【203不思議】丸毛の裸
オカルト研究部の部室で、彼女は珍しく机に対峙していた。
目の前の難題に、右手に携えたシャープペンシルはなかなか動かず、遂には耐え切れず問題を投げだした。
「あー! 無理ー!」
突然奇声を上げた千尋に、傍にいた部員達が振り向く。
「なにやってんのちひろん」
「クロスワード! 最後の一つが全然分かんないんだよ!」
問題といっても、学問に関する問題では無かったようだ。
暇潰しのプリントに事を荒立てる千尋に、はす向かいの博士は呆れて溜息を吐いた。
「全く、なにしょうもねぇ事やってんだよ」
「ハカセ助けてよー!」
「断る」
千尋の涙混じりの懇願も一蹴して、博士は自身の課題に手を付ける。
クロスワードに食いついたのは、隣の乃良だった。
「最後の一つ、なんて問題なの?」
覗き込むようにして見る乃良に、千尋は分かり易くその問題を音読する。
「『1918年2月21日、アメリカ合衆国オハイオ州にあるシンシナティ動物園で絶滅した生物とは?』」
「………」
想像を絶する難問に、一同は思わず言葉を失う。
そっと最後の頼みの綱に縋るように、博士へと視線を動かしてみた。
問題を耳にしていた博士の目は、千尋達となんら変わりなかった。
「……知らない」
「えぇ!?」
博士の口から零れた言葉に、千尋は驚愕を露わにする。
「ハカセでも知らない事あるの!? ハカセなのに!?」
「あるに決まってんだろ! 俺をなんだと思ってんだ!」
「私、ハカセは全知全能なんだと思ってた……」
「俺は神か!」
「文字数からある程度推理できるんじゃねぇの? ちひろん何文字?」
「八文字だよ」
「……パラサウロロフス?」
「百年前の動物園に居て堪るか!」
どれだけ考えてみても、明確な答えは出せそうにない。
打つ手を失った千尋は、何も出来ずにただ天井に嘆くばかりだった。
「うわーん! ハカセに分かんないんじゃもう分かる訳ないよー! 折角もう少しで完成して、景品応募できると思ったのにー!」
「百年前の生物なんて分かる訳ねぇだろ。それこそその道の専門家でもいなきゃ」
そう口にしたその時だ。
部室の扉が音を立てて開かれ、とある人物が一同の視界に現れる。
そこにいたのは、白髪白衣に覆われた老父だった。
「やぁ、こんにちは」
「「「いたぁ――!」」」
フラグ回収とは、正にこの事だった。
●○●○●○●
「あぁ、それはカロライナインコだね。シンシナティ動物園でインカスという名で飼育されていたんだが、その最後の一羽も亡くなってしまい、絶滅してしまったんだよ」
部室に訪れた丸毛は、部員達を苦しめた難問に分かり易くその答え合わせをした。
丸毛の答えはクロスワードの欄にもピッタリ一致し、これにて千尋のクロスワードは完全に完成された。
「やったぁー! ありがとうもけじー! これでずっと欲しかったひゅーどろ抱き枕に応募できるよ!」
「お前そんなのの為にクロスワードやってたのか?」
千尋の喜びぶりを見ると、余程その景品が欲しかったのだろう。
生徒の笑顔に、丸毛の顔も綻んだ。
「しかし珍しいな。もけじーが部室に来るなんて」
ふと疑問に思った乃良が、丸毛にそんな質問をする。
乃良の質問に、丸毛は真摯に答えた。
「ずっと前から石神君に部室に来て欲しいと頼まれていたからね。今日は仕事も早めに終わって時間があったから、折角だしお邪魔させてもらおうかと」
「大歓迎ですよー! 来てくださってありがとうございます!」
千尋は両手を高らかに上げ、ウェルカムと全身で表現しているかのようだった。
「さぁ、これも折角の機会だ。私に出来る事であれば、なんなりと受けてみせるよ」
「本当ですか!? じゃあその白衣に世界地図描かせてください!」
「ダメに決まってるだろ!」
千尋の突然の無理難題に、丸毛は即刻突き放した。
意気揚々と乗り出して空しく散った千尋だったが、丸毛の質疑応答に食いついたのは千尋だけではなかった。
眼鏡の先で騒ぐ一同を覗き、博士は口を開くタイミングを見計らう。
「……先生は、この学校に百年以上前からいらっしゃるんですよね」
「……そうだね」
この学校の創立初期から居た二人の七不思議を除けば、丸毛が七不思議の中で最古参という事となる。
「……あの」
「ハカセ君。タタラ君から話は聞いてるよ」
「!」
どうやら丸毛には、博士の質問など筒抜けのようだ。
「申し訳ないが、私も君に何も話すつもりはない。君があの事に干渉する必要は、どこにもないよ」
質問する前に言い切られては、博士も何も言い出せない。
表情の曇る博士を見透いてか、丸毛は皺がれた着ぐるみの頬をクイッと上げた。
「何も考えず、今を生きなさい。それが今の君に出来る、いや今の君達にしか出来ない、大切で素敵な事だ」
丸毛の朗らかな笑顔に、博士も心が落ち着いていくのが分かった。
当の花子は、何も知らないまま椅子にきょとんと座っているだけだったが。
「じゃあ! 白衣に富嶽三十六景描かせてください!」
「ダメだよ! ていうか描けるの!?」
博士達の真面目な空気もぶち壊して千尋が負けじと直談判するも、結果は敢えなく撃沈に終わる。
次に丸毛の質疑応答に挑戦したのは、傍から眺めていただけの小春だった。
「……あの」
不意に吐かれた声に、一同は揃って振り返る。
「先生って、人体模型なんですよね?」
「? そうだけど?」
あまりに当然な質問に、皆首を傾げる。
しかし小春は、まだその当然が当然と感じられていなかった。
「その……、本当に人体模型なんですの?」
「僕達、まだ先生の本当の姿見た事ないもんね」
「あっ、そっか」
今年度入学した小春と賢治は、丸毛の存在を廊下で思いがけなく知らされてしまった。
三人の関係はたったそれだけであり、それ以外の事を二人は何も知らなかった。
こうして話してみても丸毛はどう見ても温厚な老教師にしか見えず、その正体が七不思議が一つの動く人体模型とは到底思えない。
そんな小春の疑問に、丸毛は目を輝かせていた。
「おっ、私の実の姿を見るかい?」
その語調は随分と軽やかだ。
「少し待っておれよ」
「ダメェ――!」
「!?」
丸毛が着ぐるみの脱衣に身を乗り出そうとした時、千尋の声が甲高く鳴り響いた。
「どっ、どうしたんだい石神君!?」
「ダメだよもけじー先生! 良い、小春ちゃん! もけじーが着ぐるみを脱ぐ時ね、もうすっごいグロいの! 全身の肉がずり剥かれて筋肉とか内臓が剥き出しになるんだよ!? だからダメ! あんなの皆に見せられないよ!」
「別に私は気にしませんけど」
「ダメなものはダメ!」
千尋の規制は頑なで、どれだけ押しても緩みそうにない。
仕方なく、小春は疑問の解明を断念した。
その背後で傷ついていたのは、本人の丸毛だった。
「うぅ、そんなに恐ろしいかね? 私の脱衣シーンは」
「まぁハッキリ言って気持ち悪いわな」
乃良のオブラートを捨てた言い様に、丸毛の作り物の心は更に傷を負う。
丸毛の傷心も知らぬまま、千尋は頭を働かせていた。
「んー、でも折角もけじー先生来てくれたんだから、なにかして欲しいなー」
無い知恵を絞ろうとしても、なかなか名案は浮かばない。
そんな中、乃良がピコンッと頭上の電球に光を点けた。
「そうだ! もけじーが先生になった経緯を教えてくれよ!」
「経緯?」
乃良の質問に、丸毛ははてと首を傾げる。
「そう! もけじーがどうやって先生になったのか、俺達も聞いた事なかったからさ! 先生って事は公務員になった訳だろ? きっと生徒のようにはいかないだろうから、どうやってなったのかと思って!」
「あっ、確かにそれ気になるかも!」
質問の全貌が分かり、千尋もその疑問に同調する。
しかし対する丸毛は、どうにも言い難そうな表情を浮かべていた。
「いやー……、果たして言っていいのかねぇ……」
人ではない生物が教師になるには、人には言えないような道も通ってきているのだろう。
それでも目の前の生徒達は、丸毛の答えを待ち望んでいた。
「頼むよもけじー!」
「可愛い生徒の為に一肌脱いでくださいよー!」
その言葉が、丸毛の心を突き動かした。
「……そうだね」
丸毛は意を決すると、その瞳に覚悟を宿す。
「よし、可愛い生徒の為だ! ここに全てを話すとしよう!」
「「おぉ!」」
揺るぎない台詞に、一同もこれから語られる、知られざる史実に心を躍らせる。
すると丸毛は、徐にトレードマークの白衣を一枚脱いだ。
部員達の疑問が追いつく間もなく丸毛は白衣を丁寧に畳むと、続いて自身の贅肉を迷う事無く脱ぎ捨てた。
「「ギャァァァァァァァァァァァァァァァ!」」
「いやなんで脱いだんだよ!」
突如本来の姿を剥き出しにした丸毛に、千尋と小春は劈く程の悲鳴を上げる。
博士も突然の脱衣に堪らず声を荒げた。
「ちょっと! 脱がないでって言ったじゃないですか!」
「でも石神君がさっき一肌脱いでって」
「誰が物理的に肌脱げって言うんですか! お願いしますって事ですよ!」
千尋は上裸になった丸毛を直視できず、両手で目を塞ぎながら口を吐いていた。
それでも丸毛は、五臓六腑を剥き出しにしたまま当時を物語っていく。
「そうだな、教師になりたいと感じ出したのは八十年程前かな」
「この状態で話なんか入って来ませんよ!」
「取り敢えず着ぐるみ来てください! 着ぐるみ!」
部員達が肌の着衣を要請するも、丸毛の心は既に過去へと遡っており、一同の声は丸毛の耳を通り抜けていった。
結局丸毛の体が再び肉に覆われたのは、全てを語り終えた直後。
丸毛は当時の思い出に華やかな表情を浮かべていたが、部員達は丸毛の口にした思い出など何一つ覚えていなかった。
もけじーは本当の姿も愛してほしいのです。
ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!
今回は久々のもけじー回となりました。
これまで何度か登場してきたもけじーですが、実は本来の姿を見せたのは初めてもけじーが正体を現したもけじー編だけだったんですね。
それじゃあ勿体ないと、今回はもけじーが贅肉を脱ぐというテーマから決めていきました。
何故もけじーは脱いだのか?
もけじーが贅肉を脱ぐ為の過程は割と早い段階で決まりました。
単純な言葉遊びで個人的には気に入ってるんですが、単純すぎて分かり易過ぎましたかね?
他にももけじーの脱ぎネタは作れそうな気がするのですが、何分考えるのが大変なので、もしかしたらこれで投了かもしれませんw
それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!




