【217不思議】ノラ猫の首に鈴を付ける
午前の授業が修了し、逢魔ヶ刻高校に待望のランチタイムが訪れた。
陽気な日の光の降り注ぐ中庭では、多くの生徒達がこぞって弁当箱を開けている。
博士達も中庭で昼食を取るべく屋外に足を出した。
「ったく、コッペパン買うくらいの金用意しとけよ」
博士の隣を歩くのはおかっぱ頭の花子。
その両手には、一つの素朴なコッペパンが握られていた。
「ごめん。あとで返す」
「いいよ別にそんくらい。大体七不思議の金出どころが分かんねぇから手ぇ付けるの怖ぇんだよ」
その謎が解ける日は、最早来る事は無いだろう。
博士は早く飯を出せとごねる腹の音を感じながら、友人が確保しているであろう席を目指す。
今日は水曜日なので、五月蠅いじゃじゃ馬も一緒の筈だ。
そう思いながらいつもの席を視野に入れると、案の定友人二人が先に座っていた。
「お願い! 一日だけで良いからさ!」
「絶対嫌だ! なんで俺がそんな事しなくちゃいけねぇんだよ!」
どうやらその席は取り込み中のようだ。
――なんだ? 乃良に一日彼氏のフリをしてくれとでも頼んでんのか?
懇願の内容を盗み聞きしながら、博士は嘲笑気味にそう推理する。
しかし、その推理は当たらずとも遠からずだった。
「そんな事言わないでさ!」
「今度の日曜日、私の家で一日ペットのフリしてよ!」
聞いた事もないような懇願の内容に、博士の脳は一瞬宇宙に飛ぶ。
博士の到着に気付いた乃良は、必死の思いでSOSを叫んだ。
「ハカセー! 助けてくれー!」
「あっ、ハカセ! ハカセからもなんか言ってやってよ!」
乃良と千尋から同時に声をかけられた博士は、ようやく宇宙旅行から帰還する。
未だぼーっとする頭を押さえながら、まずは話を整理する事にした。
「取り敢えず発端を教えてくれ」
そう尋ねる博士に、千尋も熱くなっていた気持ちを抑えて、冷静に事の発端を語り始めた。
「……この前ね」
●○●○●○●
先日の昼休み。
とある二年生の教室で、机を合わせて昼食を取る女子四人組が一枚の写真に盛り上がっていた。
「見てぇ!」
由美が見せてきたスマートフォンの画面に、千尋を含めた三人は顔を近付ける。
映っていたのはすっぴん姿の由美と、真っ白な毛の美しい一匹の猫だった。
「可愛い!」
「でしょ!? もう何回見ても可愛いのようちのエンジェルトランペットは!」
「名前すごいね」
たった一枚の写真に、千尋達のガールズトークは止まらない。
「ラグドール?」
「そう! ラグドールの中でもとびっきり可愛いの!」
「女の子?」
「男の子! でもすっごく可愛いの!」
「さっきから可愛いしか言ってないよ由美」
「ていうか写真のエンジェルトランペットちょっと嫌がってない?」
朱音の指摘通り、写真に写るエンジェルトランペットの表情は、由美に捕まって吸われるのが嫌なのかどこか剣呑な表情に見えた。
しかし、飼い主にはその表情も美化して見えているようだ。
千尋も写真の猫に随分癒されたのか、ほっと息を吐いている。
「あぁ、やっぱり可愛いなー猫は」
そんな千尋に、隣の沙樹が声をかける。
「千尋も猫飼ってるんだっけ?」
沙樹の質問に千尋は硬直する。
飼っているかいないかで問われれば、答えはNOだ。
しかし千尋には、身内とも言えるような存在に一匹ニャアと鳴く猫がいた。
「んーまぁ、そんな感じかな」
思わず冗談交じりに口を零す。
その一言を、沙樹達女子三人は聞き逃さなかった。
「えっ!? 千尋って猫飼ってたの!?」
「なに!? どの品種!?」
「今度千尋の家に見に行ってもいい!?」
「えっ……、えっ?」
予想外の食いつきに、千尋は座っていた椅子をぐっと後ろに引かせる。
ここで「実はオカ研の友達が化け猫でさー」とカミングアウトする訳にもいかない。
千尋は三人の期待の眼差しに覚悟を決めて、その覚悟と共に固唾を呑み込んだ。
「しょっ、しょうがないなー! じゃあ今度の日曜日遊びにおいでよ! 私の可愛いペット見せてあげるから!」
「「「やったー!」」」
日曜日の予定が埋まった事に、一同は歓喜の万歳を上げる。
しかしこの時、千尋の脳内は今度の日曜日をどう乗り切るかでパンクしそうになっていた。
●○●○●○●
「と、いう訳なんだよ」
「知らねぇよ!」
事の発端の全貌を聞き終えた乃良は、その上で千尋に激昂していた。
「ちひろんが勝手に余計な事言って後に引けなくなっただけだろ!? なんで俺がそんなのに付き合わなくちゃいけねぇんだよ! 『ごめん、本当はペットいないの』って謝れば済む話だろうが!」
「そんな簡単ならこんなに頼んでないよ! 一日だけなんだからちょっとくらい協力してくれてもいいでしょ!?」
「断る!」
乃良の意志は相当頑固で、一向に首を縦に振る素振りはない。
一方の博士は、早々に興味が尽きて弁当箱のおかずを口に含んでいた。
「……別にやってやりゃあ良いじゃねぇか」
「いいや! ハカセは分かってないんだ!」
もごもごと口を開いた博士に、乃良が力説に入る。
「いいか!? ペットになるっていうのは言わば人間の眷属になるって事だ! 善人のペットになるならまだしも、趣味の悪ぃ奴のペットになっちまったら最後! なにをされるか分かんねぇ! 一生そいつの玩具にされちまうって事なんだよ!」
人間には分からない、飼われる側の叫び。
ただその叫びは、密かに千尋の逆鱗に触れていた。
「ねぇ! それって暗に私が趣味の悪い人間だって言ってる!?」
「ちひろんがそうじゃなくても、ちひろんの友達がそうだとまでは分かんねぇだろ!」
「私の友達は良い子ばっかりだよ!」
「そうだとしても俺はもうペットにはなりたくねぇんだよ!」
どれだけ交渉しても、話は平行線のまま。
「ねぇお願い! ちょっとはお小遣いあげるからさ!」
「ふざけんな! 猫に小判とでも思ってんのか!? 小遣い程度の安い金じゃあ俺は絶対動かないぞ!」
「ちゃおちゅーるあげるから!」
「しょうがねぇなぁ!」
――安っ。
あれだけ頑なだった意志を急回転でひっくり返した乃良に、博士が心の中でそう呟く。
何はともあれ、これで交渉成立。
こうして日曜日、乃良の一日ペット生活が決定した。
●○●○●○●
そして当日。
千尋の部屋にて、女子三人の三重奏が響き渡る。
「「「可愛いー!」」」
沙樹達の目に映るのは、千尋の膝に丸くなる一匹の猫。
勿論、乃良である。
「やっぱ可愛いねー!」
「でしょー?」
「触ってもいい?」
「あんまり人に慣れてないから程々にね」
あまり触らないように呼びかけたのは、千尋なりの気遣いだ。
こちらを悶えるように凝視してくる女子三人を、乃良は円らな瞳で見つめる。
――あー、やっぱりこの視界は慣れねぇな。
低い視界から見上げる女子三人は、さながら戦隊物の街を襲う怪物同然。
今の乃良からすれば、女子高生は恐怖の対象に他ならなかった。
そんな事を目の前の猫が考えているとはつゆ知らず、沙樹は千尋に声をかける。
「ねぇ、名前はなんていうの!?」
「えっ?」
突然の質問に千尋は惚ける。
「名前! ペットなんだからあるでしょ!」
そう、ペットの名前を尋ねるのは当然の質問だ。
「あぁ、名前は乃……」
思わず自然と乃良の名前を口走りそうになり、千尋は咄嗟に口を噤む。
永遠の様に長く感じるシンキングタイムを経て、なんとか別回答を捻り出す。
「……ノストラダムスっていうの」
――預言者か!
「すごい名前ね」
「エンジェルトランペットに言われたくないと思うよ」
千尋の珍回答により、今日の乃良の名前はノストラダムスとなってしまった。
命名権を訴えたかったが、今の乃良の姿でそう叫ぶ訳にもいかない。
「えへへ、実は私こんなの持ってきたんだ」
そう言って鞄を漁り出したのは沙樹だ。
なにを取り出すのかと乃良も一緒に眺めていると、鞄から出てきたのはピンク色のふわふわが付いた棒。
「じゃじゃーん!」
そう、それは乃良筆頭に猫が大好きな玩具。
「猫じゃらし!」
「そう!」
鞄から出てきただけなのに、乃良は涎が垂れる程に釘付けになってしまった。
「ほーれノストラダムス、私と一緒に遊びましょー」
沙樹は乃良を誘惑するように猫じゃらしを揺らす。
右へ左へ揺れる猫じゃらしに、乃良は興味津々に飛び回った。
――畜生! こんなので遊びたくないのに!
理性ではそう思っていても、猫としての本能が身体を止めさせてくれない。
沙樹の動かす猫じゃらしに踊らされるばかりだ。
乃良の反応が愛らしいのか、沙樹は一向に猫じゃらしを振り続ける。
それに合わせて、乃良も猫じゃらしを追いかけ続けた。
それからどれくらいが経っただろうか。
――しんどい!
乃良の体力は限界に近いところまで達していた。
――どんだけ動かすんだよこいつ! もう疲れたよ! こちとら動いてたら死ぬまで追いかけちまうんだからいい加減止めてくれよ!
乃良の心の声が届く筈もなく、沙樹は猫じゃらしを揺らす手を止めようとしない。
そんな沙樹に待ったをかけたのは意外な人物だった。
「こら沙樹、そんなんじゃノストラダムスが疲れちゃうでしょ」
朱音はそう言って、興奮していた乃良を抱きかかえる。
「猫だって疲れるんだからさ。マッサージしてあげないと」
猫じゃらしの呪縛から解放された乃良を、朱音は仰向けに寝させる。
そこから首、腕、肉球と両手で全身を揉んでいった。
「痒いところありませんかー?」
――あぁ、なんだこれ……。確かに気持ちいい……。
朱音のマッサージの腕前は確かなもので、気を抜けば夢の世界に落とされそうになる。
しかし、乃良には気を抜けない理由があった。
――でもこれは……、
ふと目を開けると、こちらを見下ろす女子高生が一人。
――恥ずかしい!
そう、乃良は猫であり、一人の男子高校生なのだ。
――ダメだ! 同じ高校に通ってる女子に全身マッサージされてるとか恥ずかしくて仕方ない! こちとら全裸なんだよ! 別に女子とかそんなの普段気にしないけど、これは流石にマズすぎる!
乃良の心の声は勿論誰にも届かない。
時間をかける程にマッサージは精度が増していき、乃良は気を失いかけていた。
「ちょっと! 二人ばっかりズルいよ!」
朱音の手から乃良は強奪され、マッサージは強制終了される。
正気を取り戻した乃良の前にいたのは、饅頭の様な顔をした由美だった。
「やっぱり猫への愛情表現と言ったらこれでしょ!」
由美はそう言って、乃良に顔を近付ける。
こちらに迫りくる唇に、乃良は猫だが全身に鳥肌を立たせた。
――!
これからこちらを襲ってくるであろう危険に乃良は全力で脱出しようとするも、エンジェルトランペットで慣れているのか由美の手は決して乃良を離そうとしない。
結局、乃良は由美の吸引力の餌食となった。
「ニャァァァァァァァァァァァ!」
乃良の猫らしい断末魔が石神宅に轟く。
乃良の正体を唯一知る千尋は、同級生の男子に好き勝手暴れる沙樹達を見て、一人なんとも言えない気持ちになっていた。
●○●○●○●
時間も良いぐらいに経ったという事で、沙樹達とは現地解散でお開きとなった。
妙に静かに感じる自室で、千尋はベッドに腰を下ろす。
「……お疲れ」
隣には猫耳までぐったりとした人型の乃良が座っていた。
口には報酬のちゃおちゅーるが咥えられている。
「ごめんね、沙樹達随分はしゃいじゃって」
あれからも散々女子三人の手玉に取られてしまい、乃良は息をするのでやっとの状態にまで追い詰められていた。
自分が無理に頼んだ分、千尋も反省しているようだ。
「……良いよ別に」
乃良はそう言って、空になった容器をゴミ箱に捨てる。
その言葉が世辞でない事は、綻んだ口元から推測できた。
思い出されるのは自分が沙樹達に弄ばれていた時、影にひっそりと見えた千尋の表情。
「ちひろんが笑ってくれるんなら、俺はなんだっていいよ」
飾り気のない、純度百パーセントの笑顔。
その笑顔に、乃良は何故か懐かしさを覚えていた。
「なんでかなぁ……」
乃良はくるりと隣の千尋に目を向ける。
千尋は乃良の言っている事が上手く理解できず、きょとんと惚けた顔をしている。
そんな千尋に、乃良は二十年前のペット時代を思い出していた。
「……やっぱり、どこか似てんのかなぁ」
その真意を乃良に尋ねようとしたその時、
「……それって」
ガチャッと扉の開く音がした。
慌てて振り返ると、先程部屋を出た筈の沙樹が何故かそこに立っていた。
「……いや、忘れ物してさ。すぐそこで気付いたから連絡せずに取りに行っちゃおうって思ったんだけど……」
沙樹の目に映るのは、千尋と一人の男子。
その男子が先程まで一緒に遊んでいたノストラダムスだとは、夢にも思うまい。
結果、沙樹が辿り着いた答えはたった一つだった。
「ごめん! お邪魔しました! でも私達と遊んですぐ男連れ込むのはよくないと思うよ! 取り敢えずまた明日!」
「ちょっ、違う! 沙樹待って!」
――最近俺よく誤解されるなぁ。
急いで家から出て行こうとする沙樹を狼狽して追いかける千尋を見て、乃良は静かに心の中でそう呟いていた。
ペットはつらいよ。
ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!
久し振りに乃良がメインの、猫の慣用句がサブタイトルの回を書こうと、まずはサブタイトルから決まりました。
それからどんな話にしようかなと。
猫をネタにした話は今まで幾つか書いてきたし、相当悩みました。
相当悩んだ結果、一日彼氏ならぬ一日ペットをするという、割と突飛なネタになったかなと思います。
ここで思いがけず千尋の友達四人の名前が登場しましたね。
当初の僕はなるべくメイン以外の登場人物の名前は出さない方針でいたのですが、こうして名前を出す機会が増えたので、前から名前考えとけば良かったかなと後悔しています。
それと最後の乃良の意味深な台詞。
随分と前に言ったと思いますが、乃良と千尋の関係を発展させるつもりはありませんでした。
そんなスタンスでいた僕としては、随分と踏み込んだ台詞となっています。
勿論今もそのスタンスが変わった訳ではありませんし、これからも二人の関係がどうにか変わっていく訳ではありません。
それでも、きっとこの二人はただの友達ではないよねと、そう思わせられる台詞になったかなと思います。
それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!




