【182不思議】All for One
どんな夜も明けない夜はない。
満天の星空に包まれた七夕の夜は、東から昇る鮮やかな太陽と代わって幕を下ろした。
雲一つない無色な空も、夜空と違ってまた美しい。
そのどこまでも高い朝空を、彼は屋上で独り占めていた。
「んーっ、良い朝だ」
ぐっと背中を伸ばす。
体を巡る血流も、日光に照らされて活性化した。
早朝の逢魔ヶ刻高校は、登校する生徒はおろか、出勤する教師の姿もまだ見当たらない。
今この学校は、彼だけのものだった。
「……さて」
不意に彼の目の色が変わる。
「こんなところに全員集まってどうしたんだい?」
彼はそう言って振り返った。
突き刺さる程の敵意を放ってくる、後方へと目を据えて。
「逢魔ヶ刻高校の七不思議さん達」
そこには七番目の禍――逢魔と同じ七不思議達が勢揃いしていた。
背景には無色透明な空が映っており、爽やかな夏風が一同の髪や服を撫でている。
その様子は、どう見ても穏やかな様子ではない。
明らかにこちらを敵視する七不思議達に、逢魔は余裕そうな姿勢だった。
「……あれ?」
ふと逢魔がある事に気付き、指差し数える。
「一、二、三……、……あぁ、全員って訳じゃないのか。あの子はどうしたの?」
「昨日の今日で花子をお前と会わせる訳ないだろ」
逢魔の声を塞ぐように、体育館の巨人――多々羅が口を開く。
「聞いたぞ。ハカセから全部」
「………」
確かに屋上に顔を揃えた七不思議の中に、花子の姿は無かった。
きっと今頃、女子トイレの個室で昨日の疲れをぐっすりと癒しているだろう。
集ったのは、花子を除いた六人だけだ。
「やっぱりお前が引き金だったみたいだな」
「引き金だなんてそんな。僕はただ挨拶に行っただけだよ」
「どの口で言ってんだよクソ野郎」
多々羅の乱暴な言葉遣いにも、逢魔は飄々と笑っている。
すると今度は、別角度から声が聞こえた。
「タタラがなんで俺達をアンタと会わせないようにしてたのか、その理由がよーく分かったよ」
簡単な塀に腰を下ろす中庭の化け猫――乃良は、逢魔を見上げる。
「アンタ、相当のクズだな」
その目は、随分挑発的だった。
「君は……ノラ君だね? 初対面なのに随分酷い事言うじゃないか」
逢魔の調子の良い言葉にも、乃良は一切動じない。
「まぁそれもそうか。君は確か、博士君と一番仲が良かったんだったね」
「……あ?」
その一言は、乃良の逆鱗に触れた。
「博士君の事、心配してるんでしょ? 大丈夫。僕と博士君は友達だよ。何度か腹を割って話し合った仲だしね。というか、博士君て心配とかそういうの嫌がりそうじゃない? 君が思う程、博士君は弱くないと思うけど」
「お前がハカセを語んなよ!」
「ノラ落ち着け」
暴力に走りそうになった乃良を、多々羅が咄嗟に止める。
目だけでも応戦する乃良に、逢魔は高みの見物だ。
しかしもう一方向から突撃する特攻部隊に、多々羅も逢魔も気付けなかった。
「!」
彼女は逢魔の襟元を掴み、眼前に逢魔の顔を引き寄せる。
「お前、花子に手ぇ出して無事で済むと思うなよ?」
人魚の尾びれを、スレンダーな美脚に模したプールの人魚――ローラ。
襟元を掴む反対の手からは、切れ味の良さそうな刺身包丁が逢魔の首元を狙っていた。
確かに無事では済まなさそうだ。
「ローラ!」
「黙ってろ!」
後ろから聞こえてくる多々羅の制止を、ローラは問答無用で切り捨てる。
「……君がローラか」
「お前に呼ばれる名前はない」
「僕は別に、彼女に手なんて出した覚えないんだけど」
「黙れ。花子を傷つけた事に変わりはない」
どれだけ言っても、ローラが刃物を仕舞う気配はない。
それでも逢魔は、汗一つかかずにローラと対峙していた。
「ローラさん」
緊迫した空気の中、ローラの背後から声がかかる。
オレンジ髪を靡かせる音楽室の伴奏者――ヴェンだ。
「もうやめなよ」
「やめない!」
「なにしたって無駄だよ。タタラ君が言ってたでしょ。そいつは不老不死の人間。ローラさんがここで殺したとしても、また生き返るだけだよ」
ヴェンの冷静な説得に、ローラは逢魔の顔を睨む。
彼の言う通りだと、逢魔は口元を緩ませていた。
行き場のない苛立ちにローラは歯軋りを鳴らし、仕方なく襟元を掴んでいた手を放す。
解放された襟を、逢魔は丁寧に正した。
「ありがとう……ヴェン」
「勘違いしないでくれ」
感謝を口にされたヴェンは、それをすぐに一蹴する。
「僕は別に君を庇った訳じゃない。ただローラさんが、君なんかに手を穢すのを見たくなかった。それだけさ」
逢魔に向けるヴェンの目は、随分冷え切っていた。
「僕は君を許さない。神様がそう言ってるからなんかじゃない。僕自身、君を許さないんだ」
「………」
未だかつてなく険しい顔つきのヴェンに、逢魔も口を開くのをやめる。
「こちら側の世界に干渉しない」
また別の方向から声がして、逢魔は首を回す。
声をかけたのは、白髪白衣を纏う理科室の人体模型――もけじーこと丸毛だった。
「そういう約束だった筈だぞ、オーマ君」
丸毛の目も、生徒を見守るような優しい目ではない。
「もけじー……。約束って、もう何十年も前の話でしょ?」
「約束は約束だ」
昔馴染みのように語りかける逢魔にも、丸毛は容赦なかった。
「私達はもう、君の退屈しのぎに付き合ってられんのだよ」
そう言った丸毛の横顔は、どこか疲れ切っているようだった。
逢魔はやれやれと口にするように息を吐く。
その一挙手一投足が、一同の心をくすぐるようで癪に触った。
肌に針の刺さる様な空気の屋上でしばらく睨み合う中、多々羅が七不思議を代表して高らかに声を上げた。
「オーマ! 今ここでもう一度誓え!」
逢魔も俯いていた顔を上げる。
「金輪際! 花子、ハカセ、その他こちら側の世界で生きる全ての人間に関わる事を禁止する! もし今度破った場合、お前をこの学校から追放する!」
その誓いは、今まで暢気に聞いていた逢魔も目を開かせるものだった。
「……僕を学校から追放する?」
誓いの一文に、逢魔の首が傾ぐ。
「本気で言ってるのかい?」
「当たり前だ」
「僕はこの学校の創始者だよ? その僕をこの学校から本気で追放できると?」
「どんな手を使ってでも、テメェを追い出してやる」
俄かには信じ難い発言だった。
それでもこちらを凝視して離さない七不思議達の目。
その目は、決して冗談半分で嘯いているような者が出来る目ではない。
間違いなく、彼らは本気だった。
「……ハハッ」
それが逢魔には、堪らなく面白かった。
「良いね。分かった。誓うよ。僕は金輪際、そっちの世界には関わらない。学校から追放されるのは困るからね」
相変わらずの調子で、逢魔は誓約を受諾する。
本気で困っているのか、心の内を読む事はいつまで経っても不可能だろう。
「……聞いたからな」
「あぁ、僕を信じてくれ」
いま一つ信用に足りない返事だったが、今は信用する以外道がない。
一先ず七不思議達の用件は、これで完結した。
「でもたまには君達が遊びに来てね」
屋上の出入り口へと帰っていく多々羅達の背中に、逢魔が声を投げ飛ばす。
「一人ぼっちは、退屈だからさ」
最後に囁いたその一言だけは、どういう訳か信用できた。
●○●○●○●
屋上を後にした七不思議は、それぞれ自分達の持ち場へと戻っていく。
時間は少し経ったものの、校舎はまだもぬけの殻だ。
乃良も自身の目的地を目指して校舎を歩く。
これから授業を控えている乃良が向かった先は、教室でも中庭でもなく、ただの階段の踊り場だった。
「終わったぞ」
先に踊り場で待っていたのは博士だった。
「……おぅ」
博士は階段の手すりに腰を掛けながら、ぶっきらぼうに生返事をする。
平常通りの博士に安心して、乃良は息を吐いた。
「……んで、こんな朝っぱらに何の用? 話なんて、教室でも部室でも出来んじゃねぇの?」
乃良がこの場所に来たのは、博士に呼び出されたからだ。
昨夜、花子を無事見つけて解散した後、メッセージにて博士からこの時間にここに来るよう突然召集された。
『話がある』とだけ伝えられたが、その内容までは伝えられていない。
「いや、取り敢えずお前には言っておこうと思って」
「?」
妙に改まった博士に、乃良は首を傾げる。
博士はしばらく間を開けると、紛れもなくそう言った。
「俺、花子の事好きだわ」
思わず言葉を失った。
あまりにもさらりと口にするものだから、言葉に置いて行かれそうになった。
博士はどこか遠くを眺めているようで、視線は一向に合わない。
ただ博士を見つめていくうちに、少しずつ博士の口にした告白が実感となって乃良の中に入っていくような気がした。
不思議と乃良の口から「ふっ」と息が漏れる。
「……んだよ」
「別に?」
こちらに尖った視線を向けてきた博士を、乃良ははぐらかす。
「……そっか」
深くまでは聞かず、それだけ呟いた。
あまり掘り起こすのは、今の博士には良くないと思ったから。
「……いつ花子に言うんだよ」
それでも少し気になって、乃良はそれだけ訊いてみる。
「……言わねぇよ」
「はぁ!?」
返答は想定外のものだった。
「なんでだよ! 好きなんだろ!? 付き合うんじゃねぇのかよ!」
「付き合うだけが正解じゃねぇだろ。別に付き合いたいなんて思ってねぇし」
「だけど花子は!」
「それに!」
声を荒げる乃良に被せるように、博士も感情的に叫ぶ。
「……あいつは幽霊だ」
その一言が、乃良を更に震撼させた。
「……お前」
「分かってる。そんなのは関係ない。俺はあいつが幽霊だろうがなんだろうが、生きてようが死んでようが、あいつに対するこの気持ちは変わらないと思ってる。そんな事は分かってんだ。けど……」
一瞬、博士の声が微かに揺れる。
「……幽霊は年を取ったりしない。もう死んでるから、これから死ぬ事もない。対して俺は、これからどんどん年老いていくし、百年も経たないうちに死ぬ。そしたらあいつは……一人ぼっちだ」
目を凝らすと、博士の体も揺れていた。
「俺は……どうやったって、あいつをずっと幸せにする事なんて出来ないんだよ。だったら、いっそずっとこのままでって……」
きっと、昨日の夜からずっと考えていたのだろう。
自分が死んだ先の事まで、ただひたすらに花子の事だけを考えていたのだ。
考えて、考えて、考えた末に出たのが今の答え。
それが正解なのかどうか、博士自身もまだ分かっていないようだ。
それでも一晩考え抜いた博士の答えを、乃良が頭ごなしに否定など出来る筈も無かった。
「……別に良いんじゃねぇか? お前がそれでいいなら。俺がとやかく言うような事でもねぇし」
乃良はそう言って、プラプラと階段を下りていく。
「……でもな」
そう前置くと乃良は立ち止まり、踊り場に残る博士に振り返った。
「世の中には両想いになりたくてもなれない奴なんてざらにいる。今お前が両想いだって事が当たり前じゃないって事、忘れんなよ」
やけに胸に刺さった言葉に、博士は目を見開く。
目に映る乃良の顔は、真剣そのものだった。
「……恋愛経験無ぇのが何言ってんだか」
「うるせ」
乃良はそう捨て台詞を吐くと、正面に戻って階段を下りていく。
その背中が、何故か異様に大きく見えた。
「……肝に銘じておくよ」
博士は手すりから腰を上げると、階段を早足で下りていった。
先を歩いていた乃良の隣まで追いついて、誰もいない廊下に並ぶ。
「誰か来てるかな?」
「一人ぐらいいるんじゃねぇの?」
「じゃあ分かった! もしお前が教室入った時、一人でもいたら俺の勝ち、誰もいなかったらお前の勝ちな!」
「それ、俺が入る直前にお前が入って『一人いる』って言うつもりだろ」
「チッ、バレたか」
生産性の欠片もない会話を流しながら、二人は二年A組の教室を目指して歩いていった。
●○●○●○●
二年A組。
「「「あっ」」」
三人の短い声が、三重奏となって教室にこだまする。
教室にはおかっぱ頭の幽霊少女――トイレの花子さんこと花子が、一足早く自分の席に腰を下ろしていた。
何はともあれ、勝負は博士に軍配が上がった。
「あー! 花子来てたかー! くーっ負けた!」
「おはよう」
「あーおはよ」
自分から持ちかけた勝負に敗北した乃良は、悔しがりながらも花子に挨拶を返して自分の席に座る。
花子は乃良の挨拶に満足すると、すかさずもう一人に狙いを定めた。
「ハカセ、おはよう」
「………」
いつも通りの無表情な花子。
それでも博士は、いつも通りではいられなかった。
「……はよ」
顔を背けて、博士は雑に挨拶を返す。
明らかに様子のおかしい博士に、花子は疑問符を浮かべた。
どれだけ博士を見つめてみても、博士がこちらに顔を向ける素振りはない。
首を傾げる花子の背後で、乃良は厭らしく口角を吊り上げていた。
二人の視線を感じる中、博士は決して顔を見せない。
否、見せられなかった。
焼ける程に熱く火照ってしまった、林檎の様に真っ赤なこの顔など、誰にも見せる訳にはいかなかった。
七不思議、全員登場。
ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!
今回は前回までのハカセ編の後日談、というか翌日談になりますね。
これも以前から書きたかった『七不思議集結』です。
実は当初では、屋上の七不思議集合に花子も参加し、本当に七不思議が全員集合する予定でした。
しかし物語を進めていくうちに、花子を逢魔に会わせる訳にはいかないと、何より皆が会わせないだろうと、花子には欠席していただく形になったのです。
本当はサブタイトルも『七不思議だよ!全員集合!』にしてやろうかと思ったんですけど、それもお蔵入りにww
それでも七不思議がここまで集結するシーンは今後二度とないと思うので、このシーンは特別なシーンになります。
そして、ハカセと乃良の二人のシーン。
これも当初よりなんとなくは描いていたシーンです。
いつもは喧嘩もしょっちゅうな二人ですが、こういう大事な時には腹を割って支え合える関係性なんだなと、僕個人書いていて感動しました。
大事にしろよ、ハカセ。
さて、乃良にも打ち明けた花子への想いですが、これからどうなるのか!?
これは次回も目が離せませんね!ww
それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!