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【208不思議】後の文化祭

 盛大な盛り上がりを見せた文化祭も、少しずつエンドロールが迫ってきていた。

 未だ生徒達の賑やかな声が残る校舎には、窓から目を瞑りたくなる程の西日が差し込む。

「なぁ、お前フォークダンスどうするんだよ?」

 自らの教室に帰る途中だった博士の耳に、通りすがりの男子高校生の声が届く。

「別に何も決めてないけど」

「俺さぁ、西尾さん誘おうと思ってんだ」

「西尾ってA組の? やめとけよ。絶対競争率高いって」

「いやでも俺は誘うって決めたんだ」

「でももう相手決まってるかもしんないぞ」

「それでも俺は西尾さんと踊りたいんだ!」

「やめとけ。お前じゃ無理だって。文化祭最後苦い思い出で終わらせたくないだろ?」

「なんでそこまで言うんだよ! 友達なら応援してくれよ!」

 男子二人は、他愛もない会話を垂らしながら視界の外に消えていく。

 特に接点の無い、学年さえも違う生徒だったが、博士はその会話に人知れず耳を澄ましていた。

 文化祭の終演を飾るは後夜祭。

 出し物などで出た廃材をキャンプファイアーの薪にし、その火を囲んで男女二人でフォークダンスを踊るのが、この学校の文化祭の恒例行事だ。

 昨年もそんな事があったなと、博士は密かに思い出していた。

「ハカセー!」

 そこにこちらを呼ぶ声が飛来し、博士は振り返る。

 見覚えのあるその顔は、博士のクラスメイトだった。

「休憩交代だろ? あとよろしくな」

「あぁ」

 クラスメイトは博士に残りの仕事を任せると、もう一人の友人と共に僅かとなった文化祭へと足を伸ばした。

「よーし! ようやく行けるぞー! メイド喫茶!」

「昨日からずっと行きたがってたもんな」

「俺は今から可愛いメイド達と、ポッキーゲームや王様ゲームして遊ぶんだ!」

「メイド喫茶はそういう店じゃねぇぞ」

 小春や理子と遭遇したら、クラスメイトの夢は音を立てて崩れそうだ。

 そう心に思いながら、博士は仕事の待つ二年A組の教室へと歩いていった。


●○●○●○●


「ああ、ああああ」

「「キャァァァァァァァァァァァァァァァ!」」

 お化け屋敷と化した二年A組の教室に、女子二人の絶叫が重なる。

 女子達は恐怖のままに走り出してしまい、瞬きの内に目の見えない場所へと消えてしまった。

 その場に残された貴族扮する乃良は、意地の悪い笑みを溢す。

「ふっふっふ、やっぱ悲鳴は最高だな」

「そんな悲鳴が好きならMP3で悲鳴落とせば?」

 MP3に悲鳴があるかは甚だ疑問だが、そうすれば乃良の欲求は存分に満たされるであろう。

 そんな博士の提案に、乃良はチッチッチッと舌を鳴らす。

「分かってないなーハカセは。誰の悲鳴でも良い訳じゃねぇんだよ。『私全然怖くないですよ』なんて強がってる女子が堪らず叫ぶあの甲高い悲鳴が良いんじゃねぇか!」

「知らねぇよ。なんだその悲鳴フェチ」

 乃良の好みな悲鳴に、博士は納得しかねた。

 未だ熱く語ろうとする乃良に付き合っていられないと、博士は目を逸らす。

「……ちょっと花子の様子見てくるわ」

「おぅ、行ってら」

 花子のもとへと歩き出した博士を乃良は見送ると、次なる標的の悲鳴に期待しながら定位置にスタンバイした。


●○●○●○●


 一方、突如後ろから現れた乃良に絶叫して逃げてきた女子二人は、息を荒らしながらお化け屋敷の出口目前で立ち尽くしていた。

「ビッ、ビックリしたぁ……」

「心臓止まるかと思った……」

 思いがけない全速力に、二人共体力を酷く消耗しているようだ。

「もう出口もすぐそこだし、早くここから出」

 そう語りかけた女子の声が止まる。

 女子の瞳は、揺れながらもう一人の女子の背後を捕えている。

 もう一人の女子は振り返りたくないと心に思いつつも、結局は好奇心に敗れて首を百八十度回してしまった。


 そこにいたのは、長髪の隙間からチュロスを齧る女幽霊だった。


「「キャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!」」

 女子二人は体力が底を尽きていたのも忘れて、再び全速力で走り出してしまった。

 残された花子は、何事かと不思議そうに首を傾げる。

 チュロスを食べているのは、単純に休憩中に見つけた屋台のチュロスが美味しそうだったから。

 要約すればサボリである。

 それでもこうしてチュロスを食べているだけで恐怖は絶大なのだから、流石は本物の幽霊といったところだろう。

 ふと花子の左手に掴まれた髪留めが床に落ちる。

「あっ」

 博士から貰った大切な髪留めだ。

 花子はそれを拾おうと、四つん這いになって髪留めを探し出した。

 しかしただでさえ薄暗い教室の中、長髪のカツラを被る花子の視界は最悪だった。

 そんな最悪なタイミングで、博士は花子のもとに辿り着いた。

「なにやってんだお前は」

 聞き馴染みのある声に、花子は顔を上げる。

「ハカセ?」

「あーあー、だから髪留めしろって言ってんだろ」

 今それを探していたのだが、博士がそれに気付く術は無い。

 花子の顔面に垂れかかる暖簾の様な前髪に、博士は深く溜息を吐いた。

「おら、こっちに来い」

 博士はポケットに入れた予備の髪留めを用意しながら、花子をこちらへと招く。

 花子も言われるままに立ち上がって、博士の傍へと歩み寄った。

 しかし前方の不明瞭な花子には、距離感が測れなかった。

「うわっ!」

 花子はそのまま博士と衝突し、二人揃って床に倒れ込む。

 目を開けると、床に頭を打った博士が自分の体の下敷きになっている事が分かった。

「……ごめん」

「いや別に」

 こんなトラブルは日常茶飯事だ。

 それよりも博士に衝撃を走らせたのは、花子の奥に映った影だ。

「!」

 博士はその影に目を見開く。

「今から退」


 そう声を上げようとして博士の体から離れようとした花子を、博士は強制的に壁へと追い詰めた。


 花子の口は博士の右手で覆われ、博士の顔は花子の頬に触れる程に迫る。

「ふぁかせ」

「ちょっと黙ってろ」

 右手の中でもごもごと動く口を感じながら、博士は花子の奥から目を逸らさなかった。

 花子の奥にいたのは二人の生徒。

 お化け屋敷の客人だ。

「なんか思ってたより怖いねぇ、春ちゃん」

「どこがですの? 所詮こんなもの高校生が作ったまやかし。もし何か出てきたら、私がまとめて成仏させてやりますわ」

「出てくるのは皆人間だよ」

 どうやらその客人は、博士達の後輩のようだ。

 ――なんだ、板宮と武田か。

 見知った客人の顔に、博士はそっと胸を撫で下ろす。

 お化け屋敷のド真ん中で倒れている訳にはいかないと慌てて壁際までやってきた訳だが、相手があの二人ならそう慌てる必要も無かったかもしれない。

 そう安堵する博士の顔を、花子は眺める。

 眼鏡の奥の澄んだ目。

 キリッと立つ高い鼻。

 暴言の飛ぶ減らず口。

 博士の顔をここまで至近距離で見られる機会もそうそうなく、花子はその顔立ちに見惚れていた。

 一方の博士も、客人の小春と賢治から目が離せなかった。

「あれ、春ちゃん何か聞こえない? 鋸の音みたいな」

「どうせあれよ。誰かの着信音か何かよ」

「着信音が鋸の音は斬新すぎるよ」

 ボトッ。

「あっ、春ちゃん。何か落ちてきたよ」

「……手ね」

「ほんとだ。手だね」

 暢気な会話を続けていると、後ろから貴族の格好をした乃良がぐっと二人に忍び寄った。

「ああああ」

「キャァァァァァァァァァァァァァァァ!」

 突然の急襲に、小春が喉から絶叫を捻り出す。

 そのまま防衛本能から、自身の右拳を乃良の腹部に力の限り殴りつけた。

「南無三!」

「ぐはぁっ!」

 予期せぬ逆襲に乃良は直撃し、痛みに悶絶する。

「なにするんだよ!」

「貴方が悪いんですわ! 貴方がいきなり背後から私を脅かそうとするからこんな事になるんですわ!」

「お化け屋敷ってそういうもんだろ!」

「良かったですね加藤先輩。殴ったのが僕じゃなくて春ちゃんで」

「良くはねぇよ!」

 お化け屋敷の内部とは思えない程の喧騒が響き渡る。

 その喧騒を、博士は苦い表情で見守っていた。

「なにやってんだあいつら……」

 思わず心の声が口に漏れる。

 不意に思い出して、博士は視線を奥の乃良達からすぐ傍に戻してみる。

 そこでは自らの手で顔半分を塞がれた花子の無垢な瞳が、ひたすらにこちらを凝視していた。

「うわぁっ! わっ、悪ぃ!」

 自分の置かれている状況を思い出して、博士は慌てて花子から離れようとする。

 しかし花子の右手が、博士を離してくれなかった。

「!」

 花子に掴まれたTシャツに、博士は硬直する。

 その力はとてもか弱かったが、不思議とどれだけ抵抗しても振り払えないような気力を感じた。

「花子……?」

 博士は花子の顔を覗くように名前を呼ぶ。


「……もうちょっとだけ」


 その一言で、博士の心を雁字搦めにするには十分だった。

 肌が触れるような、触れないような距離感で、二人は仄暗いお化け屋敷の隅に身を寄せ合う。

 甲高い悲鳴が遠く感じる程、二人の世界は別空間に遷移されていた。


●○●○●○●


 二年A組『チェ・ホンマン』の出口付近。

「全然怖くありませんでしたわ」

 小春は平然とした顔でそう断言した。

「なに強がってんだこはるん! 俺が出てきた時デッケェ声で悲鳴上げてたじゃねぇか!」

「あれはちょっとビックリしただけですわ! 本当にそれからは不思議なくらいに何も無かったですし、怖いところなんて一つもありませんでしたわ!」

「なんだと!? 俺にビビってるようじゃ最後は失禁する筈だぞ!」

「どんなラストですの!」

 乃良と小春の言い争いを聞きながら、博士の顔が歪む。

 乃良の言う失禁級のラストを飾る花子は、その間博士と二人でなんやかんやあって、二人の前に登場できなかったのだ。

 もっともその理由など口が裂けても言えなかったが。

「でも楽しかったですよ」

「ほんと? それなら良かった!」

 乃良と小春の余所で賢治と千尋が声を交わすと、校内にアナウンスが鳴り響く。

『これにて二日間に渡り行われた文化祭を終了致します』

 文化祭終了の報せだ。

『各クラス、部活動は作業を終了し、後片付けに入ってください。三十分後、後夜祭を行いますので、処分のし切れない廃材はグラウンド中央まで運んでください』

 ピンポンパンポンと校内放送が終わり、一同は体を伸ばした。

「あー終わったー!」

「あっという間でしたね」

「嫌だー! まだ文化祭やりたーい!」

「何言ってんだちひろん! これから後夜祭だぞ!」

「あっ! そうだった! 後夜祭だ!」

 千尋の暗くなった表情に、明るい光が差し込む。

「よーし! まだまだ楽しむぞー!」

「そうと決まればまずは片付けだ!」

「僕達もそろそろ自分達の教室に戻ろっか」

「そうね」

 これから始まるキャンプファイアーに想いを馳せながら、一同それぞれの教室へと戻っていく。

 花子も千尋達の後を追って、片付けに教室に入ろうとした。

 その時、

「花子」

 後ろから声がして、花子は振り返る。

 そこに立っていた博士の表情は、いつもよりも惑わされていた。

「いやっ、その……あのさ」

 文章とは言えない拙い文字列。

 花子が首を傾げて次の言葉を待っているが、博士の口からなかなか本題が出てこない。

 しかし、博士は変わった。

 花子を好きになったあの日から、博士は確かに変わったのだ。

 博士はそれを受け入れるように深く深呼吸をし、迷いのない目で花子にそう告げた。


「……フォークダンス、踊るだろ?」


 博士の言葉に、花子の時間は止まる。

 今の今までフォークダンスという概念を忘れていたというのが本音だ。

 しかしそれでも花子の鼓動はドクンッと跳ねる。

 心臓は既に止まっているが、花子の鼓動は確かに左胸の奥にあった。

「……うん」

 花子は小さな声で頷く。

 博士の耳にギリギリ届くような、そんな声だった。

「……じゃあ片付けが終わったらグラウンドな」

 博士はそう言って、花子の横を通り過ぎて教室の中へと入った。

 自分の体の火照りを悟られないように、敢えて花子から少し離れた位置から横を通って。

 勿論花子は気付かない。

 それよりもこれからのフォークダンスに、今から期待がはち切れそうだった。

 こうして今年の文化祭も幕を閉じた。

 二人は約束通りキャンプファイアーの傍でダンスを踊り、慣れない足でお互いの足を踏み合いながらも、その姿は実に満足そうだった。

文化祭終了!

ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!


という事で文化祭編完結でございます!

いかがだったでしょうか!?


最後はハカセと花子にスポットライトを当てた回にしました。

文化祭のお化け屋敷といえば、暗がりで男女が人知れずくっつくという偏見に似た定石が僕の中にありまして、如何にして二人をくっつけさせるかが今回のポイントでした。

まぁ客人が来て、そこから隠れるようにくっつくというのはすぐ決まったのですが、悩んだのはその客人を誰にするか。

安牌の小春と賢治? 前回再登場した斎藤と西園? 伏線回収の真鍋?

と色々考えたのですが、ここは安牌の小春と賢治にしました。


さて、こうして終了した文化祭編ですが、個人的には縦軸企画を作るべきだったかなと反省しています。

昨年は三年生の舞台を中心に書いていたので縦軸がしっかりしていたのですが、今回は文化祭をテーマにした短編をオムニバスにしたような感じになりました。

そんな話も好きではあるのですが、一つ縦軸があっただけで文化祭編に厚みが出たんでしょうね。

慌ててハカセの変化について縦軸みたいなのを作ってみたのですが、もっと丁寧に作るべきだったと反省の残る回となりました。


そうはいってもこれで文化祭は終了!

今回で年内の投稿は最後になります!

次回は来年! 残る学校祭のあれが幕を開けますよ! よいお年を!


それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!

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