性の頬に架かる法令線は際立った。
髪色は蚕が織りなす絹の様に真っ白で、体に纏う着物も髪と同系色に染まっている。
この場所にその女性が立っているだけで、そこは完全に心霊現場となっていた。
「卑美子さんは、逢魔さんとどんな感じで話してるの?」
彼女の名前は卑美子。
タタラや逢魔と同じ、逢魔ヶ刻高校に潜む七不思議の一つ。
女子トイレの個室を寝床とする、正真正銘の幽霊だ。
オカルト研究同好会のメンバーとも仲が良く、特にさゆりとはこうして二人きりで女子会を開催する程の関係値だ。
さゆりからの質問に、卑美子は頭を捻らせる。
「んー、私、オーマ君とはあまり話した事ないのよねー。というか、あまり会う機会がなくって。ほら、彼って神出鬼没でしょ? だから会う機会がなかなかないのよ」
「逢魔さん方向音痴だし、ちょっと抜けてるもんねー」
本人から聞いた方向音痴の武勇伝に、さゆりは思い出し笑いを引き起こす。
「そう考えると、さゆりちゃんはオーマ君と考えも近そうだし、案外会える機会も多いんじゃないの?」
「あっ、それもしかして私の事バカにしてる!?」
卑美子のさり気ない発言に、さゆりの頭は沸騰した。
「あいやっ、そんなつもりじゃ」
「酷ーい! 卑美子さん、私の事そんな風に思ってたんだー!」
「さゆりちゃん!」
さゆりは捻くれてしまい、その場で膝を折り曲げて蹲ってしまう。
完全に顔の見えなくなってしまったさゆりに、卑美子は優しく息を吐く。
「ねぇ、さゆりちゃん。貴女のお顔を見せて」
卑美子の手が、さゆりの頬に触れる。
「貴女の顔が見れるのも、もう一週間もないんだからさ」
さゆりが顔を上げられない理由は、そこにもう一つあった。
六日後、逢魔ヶ刻高校に霊媒師がやってくる。
無論、卑美子を除霊させる為だ。
女子トイレの個室に幽霊が出るという噂自体は予てから存在していたのだが、最近はその噂が尾を付け羽を付け、暴走気味に飛び回っていた。
流石に対抗策を迫られた学校側は、霊媒師に幽霊の除霊を依頼する事に。
その期日が、遂に一週間を過ぎたのだ。
「……ねぇ、逃げ出したりできないの?」
さゆりの声が、微かに震えているのが分かる。
「そんな事しないわ。だって、私は幽霊だもの。本来ここに居るべき存在じゃない。私がここに居る事で、怖くて学校に通えない子だって居るかもしれないの」
卑美子は心を安らがせる包容力で、さゆりの心を包んだ。
「それにね、私案外向こうの世界も楽しみなの」
その声には、確かに音符マークが踊っている。
「一体向こうの世界にはなにがあるのか。どんな人が待っているのか。今から楽しみで仕方が無いわ」
卑美子の手が、またさゆりの頬を撫でる。
「だからさゆりちゃん。そんな悲しい顔しないで? 確かに貴女と会えなくなるのは寂しいけど、でも、貴女の心の中にはいつも私が居るから。そしたら、少しは寂しくなくなるでしょ?」
心の中でいつでも会える。
そう思えたとしても、やはりこうして世間話が出来なくなってしまうのは寂しい。
それでも、こんな腐った表情をいつまでも卑美子に見せる訳にもいかなかった。
「うん! 分かった!」
さゆりは目を強めに擦って、顔を上げる。
「卑美子さん! 最後の日はノリ君と一緒に見送りにいくね! そして、笑って見送るから!」
「うん、待ってるわ」
いつもの眩しい笑顔に戻っていて、卑美子の表情も緩む。
それはまるで、母親の様な表情だった。
「よぉし! そうと決まったら今のうちに色んな話しとかないと!」
「そうね、なんのお話する?」
「えーっと、そうだ! この前タタラが新品のポラロイドカメラ持ってきて、私とノリ君のツーショット撮ってくれたんだけど、その写真が面白くって!」
「えー?」
愉快なガールズトークが、個室から漏れてくる。
その内容は、喫茶店で耳にする様なものと丸っきり一緒だった。
●○●○●○●
同時刻、体育館倉庫では。
「あれ、今日はさゆりと一緒じゃねぇのか」
訪れた英徳一人に対し、タタラが意外そうに呟く。
「女子トイレ行って来るって」
「なんだお前、トイレぐらい待っててやれよ」
「違うよ。卑美子さんに会いに行ってるって言ってんの」
「あぁ成程」
会話がすれ違っていた事に気付いて、タタラは納得する。
「そういやもうすぐだもんなぁ……」
一週間を切ってしまった予定を思い出して、タタラも感傷に浸っていた。
ふとタタラは、視線を英徳に向ける。
「……お前は行かなくて良かったのかよ」
「んーまぁ、行っても二人の話聞いてるだけだったろうし、それなら別に行かなくても良いかなーって」
「いやでもお前」
不自然に口にするタタラに、英徳は疑問符を浮かべる。
「さゆりが居ねぇんじゃお前がここに来る意味無ぇんじゃ」
「はぁ!?」
突然の発言に、英徳の声は荒立った。
「ちょっ、なに急に言ってんの!?」
「だってお前がここに来てる理由ってさゆりが居るからだろ? この前もさゆりがオーマと楽しそうに話してんの、妬ましく見つめやがって」
「べっ、別に妬ましく見てなんか!」
「大好きなさゆりが来てないんじゃ、お前が来る意味も無ぇじゃねぇか」
「大好きとかそんなハッキリ言わないでよ!」
悪びれもなく英徳の胸中を赤裸々と語るタタラに、英徳の顔も真っ赤に染まっていった。
「なんだよノリ。お前がさゆりを好きな事なんて、そんなの今更だろ」
「そっ、そうだけどさぁ……」
英徳の声が、顔の濡れた某ヒーローの様に弱くなる。
英徳からさゆりに矢印が向いている事は、二人を知っている者からすれば教科書レベルの常識だった。
タタラも当然把握しており、英徳から相談も聞いたりしている。
無論、タタラが恋愛事に置いてベストアンサーを出せる訳もないのだが。
「全く、気付いてないのなんて本人ぐらいなんじゃねぇの?」
当の本人は、いつも何も知らないような顔で笑っているだけだ。
「それであんだけモテんだから、罪な女だよ」
さゆりはその見る人を惹きつける美貌で、学校に通うありとあらゆる人から好意を向けられていた。
その好意の一つも、さゆりは気付けていないのだが。
英徳はその中の一人であるに過ぎず、たまたまさゆりに見つかって同じ場所で放課後を過ごしているだけなのだ。
「……やっぱり、俺にさゆりなんて似合わないよ」
「そんな事ないぞ……」
「えっ?」
どこからか別の声が聞こえて、英徳は静かに振り返る。
そこに立っていたのは、剥き出しの筋肉で腕を組んで熟考する人体模型だった。
「ノリ君、君も素敵な人間だ。君だってさゆり君に見合うぐらいの」
「ああああああああああああ!」
突如視界に飛び込んだ衝撃に、英徳は喉が枯れる程絶叫する。
「えっ!? もけじー!? 居たの!?」
「なんだノリ、気付いてなかったのか」
「気付いてなかったよ! もけじーも居るんだったら居るって言って! 急に見たら驚き過ぎて心臓止まると思うから!」
「アハハ……」
驚愕で今際の際に立った様な英徳に、人体模型は渇いた笑いを浮かべていた。
彼の名前はもけじー。
一目瞭然、彼も七不思議の一つであり、読んで字の通り正体は動く人体模型だ。
普段は生物実験室に身を潜めている筈だが、今日は体育館倉庫にまで遊びに来ていたようだ。
「あービックリしたー……。もう驚かさないでよ。驚くの結構しんどいんだから」
「ノリ君、君は知らないと思うが、驚かれる方も結構しんどいのだぞ?」
英徳の何気ない言葉が、もけじーの作り物の心臓を傷つけていく。
「あっ、そうだ。俺もけじーに教えて欲しい問題があったんだ」
「ん?」
不意に思い出すと、英徳は鞄の中から勉強道具一式を漁り出した。
「いや、この前授業分かんないところがあって、今度もけじーに会ったら教えてもらおうと思ってたんだ」
「ほぅ、一体どの問題だ」
「化学」
「生物じゃないのか」
人体模型としては一番の得意分野である生物を教えたかったが、残念ながら英徳が助けを求めているのは科学だったらしい。
もけじーは仕方なく、英徳が示す問題に目を凝らす。
そんな二人は、タタラは傍から眺めていた。
「……なんでもけじーに訊くんだ? 分かんねぇ問題なら先生に訊くのが早いだろ」
確かにそれが解決への一番の近道だ。
「うーん。でも俺、もけじーの説明の方が分かり易くて好きなんだよね。教え方が上手いっていうか」
自分でも深くは分かっていないのか、その言葉は抽象的である。
対するもけじーは「オッホッホ」と笑っていた。
「嬉しいねぇ。私もこうしてノリ君やさゆり君に物を教える事が増えていって、結構楽しんでいるんだよ」
誰かに物を教えるなど、人間と関わるまでなかった体験だ。
「なにより教えた事が相手に伝わった時の相手の顔。それを見る度に、教えて良かったと心から思えるんだ。もし叶うのならば、いつか私も教職者になってみたいものだのぅ……」
もけじーは自分が教室で教鞭を振るう姿を夢見る。
雲を掴む様な夢物語である事は分かっているのだが、それでももけじーは想像せずにはいられなかった。
「……まぁ、その見た目じゃあ無理だな」
「ぐっ! ……んー、やはりそうかのぉ……」
「でも、もけじーならきっと良い先生になれるよ」
「ありがとうノリ君」
もけじーの朧な夢を、英徳はそっと応援する。
「お前はまず勉強より、さゆりの事で悩んだ方が良いと思うぞ」
「五月蠅いなぁ!」
タタラの余計なお世話に、英徳は力んで手元のノートをぐしゃぐしゃにしてしまった。
「……そんな事は分かってるよ」
小さく呟いた英徳に、タタラの口元は綻ぶ。
口では色々な事を言うタタラだが、その心中では誰よりも英徳の恋を応援していた。
●○●○●○●
卑美子とのガールズトークを終え、足軽に校舎を歩くさゆり。
向かう先は帰り道に続く昇降口だったのだが、そんなさゆりを呼び止める声が後ろから聞こえた。
「さゆりさん」
名前を呼ばれて、さゆりは振り返る。
そこに立っていたのは、見覚えのある黒スーツの男だった。
「逢魔さん!」
先日会ったばかりの逢魔に、さゆりの気分は高揚する。
さゆりは早速踵を返し、逢魔のもとへトコトコと近寄っていった。
「いやーこんなところでまた会えるなんて偶ぜ」
と、ここで先程の卑美子との会話を思い出す。
「……べっ、別に私は抜けてませんからね!」
「えっ?」
突然頬を夕暮れ色に染めたさゆりに、逢魔は不思議そうに首を傾げる。
このままでは不味いと、さゆりは気を動転させたまま話題を模索していった。
「えっ、えっと! 逢魔さんはこんなところでなにしてたんですか!?」
「僕? 僕は今、屋上に向かってたところだよ」
「屋上? ここ一階ですよ?」
「うん、でもどうやって行けばいいのか迷っちゃって」
――本当に方向音痴なんだなぁ……。
武勇伝である方向音痴を目の当たりにしたさゆりは、思わず心の中で感心する。
そこでさゆりの頭上にピコンッと名案が浮かんだ。
「そうだ! それなら私、屋上まで案内してあげますよ!」
「えっ、本当かい?」
「はい! もっと色々逢魔さんの話聞きたいし!」
「そっか、ありがとさゆりさん」
「さゆりさんなんてそんな! 呼び捨てで大丈夫ですよ!」
「そう? じゃあ……さゆり」
こうして二人は、昇降口とは逆方向の屋上へとその一歩を踏み出した。
●○●○●○●
屋上は現在のように学校側から立入禁止の指示が下っておらず、誰でも自由に立入可能となっている。
しかし屋上に足を運ぶ生徒は特に居らず、高いところが好きな不良ぐらいだ。
今日も屋上には、誰も先客はいなかった。
「それでね! ノリ君ったら目が半開きになっちゃってて! その顔が面白いのなんの!」
「へぇ、そうなんだ。僕も見てみたいな」
「じゃあ今度その写真持ってきますね!」
「うん」
知らない場所で英徳の変顔のお披露目会が決まったところで、二人は屋上へと到着した。
「ほら、着きましたよ!」
扉を開けると、そこは見渡す限りの夕暮れ。
帰りの時間を報せる鴉の声が聞こえ、見下ろせば校門を潜る生徒達も見える。
その全てに、逢魔はすっかりご執心だった。
「……うん、ありがと」
感動に心を浸けながら、逢魔は口を溢す。
さゆりはふと日が予想以上に傾いている事に気付き、目的を果たした事で屋上の扉に逆戻りしようとした。
「それじゃあ私はこれで! ではまた!」
「さゆり」
名前を呼ばれ、さゆりは足を止める。
振り返った先に立つ逢魔は、夕焼け空を背景に少し冷えた風で髪を靡かせていた。
「僕とゲームしない?」
「えっ?」
逢魔の表情は、濃くなった黒い影で上手く読めなかった。
八十年前の七不思議達。
ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!
今回は当時の七不思議達に着目して書いてみました。
八十年前となりますと花子は勿論、乃良やヴェン、ローラもまだ逢魔ヶ刻高校にはやってきておりません。
今も変わらず七不思議としているのは、多々羅ともけじー、逢魔だけです。
という事で新キャラクター、卑美子が登場しました。
ノリやさゆりも動くキャラクターとして書くのは初めてですが、卑美子は完全なる新キャラですね。
人当たりの良いおばさんをイメージして書きました。
今の花子とどことなく設定の似た彼女ですが、今後過去編にどう影響していくのか楽しみにしていただけると幸いです。
また、八十年前のもけじーを書くというのも、今回の過去編の一つの目標でした。
もけじーがどうして教師になったのか。
これ以上深掘りするつもりはありませんが、これから紆余曲折を経て、今の形となったのでしょうね。
さて、なにやら逢魔がさゆりに怪しげな提案をしているようです。
逢魔の語るゲームとは……、次回に続きます。
それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!




