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【190不思議】ふたりは補習

 蝉時雨が耳をくすぐる、夏の昼下がり。

 いつもは授業に勤しむ生徒達の姿も、夏休みとなった教室には見当たらなかった。

 教室に並ぶのは、精々二人の影。

「せんせーい」

 そう声が聞こえて、教壇で漫画に呆けていた楠岡は気怠そうに顔を上げる。

 視線が合ったのは、机に用意されたプリントに手を付ける素振りも見せない、二人の影の一人である千尋だった。

「どうして補習私達二人だけなんですかー?」

 千尋は不満の籠った目でこちらを見つめてくる。

「……オカ研でお前ら二人だけが赤点取ったからだろ?」

「そうじゃなくて!」

 楠岡の回答は、どうやら千尋の聞きたかった回答ではなかったらしい。

「私達以外に、他にも赤点取った人くらいいるでしょ!? なのにどうして私達二人だけ補習してるかって訊いてるんですよ!」

 教室の机に座るのは、千尋と花子の二人きり。

 長期休暇の補習となると、他にも赤点を貰った補習対象となる生徒がいるものだが、どういう訳か昨日今日と教室には千尋と花子の二人しかいなかった。

 それが千尋には、補習よりも大切な疑問だったようだ。

 教壇の楠岡はそんな事かと溜息を吐く。

「……遠征だよ」

「遠征!?」

 聞こえてきた回答に、千尋は耳を疑う。

「野球部とかバスケ部とか、運動部は大会やらなんやらで色々忙しいんだよ。勿論、遠征が終わったら、運動部の奴らにもみっちり補習は受けてもらうさ。まぁでも、あいつらにとってはたった一度の夏だ。それが補習で潰れちまうのは可哀想だろ?」

 進学校の名を冠する高校にしては、生徒想いの待遇だ。

 今も運動部の学生は、むせ返るような暑さの中、苦しくも美しい汗を流しているのだろう。

 しかしそんな事など、千尋の知った範囲ではなかった。

「私達も合宿中なんですけど!」

 千尋にとって、夏合宿は遠征だ。

「……いや、お前らは学校にいるだろ」

「そうですけど! なんで運動部の人は免除されて私達だけ免除されないんですか! こんなの不公平ですよ!」

「お前らも昨日今日頑張れば、明日は免除してやるって言ってんだろ」

「嫌だぁ! もう勉強したくないぃ!」

 千尋の泣きそうになる程の哀れな叫びに、楠岡も目が当てられなくなる。

 そんな教室の中、隣の花子は黙々とプリントに文字を埋めていった。

 それが正解かどうかは、また別の話だが。


●○●○●○●


 同時刻、部室棟の廊下。

 校舎棟に響いた千尋の絶叫も、流石にここまでは届いていなかった。

 虫の声が外から聞こえる廊下に対面するのは、二年生の博士と七不思議の多々羅。

「……訊きたい事?」

「はい」

 博士がそう言って、多々羅を呼び止めたのだ。

 多々羅は博士の真意を探ろうと、眼鏡の奥の瞳を覗いてみる。

「……さっさとしてくれよ? 俺はお前らと違って忙しいんだ」

「さっきと言ってる事違うじゃねぇか」

 先程聞いた会話を思い返して、博士がすかさず指摘する。

 どうやら話は訊いてくれるようなので、博士は早速話を切り出した。

「花子の事なんすけど」

「………」

 博士の用件は、多々羅の予想通りだった。


●○●○●○●


 嘆いて解答欄が埋まる訳でもないので、千尋は致し方なくシャーペンを動かし出した。

 ふと隣の席に目を向ける。

 花子は相変わらずの無表情だったが、その手は進んでいないようだ。

「どうしたの花子ちゃん? 何か分かんないとこでもあった?」

「おい」

 補習にも関わらず私語を口にする千尋に、楠岡が口を挟む。

 しかし千尋がそれで止まる筈もなかった。

「もし分かんないとこがあったら、私が教えてあげるよ!」

「教えるな。補習だぞ」

 こちらを注意してくる楠岡に、千尋は「ブー」と口を窄ませる。

「良いじゃん別に! こういうのは助け合いが大切なんですよ!」

「良い訳ないだろ。大体お前に分かるかどうかも怪しいのに」

「それは訊いてみないと分かんないじゃん!」

 同じ補習対象者とは思えない程、千尋の自信は満ちていた。

「ねっ! 花子ちゃん! どこが分からないか言ってみて!」

 千尋は花子の役に立ちたいと、期待に満ちた目で花子に顔を寄せる。

 一方の花子は、無表情に不明点を口にした。

「……シャー芯の変え方」

「そこ!?」

 なら今までどのようにして授業を受けていたのかと、千尋は不思議で仕方がなかった。


●○●○●○●


 肌にじんわり汗が滲んできた二人の廊下。

 博士は多々羅に『訊きたい事』について、口を開きだした。

「花子のいなくなった日。花子が学校を飛び出した原因は、七番目の禍と会ったからだ。それから花子は我を失って走り去り、気付けば知らない場所にいた。今思い出しても、あのクソ野郎に腸煮えくり返る」

 博士の拳に、ぎゅっと力が入る。

 あの日の出来事は、多々羅も博士から話を聞いていた。

「でも、会っただけ(・・・・・)だった」

 博士の言葉に、多々羅の目がピクリと動く。

「あの日花子と七番目の禍は、会っただけで特にこれといった話はしてないみたいなんです。それは花子も、あいつも同じような事言ってたんで間違いないかと」

 逢魔は『僕が話しかけたら、すぐどっかに行っちゃった』と言った。

 花子は『何か言われた気がした』と言っていた。

 この二人の証言から推理するに、二人の間に込み入った会話は無かったと推測される。

「じゃあ、どうして花子はいなくなったのか」

 博士の推理は、更に加速する。

「花子はあいつの事を『知らない男の人』だと言っていた。でももし、花子の知らない記憶(・・・・・・)の中で、花子があいつと会ってたとしたら」

 多々羅の額から、大粒の汗が伝う。

 博士はここで、違う切り口から話を広げる事にした。

「……昔、花子によく似た女の人が映った写真を、部室で見つけた事がある。その女の人は花子からは想像できないくらいに笑ってたし、制服もこの学校と違ってたからあまり深く気にしてなかったんだけど、よくよく考えれば、八十年も経って制服が変わらない方がおかしい」

 八十年前、それは花子の記憶が消えてから一番古い記憶だ。

「もしかして、花子は八十年前この学校の生徒だったんじゃねぇか? そしてその時、花子は七番目の禍と何かあったんじゃねぇか?」

 何かまでは分からない。

 寧ろこれは、その何かを知る為の問いかけだ。

「七番目の禍はこの学校の理事長なんだろ? だったらあいつは、この学校が創立してからずっとここに居ついてるって考えても不思議じゃねぇ。でも俺はもう一人知ってる。この学校が創立してからすぐに居ついた、逢魔ヶ刻高校の七不思議を」

 それは初めて会った時に本人から聞いた事だった。

 いや、初めてオカルト研究部に入った時とも言い換えられるだろう。

「……もしかしてアンタ、花子が幽霊になる前の事知ってんじゃ」

「さぁな」

 ここまで聞いておいて、多々羅は話を遮ってしまった。

 後頭部に手を組み、踵を返して歩いてしまう。

「八十年も前の事なんて忘れちまったよ」

「おい!」

「もし」

 こちらに駆け寄ろうとする博士を、多々羅は振り向いて制止する。

「覚えてたとしても、それをお前に言うつもりはねぇ」

 多々羅の視線が、博士の脳に突き刺さる。

 それは、例えどんな拷問を受けたとしても口を割らない男の目のように見えた。

「お前が知る必要のない話だ」

 そう言って、多々羅は体育館倉庫に歩き出した。

 その後ろ姿を、博士はもう追おうとしない。

 追ったところで、何も成果を得られないのは明白だ。

「………」

 博士はしばらくその場に立ち尽くすと、息を吐いて騒がしいオカ研の部室へと戻っていった。


●○●○●○●


 補習の終わらない教室。

 早々に集中の途切れた千尋は、最早両手を机に端に垂らしてうつ伏せになっていた。

 シャー芯の交換を教えてもらった花子はペンを進め、楠岡は漫画のページを捲っている。

 そんな楠岡に、千尋はニタッと口角を吊り上げた。

「楠岡せんせーい」

「あ?」

 その呻き声は、決して教師が生徒にかける声ではなかった。

 そんな事は気にもせず、千尋は話を振りかける。

「馬場先生とは、もうご飯食べに行ったんですかー?」

 それは先日オカルト研究部の部室で決まった、楠岡と馬場のデート(食事)の件だった。

 馬場から新しい話は聞いていないので、恐らく未だ決行はされてないのだろう。

 千尋としては早くその顛末を聞きたいところである。

 思惑が透けて見えるような千尋に、楠岡は漫画を読む手を止めた。

「……行ってないけど」

「いつ行くんですか! 今夏休みでしょ!? 行くチャンスいっぱいあるじゃないですか!」

「バーカ、大人はお前らと違って夏休みも忙しいんだよ」

 これでは計画だけふわふわに立てて、結果自然消滅してしまう流れである。

 そうはさせないと、千尋が一歩実現に向けて踏み込む。

「もう! ちゃんとしてくださいよ!? 馬場先生は楠岡先生との焼肉デートを心待ちにしてるんですから!」

「デート?」

「そう! デー」

 そこで千尋は気が付いた。

 楠岡にとって、今度の馬場との食事はデートではない。

 今度の食事をデートだと口に出るのは、馬場が楠岡に恋い焦がれていると知っているからこそ出るものだ。

 いつも馬場と会話を楽しむノリで、つい口を滑らしてしまった。

 このままでは、楠岡に馬場からの好意を気付かれてしまうかもしれない。

「千尋……」

 花子もこの危険性に気付いているのか、じっとこちらに目を向ける。

 千尋の汗は、暑さとは別の理由で大量に溢れ出た。

 馬場が密やかに募らせていた想いを、自分が丸裸にする訳にはいかない。

 腹の奥がキリキリ鳴るのを感じながら楠岡の言動を見ていると、楠岡は静かに深い溜息を吐いた。

「ったく、だからお前らはガキなんだよ」

「はい?」

 それは予想外の発言だった。

「男と女が出歩いただけでデートだなんて言いやがって。男女間の友情だってあるだろうが。世の中全部ピンク色に染まってる訳じゃねぇんだよ。大体少女漫画ばっか読んでるからそんな脳味噌になるんだ。少年漫画も読め。これなんて面白いぞ? 『ちょんまげヤンキー家道』」

 馬場の好意のバレる危機から一転、何故かオススメ漫画を紹介されていた。

 あまりの展開に、千尋も花子も受け止めきれずに呆然とする。

 辿り着いた結論は、奇しくも楠岡と一緒だった。

「どっちがガキですか」

「あ?」

「楠岡、ガキ」

「なんつったテメェ」

 自分の生徒にバカにされ、楠岡の頭がカチンッとゴングを鳴らす。

 そこから補習もそっちのけの言い争いが幕を開けた。

 二対一と不利な楠岡だったが、「お前ら明日も補習にするぞ」という脅迫が決め手となり、軍配は見事楠岡に上がる。

 己の無力さに涙を呑んだ二人は、なんとか日没までに補習のプリントを書き終えたのだった。

全く勉強しない補習回。

ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!


二度目の夏合宿を書くにあたって、昨年には書いてないような話を書きたいなと思いました。

そこで思い付いたのが花子と千尋の補習。

という事で二人の補習をメインにした話を書こうと思ったのが、今回のきっかけです。

補習の担当教師は楠岡なんだろうなーっとすっかり決定して、そこから会話劇を組み立てていった感じですかね。


そして並行して書いたのがハカセと多々羅の話。

実はこの時点でここまで踏み込んだ内容を書く気はありませんでした。

ただハカセが今持っている情報を整理すると、これぐらいまではハカセなら推理できるんじゃないかと思いまして、こうして多々羅にぶつけた訳です。

しかしまだ謎は謎のまま。

この謎が晴れるのは、まだ当分先になりそうです……。


……と、ここで一つ疑問なのですが、僕花子が幽霊として記憶を持ったのが約八十年前って本編で書きましたっけ?

今回書いてて「あれ?」と書いた記憶が思い出せなかったのですが。

書いてなかったらすみません、花子の最初の記憶は八十年前ですのでそのつもりでお願いします。


それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 越谷さん、こんにちは。 新作、楽しく読ませていただきました!! >「……シャー芯の変え方」 「そこ!?」 花子の予想斜め上にぶっちぎった解答に大爆笑しました。 勉強で分からない所以前…
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