【221不思議】コンバット・ダイエット
水曜日の昼休み。
「うぉー! 懐かしいー!」
中庭の片隅のテーブルで、博士達は毎週恒例のランチタイムを開催していた。
興奮気味に声を上げた乃良の手元には、千尋のスマートフォンが握られており、その画面には校庭で千尋の落とし物を探した時のオカ研部員全員集合写真が映されていた。
「もうこれ一年も前になるのかー」
「そう! この後急に雨が降っちゃって、ハカセだけずぶ濡れになって風邪引いちゃうんだよね!」
「あったあった!」
思い出話に花を咲かせるも、隣の博士はさっぱり記憶に無いようだ。
乃良は思い出に浸りながら、画面をスライドさせて次々と写真を眺めていく。
「他にもいっぱいあるよー。花子ちゃんと一緒に料理した時の写真とか、ローラさんが隠し芸を披露してくれた時の写真とか。あっ、あと猫の姿になった乃良を花子ちゃんと真鍋さんが抱えてる写真もあるよ!」
「なに撮ってんだよ!」
問題の写真を見つけて、堪らず乃良は声を荒げる。
「こんな写真撮んなくても良いだろ! 割と恥ずかしいぞこれ! それにあの時非常事態だったんだし、こんなの撮る余裕なかった筈だろ!」
「ごめん、でもピンチの時こそシャッター切らなきゃって思っちゃって」
「戦場カメラマンか!」
無駄に熱い千尋のジャーナリズムは、乃良にとって迷惑以外の何物でも無かった。
ふと冷静になって乃良は隣に目をやる。
隣の博士は、食事の箸も止めて写真の中の千尋に釘付けだった。
「どうしたハカセ? ちひろんの写真見て」
「なに? 厭らしい目で見てんの!?」
「いやそうじゃなくて」
博士は千尋の自意識過剰を華麗に無視して、正面の実物の千尋に目を向ける。
そこで博士の疑惑は確信へと変わった。
「……お前、太った?」
博士の踏んだ地雷が、千尋の脳天を爆発させる。
●○●○●○●
「私、ダイエットする!」
放課後の部室で、千尋はそう高らかに宣言した。
事情を全く知らない賢治は頭上に大量の疑問符を発生させ、隣の乃良に説明を要求する。
「急にどうしたんですか?」
「ほらハカセ、お前が余計な事言うから面倒な事になっちまったじゃねぇか」
「いや、俺は単純に思った感想を言ったまででな」
乃良は博士に前言の撤回を求めており、説明を頂戴する事は出来なかった。
しかし、二人の会話から戦犯が博士である事は明白だった。
男子達とは少し離れた位置に腰を下ろしていた小春も、千尋の宣言に渋い顔を見せている。
「別に気にしなくて良いんじゃありませんの? あのデリカシーの無い先輩の言った事なんて」
「ううん、デリカシーが無いからこそだよ」
千尋は小春の発言に首を横に振った。
「ハカセはデリカシーが無いから素直な言葉が言えるんだ。つまりデリカシーの無いハカセが私を太ったと思ったという事は、客観的にはそう見えるという事。私が太ったという事は、デリカシーの無いハカセによってデリカシー無く証明されてしまったんだよ!」
「どんだけデリカシー無いって言うんだ」
博士はもうデリカシーがゲシュタルト崩壊しそうだった。
「それに、正直私も最近薄々そう感じてたし。だからこれを機に、一年前のスリムボディな私に戻ってみせるの!」
「いや、別に一年前からスリムではな」
また余計な事を滑らせそうになる博士の口を、乃良と賢治が密閉する。
幸い、千尋には気付かれていないようだ。
「よし! それじゃあダイエット頑張るぞ! 一緒に頑張ろうね! 花子ちゃん!」
「いや花子は関係無ぇだろ」
当然の如く巻き添えそうになった花子を、本人の代わりに博士が庇護する。
「なんで! 花子ちゃんもダイエット必要でしょ!?」
「いやだって、花子は幽霊だぞ。一年前どころか八十年前から体重なんざ一グラムも変わってねぇだろ」
そもそも体重の概念があるかも不明だ。
博士の論理にも、千尋は首を縦には振らなかった。
「嫌だ! 花子ちゃんも一緒にダイエットするの! ねっ、花子ちゃん! 一緒にダイエットしよ!?」
「ダイエット?」
「ハカセ、ちひろんは一人でダイエットするのが嫌なんだよ。誰かと一緒にしねぇと気持ちが耐えらんねぇの」
「なんだそれ……」
強制的にダイエット仲間に数えられた花子だが、特に意味は分かっていないようだ。
仲間という安心感を手に入れた千尋は、早速ダイエットに取り掛かる。
「さて、それじゃあダイエットってどんな事すれば良いの!?」
「そこも人任せなのかよ」
本気で痩せる気はあるのか、千尋は自分から調べようとはしないようだ。
ダイエット方法を募集したところ、賢治の掌がひらりと挙がる。
「まずは断食じゃないですか?」
それは定番のダイエット方法だった。
●○●○●○●
翌日。
「うー……」
部室の机に顎をくっつけて、千尋は腹から音を絞るように声を漏らしていた。
そこに千尋特有の明るさは無い。
「ご飯食べてないの?」
「うん……。昨日の晩ご飯から今日の朝ご飯、昼ご飯、そして今日の晩ご飯も我慢する……」
相当空腹なのか、腹から猛獣の唸り声が聞こえてくる様な気さえした。
隣の花子に至っては、最早放心状態だ。
限界を視界に捕える千尋達に、博士は目を細める。
「ダイエットなんてお前らの勝手だけどな。なにも飲まず食わずで健康状態損ねるような真似だけはすんなよ」
「大丈夫大丈夫……」
非力な声は、とてもその言葉を信じさせようとしなかった。
ふと千尋は視線を時計に向ける。
時計の針は十六時丁度。
「四時だ!」
すると千尋は今までの重かった空気を嘘みたいに吹き飛ばすと、花子と一緒に鞄の中を漁り出した。
取り出したのは、CMでお馴染みのチョコレート。
二人はなんの迷いもなく開封すると、美味しそうにそのチョコレートを頬張った。
「美味しい!」
「ちょっと待てぇ!」
あまりに自然な間食に、博士も待ったをかけるのが遅くなる。
「なに食ってんだよ! 今断食中じゃなかったのか!」
「断食中だよ?」
「いや今思いっきり食ってんじゃねぇか!」
「なに言ってんのハカセ。これはおやつ。朝食、昼食、夕食はちゃんと断ってるから大丈夫だって」
「なにお前一日三食抜いて断食成立させようとしてんだよ! 間食のおやつが一番ダメに決まってんじゃねぇか! どんだけそのチョコレート一つにカロリー含まれてると思ってんだ!」
「なに!? 私達の唯一の楽しみの一日六回おやつタイムさえ奪おうとするの!?」
「食事の二倍回数あんのかよ!」
どれだけ言い聞かせても、千尋がチョコレートを手放す気はない。
まるで半分こが出来ない子供の様だ。
傍から先輩達の言い合いを眺めていた小春が、耐え切れなくなったというように溜息を吐く。
「全く、そもそもただ食事を抜こうっていう考えが甘いんですよ」
その言い草は、ダイエットのノウハウを知っているようだった。
●○●○●○●
千尋の首筋から汗が伝う。
最近涼しくなってきた気温でも今の千尋には熱しか感じられず、羽織っていたセーターも自ら脱いでいた。
十を数えたその時、千尋の立てていた腕は力を失くして伏せる。
「ぐはぁー! しんどいー!」
ひんやりとした床の温度が、千尋の火照った体を冷やす。
「ダイエットにとって重要なのは食事制限と運動です。バランスの取れた食事で体を整え、程良い運動で脂肪を燃やす。これを繰り返していれば、自然と体重は落ちていくものです」
「こはるんってダイエットに詳しいんだな」
「女子として当然の知識です」
さらりと女子を否定された千尋だが、今の千尋に戦う気力は無かった。
「うぅー。腕立て十回しかやってないのに、こんなに疲れるもんだっけ?」
「おやつは食べていたにしろ、三食抜いてた訳ですから体力が落ちるのも当然です。ほら、休憩が終わったら次は腹筋十回ですよ」
「ぐへぇー!」
「花子まだ腕立て三回しか出来てないけど」
「それは放っといてください」
小春の敏腕は、正に鬼教官の様だった。
「ちょっ、ちょっと待って……。その前に水分補給……」
千尋は痺れる右腕を必死に伸ばして、ペットボトルを掴み取る。
プシュッとキャップを開けると、先程流した水分を取り戻すように豪快に喉を鳴らした。
しかし博士は気付いてしまった。
その飲料が、透明とは対極に位置する真っ黒な飲料である事に。
「よし!」
「お前痩せる気ねぇだろ!」
またしても声を荒げた博士に、千尋は惚け顔だ。
「えっ?」
「えっじゃねぇよ! なんだそれ! 思いっきりコーラじゃねぇか! ダイエット中にコーラなんか飲んでんじゃねぇよ!」
「ちょっとハカセ! 運動中の水分補給は必須だよ!?」
「分かってるよ! 俺はコーラを飲むなって言ってんだよ!」
「なに!? 飲み物の種類さえ選ばせてくれないの!?」
千尋に罪の意識は無いのか、正論で攻めてくる博士に真っ向勝負で対抗してきた。
教官の小春は言葉を失っており、掌で顔を抑えている。
この調子では千尋のダイエットが達成されるのは夢のまた夢。
そう全員が思った時だ。
「しょうがねぇなー……」
ぽつりと言葉を零す。
「ようは増えちまったカロリーを消費すれば良いんだろ?」
博士や千尋も口を止めて振り向くと、金髪の乃良が口角を吊り上げて舌を回している。
「やっぱダイエットも、楽しくやんなきゃな!」
その笑顔はなにかを企んでいる時の笑顔だと、博士にはお見通しだった。
●○●○●○●
「ドーブネーズミ、みたいにー、うーつーくーしーくーなーりーたいー」
とある密閉空間、番号は809。
「しゃーしんーには、映らないー、うーつーくしさーがあーるーかーらー」
どれだけ大声を上げても苦情にならない一部屋に、オカ研部員達は密集して今大声を上げようとしていた。
「「「「リンダリンダー!」」」」
「お前絶対カラオケ行きたかっただけだろ!」
四重奏で放たれた歌声に、たった一人の博士の大声が勝る筈もなく、博士の声はカラオケの防音壁に呑み込まれてしまった。
乃良達はそのまま全力でブルーハーツに身を投じる。
千尋はマイクを片手に歌いながら、もう片手には壁に備え付けられた電話を用意していた。
「すみません、山盛りフライドポテト一つ!」
「いい加減にしろ!」
千尋のダイエットが達成されるのは、やはり夢のまた夢だった。
●○●○●○●
夕暮れの帰り道、オカ研部員達はカラオケから並んで歩いていた。
「いやー、楽しかったなー!」
「そうだねー!」
密室で歌い合った瞬間を思い出して、また行きたいねと乃良達は笑い合う。
その時、千尋の脳裏に衝撃が走った。
「あっ! 私今日全然ダイエットしてない!」
「今頃気付いたのかよ」
ポテトを片手に気持ち良さそうに歌っている姿に、疾うの昔に諦めたのだとばかり思っていた。
「どうしよー! このままじゃあおデブ街道まっしぐらだよー!」
頭を抱えて項垂れる千尋に、一同はどう声をかけようかと悩んでいるようだ。
ただ一人を除いて。
「別に太りゃあ良いじゃねぇか」
「あぁ!?」
喧嘩を売られたのかと思い、千尋は博士に鋭い眼光を向ける。
しかし博士は、別に喧嘩を仕掛けた訳ではなかった。
「お前、今日楽しかったんだろ? ならそれで良いじゃねぇか。お前がダイエットするっていうからあれこれ言ったけど、ダイエットなんて関係無しに好き勝手遊んでる方が余っ程お前らしかったぞ。それで太っちまうんだったら別に良いんじゃねぇか?」
思わぬ言葉に千尋は目を丸くする。
確かに今日一日千尋は楽しかった。
きっとダイエットという縛られた生活の中では、このような楽しさを感じられる機会は滅法減るだろ。
ダイエットに着手するのは、今の日常が無くなった時にでも良いのかもしれない。
「……そっか」
そう思えた時、千尋の口元から幸せが零れた。
「よし! それじゃあこれから皆でご飯食べに行こう!」
「おっ、良いね!」
「なに食べますか?」
「トンカツ!」
「太るぞバカ」
「太っていいって言ったのアンタでしょ!?」
「別に太っていいとは言ってねぇよ。楽しく過ごした結果太っちまうのは良いんじゃねぇかって言っただけだ。わざわざ太りに行くバカはいねぇだろ」
「なにをー!」
こんな数日後に忘れてしまうような会話も、今は愛おしい。
だから忘れない間にまた写真に残しておこう。
きっと数年も経てば、この時ダイエットを諦めて高校時代楽しんで良かったと、写真を見返して思い出す筈だ。
昨日の中庭の昼食の様に。
ダイエット<青春。
ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!
いつ頃からかは忘れてしまいましたが、千尋がダイエットに挑戦するというネタが浮かんでいました。
久々の日常回という事で、今回満を持してそのネタを突っ込んだ次第です。
ダイエットといっても色んな方法があるので、今回はとにかく全部に挑戦してみました。
結局自分に甘えて失敗してしまうのはダイエットネタの定番ではありますが、千尋らしくて良かったのではと思います。
今まで色んな場所にお出かけしたハカセ達ですが、「そういえばカラオケ行ってないな」といつからか気付きました。
まぁ別に無理して行かなくても良いかーと思ってたんですが、丁度今回部員全員で行く事に。
リンダリンダを熱唱する楽しそうなオカ研を少しでも書けたので良かったかなと思います。
それでは最後にもう一度! ここまで読んで下さり有難うございました!




