【219不思議】本当の恋
放課後のオカルト研究部。
いつもなら喧騒に包まれている筈の部室も、今日は風に揺られる木の葉の音が聞こえるぐらいに静かだった。
「この大学は学部が豊富で、色んな企業とも繋がりがあるから就職率も悪くない。ただ学費は他と比べて高めで、距離もここからだと結構あるから交通費もかかる。資金と偏差値に余裕があるのなら、候補に入れていいと思う」
大学のパンフレットを捲りながら、百舌がそう紹介する。
部室には百舌と小春の二人きり。
百舌ははす向かいに座る小春に対して大学紹介を続けていたが、小春から返答が戻ってくる事は無かった。
「……どうした?」
小春の異変に気付いて、百舌が小春の様子を窺う。
今の小春には、進路について考える余裕など無かったのだ。
白昼に見た百舌と知らない女子生徒のツーショットが、脳裏に焼き付いて離れない。
「……あの」
小春は理子から勇気を貰い、意を決して切り出した。
「訊きたい事があるんですけど」
「あー、黒部の事?」
小春から『訊きたい事』の全貌を聞いた百舌は、今日の朝食でも答える様な調子で口を開いた。
「黒部?」
「あぁ、今俺の隣の席でな。あいつ、目がすっげぇ悪いらしいんだけど、最近眼鏡壊しちまったんだと。あいつの眼鏡度の強い特注の眼鏡らしいから、新しいの作るのに時間がかかるみたいで、それまで俺が移動教室とか連れて行くって事になっちまったんだよ」
白昼に見た景色をもう一度思い返してみる。
女子生徒に裾を引っ張られながら歩いていたのは、女子生徒を教室に誘導していたという事だろうか。
確かにそう捉える事も出来なくはなさそうだ。
「……それだけ?」
「それだけだけど?」
もう進路について考える気力も失せたのか、百舌は閉じていた本を開いてしまっていた。
「そうですか……」
小春は百舌の回答にそう呟く事しか出来ず、そのまま俯く。
胸につかえていた疑問が解消されても尚、その引っかかりは未だ残っていた。
●○●○●○●
時は過ぎ、進路希望調査書の提出期限が遂に訪れた。
生徒達が心躍る週末に浮き足立つ中、小春はいつもの歩調で放課後の校舎を一人で歩いていく。
百舌と二人きりの進路指導も今日で終わりだ。
小春の両手には、肝心の進路希望調査書が早くも握られている。
提出期限間近だというのに、そのプリントは貰った時から何も変わっていない。
今の小春は正直それどころではないのだ。
――隣の席だからって、移動教室まで連れて行ってあげるものかしら……?
あの日百舌の口から吐かれた回答が、ずっと小春の中に渦巻いている。
それでもこれ以上百舌に踏み込んだ質問をぶつける事も出来ずに、小春の脳内は手元のプリント同様真っ白に染まっていた。
そんな状態では前方の注意も儘ならない。
案の定、前から歩いてきた人影に気付けず、小春は衝突事故を起こしてしまった。
「わっ!」
「きゃっ!」
二人の体はぶつかり、廊下に倒れる。
小春はすぐに体を起こして、真っ先に相手へと頭を下げた。
「すみませ」
そこで小春は目を疑う。
自分と衝突した相手は、なにを隠そう百舌と二人で歩いていた噂の女子生徒だった。
「ううん、こちらこそごめんね」
黒部も体を起こし、乱れたショートボブを軽く整える。
衝撃で硬直してしまった小春に代わって、黒部は床に離れてしまった進路希望調査書を拾い上げた。
「進路希望か。良い大学見つかるといいね」
黒部はそっと立ち上がると、小春にプリントを手渡す。
その妖艶な笑顔に、小春は無言で受け取る事しか出来なかった。
「それじゃあ」
ひらりと手を振って、黒部は歩き出してしまう。
やはり視力は相当悪いようで、壁際を手で確かめながら慎重に歩いている。
完全にこちらの過失で起こった事故だろう。
勝手に妬んでいる相手にぶつかった挙句、こうも助けられてしまい、小春は恥ずかしくて情けなかった。
しかし、不意に小春の中に違和感が芽生えた。
あまりに自然過ぎて、今まで気付かなかった違和感。
しかし一度気付くと、その違和感が気持ち悪くて堪らなかった。
「……なんで分かったの?」
小春の声に、先を歩いていた黒部の足が止まる。
黒部がこちらに振り返った時、小春もスカートを整えて立ち上がっていた。
「なんでこのプリントが進路希望調査書って分かったの?」
小春が持っている一枚のプリント。
それを見ても尚、黒部には小春の言っている意味が全く読み取れなかった。
「……ちょっと言ってる意味が分かんないな。だってそこに書いてあるじゃない」
「私、オカルト研究部ですの」
その発言に、黒部の心臓が反応する。
「百舌先輩から貴女の話を少し聞いた事がありますの。黒部先輩ですわよね? 私が黒部先輩について聞いたのは、一人で教室も移動できないぐらい目が悪いって事です。なんで一人で教室も移動できないぐらい目の悪い貴女が、このプリントに書いてある文字を読む事が出来ますの?」
黒部は面を食らった様に目を丸くする。
問い詰めてくる小春の視線は、こちらの首先を狙う獲物の様に尖っていた。
ただ、そんな小春に黒部は笑みを溢した。
「……そっかぁ。百舌君、私の事話してたんだぁ」
黒部の瞳に、小春は映っていなかった。
「ねぇ、他どんな事言ってた?」
大層嬉しそうに問い掛けてくる黒部は、無邪気に頬を染めていた。
その笑顔が、しっかりと小春の逆鱗に触れる。
「目、悪くありませんの?」
「悪いよ? でも、教室一人で行けないぐらい悪くはないかなー。勿論百舌君の顔だって、はっきり見えてるよ。あの顔、すっごく好みなんだよねー」
こちらをからかう様な黒部の声が癪に触る。
「何故そんな嘘を吐いて百舌先輩を騙してますの?」
「人聞き悪いなぁ。女の子の嘘はスパイスみたいなものでしょ? そんな怖い顔しないでよ」
黒部の言う通り、小春の表情は鬼も逃げる様な険相だった。
そんな小春に、黒部は「分かった」とでも言う様に顔を明るくする。
「あっ、もしかして、君も百舌君の事が好きなんでしょ?」
今更誰にそう言われたところで、否定するつもりはない。
「やっぱり、百舌君カッコいいもんねー。それに優しいし」
勝手に一人で語り続ける黒部を、小春は相槌を打つ事無く静観する。
小春にとっては、それが些細な反撃だった。
「……でも、ごめんね」
しかし黒部の次の一言に、小春の反撃も崩れる事となる。
「私、これから百舌君に告白するの」
「!?」
黒部から吐かれた衝撃の発言に、小春は溜まっていた憤りも忘れて驚きを露わにする。
「もう約束もしててね。今日の十七時に、教室で待ち合わせって事になってるの。だから君は、今のうちに新しい恋を見つけると良いよ」
まるでもう告白の成功を確信しているような言い草。
自分の告白に余程の自信があるようだ。
「あっ、そうだ。これから部活でしょ? だったら私の事宣伝しといてよ。『黒部先輩は、私がぶつかって落としたプリントを拾ってくれました』って」
本来の小春なら、人目も気にせず怒鳴り上げて激昂しているところだろう。
しかし今の小春は、怒りよりも驚きに囚われていた。
何も言い返そうとしてこない小春に対し、黒部はまるで勝ち誇ったかのように微笑む。
「それじゃあ、よろしくね」
そう言って、黒部は踵を返して歩き出してしまった。
黒部の背中がどんどんと小さくなる。
小春はその背中をただ眺める事しか出来ず、手にしていた進路希望調査書がぐしゃっと皺を生んでいた。
●○●○●○●
部室に着くと、百舌が一足早く椅子に腰掛けていた。
小春もはす向かいに座って、ぐしゃぐしゃになってしまった進路希望調査書を机に置く。
これまでの放課後で百舌の悩んでいる大学の紹介は済んでおり、二人してパンフレットを眺めているだけだった。
着実に日の落ちるスピードは速くなって、もう西日が窓から差し込んでいた。
部室にはパンフレットの擦れる音だけ。
ふと百舌が小春に目を向けてみる。
小春は進路希望調査書に目を落としてはいるものの、その目に魂は宿っていない。
完全に他の事を考えているのは、傍から見ても確信できた。
次に時計で時刻を確認する。
今日の百舌は、放課後部室を訪ねる以外に、もう一つ予定があった。
「……悪い。今日は予定あるからもう帰るわ」
百舌が立ち上がって、椅子が床を傷める音が響く。
「良い大学、見つかるといいな」
そう声をかけてもこちらに目さえ向けようとしない小春に、百舌はそれ以上何も言わずに扉に向かって歩き出した。
「予定……、黒部先輩のところですか?」
突如挙げられた名前に、百舌は振り返る。
小春は依然椅子にくっついたまま俯いていた。
「……なんで知ってるの?」
単純に湧いて出た疑問を、百舌は真っ直ぐに尋ねる。
その疑問に、小春は答えてくれなかった。
「……行かないでください」
小春の声が震える。
小春の異変には気付いていた百舌だったが、そこから足を小春のもとに伸ばす事は無かった。
「……なんで」
「お願いです。行かないでください」
百舌の問い掛けも無視して、小春は主張を続ける。
理由も示してくれない一方的な主張に耳を貸す訳もなく、百舌は見切りをつけて扉に向かって一歩を出した。
「待って!」
小春も立ち上がって、声だけで百舌を止める。
百舌ももう一度その場で足を止めた。
「行かないで……、お願いだから……」
ぐらっと小春の視界が歪む。
今まで何人もの男の瞳に恋をしてきた。
そしてその男の数だけ失恋をしてきた。
何度も恋と失恋を繰り返してきた小春だが、それでも彼女の中に告白という選択肢は生まれなかった。
別に彼女になりたいとは思わなかったから?
今の関係が崩れてしまう事が怖かったから?
実は自分が思うより好きじゃなかったから?
理由は分からない。
ただ、今日出逢った黒部という女。
今まで見かけたり、話を聞いたりとしかしてこなかった黒部だが、実際会ってみるとその笑顔の裏に緻密に張り巡らされた計算に吐き気さえ覚えていた。
絶対黒部に百舌を奪われたくないと思った。
それと同時に、告白を目前に控える黒部の事を眩しいとも思っていた。
あぁ、もしかすると、これが本当の恋なのかもしれないと、小春は胸の中で思っていたのだ。
「……好きです」
「貴方の事が、好きなんです!」
オレンジ色の光が差し込む部室。
告白には絶好のシチュエーションの中、小春の告白が静寂な部室に轟いていた。
堰を切って溢れた、人生初の告白。
ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!
とうとう小春が直接気持ちをぶつけましたね。
今回の小春編、一番最初に決めていたのがこの告白シーンでございます。
今まで気持ちを打ち明けた事のなかった小春が、どうして今回告白する事になったのか?
その理由を考えていきながら、小春編が構築されていきました。
小春の告白の原動力となった要因として、黒部というキャラクターが出てきました。
好きな人に振り向いてもらう為には手段を選ばない、というようなキャラなのですが、流石に目が見えないというのは無理が過ぎましたかね?
個人的には、憎めない良いキャラになったのではないでしょうか。
まぁ実際に居たら殴りますけどね!ww
さて、とうとう気持ちを打ち明けた小春。
それを聞いた百舌の返答は?
気になる小春編最終回は来週までお楽しみください!
それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!




