【189不思議】暑中お見舞い申し上げ給へ
オカルト研究部の夏合宿も二日目を迎えた逢魔ヶ刻高校の空は、今日も快晴。
ゲームの音楽が爽快に流れる部室に、突然ガシャーンッ!と何かが壊れた様にドアの開く音がした。
畳スペースで寛いでいた部員達は、一斉に顔をドアに向ける。
部室を訪れたのは、昨年のオカルト研究部卒業生にして、この学校の七不思議のリーダーだった。
「あっ、タタラ。おはよ」
「おはよじゃねぇよ!」
寝転がったまま挨拶する乃良に、多々羅は声を荒げる。
額には血管が浮き出ており、相当怒りで血が溜まっているらしいが、部員達に叱られる心当たりは見つからない。
「どうしたんだよこんな時間に」
「こんな時間じゃねぇよ! もう昼過ぎだぞ!? 何をお前らいつまでもグダグダゲームやってんだよ!」
多々羅の言う通り、時計は既に正午を回っていた。
「あのぉ……先輩、あの人って確か……」
「ん? ……あぁそっか、けんけん達は最初に会ったっきりか」
恐る恐ると尋ねた賢治に、乃良は思い出したと記憶を遡る。
記憶が正しければ、賢治と小春が多々羅と顔を合わせるのは、二人がオカ研に体験入部してすぐの夜以来の筈だ。
つまり多々羅とは、ほぼ初対面である。
「こいつはタタラ。俺と同じ七不思議の一人、体育館の巨人。去年までタタラもオカ研に入部してたから、実質俺らの先輩、OBにあたる訳だ。あっ、ちなみにこいつも幽霊じゃないから安心してくれよ」
「余計なお世話よ!」
「先輩だからって変に気ぃ遣う事ないから、ジャンジャンイジってやってくれ」
「なんでお前が勝手に言うんだよ! 先輩イジんな!」
悪戯に口を歪ませる乃良に、多々羅は殴りかかりそうな勢いだ。
しかし多々羅はふと気付いて、上がった拳を下ろす。
「……あれ、そういや花子と千尋は?」
「あー、あいつらなら去年と同じく補習ですよ」
「なにやってんだあいつら! 去年から何も成長してねぇな!」
二人教室で授業する花子と千尋のくしゃみに、部室の一同は誰も気付かない。
鼻の垂れる千尋を置いて、博士が多々羅に声をかける。
「それで、先輩がなんの用ですか?」
「なんの用ですかじゃねぇよ!」
博士の質問に、多々羅は「そんな事も分からないのか」とでも言う様に、拡声器ばりの声量で高らかに叫んだ。
「お前ら今夏合宿の真っ只中だろ!? だったら俺んところに遊びに来いよ! 一日中学校にいるんだからちょっとくらい遊びに来たっていいだろ! 俺ぁいっつも一人寂しく暇してんだよ!」
「なんだその理由」
声を大にして伝えられた理由は、なんとも寂しいものだった。
しかしこの理不尽さが、博士はどこか懐かしく感じてしまった。
赤ん坊がそのまま巨大化してしまった様な多々羅に、乃良が頬を指で掻きながら答える。
「あー……、勿論俺達、タタラんとこに行こうとしてたんだぜ?」
「えっ?」
乃良の告白に、多々羅の心が揺れる。
「折角の夏合宿だからな。でも朝飯食った後、タタラんとこ行く前に一回マリカしようって事になってゲーム起動させたんだけど、それが思いの外盛り上がっちゃって、もう一回、あともう一回ってなって……」
あとは畳スペースに広がる自堕落な光景を見てもらえれば、歴然だった。
「気付いたらこんな時間になってた」
「やり過ぎだろ!」
乃良は面目なさそうに後頭葉を掻いていたが、そこに反省が無いのは見て明らかである。
「お前らどんだけマリカやってんだよ! もう四時間以上やってるって事じゃねぇか! 誰か一人『早く行こう』って言った奴いなかったのかよ!」
「お前だって知ってるだろ? マリカが時間を忘れるくらい楽しいゲームだって事」
「そりゃ知ってるけど!」
このゲームの底無しの魅力は、多々羅も昨年まで夢中だったので存じている。
それはそれとして、この怒りが収まる訳ではなかった。
「悪かったって。謝罪の品じゃないけど、これやるからさ」
「ん?」
そう言って乃良は、隅に置いていた紙袋を持って多々羅に手渡した。
中に何か入っているのは、手にした質感で分かる。
「ほら、お中元とか暑中お見舞いって言うだろ? 多々羅に会いに行ったらこれやろうと思っててさ!」
乃良の満面な笑顔。
それは今までの罪を帳消しにする様な、優しい笑顔だった。
「お前……」
良い仲間を持ったと、多々羅は涙腺を滲ませる。
ここで泣くのはみっともないと涙を塞き止めると、多々羅は気になる紙袋の中身へと手を伸ばした。
入っていたのは、スーパーなどでよく売られる薄切りハムだった。
「なんでだよ!」
開口一番に多々羅が上げたのは、感謝の言葉ではなく荒ぶる謎だった。
「なんでって、暑中お見舞いって言ったろ?」
「だからなんでハム寄越したんだって言ってんだよ!」
「だって、お中元にはハムを渡すのが定番って調べたら出てきたから」
「そりゃあもっと分厚いハムの事だろ!? なんでこんな朝食に目玉焼きと一緒に出てきそうな薄っぺらいハム選んでんだよ! もっと厚いの持ってこい!」
「なんだよその言い方! 折角持ってきたのに!」
紙袋まで持参した品の散々な言われ様に、乃良も堪らず声を荒げ返す。
そんな七不思議二人の幼稚な攻防に、傍の小春は溜息を吐いた。
「まぁそう落ち着いてください。お見舞いの品はまだありますわ」
「あぁ!?」
小春の発言に、多々羅は顰め面のまま振り返る。
幽霊も慄くような鬼の形相を前にして、小春はその品を躊躇なく多々羅の眼前に見せた。
「はい、脱臭炭」
「どういう魂胆だテメェ!」
小春の渡したそれは、黒ずんだ木片が仕舞われたカプセルだった。
「なんだお前! 俺が臭いって言いたいのか!」
「いえ、そんな事言ってませんわ。ただ男の一人暮らしならそういうものも必要かと思いまして」
「遠回しに言ってんのと一緒だろ!」
「ちょっと近付かないください。擦れて焦げ付いたタイヤの様な臭いがしますわ」
「言ってんじゃねぇか! なんで俺からタイヤの臭いがすんだよ! 大体お前、よく見たらこれ冷蔵庫用じゃねぇか!」
多々羅がどれだけ暴言を吐こうと、小春は鼻を抓んで答えようとしない。
怒りで息の上がる多々羅だったが、今年の新入部員は彼女だけではなかった。
「僕からはこれです!」
「なんだよ今度は!」
背後から聞こえた賢治の声に、多々羅が自棄で振り返る。
「マトリョーシカです」
「一番いらねぇよ!」
それはロシアに古くから伝わる木製人形だった。
「なんでお前これ渡そうとしたんだよ! 今までで一番いらねぇよ! ただスペースが無駄になるだけじゃねぇか!」
「喜んでいただけたようで何よりです!」
「喜んでねぇよ!」
多々羅の般若の様な顔も、賢治の瞳には恵比須顔に映っているらしい。
「大体マトリョーシカって中に何個も同じような人形が入ってるヤツだろ!? そんな何個も人形いらねぇってんだよ!」
多々羅はそう言いながら、貰ったマトリョーシカを縦に分割する。
「あっ、中は入ってないです」
「入ってねぇのかよ!」
賢治の言う通り、中には何も詰まっておらず、多々羅は思わずそのマトリョーシカを床に叩きつけた。
「なんで中に何も入ってねぇんだよ! これじゃあマトリョーシカでもねぇじゃねぇか!」
「いやぁ、このマトリョーシカ、元々家のなんですけどね。一番大きいのだけ棚に収まらなくて置き場に困ってたんですよ」
「見舞いの品で在庫処分すんじゃねぇよ!」
どうやら賢治にとっては、ただの断捨離だったようだ。
新入部員に振り回される多々羅だが、その頭には素朴な疑問が浮かんでいた。
「つーかお前ら! よくこんなほぼ初対面の相手にそんな激しいボケかませられんな!? 俺一応七不思議だぞ!? 巨人だぞ!?」
本来多々羅は恐れられる存在の筈だ。
今まで体育館の巨人として、何人もの人間を恐怖に陥れてきた。
それが今や、顔も名前も一致していない高校一年生に散々な目に合わされている。
多々羅にとっては考えられない事だったが、小春と賢治はそこまで考えていなかったのか、目を合わせて首を傾げていた。
「……だって」
「加藤先輩がイジって良いって言ったから」
「お前らすごいな!?」
今時の高校生に、怖いものなんて無いようだ。
「とにかくお前ら! 俺は先輩で、お前らより何百歳も年上なんだ! もっと敬意を持って俺に接しろ!」
「断りますわ」
「なんでだよ!」
「貴方に何か敬意を持てそうなものが何も感じられませんもの」
「なんだとおらぁ!」
「まぁまぁ、後輩の可愛い生意気くらい大目に見てやれよ」
「うるせぇ! もとはといえばお前がバカな事言うからこいつら俺に盾突くようになったんだろ!? お前なんとかしろよ!」
「いやぁ、今更俺がなに言ったって無理だよ」
「そうですわよ。こちらの化け猫先輩も私別に尊敬してませんし」
「んだとごらぁ!」
宥めようとした乃良にも飛び火がかかり、戦況は更に混沌と化す。
「よぉし分かった! おい林太郎! コントローラー貸せ! お前ら全員マリカで俺の恐ろしさを分からせてやる!」
「上等だおらぁ!」
「目に物見せてやりますわ」
「うわぁ! 楽しそう!」
多々羅は土足で畳スペースに胡坐を掻き、百舌からコントローラーを半強制的に略奪する。
他の部員達も、意気揚々とコントローラーを取り始めた。
皆一様にテレビ画面に取り憑いて、間もなく始まるレースに備える。
その多々羅の姿は、ただ部員達と一緒にテレビゲームがしたかったようにしか見えなかった。
●○●○●○●
試合結果は予想通りだった。
「くっそぉ……」
「よっしゃーい! 俺らの勝ちー!」
「全く、相手になりませんわね」
「春ちゃんは結構ギリギリだったけどね」
「五月蠅いわね!」
画面に映るレースの順位表。
その一番下に、多々羅の操作した怪物の様な亀のキャラクターが映し出されていた。
「畜生! こんなところ、もう出てってやる!」
「えー! もう行っちまうのかよー!」
「もうちょっと遊びましょうよー!」
「五月蠅ぇ! ここにいたってちっとも楽しくねぇんだよ!」
そう捨て台詞を吐くと、多々羅は部室を出て行ってしまった。
多々羅のいなくなった部室は、何故だか先程までよりも随分と静かになったような気がした。
「……行っちゃいましたね」
「まぁ、あんなんで心の折れる男じゃねぇよ! それより続きやろうぜ!」
「……そうですね!」
乃良の押したレース再開のスイッチを合図に、一同はまた画面に夢中になる。
レースが始まれば、数分前の事など忘れてしまっていた。
ただ一人、コントローラーを手にしていない博士だけ、多々羅のいなくなったドアを眺めている。
捕えた視線の先は、もっと奥にあった。
●○●○●○●
夏休みという事もあって、昼間の廊下に生徒の数は少なかった。
今は生徒でなくなった多々羅も、これなら何の気兼ねもなく校舎を歩く事が出来る。
久々に部室で部員達と遊ぶ事も出来、充実した一日だったと噛み締めながら、我が家である体育館倉庫に帰るところだ。
「多々羅先輩」
しかし、背後から声をかけられる。
振り返ると、先程まで部室で一緒だった博士が、眼鏡の奥からこちらを覗いていた。
「……ちょっと、訊きたい事があるんすけど」
博士の顔は、いつになく真面目だった。
暑中お見舞い申し上げました。
ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!
折角夏合宿で学校にいるので、七不思議のメンバーと絡ませたい!
という気持ちから、多々羅をメインに話を書く事にしました。
どんな話にしようか色々悩んだんですが、『暑中お見舞い、お中元』という体の物ボケというところで落ち着きました。
一年生達とも何気に初がらみができて良かったと思います。
多々羅は他の七不思議に比べて比較的に登場率が高いのですが、最近は諸々の事情で真面目なシーンでの登場が多かったですね。
なので今回は、存分にはしゃいでもらいましたww
しかし何やらまた真面目な予感……?
ハカセと多々羅の対談は次回へと続きます。
それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!