【195不思議】グータラヌーボ
とある夏休みの午前。
今日も空は潔いぐらいの日本晴れで、太陽がこれ見よがしに日の光を降り注いでくる。
そんな日の下に、小春は歩いていた。
右手に握られるはリード。
そのリードに繋がっているのは、真夏日も関係無いようにフレキシブルに散歩する柴犬だった。
柴犬とは対極的に、小春の顔はノースリーブのワンピースにも関わらず暑苦しそうだ。
そんな小春の目に、とある影が映る。
「……ん?」
映ったのは二人の影。
何度も目にしてきた、ポニーテールとおかっぱ頭の影だ。
「あれは……、石神先輩と悪霊……!」
彼女達はガールズトークに夢中なようで、こちらには気付いていないようだ。
しかしこのまま散歩のルートを辿れば、気付かれるのは明白だろう。
「………」
数秒考えた末、小春は当初のルートを変更して左折を開始した。
しかし、
「バウッ!」
「「「!」」」
急遽ルートを変更しようとした小春に、柴犬が道を間違えていると抵抗する。
その鳴き声に、流石の千尋と花子も会話を打ち止めて振り向いた。
そんな事はつゆ知らず、小春は尚も散歩のルート変更を強行しようと柴犬とリードの引っ張り合いになる。
「ちょっと狛彦! お願い! 今日はこっちの道にして! 私今日あっちに行きたくないの!」
「小春ちゃん?」
「!」
名前を呼ばれて、小春も顔を上げる。
こちらを意味深な目で眺める千尋と花子と、ばっちり目が合った。
「……おはようございます。こんなところで偶然ですわね」
「小春ちゃん、もしかして私達の事避けようとしてた?」
的の中心を射てきた千尋に、小春は目を逸らす。
「……はて、何の事でしょうか?」
「いや今更そんなしらばっくれても流石に無理があるよ?」
散歩のルートを曲げようとしたところを見られては確かに言い逃れできないと、小春の額に妙に冷たい汗が流れる。
しかし千尋達の興味は、既に別のところにあった。
「可愛いー! これ小春ちゃんのペット!?」
「えっ?」
知らぬ間に、千尋と花子はリードで繋がれた柴犬の虜になっていた。
「えぇ、狛彦と言います」
「狛彦! 良い名前だねぇ!」
「可愛い」
全力で狛彦を愛撫する千尋に、先程までのやり取りは水に流して良かったのかと小春は不安になる。
「小春ちゃんは狛彦のお散歩?」
「えぇまぁ。お二人は?」
会話の流れから訊かない訳にはいかず、小春はそう質問する。
すると千尋は、待ってましたと胸を張った。
「私と花子ちゃんはこれからかき氷を食べに行くの! すっごくふわふわで、甘くて、しかも可愛いって今人気なんだよ!」
「へー」
訊いたはいいが興味は無く、小春は適当に相槌する。
しかしそこで、千尋に名案が降りてしまった。
「そうだ! 小春ちゃんも一緒に行こ!」
「はい!?」
予想外のお誘いに、小春の声は裏返った。
「何言ってますの!? 行く訳ないじゃありませんの! 大体私今狛彦の散歩中って言いましたよね!?」
「大丈夫! 確かそこペットオッケーな筈だから!」
「私がオッケーじゃないんですが!?」
「狛彦も行きたいよね!?」
千尋はしゃがんで、狛彦に「おて!」と右の掌を出す。
すると狛彦は千尋の掌に右前脚を載せる代わりに、ベロを剥き出しにしていた口で掌をパクリと口にした。
瞬間、千尋の右手に痛覚が迸る。
「ああああああああああああああああ!」
それは狛彦なりの、Yesの合図だった。
●○●○●○●
犬用の皿に盛られた氷を、狛彦はバクバクと噛み砕いていく。
この暑さの中を歩いていては、狛彦も冷たいものを欲していたのだろうか。
小春はそんな狛彦に落としていた目を正面に戻す。
正面には、たった今給仕された山の様なかき氷にシャッターを絶え間なく焚く先輩二人の姿があった。
「うわっ! 可愛い! インスタなんかで見たのよりも全然可愛い! これはたくさん写真撮らなきゃね花子ちゃん!」
「うん」
シャッターで氷が溶けるんじゃないかという勢いに、小春は苦笑いを浮かべた。
「よし! じゃあそろそろ食べよっか!」
二人は手にしていたスマホをスプーンに取り換えて、いよいよ実食に移る。
スプーンを氷の山に入れただけで山は崩れそうで、掬ったスプーンの重さは掬う前となんら変わりないようだ。
千尋はマンゴー、花子はストロベリーのシロップのかかったそれを、一口で放る。
刹那、二人の舌に甘味が広がった。
「んーまい! 何これ美味しい! ふっわふわ! 口の中に入れた瞬間溶けてなくなっちゃったみたい!」
あまりの美味に、千尋は落ちそうになった頬を左手で抑える。
花子は何も口を開かなかったが、バケツリレーの様にひたすらスプーンを口に運んでいた。
かき氷に悩殺される二人を前に、小春もスプーンを手にする。
宇治抹茶色をしたかき氷を掬って、口の中にそっと入れる。
「……確かに美味しいわね」
千尋の演説の様な感想や、花子の無言の食欲にも納得がいった。
すぐに二口目を口に運んだ小春だったが、それを眺めていた千尋が一つ咳払いをした。
「……それで、小春ちゃん」
急に名前を呼んだ千尋に、小春も目を向ける。
千尋の目は随分卑しかった。
「百舌先輩とはどうなったの!?」
「!?」
突然の会心ストレートに、小春は口に入れるだけで溶ける筈のかき氷に喉が詰まる。
なんとか息を整えるも、小春の顔は宇治抹茶とは真逆の赤色だった。
「なっ、なんですの急に!」
「だって、折角女子三人が集まったんだもん! 女の子が三人集まったら恋バナするのが常識でしょ!?」
「聞いた事ないですよそんな常識! 大体狛彦はオスですよ!」
「犬は含まないよ!」
話題に上がった狛彦は、氷を食べ終わり欠伸を垂らしていた。
「ねぇねぇ、教えてよー! まだ百舌先輩の事はなんとも想ってないの? 他の野郎共には何も言わないからさー!」
「知りたい」
グイグイと詰問する二人に、小春は少しでも離れようと体重を背凭れに預ける。
しかしすぐ諦めたように溜息を吐いた。
「……私だって、そこまで頑固じゃありませんわ」
口を開いた小春に、二人はそっと耳を傾ける。
「今までの変なプライドに固執して、自分の気持ちを認めない程、私は惨めではありません」
小春の顔は、みるみるうちに赤く染まっていった。
「……好きですわよ、先輩の事」
心境を明かした瞬間、千尋の気分は有頂天に達する。
「キャァァァァァァァァァァァ!」
突然の絶叫に、店中がこちらに振り返った。
「ちょっ、ちょっと先輩!? どうしたんですか急に!」
「いやだって! もうそんなところまで来てたのかと思って! なんか私、嬉しくなっちゃって!」
「先輩関係ありませんよね!?」
確かにそうだが、それでも千尋は自分事の様に高揚していた。
「いつ!? いつの間にそんな事になってたの!?」
「いつって……、この前の夏合宿の最後ですけど」
「流星群の時か! あぁもうなんで私寝てたんだろ! 小春ちゃんの徹底的瞬間見てたかったのに!」
「見ないでください!」
実はこっそり見ていた人物がいたのだが、小春はその人物に気付いていない。
千尋の上がった気分は、隣の花子にも注がれる。
「花子ちゃんは!?」
「ん?」
「花子ちゃんは最近ハカセとどんな感じなの!?」
眼前にまで迫った千尋の質問に、花子は頭を回す。
脳裏に浮かぶのは最近の博士の顔。
「……おかしい」
「えっ?」
返ってきた答えは、予測できないものだった。
「最近ハカセ、おかしい気がする」
「ハカセがおかしい?」
花子の回答に、千尋だけでなく小春も首を傾げる。
「んー、ハカセがおかしいのは昔からだけど」
「あっ、やっぱ昔からなんですね」
「この前ハカセと二人羽織やった時もなんかおかしかった」
「二人で何やってるんですの!?」
高校に通う男女二人がやったとは思えない遊びに、小春は思わず耳を疑った。
しかし千尋はなんの疑問も持たないまま、物思いに耽ていた。
「良いなー、二人共楽しそうで。やっぱり恋って良いなー」
独り言を呟きながら、頬杖を突く千尋。
そんな千尋を、小春は冷ややかな目で見ていた。
「……先輩は無いんですか?」
「えっ?」
「その手の話」
不意打ちに訊かれた質問に、千尋はらしくない照れた顔で首を振った。
「いやいや! 無いよ恋バナなんて!」
「本当ですか? 私達ばっかり話してズルいですよ」
「千尋、ズルい」
「本当なんだって! 恋とか、そういうのは私は……」
段々と千尋の声が小さくなっていく。
先程までこちらの恋愛話を突き詰めていた人とは思えない程のしおらしさだ。
「好きな人とか、気になってる人とかもいませんの?」
「いないよ!」
即刻で否定してくる千尋に、小春は具体的な人物を提示した。
「……あの化け猫とか」
「乃良!?」
突然名前の挙がった乃良に、千尋は思わず吹き出した。
「無い無い! だって乃良だよ!? あんなチャラチャラしたチャランポランのどこが良いの! それにあいつ猫だし! 友達としては悪くないし、七不思議としては憧れるけど、恋人ってなると眼中にも無いよね!」
割と近しい仲のように見えたのだが、こうも木っ端微塵な言われ様を聞くと、流石の小春も同情が湧いた。
次に名前を提示したのは花子だ。
「賢治君は?」
「あー賢治君かー」
名前の挙がった賢治に、千尋は腕を組む。
「んー、確かに賢治君は優しいし、良い子だけど……、恋愛対象には見れないかなー。なんか賢治君は、恋人ってよりも弟って感じ」
「辞めた方が良いですわよあんな奴」
賢治の幼馴染である小春が、スパッと賢治の首を斬る。
しかしこれで、オカ研部員の男子が全て出揃ってしまった。
「じゃあどんな人が良いんですか」
「んー、そんな事言われてもー」
「好きなタイプの一つぐらいあるでしょ?」
「あーそれなら」
そう提案され、千尋は頭の中で理想の男性像を描いていく。
「目はキリッとしていて、鼻はスッとしていて、口は笑うと可愛くて」
千尋の理想は、これで終わらない。
「身長は私よりも十センチくらい高くって、腕はムキムキって言う程じゃないけど触れば分かるくらいの筋肉質で、真面目で、でもちょっと甘えたがりで、料理とかしてる間に後ろからぎゅっとしてきてくれて、オカルトが好きで、夜の心霊スポットとかにデートで連れてってくれて、あとお兄さんがいて」
「理想高っ!」
止めなければ無限に溢れ出てきそうな理想に、遂に小春がストップをかけた。
「どんだけ理想高いんですか! そんな人に出逢える訳ないでしょ!」
「あと出来れば出身が火星で」
「そんな人いません!」
最早フィクションの世界線の妄想に、小春はお手上げ状態だった。
花子も話題を忘れて、今やかき氷に夢中だ。
「あーあ、どこかにこんな人いないかなー!」
なんて白昼の空に夢を描きながら祈る千尋に、小春は先輩を見ているとは思えない程冷ややかな視線を浴びせていた。
床に寝そべる狛彦は、気付けばいびきを掻いて寝ている。
しばらく経って狛彦が起きたその時まで、三人のガールズトークは続いていた。
三人揃って姦しい。
ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!
皆さん、百十二話の初詣編を覚えていらっしゃるでしょうか?
今読み返してみれば分かると思うのですが、その時に引いたおみくじが実は今後の展開の伏線になっていたのです。
なので今後の展開に合わせておみくじの内容を決めていたのですが、千尋のおみくじの内容はどうしたものかと考えていました。
そこで、今後の展開からおみくじの内容を決めるのではなく、おみくじの内容から今後の展開を決めようとなったのです!
千尋のおみくじの内容は『犬に噛まれないように』。
そう、狛彦にパクリと噛まれるところから、今回の話は作られたのです。
最初はそのシーンをオチに考えていたのですが、折角ならと女子三人で女子会を開いてもらいました。
狛彦の起用も最初は考えていなかったのですが、丁度小春のペットに柴犬がいる設定になったので、そこから採用した訳です。
と、なんとも異様な話の成り立ちでしたが、今までとは違う話の作り方で個人的には楽しかったです。
それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!