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【196不思議】忘恋慕

 それは一枚の掲示板だった。

 市によって設置された若草色の掲示板。

 そこに貼られた一枚の紙に、逢魔ヶ刻高校の制服を纏った少年は目を奪われた。

 夏空に蝉の合唱が劈く。

 カッターシャツの隙間から汗が滴ってくるも、少年は変わらず眼鏡を凝らして紙を見つめていた。

 ふと少年は、目を逸らして通学路を歩く。

 本来の目的地である、蝉よりも五月蠅いあの部室へと。


●○●○●○●


「んー……」

 夏の暑さも吹き飛ばす、オカルト研究部部室。

 その傍らで、千尋は苦悩していた。

「なんだったっけなー、なんか皆に言おうと思ってたんだけど……」

 どれだけ頭を悩ませても、答えの兆しは一向に見えてこない。

 腕を組んで唸る千尋を、乃良は沈着と見つめる。

「……もしかしてちひろん」

 口を開いた乃良に、千尋は悩ませていた頭を上げた。

「若年性?」

「違うわ!」

 聞こえてきたのは、なんとも受け入れ難い言葉だった。

「そんな訳ないでしょ!? なんでそんな事になるの!」

「だってちひろん全然思い出せないじゃん」

「誰だってあるでしょ!? 何言おうと思ってたか忘れちゃう事ぐらい!」

 記憶喚起もそっちのけで、千尋があらぬ誤解を解こうとする中、ガラリと部室のドアが開く。

「うーっす」

 部員である博士の登場だ。

「あっ、ハカセ! おはよ!」

「遅かったな!」

 先に部室に集まっていた部員達からの挨拶を聞き流しながら、博士は椅子に腰掛ける。

 その視線の先にいた千尋に、博士の目は止まった。

「……お前なんでいんだよ」

「はぁ!?」

 突然の売り言葉に、千尋のポニーテールが天を刺す。

「なんでって何!? 私がいちゃ行けないの!?」

「そうじゃなくて、お前補習じゃねぇのかよ」

 博士の疑問に思った点はそこだ。

 補習対象者である筈の千尋が部室に座り、同じく補習対象者である花子が部室にいない事に、博士は違和感を覚えたのだ。

「補習はこの前のでもう終わったの!」

「じゃあなんで花子はいねぇんだよ」

「花子ちゃんは私よりも赤点の数が多かったから、まだ補習やってるの! 分かった!?」

 千尋の荒い語調で語られた説明に、博士は納得する。

 一つ息を整えると、床に置いた鞄に手を付けた。

「……そういやさ」

「あーもう! ハカセのせいでまた思い出せなくなっちゃったじゃん!」

「いや最初から思い出せてないだろ」

 博士の声も塞いで、千尋は机に項垂れる。

 明らかに異常な様子の千尋に、博士は鞄から手を離して、隣の椅子に座る乃良に説明を求めた。

「……なにあれ?」

「あぁ、なんか言おうと思ってた事があったらしいんだけど忘れちまったんだとよ」

「それでそこまで落ち込むか?」

 今の千尋の姿勢を一言で表すなら、『悲劇』となるだろう。

 それぐらい千尋は悲惨な程落ち込んでいた。

「あっ、もしかして昨日のテレビの事じゃないですか?」

 そう口を開いたのは、千尋の隣に座る賢治だ。

 千尋は突っ伏していた顔を、そっと賢治へと向ける。

「テレビ?」

「はい、昨日『人間は流れ星になれるのか?』っていう実験で、見栄晴が全身に蛍光塗料を被ったまま逆バンジーするっていう番組がやってたんですけど」

「どんな番組!?」

 その番組に食いついたのは、傍で聞いていた乃良だった。

「なんだその番組! どういう趣旨のバラエティなんだよ! そんな番組やってたんだったら俺観たかったわ!」

「んー、そんな番組観てないし違うかな」

「そんなの観てたら絶対忘れねぇよ!」

 それでも賢治は本気だったようで、「違うかー」と悔しそうに零していた。

「テレビとかじゃなくて、もっと私達に関係あるような事だったと思うんだけど」

「その特徴は学校と違いますか?」

「ミルクボーイか」

 尚も悩み続ける千尋に、乃良が口を開く。

「なぁ、もう別に良いんじゃねぇの? 思い出せないもん無理に思い出さなくったって」

「嫌だ! 絶対皆に話すって決めてたもん!」

「そんな事忘れんなよ」

 乃良の呆れも置いて、千尋は鼻と唇の間に右の手の側面を置いた。

「もうここまで出てるんだけど」

「それもう出切ってるよ」

 こういう時は普通喉元に手を当てるものではないだろうか。

 どこまでもボケたような感覚の千尋に、乃良は堪らず溜息を吐いた。

「ったく、ちひろん本当にボケてんじゃねぇの? これなら昨日の朝ご飯も覚えてるかどうか怪しいぜ」

「ちょっと! バカにしないでよ! 昨日の朝ご飯ぐらい覚えてるよ!」

「じゃあ何食べたんだよ」

 乃良の質問に、千尋は自信満々に回答した。

「天津飯!」

「朝から!?」

 それは乃良にとって予想外のメニューだった。

「えっ!? ちひろん昨日の朝ご飯天津飯だったの!? よくそんなの朝から食べられるな!」

「丁度卵があったから」

「じゃあスクランブルエッグとかで良かっただろ!」

 天津飯のレシピまでは知らない乃良だったが、それでも朝から作るには厳しいレシピの筈だ。

 しかもそれを朝から食す千尋に、乃良は恐怖さえ覚えた。

「くそっ、これじゃあちひろんがボケてんのかどうか分かんねぇな」

「ボケてないわ!」

 それでも今の判断材料では、とても確定は出来ない。

「じゃあこういうのはどうですか?」

 すると次に口を開いたのは、爽やかな笑顔を見せる賢治だ。

「出題者が一つ五十音をランダムで言って、回答者がその五十音から始まる有名人の名前を瞬時に答えられるかってゲームです」

「あっ、なんかそれ聞いた事あんな」

「なにそれ?」

 乃良はこのゲームに聞き覚えがあったが、千尋は全くの初見らしい。

「例えば『き』というお題が出たら、『木下優樹菜!』というように、『き』から始まる有名人の名前を瞬時に答えられればクリアです」

「成程! ちょっと例題が引っかかるけど、なんとなく分かったよ!」

 千尋も例題でルールを把握できたようだ。

 回答者の準備も整ったところで、賢治が早速出題に入る。

「それじゃあ行きますよ? 『く』!」

「久保田和輝!」

「誰だよ!」

 瞬時に回答できた千尋だったが、待ったと乃良が声を荒げる。

「誰だよ! 久保田和輝って! 聞いた事ねぇ名前出すんじゃねぇよ! 有名人の名前だって言ってるだろ!」

「久保田和輝は長州小力の本名だよ!」

「なんで本名知ってるんだよ!」

 こういった無駄な記憶力は、どうやら高めのようだ。

 長州小力について長々と語ろうとする千尋だったが、寸で話題が逸れていた事に気付く。

「って、こんな事してる場合じゃないんだよ! もう全然思い出せないじゃん!」

 頭を抱えて唸る千尋を、乃良は背凭れに身を預けながら眺める。

「無理だよ。ちひろんが思い出せる訳ない」

「なんでそんな事言うの!」

「だって今までの話でちひろんの記憶力がよろしくないって事が分かったんだもん」

 乃良の言葉に、千尋の脳内でゴングがカチンッと鳴る。

「言ったな!? 絶対思い出してやるからな!?」

「頑張れー」

「くそっ! 何か鞄の中にヒントは無いか!?」

 千尋は本腰入れて記憶を蘇らせる為、鞄の中に両腕を突っ込んだ。

 頭の中の引き出しを漁るかの様に必死で鞄を漁る千尋に、乃良は哀れな視線を向けていた。

 ふと部室から誰の声も聞こえなくなる。

 その隙を見て、博士は慎重に口を開いた。

「……あのさ」

「あーっ!」

 またも博士の声を塞ぐように、千尋の声が響き渡る。

 千尋は鞄から一枚の紙を取り出すと、目を爛々に輝かせた。

「思い出した!」

 その紙を千尋は博士と乃良の前に突き出す。

 目を凝らして見てみると、どうやらその紙はとあるポスターのようだった。

「花火大会?」

 乃良はポスターに大々的に書かれた文字を読む。

「そう! 今度の週末、西の川辺で花火大会やるんだって! オカ研の皆で行ったら楽しいなって思ったんだけど、皆で行かない!?」

 ポスターの横からひょっこりと満面の笑みの千尋が覗く。

 その笑顔につられて、気付けば乃良も口角が吊り上がっていた。

「良いな! 行こうぜ!」

「楽しそうですね!」

「でしょ!?」

「ていうかこんな面白そうなの忘れんなよ!」

「だってこのポスター見つけたの学校に来る途中の掲示板だもん! 三分歩いてたらもう忘れちゃうよ!」

「鶏か!」

「春ちゃんも行こ!」

「えっ? いや私は別に」

「何言ってるの! 全員強制参加だよ! 勿論百舌先輩もですからね!」

 部員達の輪の中に、着々と花火大会の計画が企てられる。

 一向に口を開きそうにないもう一人の部員に、千尋は問答無用に宣言した。

「ほら! ハカセも花火大会行くんだ」

「良いぜ」

 刹那、千尋の目は見開かれる。

 いつもの博士なら、最終的に引っ張られるにしても一度は拒絶する筈だ。

 今回も「行く訳ねぇだろ」と一蹴される予定だった。

 しかし千尋の予定は崩れ落ち、予測の出来なくなってしまった千尋はその場で硬直する。

「花火大会だろ? 良いぜ、行ってやる」

 無口になった千尋に、博士は重ねて了承の旨を報せる。

 口調は上からにしても、いつもの博士なら有り得ない台詞だ。

「……ハカセどうしたの?」

 遂に出た千尋の言葉は、それだった。

「は?」

「いつものハカセだったら、『あ? んなの行く訳ねぇだろ。俺は家で勉強してるからテメェらだけで勝手に言ってろ』ぐらい言うでしょ? なのになんで今回は良いの? 花子ちゃんも言ってた。最近ハカセおかしいって。ハカセどうしちゃったの?」

 それは揶揄の言葉では無く、心からの心配の言葉だった。

 博士は千尋に対して口を開かなかったが、事情を知る乃良が慌てて口を入れる。

「あっ、あのなちひろん」

「分かった!」

「えっ?」

 乃良の声も聞かず、千尋はそう高らかに声を上げた。

「ハカセ、花子ちゃんの事好きになったんでしょ!」

「!?」

 まさかの図星を突く千尋に、乃良は肩を弾かせる。

 当の本人である博士は、まるで他人事の話を聞くように無関心だった。

「なっ、何言ってんだよ! ハカセが花子の事好きになる訳ねぇだろ!?」

「いいや! そうに違いない! 花子ちゃんへの恋心が、ハカセを別人へと変えたんだよ!」

「だから! そんな訳ねぇって」


「そうだけど」


 それは何気ない博士の一言だった。

 たったその一言で、あれだけ騒がしかった部室が一気に静寂に包まれる。

 猛暑の屋外も、一瞬凍えたようだ。

 部員達が驚きのあまり顎を外したまま博士に目を奪われる中、博士は何事もないように腰を下ろしている。

 それが更に、部員達を驚愕の淵に落としていた。

「「「「えぇぇぇっ!?」」」」

 静寂から解放された部員達は、声を揃えて一斉にそう叫ぶ。

「えっ、なんて言った!? ハカセ今なんて言った!?」

「おいハカセ! 皆には秘密にしておくんじゃなかったのかよ!?」

「んな事一言も言ってねぇだろ」

「なんて言った!?」

 無限に問い詰めてくる千尋に、博士は煩わしさを感じながら答えた。

「だから、俺は花子が好きだって言ったんだよ」

 正真正銘、本人の口から出された言葉。

 まさか博士からこの言葉を聞ける日が来るとは。

 改めて口にされた告白に、部員達の歯止めはもう効かなくなっていた。

「嘘ぉ!?」

「いつから!? いつからですか!?」

「んな事お前らに言う必要ねぇだろ」

「相手は幽霊ですわよ!?」

「ほんとな」

「花子ちゃんには!? 花子ちゃんにはいつ告白するの!?」

「しねぇよ」

「はぁ!? なんで!?」

「あーもうめんどくせぇなぁ!」

 部室の喧騒が、静寂の前よりも人一倍大きくなって返ってくる。

 皆、衝撃の告白に、数分前の花火大会の計画などもう誰も覚えていなかった。

 衝撃の渦中に座る博士。

 その傍に置かれた鞄。

 その中身には、花火大会と大々的に書かれた一枚のポスターが鳴りを潜めていた。

話してる最中に言いたい事忘れる時もあります。

ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!


今回は稀に来るラストから話を組み立てていった回です。

ラストが決まってる話はいつも悩むんですが、今回は千尋が話したい内容を思い出せないという話に。

久しぶりにテーマに合わせてネタを盛り沢山に詰め込んでいくというパターンの話を書いたのですが、今回はそういうタイプの話にしてはよくまとまったかなと思います。


ハカセの心情を花子を除いたオカ研全員に打ち明けるかどうかは最後まで悩んでいました。

全員に打ち明けるのは色々複雑になりそうだし必要ないかなと。

しかし今後の展開を考えたり、ハカセの性格を考えるとここで明かしていた方が良いかなと思い、今回打ち明ける事となりました。


さて、その上で次回からは夏祭り編です!

オカ研部員達は夏祭りをどう過ごすのか、次回からお楽しみに!


それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!

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