【184不思議】オサナナリアル
冷たいものが口恋しくなってきた、快晴の放課後。
「ちょっと春ちゃん!」
オカルト研究部の部室から、そんな鬱憤の籠った怒鳴り声が轟いてきた。
怒鳴り声を上げた賢治は、珍しく眉毛を吊り上げている。
「……なに?」
怒りの矛先である小春に心当たりはなく、ただ口に小さな瓶を模したプラスチックを咥えていた。
「春ちゃんこれ食べたでしょ!」
賢治がそう言って掲げたのは、小春と同じく小さな瓶を模したプラスチック。
その蓋にあたる部分だった。
「……うん」
「もう! なんで食べちゃうの!? 春ちゃんが僕のパピコ半分食べたいって言ったからパピったのに! 僕の蓋まで食べちゃうなんてあんまりだよ!」
綺麗になった蓋を見て、賢治は打ちひしがれている。
「だって食べてなかったじゃん」
「僕が楽しみは最後にとっておくタイプって知ってるでしょ!?」
「あんなのとっといたらドロドロになるわよ」
「楽しみにしてたのにー!」
小春の言葉も届かないまま、賢治はまるで決勝直前で敗した高校球児の様な嘆きを見せていた。
考えるのも阿保らしくなり、小春は咥えていた容器を離す。
「はい」
「えっ?」
突然差し出されたプラスチックに、賢治は顔を上げる。
「残ってるの、食べていいわよ」
確かに容器の中には、まだ幾分か味わえるコーヒー色のアイスが眠っていた。
「いっ、いいの?」
「えぇ、なんだかもう飽きたし」
「でも蓋の分よりも量多いよ?」
「別にそれぐらい気にしないわよ」
淡々と返事をする小春は、まるでアイスの様な冷たさ。
それでも長年の付き合いである賢治の顔は、パーっと明るくなっていった。
「ありがとぉ!」
「ゴミはお願いね」
「うん!」
賢治は感涙を目尻に滲ませながら、容器に入ったアイスを味わっている。
先程まで小春が口を付けていた飲み口などお構いなしに、掃除機を彷彿とさせる勢いで啜っていた。
小春も最早賢治に目も暮れず、花子の除霊方法でも考えているのか、開いた本を懸命に読み解いている。
そんな後輩二人を、千尋がパッチリとした瞳で見守っていた。
「……二人ってさ」
千尋の声に、後輩二人は目を向ける。
「幼馴染なんだよね?」
改まって訊かれたその質問に、二人は顔を見合わせた。
「そうですよ」
代表して賢治が答える。
「どのぐらい前から付き合ってるの?」
「そうですね……、幼稚園の時に出会ったので……」
「もう十年程前になりますわ」
「十年! 本物の幼馴染じゃん!」
「だからそう言ってるじゃありませんの」
ドラマの様な幼馴染に、千尋の心は躍っていた。
「いいなー! 私も幼馴染欲しかったなー!」
「先輩はいなかったんですか?」
「んー……、いたにはいたんだけど、高校までずっと付き合ってる幼馴染はいなかったなー。ハカセは!?」
「俺?」
突然話を振られた博士は、幼少期の記憶を掘り起こす。
「……俺もいねぇな」
「だと思った!」
「じゃあなんで訊いたんだ」
「俺はねー! 幼馴染ってーと百年ぐらい前の話なんだけど」
「「お前には訊いてない」」
自分語りを始めた乃良を、博士と千尋が息を揃えた制止で塞ぐ。
まるで昔から打ち合わせていたような流れに、賢治は「幼馴染みたい」と笑っていた。
「じゃあさじゃあさ!」
千尋はそう前置くと、机に両手をついて前のめりに訊き出した。
「子供の時にさ! 『大人になったら結婚しよ!』みたいな約束した!?」
目を宝石の様に輝かせ、千尋は純粋無垢に訊く。
対するはす向かいの幼馴染二人は、あまり質問の内容を呑み込めていないようだ。
「……してないですけど」
「えー!」
期待外れの回答に、千尋は隠す事なく悲鳴を上げる。
「なんで!?」
「なんでって言われましても」
「幼馴染だったら絶対結婚の約束するもんじゃないの!?」
「そうとは限らねぇだろ」
千尋の偏った幼馴染のイメージを、博士が強制的に正す。
賢治はなんとか幼少期に小春と交わした約束を思い出しているようだ。
「うーん……、次の日晴れたら砂場でトンネル作ろうみたいな約束はしてたと思うんですけど」
「そんな約束興味無いよ!」
その程度の約束なら、千尋も記憶こそないものの約束していた気がした。
どこか幼馴染に夢を見ている千尋に、小春が呆れた息を吐く。
「先輩。前に言いましたよね? 私とこいつはただの家族みたいなものだって」
「言ってたけど! でも子供の時は違うじゃん! 私だって、『大きくなったらお父さんと結婚するー!』ぐらい言ってたよ!?」
「千尋、一等親との婚姻は認められねぇぞ」
「知ってるよ! 子供の時の話じゃん!」
真面目に心配してくる博士に、千尋は声を荒げた。
これ以上約束の話を問い詰めても、二人から子供特有の甘酸っぱい思い出は聞けなさそうだ。
ここは路線を変更して、次の手を打つ。
「じゃあさ!」
その声に、二人は目を向ける。
「朝、小春ちゃんが賢治君の家に起こしに行ったりするのは!?」
これならどうだと顔を輝かせる千尋に、幼馴染の二人は静寂を守る。
「……春ちゃん、僕よりお寝坊なので」
「畜生!」
千尋は机に両手を叩いて悔しさを表現した。
「なんで! なんで小春ちゃん、賢治君を起こしに行かないの!? もっと早く起きなよ!」
「どんな時間に起きても私の勝手でしょ!?」
理不尽な説教に、小春も堪らず抗議する。
自分まで感情を露わにするのはいけないと、小春は気を取り直して平静を装った。
「そもそも、私がこいつより早く起きようと、こいつを起こしに行く道理がありませんわ!」
「なんで! 幼馴染を起こしに行くのは幼馴染の仕事でしょ!?」
「お前の中の幼馴染の定義どうなってんだよ」
千尋の幼馴染へのイメージは、予想以上に偏っているようだ。
千尋はその偏った幼馴染へのイメージを、訊いてもいないのにベラベラ語っていく。
「幼馴染ってのは朝寝坊助な幼馴染を起こしに行って、テーブルには既に幼馴染が用意してくれた朝ご飯が並んであって!」
「多分僕の方が料理上手です」
「夜には勉強の苦手な幼馴染に二階のベランダを飛び越えて、勉強教えに行ってあげるもんでしょ!?」
「多分僕の方が勉強できます」
「そんな事ないわよ!」
「お前なんでも板宮に勝ってると思ってるんだな」
垣間見える賢治の謎の自信に、小春と博士が敏感に反応する。
「幼馴染って! そういうもんでしょー!?」
千尋は部室の外にまで響かせるように、そう声を張り上げた。
力尽きた千尋は、荒々しく肩で呼吸をしている。
姿勢を保つのもやっとな先輩の姿を前に、小春は一点気になる箇所があった。
「……あの、石神先輩。恐らく勘違いしてらっしゃるようなんですけど」
「?」
小春が口にしたそれは、千尋にとって衝撃の事実だった。
「私達、家隣じゃないですわよ?」
「!?」
千尋の体に、ずっしりとした衝撃が圧し掛かる。
衝撃は体中を駆け巡っていき、気付いた時には絶叫していた。
「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」
堪らず部員達は耳を塞ぐ。
「小春ちゃんと賢治君の家、隣じゃないの!?」
「えぇ」
「一回もそんな事言ってないですよね?」
「だって、幼馴染でしょ!?」
「それははい」
「幼馴染って家が隣同士の人達の事なんじゃないの!?」
「お前一回幼馴染で広辞苑引いてこい」
千尋の偏った幼馴染のイメージは、最早屈折していた。
フィクションの中の幼馴染しか知らないような千尋に、小春は深い溜息を吐いた。
「だから先輩、私達は口約束の婚約もしてなければ、家が隣な訳でもない。鉄板の幼馴染ネタは、私達には通用しませんよ」
本人が言うのだから、きっとその通りなのだろう。
これでは千尋も手の出しようがない。
ただ千尋は、最後に悪足掻きがしたかった。
「……じゃあ、もう一つだけ」
聞くだけならと、小春は最後の質問に耳を傾ける事にした。
「足だけびしょ濡れになった幼馴染を家までおんぶして送った事は?」
「なにその鉄板ネタ」
それは博士にとって前代未聞の鉄板ネタだった。
「えっ、なんだそれ。俺聞いた事ねぇんだけど」
「あぁ、それなら」
「あんの!?」
思い当たりのあるように口を開いた賢治に、博士が思わず顔を向ける。
当の本人である小春も、あまり記憶にないようだ。
「そんな事あったっけ?」
「うん、確か小学校入ったばっかりくらいの時に……」
賢治はおぼろげな記憶を掴むように思い出しながら、当時の情景を回想する。
●○●○●○●
それは今から約九年前。
新品のランドセルを背負った小学一年生の小春と賢治は仲良く手を繋いで下校していた。
小春は右の歩道側、賢治は左の車道側を歩いている。
「くるまのとおる方はきけんがいっぱいだから、男の人にあるかせろって、おねえさまが言ってたんだー!」
「へぇ、そうなんだー」
「だから賢ちゃんが、くるまのとおる方あるくんだよ!」
この時代からツインテールが健在だった小春は、満足気に前だけ見て突き進む。
しかし、この時の小春は知らなかった。
危険は決して車道側だけにある訳ではないという事を。
「えっ」
ふと踏み込んだ足が地面に着かない。
前だけしか見ていなかった為、蓋の開いた側溝に気付く事が出来なかったのだ。
そのまま小春の繋がった左手は徐々に下がっていき――、
ズボンッ!と、小春の両足は側溝に無事着地した。
「………」
突然の出来事に、小春は言葉を失う。
数秒後に溢れてきたのは言葉ではなく、大粒の涙だった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁん!」
耳を劈く程の泣き声が、街中に響き渡る。
賢治がどれだけ泣きやませようと言葉をかけるも、小春が泣きやむ気配は一切見られなかった。
仕方なく賢治はランドセルを腹に向け、空いた背中に小春を背負う。
賢治の手には、ずぶ濡れになった小春の靴も握られていた。
結局賢治は家まで小春を送り届け、小春はそれまで賢治の背中で号泣していたという。
●○●○●○●
「びしょ濡れになったの私じゃないの!」
回想を聞き終えた小春は、顔を真っ赤に染めて賢治の胸倉を掴んだ。
「ちょっと! なに勝手に話してんのよ! アンタが思い出したから、アンタがびしょ濡れになった話だと思ったじゃない!」
「側溝に落ちる人なんてそう何人もいないよ」
「何が言いたいの!?」
「良かったー! なんとか幼馴染らしい話が聞けて!」
「今のどこにも幼馴染要素なんてありませんよ! 満足した顔で話聞かないでください!」
幾度に重なる恥に、小春は首まで熟れていた。
博士は改めて後輩の幼馴染達に目を向ける。
赤面で激怒する小春。
愉しそうに笑う賢治。
このどこかすれ違った二人に、幼馴染の鉄板が通用する筈がないと、博士は納得してしまった。
幼馴染あるある。
ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!
実は今回の話、元々書く予定のない話でした。
どういう訳かと言いますと、次回投稿される話を元々今日投稿する予定でして、それを一週間ずらす事にしたんです。
特に深い理由はないんですが、まぁ日常回をもっと書きたいなと思いまして。
そんなこんなで、今回はほぼ0から話を作る事になったのです。
どんな話を書こうかと悩んでいた時に出てきたのが幼馴染の二人。
登場以来マガオカに強い印象を残してくれている二人ですが、そういえば二人の幼馴染に関する話って書いてないなって。
という事で、幼馴染の関係を掘り下げる話になりました。
最初は賢治が小春に対して母親の様に過保護になるって話を書こうと思ったんですが、ちょっと行き詰りまして。
結果、幼馴染あるあるを二人に照らし合わせるという話になりました。
作成秘話として特殊なこの回は、僕の中でも印象に残る回になる事でしょう。
それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!