【228不思議】エーデルワイス
青い空を雲が往来する、逢魔ヶ刻高校の朝。
生徒達が昨日観たテレビ番組や今日の授業の不満などを話し合っている中、二年A組の扉は開かれる。
「おはよー皆ー、HR始めるわよー」
担任の馬場の登場に、生徒達は私語も程々に自身の席へと戻っていった。
「えーっと、今日の欠席はー……あれ? 箒屋君と零野さんがお休みね」
普段欠席する事のない二人の空いた席に、馬場は思わず眼鏡の度数を疑う。
生徒達も珍しい二人の欠席に教室をざわつかせていた。
そんな教室を落ち着かせるように、金髪の乃良が朝から元気良く右腕をビシッと挙げる。
「先生! 二人は今日部活の遠征があるので公欠です!」
「あぁ、そういえば昨日そんな報告受けてたわ」
乃良の報告に、馬場は昨日帰る直前に入った博士からの連絡を思い出す。
「……オカ研の遠征ってなにやるの?」
「さぁ?」
「さぁって、貴方もオカ研部員でしょ」
一度考えてしまうと一向に解けない疑問に、馬場は頭を悩ませてしまった。
勿論遠征の件など全て嘘っぱちなので、乃良も適当に笑って誤魔化す。
ふと視線を少し離れた席に座る千尋に向けてみた。
陽気な雰囲気で続くHRの中、千尋の横顔はどうも不安でいっぱいの様子だ。
それもその筈。
昨日花子の過去の真相を聞く為、花子と一緒に学校を休むと博士から連絡を受けたのは、乃良も千尋も一緒なのだ。
真相を知った時、また花子は気を失うのではないか。
否、もしくはそれ以上の事が起こるのではないだろうか。
考えれば考える程、不安に蝕まれていく。
それは乃良も一緒だ。
しかし、乃良はそこまで深刻には考えていなかった。
何故なら花子の傍には博士が居る。
博士なら花子に万が一の事があったとしても、きっとなんとかしてくれるだろう。
それだけの信頼が、乃良にはあったのだ。
視線を千尋から窓の外へと移す。
博士と花子は今どこで同じ空を見ているのだろうと考えていると、自然に口元は綻んでいた。
●○●○●○●
ガタンゴトンと電車が揺れる。
最寄りの駅から十数分、乗り換えて数分、そこから更に乗り換えて数十分と、これで本日三回目の乗車だ。
博士はスマートフォンで時間を確認する。
学校では間もなく一時限目の授業が始まる時間帯だ。
次に視線を隣に移した。
隣には座席とは反対向きに座って、車窓の景色に目を奪われている花子の姿があった。
「見てハカセ、海だよ」
確かに車窓には見渡す限りの海が広がっている。
平日の昼間とあって海岸に人の影はあらず、空と相まって車窓は青色に支配されていた。
しかし博士はそんな風景に目も暮れず、視線をスマートフォンに落とす。
「大きい……」
花子は構わず話を進める。
「そういえば去年の夏、皆と一緒に海行ったよね。その時の海とこの海、どっちが大きいかな?」
「同じだよ。どっちも同じ一つの海だ」
「そうなの?」
初耳だと言わんばかりに、花子は首を傾げる。
まだ世界には花子の知らない事がたくさん眠っているようだ。
海に釘付けになる花子の瞳は、そんな世界に興奮しているように見えた。
そう思う程、博士は花子に釘付けになっていた。
ふと二人しかいない車内に、次の到着駅を報せる女声の車内アナウンスが流れる。
駅名を確認すると、次が博士達の目的地のようだ。
「……そろそろ行くぞ」
博士は海に夢中な花子にそう告げて、一人降車の準備に取り掛かった。
●○●○●○●
二人が降り立った駅は、駅員が一人の小さな駅だった。
一歩外に出てみると、舗装も儘ならない石畳の横に、ベランダから洗濯物を干す白い住宅が並んでいる。
振り返れば車窓から見えていた海が一望でき、耳を澄ますと鳥の歌声が聞こえてきた。
都会に疲れた社会人が逃げ込みたくなる様な、長閑な海の田舎町といった雰囲気だ。
多々羅から受け取ったメモを頼りに、博士は町を歩いていく。
駅を囲う繁華街を抜けると、緩やかな上り坂を登る。
後ろには見慣れない景色に湧き上がる興奮を無表情に隠した花子が、ぴったりとくっついていた。
数分も歩けば、すぐに目的の住所に辿り着いた。
そこは質素な病院だった。
真っ白い長方形の様な構築をした建物に、博士は躊躇いもなく自動ドアを開く。
花子も同様にして足を踏み入れた。
病院の中は独特のエタノールの匂いが充満しており、そこかしこに患者服やナース服を着た人が目に入る。
博士と花子はエレベーターに乗り、迷わず四階のボタンを押す。
目的の病室の番号は、多々羅に渡された住所のメモに一緒に記載されていた。
エレベーターから降りて、二人はその病室を目指す。
少し複雑な病院の構成に若干迷いもしたが、二人は遂に旅の最終目的地へと到着した。
404号室。
メモに書かれた番号と間違いない。
その下に書かれた入院患者の名前を見て、博士は更に確信を得ていた。
意を決して、ガラリと扉を開ける。
そこは神様が色を忘れた様な、真っ新な部屋。
窓から入ってくる風がカーテンを靡かせる傍には、花瓶と一輪の華が飾られていた。
病床は一台。
そこにぐったりと横たわる老人に、博士と花子は目を落としていた。
「……やぁ、よく来たね」
老人はゆっくりと口を開く。
残り少ない髪は灰色に染まっており、骨を皮で包んだ様に痩せこけたその姿は、老人の入院の理由を少し想像させた。
「そんなところに突っ立ってないで、こちらにいらっしゃい。そこにある椅子を持ってきていいから」
老人は枝の様な指で、向かいの椅子を指差す。
二人は老人の言われた通り老人の傍へと歩き出し、花子は元々あった椅子に、博士は老人の指差した椅子をこちらに寄せて腰掛けた。
近くなって見えやすくなった顔を、老人は薄い目で見つめる。
「……あはは、私も年を取ったもんだ。君達が若いからってだけで、なんだか君達が昔の私達にそっくりに見えてしまうよ」
どこかが滑稽だったらしく、老人は渇いた笑いを見せた。
「あー……、八十年も前だってのに、思い出してしまうね」
ふと老人は、視線を窓の奥の海に向ける。
その瞳は八十年前、老人が学生だった頃と同じ色をしていた。
「私が学生だった頃の事を」
老人の病床、その脇には『福越英徳』と記されていた。
●○●○●○●
八十年前、逢魔ヶ刻高校。
「ノリくーん! こっちこっちー!」
少女の明るい声が、校舎裏に響き渡る。
太陽の様な笑顔を見せる少女は、こちらに駆け寄ってくる少年を右手で手招いていた。
「まっ、待ってよ!」
「バカ野郎! シャッタータイムはいつだって待ってやくれねぇんだ!」
「シャッタータイムって言ったって、撮るのは俺達だろ?」
その場に居るもう一人の青年に愚痴を溢しながら、少年は少女の隣に到着する。
ようやく揃った被写体に、青年は早速手中の新品ポラロイドを覗いた。
「よしお前ら! じっとしてるんだぞ!? 少しでも動くんじゃねぇぞ!?」
意気揚々と少年少女に指示をする青年に、少年は堪らず溜息を吐く。
「タタラの奴、なに張り切っちゃってるんだか」
「許してあげてよ。新しいカメラ手に入れて気合入ってるんだから」
囁くようにした被写体の会話は、カメラマンには届いていないようだ。
「おいノリ! もっとさゆりにくっつけよ!」
「えっ!?」
青年の指示に、少年は顔を紅潮させる。
「えっじゃねぇよ! もっとくっつかねぇと二人の仲良し感が写真に出ねぇじゃねぇか!」
「いっ、いやぁ……、別にそこまで出さなくても良いんじゃないかな?」
「それは大変」
視線を泳がせるだけで一方に近付こうとしない少年に代わって、ぐいっと少女が少年側に身を寄せる。
瞬間、少年と少女の肌の距離が0センチになった。
「!」
少年の顔が、収穫時期の林檎の如く真っ赤になる。
「さっ、さゆりっ! なっ!?」
全く言葉として成り立たない少年の声だったが、少女には意味が汲み取れたようだ。
「だって、私達仲良しじゃない。それが写真に伝わらないのはもったいないでしょ?」
「でっ、でも……」
触れ合う肌と肌に体は火照る。
肌越しに伝わる相手の体温など、少女は特に気にもしていないようだった。
「良いかぁ!? んじゃ撮るぞー!」
青年の号令がやけに遠く聞こえる。
「ほらノリ君、ちゃんと笑ってね」
きっと少女の声が先程よりもずっと近いからだ。
無意識に視線が少女に向いている事に気付いて、少年も眼鏡を整えてカメラのレンズに目を向ける。
「膝を英語で言うとぉー!?」
「knee!」
少女が優しい笑顔、少年が戸惑いの表情を浮かべながらピースサインをする。
この先何十年と残るであろうその一枚は、今は未だ何色も褪せないままポラロイドの口から吐き出された。
花子過去編、始動。
ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!
いつかは書くと決めていた話が、とうとう目の前にまでやって来ました。
今回から本格的に花子の過去編が始動、今まで張ってきた伏線が少しずつ回収されていきます。
今回の撮影のシーンなんかも、伏線の一つですね。
出来上がった写真は、既に八十年の時を超えて物語に登場しております。
といっても撮影のシーンを作ろうと思いついたのは、あの話が完成した後という後付け伏線なのですが。
次回からは完全に花子過去編となりますので、当分ハカセ達はお休みです。
マガオカ歴代最長編となる花子過去編。
どうぞ次回からも気長によろしくお願いします。
それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!




