【206不思議】2メートル越えの恐怖
夏も過ぎた九月の初旬。
群青色の空の下、逢魔ヶ刻高校は学校祭当日を迎えた。
学校祭の初日、二日目は文化祭であり、生徒一同この日の為に準備してきた企画や出し物を存分に楽しんでいるようだ。
二年A組も、その例に漏れる事はない。
「ようこそ、チェンソー伯爵のホーンテッドマンションへ! 入口はあちらからになります!」
教室の外の受付に座った千尋が、来客を最高の笑顔で案内する。
本日は制服ではなく、今日の日の為に用意したクラスTシャツに袖を通していた。
黒を基調としたTシャツには、『Choe Hong‐man』と大々的に書かれてある。
千尋の案内をもとに、二人の女子高生が教室へと入っていったようだ。
「なっ、なんか思ったより怖いね……」
「なにー? アンタこんなので怖がってんのー?」
「だっ、だって! 私こういうの苦手で!」
片方の女子が足と声をガタガタ震わせながら、隣の女子に縋りよる。
確かに周囲は妙な霊気に満ちており、普段授業を受けている教室とは思えないクオリティーだった。
しかし、もう片方の女子には少し物足りないようだ。
「大丈夫だって! 所詮私達と同じ高校生が作ったお化け屋敷でしょ? 文化祭のお化け屋敷のレベルなんて」
そう彼女がお化け屋敷について語ろうとした時だ。
声を阻むように、妙な音が聞こえてくる。
「……何の音?」
「さぁ……」
空耳かとも思ったが、確かに二人の耳に共通して聞こえる。
耳を澄ますと、ギーコギーコと聞き覚えのある音だった。
「……鋸?」
臆病な女子がそう気付くと、二人の前にボタッと何かが落ちてきた。
「「うわぁっ!」」
思わず声を揃えて、女子二人は後ろへ一歩引き下がる。
目を凝らして見てみると、薄暗い部屋の中で何が落ちてきたのかが確認できた。
それは、現実で落ちてくる筈のないもの。
「……手?」
目の前に落下してきた手に気を取られ、二人は背後から忍び寄る一人の男の存在に気付かなかった。
「あ、ああ、あ、あああ」
「「キャァァァァァァァァァァァァァァァ!」」
臆病な女子は勿論、怖くないさと鼻を鳴らしていた女子も一緒に、二人は出口へと一直線に走っていった。
絵に描いた様な驚きように、貴族の扮装をした乃良も思わず牙を光らせる。
「イッヒッヒ、やっぱり余裕ぶってる女子の悲鳴を聞くのが一番面白ぇな」
これまでの悲鳴を思い返して、乃良はまた笑みを溢した。
「ちょっと後ろから声かけただけなのにこんなに怖がられるなんて、楽な仕事だぜ」
「なに一人で喋ってんだ」
「ギャァァァァァァァァァァァァァァァ!」
いつの間にか背後に立っていた博士に声をかけられ、乃良は先程の彼女の様な絶叫を響かせた。
「ハカセ! いきなり後ろから話しかけてくんじゃねぇよ!」
「何もそんなビビる事ねぇだろ」
「いきなりはビックリするだろうが! 居るんだったら初めに『後ろいるぞ』って一言声かけろ!」
「それいきなり話しかけんのと一緒じゃねぇか?」
矛盾の残る乃良との会話も適当に、博士は本来の仕事である手の回収に取り掛かる。
落下してきた手の正体は、手作りの粘土細工だ。
「しかしなんでチェンソー伯爵なのに鋸の音なんだ?」
「それはほら、鋸の方が雰囲気あるだろ?」
「そんなんで良いのかよ。一応お前の名前冠してんのに」
貴族特有のマントを揺らす乃良に、博士は目を送る。
「ん? 俺チェンソー伯爵じゃねぇぞ?」
「えっ? 違うの?」
如何にも伯爵らしい格好をしているから、乃良が伯爵役を請け負っているのだと思っていた。
乃良は驚く博士に、自分の役職を公言する。
「俺はチェンソー伯爵の館の地下に二年間監禁されていた知り合いの貴族だ」
「チェンソー伯爵本当何者なんだよ」
今までも謎ではあったが、今回で更にその正体の謎が深まった。
博士は考えるのもバカらしくなり、溜息を吐いて元の位置へ戻ろうと踵を返す。
「アホくさ。なんだその小学生が考えたような設定は」
「なんだよ! めちゃくちゃ怖ぇだろ!?」
「何も怖かねぇよ」
博士が振り返った時、長髪の女が真正面に立っていた。
「ハカセ」
「「ギャァァァァァァァァァァァァァァァ!」」
乃良とも重なって、男二人の野太い悲鳴が館中に轟き渡った。
女の正体は、冷静になれば簡単な問題だ。
「花子……、お前なんでここにいるんだよ……。お前もっと出番先だろ……」
花子は真っ白の装束に顔が塞がる程の前髪と、どこかの映画に出てくるような幽霊に扮していた。
「ハカセ、前見れない」
「あーもう、だから本番以外はピンで髪留めろって言ったろ」
髪で視界を覆われた花子に、博士はポケットから髪留めを取り出して花子の髪を留める。
そんな花子の姿に、乃良は感心していた。
「いやー、やっぱ花子似合うなー」
「そら本物だからな」
生徒それぞれが扮装に挑戦する中、花子だけが本来の姿で文化祭に挑んでいた。
その完成度が高いのも当然で、花子はこのお化け屋敷の大トリを任せられる事となったのだ。
「ちなみに花子は、チェンソー伯爵がメイドと不倫関係の末に出来て下ろさせた筈の娘が、夢で成長して出てきた時の姿だ」
「設定が無駄に凝ってて重いんだよ」
設定を聞くだけで、博士は胃が凭れるのを感じていた。
客もそっちのけでお化け屋敷に輪を作る三人に、もう一人少女がこちらに歩いてくる。
「どうしたの? さっきから聞き覚えのある悲鳴が聞こえてくるんだけど」
「あっ、ちひろん」
「どうしたんだ美人受付嬢(笑)」
「(笑)うな!」
こちらを嘲笑する博士を、千尋は成敗する。
「受付が中まで入ってきて良いの?」
受付がいなくなっては、誰が一体このお化け屋敷を案内するのか。
乃良の不安も杞憂に、千尋は思い出したように口を開いた。
「私達交代でもう休憩の時間だって」
「あれ、もう休憩か」
時計の無いお化け屋敷の中に居ては、時間感覚が一瞬にして無くなってしまうようだ。
待ち焦がれた休憩時間に、千尋は今から興奮で体が震えていた。
「そう! だからさ、皆で一緒に行こ!」
「行くってどこにだよ」
単純に尋ねる博士に、千尋は当然だというように答える。
「どこって決まってるでしょ!?」
そう言われても、博士には実際その場に行くまで皆目見当もつかなかった。
●○●○●○●
辿り着いたその現場を目撃した反応は、十人十色だった。
博士は遠い目で見るようにそれを眺め、千尋は感動したように目を輝かせ、乃良は笑い過ぎのあまり腹痛を起こし、花子はいつも通りの無表情。
ただ一番表情を変化させたのは、当の本人だった。
その当の本人というのは、ガーリーなメイド服を身に纏った小春である。
――……最悪。
小春は貧血でも起こしたような青い顔を、両手で覆い隠した。
その隣には小春の親友で博士の妹である理子も、小春と同じメイド服姿で出迎えている。
「お兄ちゃん!?」
「なにやってんだお前ら……」
妹を見る兄の目に、今は優しさは見当たらなかった。
博士達と一緒に訪れていた賢治が、項垂れる小春に声を投げかける。
「春ちゃん可愛いよ」
「来るなって言ったわよね」
小春の目が、ギロッと賢治を睨む。
「いやほんと可愛いってこはるん! ほんと可愛……アハハハハハッ!」
「笑ってんじゃないのよ!」
「ねぇ小春ちゃん! 写真撮ってもいい!?」
「絶対にダメです!」
好き勝手に暴走する先輩達に、小春は怒りのままにメイドらしからぬ暴言を吐き散らした。
このままではいけないと、理子がそっと小春に耳打ちする。
「小春ちゃん! 一応お客様だから」
「ぐっ……!」
確かに来ていただいた客をメイドとして無下に扱う訳にはいかない。
小春は自分の感情に封をして、営業に取り組む事にした。
「……ご注文はお決まりですか?」
「あっ、さっき賢治君のクレープ屋さん行っちゃったからお腹いっぱいなの」
「けんけんのクレープ美味しかったなー!」
「ありがとうございます」
「貴方達本当なにしに来たのよ!」
取って付けただけの封じゃ、小春の感情は抑えられなかったようだ。
「なにって、小春ちゃんのメイド姿見に来たに決まってんじゃん!」
千尋はそれ以外の理由などないと、満面の笑顔を浮かべる。
「それじゃあ私達そろそろ行くね!」
「あー楽しかった!」
「春ちゃん、メイドさん頑張ってね」
「ちょっと!」
メイド喫茶の入口で散々暴れ回ると、オカ研部員達は満足したようにその場を後にしてしまった。
教室は嵐の後の静けさの様に閑散とする。
「本当に見るだけで帰った……」
「まっ、まぁまぁ……」
無茶苦茶で破茶滅茶な先輩達に、流石に理子も同情の念を湧かせていた。
ふと先程の部員達の中で、唯一居なかった部員の顔を思い出す。
「……どうせなら、あの先輩に見てもらいたかったのにね」
「!」
小春の顔が、信号機の様に青から赤へ変わる。
「なんだっけ……、百舌先輩?」
「理子!」
明確な名前まで挙げられ、小春は理子のメイド服を掴んだ。
「見て欲しくないの? 百舌先輩に」
「それは……」
小春は頭の中で悶々と想像力を働かせる。
自分は百舌家に仕える従順なメイド。
今日も百舌家の次男坊である百舌林太郎に奉仕をする毎日。
食事の用意から服の調達、読書の手助けにあんな事やこんな事まで――。
そう考えたところで、小春の想像力は爆発した。
「……無理」
「えぇっ!?」
顔面を熟れた林檎の様に真っ赤に染めた小春に、理子は驚愕に体を弾かせる。
「なんで!? 小春ちゃん可愛いよ!?」
「こんな恥ずかしい格好見せられる訳ないでしょ!?」
「やめてよ! 私まで恥ずかしくなってきちゃったじゃん!」
小春につられて、理子の顔も少しずつ赤らんでいく。
それでも理子に配慮できる程の余裕など今の小春にはなく、今にもメイド服を破り捨ててしまいそうな勢いだ。
こんな可愛い小春の恋を死ぬまで応援したいと、強く心に決めた理子だった。
一年E組はメイド喫茶でした。
ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!
今回から文化祭当日!
今回書きたかったのは前半のお化け屋敷と、後半のメイド喫茶の二本になりますね。
メイド喫茶といえば昨年は千尋がメイドの扮装をしていましたが、思い返してみれば千尋も元一年E組でしたよね。
実は元々、一年E組はメイド喫茶をするのが伝統という設定がありました。
何故それを本編で書かなかったのかというと、まだ小春達がメイド喫茶をするかどうかが未定だったからです。
ただ結果小春達もメイド喫茶をする事になり、こうなるなら伏線張っとけば良かったなと後悔しています。
裏設定として、ここで成仏させてくださいw
さて、文化祭はまだ始まったばかり!
次回はお待ちかねのあの舞台が幕を開けます! お楽しみに!
それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!




