【199不思議】極彩の花
花火が上がるまで、もう間もなくとなった夏祭り。
屋台に犇めいていた浴衣姿の人だかりも、直に打ち上がる花火を期待して夏の夜空を見上げている。
そんな花火大会に、オカルト研究部員が二人。
他の部員達の姿は、どれだけ探しても見当たらなかった。
――あいつらぁ……! 後で会ったら覚えとけよ……!
部員達――主に千尋と乃良の見え透いた罠に気付いていた博士は、腸でグツグツと煮えくり返る怒りに沸騰している。
どうせこの人だかりに乗じて二人きりにさせたかったのだろう。
全く、まるで中学生の様な発想だ。
そんな言葉で怒りを鎮めようとする後ろ姿を、もう一人の部員は林檎飴を片手に眺めていた。
「……ハカセ?」
名前を呼ばれ、博士は振り返る。
そこにいたのは能面を頭に斜めに飾り、林檎飴を一齧りする花子。
まさか花子が部員達の悪巧みに気付いている筈もないだろう。
「……皆は?」
部員達とはぐれた事実も、今気付いたようだ。
いつも通りのぼーっとした花子を前に、博士の腸で煮えていた怒りは、いつの間にか火を消していた。
「……消えた」
「えっ?」
端的に答えた博士に、花子は思わず疑問符を投げる。
「……もうすぐ花火だ。見やすい場所に行くぞ」
それだけ口にすると、博士は振り返って先を歩き出してしまった。
「えっ、待って」
花子も急いで博士の後を続く。
二人はそのまま夏祭りに酔狂する人だかりの中を、掻き分けるように歩いていった。
●○●○●○●
その人だかりの、更に端くれ。
「うふふっ」
菖蒲柄の浴衣を纏った千尋は、堪えられずに笑みを漏らしていた。
「今頃どうしてるかなー、あの二人!」
博士の推理は恐ろしいぐらいに的中だった。
千尋の策略により、他の部員達は二人の目を盗んで、離れた位置にこっそりと揃っていた。
笑みを漏らす千尋とは変わって、小春は呆れて息を漏らす。
「二人きりになったところで、あの先輩達がどうにかなるとは思いませんけど」
「そんなの分かんないでしょ!? あの二人、もう両想いなんだし! 二人で花火なんて見たら気持ちに火が付いて、あんな事やらこんな事までしちゃうかもしれないよ!」
「何を想像してますの?」
「間接キスとかしちゃうかもしれないよ!」
「ウブか」
千尋の少女漫画の様な妄想に、小春は深い溜息を吐いた。
そんな女子二人のやり取りを笑って見ていた乃良は、ふと人混みの奥にいるだろう博士と花子に目を向ける。
「……まぁ、なるようになんだろ」
その目は期待しているような心配しているような、そんな目だった。
「あのさ」
不意に声が聞こえ、部員達は揃って振り向く。
声を上げたのは、手にした本が妙に震えている百舌だった。
「この体勢しんどいんだけど、もうそろそろ中腰になんのやめていい?」
「ダメです! まだ近くに花子ちゃん達いるかもしれないんで!」
上背のある百舌は博士達の目から逃れるべく、一人膝を曲げた状態を維持していた。
その限界も間近で、両膝から悲鳴が聞こえる様な錯覚までする。
しかし百舌の救難信号は千尋によって一刀両断されてしまい、百舌の両膝の悲鳴が静まるのはもうしばらく先の事となった。
●○●○●○●
花火の打ち上げを報せる放送が聞こえてきた。
人だかりを掻き分ける博士の足は、何を焦っているのかどこか早足だった。
後ろを歩く花子はなんとか追いつこうと必死に、いや花子の場合はもう死んでいるのだが、それぐらいの気合で突き進む。
それでも人波に慣れていない花子は、そう波に抗えなかった。
「ハカセ」
花子の声がして、博士は振り向く。
すぐ後ろを歩いていると思っていた花子は、知らぬ間に随分と離れた場所でこちらに手を伸ばしていた。
このままでははぐれてしまうのも時間の問題だ。
博士は躊躇う事なく、花子の伸ばした右手を自分の左手で掴んだ。
「!」
ぐいっとこちらに引き寄せて、二人の距離がぐっと近くなる。
「………」
しばらく合った目と目だが、博士はそのまま顔を正面に戻して再び歩き出してしまった。
花子の手を、固く繋いだまま。
「……ハカセ、手」
花子の手に、博士の体温は感じない。
博士の手も、花子の手は氷を素手で掴んでいるように感じている筈だ。
それでも、博士は花子の手を解こうとはしなかった。
「……暑いし丁度いいだろ」
花子に顔を見せないまま、博士が人混みに紛れてそう声を落とす。
そんな博士に、花子は目が離せなかった。
人だかりの中で繋がった二人の掌。
そこから花子は、今まで感じた事のなかった不思議な感覚を覚えていた。
博士の掌から伝わる、優しい温もり。
もしかしたらこれが、博士達の言う『体温』なんじゃないかと思った時、今年一発目の花火が夜空に打ち上がった。
●○●○●○●
「あっ! 始まった!」
とうとう打ち上がった花火に、人々は皆夜の空に目を奪われていた。
二人を除いたオカ研部員達も、当然例外ではない。
「やっぱ私、こういう打ち上げ花火が一番好きだわ!」
「ちひろん去年と言ってる事違くない?」
「綺麗ですねー」
「本当……」
夜に咲いていく色とりどりの花達は一言では言い表せないぐらい綺麗で、夏の暑さなど吹き飛ばす程だった。
「あっ、花火と言ったらやっぱりこれ言わなきゃね! すーき家ー!」
「それは牛丼屋ですわ」
「まーつ家ー!」
「それも牛丼屋ですわ」
「CoCo壱番屋ー!」
「これって全部私がツッコまなきゃいけないの?」
そんないつも通りの与太話を垂れ流しながらも、部員達が花火から目を逸らす事は一秒も無かった。
●○●○●○●
一方、博士達はようやく人だかりから脱出していた。
「ふーっ、やっと抜けた」
目の前を流れるのは一筋の川。
川岸は緑の生い茂る坂となっており、花火を見物する浴衣姿が、先程までではないもののそこそこの密集を作っていた。
花子も他の人々と一緒に、夜に打ち上がる見た事もない花に目を奪われる。
博士は花火観賞の前に、左右に目を回していた。
ふと右手側に、人の揃っていない懸け橋を見つける。
「あそこに行こう」
そう言ってまた歩き出した博士に、花子は無言でついていった。
●○●○●○●
橋から見上げる花火は、川辺からの景色とは比べ物にならないぐらいの絶景だった。
視界に人の影は入らず、真っ暗な夜のキャンパスに鮮やかに咲き乱れる花火は、まるで自分の為だけに咲いているかのようだ。
花子も思わず吸い込まれる様に欄干に両手をつける。
「綺麗……」
咲いては散っていく花火の魅力に、花子は早くも取り憑かれていた。
博士も花子の隣に並んで空を見上げる。
今まで花火などわざわざ観に行くものじゃないと思っていたが、いざこうして堂々と咲き誇るのを見ると、その人気にも納得がいく。
博士の心も、感動で震えていた。
ふと隣に目を向ける。
その瞳に花火を映す花子は、無表情ながらも花火に首ったけなのは一目瞭然だった。
寧ろ博士は、その横顔を見る為に今日ここに来たのだ。
不意に博士の視線に気付いたのか、花子の目が花火からこちらに移る。
「!」
視線がぶつかって、博士は思わず目を逸らす。
不自然な博士に、流石の花子も首を傾げた。
「どうしたの?」
「あっ、いやっ、そのぉ……」
どうしたものかと解決策を探していると、ふと花子の左手に握られたそれが目に入った。
「……それ、一口頂戴」
「えっ?」
博士の視線の先に、花子も目を向ける。
そこにあったのは、自分が口を付けていた紅色の林檎飴。
「これ?」
「そう、それ」
ぶっきらぼうな生返事にも、花子は素直に林檎飴を差し出した。
「はい」
博士は無言で林檎飴を受け取る。
とにかくこれでなんとか難を逃れたと、博士はほっと一息ついた。
別に食べたい訳じゃなかったが、言ってしまった手前仕方がないと、齧った跡のついた林檎飴を口にする。
そういえばこんな味だったと、幼少期の記憶を思い出させる味だった。
一口だけ齧ると、博士はそのまま花子にそれを返した。
「美味しい?」
「不味い」
「えっ」
予想外の返答に、花子の声も詰まる。
すると、花子から「クスッ」と息が漏れるような音がした。
それが何の音なのか、何故か博士は瞬時に答えを導けられず、博士は振り返るようにして花子に目を向けた。
極彩色に照らされた花子は、吹き出したように笑みを浮かべていた。
「変なの」
そう言って、口元を緩ませる花子。
今まで何度か笑みを浮かべる花子を見た事はあったが、こんなように笑う花子は一年以上傍に居続けて見た事がない。
きっとまだまだ自分の知らない花子がいる筈だ。
もっと知りたい。
もっと傍に居たい。
そう思った時、博士の頭の中から小難しい理性は消えていた。
「……花子」
「好」ドパァァァンッ!
博士の言葉は、今日一番の大輪によって掻き消された。
しばらく音の失った世界で見つめ合う二人。
花子は毎度お馴染みの無表情。
一方の博士も、決して表情を崩さんという固い決意の上で作られた無表情を築いていた。
「……今なんて言った?」
「知らね」
花子の核心を突く質問に、博士は夜空に目を逃がした。
――何言ってんだ俺ぇぇぇ!
博士の胸中は、夜空に咲く花火よりも五月蠅かった。
――おい! 俺今なんて言った!? 花子には自分の気持ち言わないって決めただろ! 花火で聞こえなかったから良かったものの聞こえてたらどうするつもりだったんだ!? もうちょっと自分の発言に責任を持て!
心の中で数秒前の自分に一斉に説教する博士は、欄干で頭を抱える。
そんな博士の心境よりも、花子は先程口を衝いた言葉の方が気になっていた。
「ねぇ、なんて言ったの?」
「なんも言ってねぇよ」
「嘘、なんか言ってた」
「なんも言ってねぇって」
「ねぇハカセ、なんて言ってたの?」
「しつけぇなぁ!」
どれだけ乱暴に応えても、花子はその疑問の追究を一切退こうとしない。
博士が答えるまで、何十何百何万回でも「なんて言ったの?」と訊き続けるつもりだ。
そんな事をされては、博士も堪ったものじゃない。
「だからぁ!」
花子の声を遮るように、博士は花子に目を向ける。
その時、博士は一つ嘘を吐く事にした。
「……浴衣」
本当の意味を孕んだ、ちょっとした嘘を。
「似合ってるって言ったんだよ」
「………」
先程まで目覚まし時計の様に鳴り続けていた花子のサイレンが、ピッタリと止まる。
虚ろで円らなその瞳が、じんわりと色づいていくようだ。
「……本当?」
「……そ」
博士はまた顔を夜空に逸らしてしまったが、それでも花子の心は満たされていた。
ふと自分の衣装に目を落とす。
緋色の布地に鮮やかに咲いた紫陽花柄の浴衣。
博士に「似合ってる」と言って欲しくて選んだ浴衣。
その悲願が達成され、花子はまた小さく微笑んだ。
不意に花子も夜空に目を戻す。
二人を照らした美しい花々は轟音と共に咲いては散り、本日最後の夏の花束を夜空に映し出していた。
●○●○●○●
グランドフィナーレを終えた花火大会からは、あれだけ集っていた人の影も霧の様に消え、少し焦げ臭い火薬の匂いが残っていた。
「おーい!」
橋の奥からそんな声が聞こえ、博士と花子は振り返る。
そこにいたのは、随分前にはぐれたままだった同じオカ研部員の仲間達だった。
「おーい!」
博士はこちらに向かって右手を振る金髪に狙いを済ませると、
「おーい!」
その足を一気に駆け出し、
「おーい!」
金髪の顔面めがけて目を瞠るようなライダーキックを食らわした。
「おーぃぐへぇ!」
元気よく手を振っていた乃良は、数秒もしないうちにコンクリート製の橋に這い蹲っていた。
「なんで……俺……」
「どうせお前かあのバカの差し金だろ。こんなしょうもねぇ真似企むのは」
「花子ちゃーん!」
博士にバカ呼ばわりされているとも気付かず、千尋は橋で一人立ち尽くす花子のもとへ抱き着く。
千尋の暴走を止めようと、小春も花子の傍に歩み寄った。
「花火綺麗だったね! 花子ちゃん見た!?」
「うん、綺麗だった」
数分前夜空を彩った花火に、浴衣姿のガールズトークも咲き出す。
そんな女子達を目に、乃良は地面から博士を見上げた。
「……んで、どうだった?」
どこか余裕を持たせた乃良の質問。
その迷いない目を博士は見つめ返す事が出来ずに、そっぽを向きながら回答した。
「……別に、なんもねぇよ」
ただその回答で、乃良には全て伝わったようだ。
「……ふぅん」
「なんだそれ」
「別に?」
なんて会話を交わす男子達とは離れた場所で、女子達もその話題へと直面していた。
「それで、ハカセとはどうだったの!?」
好奇心のまま直球を貫いた千尋の質問。
突然の質疑応答に花子はなんとか回答しようと答えを探すも、その途中で花子の無表情の色が変わる。
それは、紛れもない恋する乙女の顔だった。
「……別に」
そんな花子の表情に、千尋だけでなく小春も目が丸くさせた。
「なになに!? 何があったの!? もう今日は絶対聞くまで帰してあげないんだからね!」
「なんです!? あの男に暗がりに乗じて何かされましたの!?」
「おいお前ら! とっとと帰るぞ!」
火蓋を切ったインタビューも博士によって強制終了されてしまい、この事は二人だけの秘密となった。
瞼を閉じれば、今でも夜の花が蘇る。
ただそれ以上に、今日の出来事は二人にとって色褪せない思い出となるのだった。
夜空に咲いた、二人だけの極彩の花。
ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!
という事で、今回で夏祭り編完結でございます!
この物語を書き始めた当初から、一年目の夏は海水浴、二年目の夏は夏祭りを書くんだと意気込んでいました。
その為昨年の海水浴編には、今回にもちょろっと出ている通り、伏線となる千尋の台詞が混じっているのです。
それぐらいこの夏祭り編は、書くのを待ち望んでいた話でした。
とは言いましても、当初に予定していた内容とは全く違う話になりました。
当初はオカ研部員の皆で花火を見上げる予定だったのですが、ハカセと花子の恋模様を書きたかったし、二人で見上げる内容に変更。
その成果あって、今回は自分でもとても満足のいく話になりました。
皆さんの心に、少しでもときめきを提供できていたら嬉しい限りです!
さて、そんなこんなで夏祭り編完結!
しかし夏休みは、もうちょっとだけ続きます!
それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!