【197不思議】唐紅の紫陽花
太陽の覗く夏休み。
「花火大会?」
晴天の下で、花子は聞き慣れない言葉に首を傾げた。
それに答えるのは、一緒になって花子の隣を歩く千尋である。
「そう! 明日、一斉に花火が打ち上げられる花火大会があるの! オカ研の皆で行こーって、花子ちゃんが補習の時に話してたんだ!」
「今から?」
「ううん! 今日は明日着てく浴衣を選びに行くの!」
「浴衣?」
「うん! 折角皆で花火大会に行くんだから、可愛くして行きたいでしょ!?」
「花火大会?」
「そう! オカ研の皆で行くの!」
「今から?」
「だからぁー!」
「この悪霊、話聞いてますの?」
ずっと同じ場所で足踏みする花子に千尋は頭を抱え、更に隣を歩いていた小春は疑惑の目を向けていた。
千尋は花子に伝わるように、今からの予定をより噛み砕いて伝える。
「今日は明日着る着物をレンタルしに行くの! 小春ちゃんが知り合いの呉服屋さんに連れてってくれるんだって!」
「今回は特別ですわよ」
「流石、霊媒師一家だね!」
千尋の太鼓持ちに、小春は満更でもないように鼻を高くする。
しかし今の千尋の瞳に、小春の姿は映っていなかった。
「そこでとびっきり可愛い、花子ちゃんにピッタリの浴衣を選ぼうね! そんであのハカセに『似合ってるね』って言わせてやる……!」
千尋の瞳は、間違いなく燃えていた。
博士の心境を知ったのは、花子以外のオカ研部員と花火大会の約束を取り付けた日。
まさかあの博士が、花子に矢印を向けていたとは思ってもいなかった。
すぐにでもこの事を花子に直接伝えてやりたかったが、そこは博士の気持ちを汲み取ってやむなく口を封じる事とする。
しかしこの機会を取り逃すなど、千尋が許す筈もなかった。
「あの先輩がそんな事言うとは思えませんけど……」
「目標はでっかくだよ!」
小春の予想は千尋も予期していた事だが、今は都合の良いように考える事とする。
下がっていた頭を小春が上げると、目的地に辿り着いていた事に気付いた。
「ここですわ」
小春の声に、千尋と花子も足を止める。
目の前に聳え立つ建物は歴史を感じる木造の建築物で、味のある紺色の暖簾に『呉服屋』と書かれている。
先に中に入った小春に続いて、千尋と花子もその暖簾を潜った。
中には、色とりどりの織物が並んでいた。
「おじさーん、板宮ですー」
小春が奥に向かって声を投げると、すぐにとある男性が奥から姿を現した。
甚平をその身に羽織っており、照り返るスキンヘッドが眩しい。
「おっ、小春ちゃん!」
男性が口を開くと、残り少ないアイボリー色の歯が見えた。
「あれまー! 久し振りだね! こんなに大きくなって!」
「すみません突然」
「なんのなんの! 板宮さん家はうちのお得意様だから! そのお嬢さんである小春ちゃんの頼みとあっちゃー断る訳にはいかないよ!」
スキンヘッドだけでなく、笑顔も眩しい人のようだ。
「それじゃあ浴衣を三着貸していただきたいんですけど」
「おぉ! 浴衣は上にあるから、どれでも好きなもん持っていきな!」
「ありがとうございます」
小春は男性に一瞥すると、二階に繋がる階段へ足を向けた。
「小春ちゃんもレンタルするんだ」
後ろをついてきていた千尋が、ふと小春に声をかける。
呉服屋と接点がある程和服や浴衣と密接な関係にある小春は、明日も私物の浴衣で花火大会に参加すると思っていた。
「……まぁ、折角ですからね」
小春は振り返る事無く、二階を目指していく。
そこで千尋は、思い出したように厭らしい笑みを浮かべた。
「……そっか、百舌先輩もいるもんね」
「!」
急激に小春の首から上が真っ赤に染まる。
「べっ、別にそんなの関係ありませんわ!」
「そうだよねー、折角ならオシャレして会いたいもんねー」
「関係無いって言ってますでしょ!?」
どれだけ言い切っても、千尋は聞く耳を貸そうとしない。
それなら耳を貸すまで聞かせてやると声を荒げる小春を見て、呉服屋の男性は密かに小春の成長に感動していた。
●○●○●○●
一悶着はあったものの、三人は階段を上って二階へとやって来た。
「ここから好きなものを選んでいいそうですわ」
そこは見渡す限り色鮮やかな浴衣で埋め尽くされていた。
「おぉー!」
目を回せば回す程新しいものが見えてくる浴衣の行列に、千尋の興奮はマックスまで上り詰めた。
「すごい! 選び放題じゃん! 本当にここから好きなの選んでいいの!?」
「そう言いましたでしょ」
小春の言葉を聞いて、早速千尋は浴衣選びに取り掛かる。
「えー、どれにしようなー、迷っちゃうなー」
確かに数百もあるような浴衣からたった一着を選ぶのは至難の業だ。
気が付くと一言も口を開かなかった花子も、こっそりと浴衣をひらひら捲っている。
このままでは先を越されると、小春も浴衣の選定に手を伸ばした。
「あーっ! これにしよっかなー!」
呉服屋の中から聞こえたとは思えない声量に、小春の顔は歪む。
「ねぇねぇ小春ちゃん! これ良くない!?」
浴衣を一着選んだ千尋が、こちらに歩いてくる足音が聞こえる。
小春は仕方なく浴衣選びを中断して、千尋の方へ振り返った。
千尋が手にしていたのは、目を塞ぎたくなる程眩しい黄金色の浴衣だった。
「眩しっ!」
突然の閃光に、小春も目を塞ぐ。
一方の千尋は、良いものを見つけたと言わんばかりの笑顔だ。
「ねっ! 小春ちゃんどう思う!?」
「どうもこうもありませんわ! 眩し過ぎでしょ! 花火大会でこんなの着てきたら花火より目立ちますわよ!? こんなの松平健しか着ませんわ!」
「そんな事ないよ!」
満を持しての選択だったが、小春にことごとく言われてしまった。
仕方なく、千尋は黄金の浴衣をもとあったラックに戻す。
随分と丸くなった千尋の背中を見て、小春は溜息を吐いた。
「全く、そんな奇天烈なものじゃなくてですね。もっとしっとりとした大人の、あっ、これなんか良いですわね。このような浴衣を選ばないと」
そう言って、小春も一着大群の中から浴衣を選ぶ。
小春は一体どんなものを選んだのかと、千尋は静かに振り向いた。
小春が手にしていたのは、『悪霊退散』と胸に書かれた祈祷師の衣装だった。
「悪霊退散!?」
異様に目を惹くその文字に、千尋は目を疑う。
「何がしっとりとした大人のだよ! 全然大人らしさ感じないよ!」
「これが私の勝負服です」
「勝負服っていうより戦闘服だよ! 小春ちゃんこそそんなの花火大会で着てきたら目立って仕方ないでしょ!? もっとちゃんと選びなよ!」
「何言ってますの!? 私はちゃんと!」
二人の言い争いの火蓋が切られた、その時だ。
「ねぇ」
「「!」」
こちらに向けて投げられたであろうその声に、二人の体は硬直する。
ここまで来て、ようやく自分達の過ちに気付いたのだ。
「……もしかして、私達今まで壮大な前フリをしてしまったのでは」
「ちょっと! どうしてくれるの小春ちゃん!」
「貴女が先に始めたんでしょ!?」
二人共後ろの彼女が持っているだろう浴衣が怖くて、一向に振り向けないでいた。
それでも彼女は、静かに二人に歩み寄る。
「……千尋、小春ちゃん」
「「ひぃ!」」
彼女の声は、もう耳元にまで近付いていた。
意を決して、千尋は振り返って目を閉じたまま言葉を先行させる。
「花子ちゃん! 花子ちゃんの浴衣は私達が後でじっくり」
目を開いて、千尋は驚いた。
花子の手にしていた、鮮烈なその浴衣に。
「……綺麗」
同じく振り向いていた小春も、その浴衣に目を奪われているようだった。
「……似合うかな?」
花子は無表情ながらもどこか照れたように、自分の手にした浴衣を見つめている。
そんな花子と浴衣が相まって、千尋の中の感情は思うが儘に暴れ回った。
「似合う! 絶対似合うよ花子ちゃん! これはハカセも似合うって言ってくれる!」
「本当?」
「本当だよ! よっしゃー! 私も浴衣選び頑張るぞー!」
千尋は自分に喝を入れ、真剣に浴衣選びに手を付ける。
その為、博士の感想を夢見て無表情を緩ませる花子に気付けなかった。
ただ一人そんな花子を眺めていた小春は、自分も浴衣選びへと本格的に取り掛かり始めた。
●○●○●○●
翌日、午後六時。
遠くから賑やかな祭囃子が聞こえてくる外れの公園。
一本の柱で支えられている時計が、オカ研部員達の集合場所だった。
「遅いですねー」
「女子達、浴衣で来るって言ってたからなー」
「浴衣楽しみですね」
集合時間はとっくに過ぎているが、集合場所に集まっているオカ研部員は男子ばかり。
その中には、時間にルーズな博士も集まっていた。
「……ハカセ、分かってるな?」
「あ?」
突然乃良からそう言われ、博士は手にしていたスマホから目を離す。
本当に何も分かっていなさそうな博士に、乃良は厭らしい笑みを浮かべた。
「花子が来たら、『似合ってる』って言ってやるんだぞ!」
その笑顔に、博士の時間は止まる。
「……なんでだよ」
「なんでって! 好きな女の子がオシャレしてきたら褒めるのが男の仕事だろ!」
「なんだ仕事って、時給発生すんのか」
博士の不満はそれで収まらない。
「大体似合ってるかどうかなんて見てみねぇと分かんねぇだろ」
「そこは嘘でも『似合ってる』って言うんだよ!」
「嘘はダメだろ」
博士の線引きとして、嘘は許せないようだ。
「ほら良いから、練習するぞ」
「練習って」
「リピートアフターミー」
乃良は得意げに、英語の授業さながらの練習を始める。
「似合ってるね」
「知るかバカ」
「おらぁ!」
一向に首を縦に振ろうとしない博士に、乃良もとうとう堪忍袋の緒が切れた。
「何をそんなに頑なに拒否してんだよ! たった一言言うだけだろ!? 分かったらとっとと練習しろ!」
「……分かったよ」
ここまで激昂されては、博士も断るに断れない。
気を取り直して、乃良による練習が再び始まる。
「リピートアフターミー、似合ってるね」
「似合ってるね」
「可愛い」
「可愛い」
「いつもより綺麗に見えるよ」
「いつもより綺麗に見えるよ」
「その猫耳キュートだね」
「お前の事じゃねぇか!」
いつの間にか、想定の相手が花子から乃良にすり替わっていたようだ。
「良いじゃねぇか! 俺だってたまには褒められたいんだよ!」
「んなの知るか! だったら一人で鏡に向かって勝手に褒めてろ!」
「それ寂し過ぎるだろ!」
薄暗くなる空の下で怒鳴り合う二人に、賢治はどう止めようか頭を悩ませる。
その時だ。
「お待たせー!」
「「「!」」」
突如聞こえてきた聞き覚えのある声に、男子達は一斉に振り返る。
そこには鮮やかな浴衣を身に纏った女子部員達が、こちらに向かって駆け寄っていた。
千尋は爽やかな水色に浮かんだ菖蒲柄。
小春は艶やかな橙色に描かれた朝顔柄。
「おー! ちひろん良いじゃん! すっげー似合ってる!」
「えへへっ、ありがと!」
「春ちゃんも似合ってるよ」
「当たり前でしょ?」
「ねっ、百舌先輩!」
「!?」
「ん? ……あぁ、そうだな」
一同おめかししてきた女子達の浴衣姿に、話の花を咲かせている。
その輪から少し離れたところに立つ博士は、ちらりと目を向けただけで、またスマホに目を落としてしまった。
そんな博士の裾が引っ張られる。
「ハカセ」
そう博士を呼んだ彼女と、裾を引いた犯人は同一人物だ。
博士は意を決しながら、そこに立っているであろう少女に目を向ける。
瞬間、博士の目は奪われた。
花子の身に纏っていた浴衣は、麗らかな緋色に咲いた紫陽花柄だった。
そこにいるのはいつもの花子の筈だ。
なのに、いつもよりも数倍輝いて見えるのはどうしてだろうか。
博士には到底理解不能だった。
「……どう?」
「!」
上目遣いで尋ねてくる花子に、博士の心臓は掴まれる。
花子がどんな言葉を待ち望んでいるのか、流石の博士も分かり切っていた。
傍から見守る部員達も、博士の次の言葉に目が離せない。
「……に」
「に?」
「に…………」
花子に目を向けると、純真無垢な期待の瞳がこちらを見つめてくる。
それを見つめ返せる程博士の肝は座っておらず、博士は花子から逃げるようにその身を百八十度回した。
「西の川辺だろ? とっとと行こうぜ」
博士はそのまま、祭囃子のする方向へ歩き出してしまう。
当然花子の表情は無表情だったが、そこには確かに落胆の表情が窺えた。
後ろでは千尋が怒りに任せて博士にドロップキックをかまそうとしていたが、折角の浴衣が乱れるからと乃良に全力で防がれていた。
先を歩く博士の頬は、まるで紫陽花柄の浴衣の様に真っ赤だった。
その一言が言えなくて。
ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!
今回は夏祭り編、その導入部分といったところでしょうか。
女子三人組が浴衣を選びに行くという話なんですが、実はこの話、途中で没にしようか悩みました。
浴衣を選ぶ話を書こうと決めたのも突発的で、これからを考えるとちょっと夏祭り編が長くなりすぎるかなーと思いまして。
しかし結局色々考えて、そのまま採用する事に決めました。
浴衣選びの物ボケも気に入っていたので、個人的に採用できて良かったです。
さて、次回からいよいよオカ研メンバーが夏祭りに行きます!
オカ研達は夏祭りでどんな事をするのか!
次回もお楽しみに!
それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!