【179不思議】邂逅
夕焼けの差し込む、夏の校舎の廊下。
伸びる二つの影の一つである逢魔は、もう一つの影である博士をどこか歓迎していた。
「また逢ったね」
「………」
逢魔の歓迎に、博士の頬は緩まない。
一つ線を引いている様な博士に、逢魔はそっと歩み寄る。
「もうすぐ最終下校時刻でしょ? こんなとこに一人で一体何してた」
皆まで聞かず、博士は逢魔に背中を向けて歩き出した。
「ちょっと待って」
振り返る素振りのない博士に、逢魔も若干慌てて博士の邁進を止めにかかる。
「えっ、なんで無視するの? 流石に気付いてないフリは無理があるでしょ。さっきバッチリ目が合ってたし。僕なんかした?」
どれだけ聞こえないフリをしても、逢魔に諦める気は見えない。
仕方なく博士は足を止めた。
「……多々羅先輩に、貴方に関わるなと言われたので」
正直な告白に、逢魔の目は点になる。
「……タタラに?」
「はい」
悪びれもせず悪口紛いを吐く博士に、逢魔は硬直していた。
その直後、堰を切ったかのように吹き出す。
「アッハハッ! 君は余っ程、タタラを信用してるんだね」
「はい?」
どういう経緯でそう行き着いたのだろうか。
別に多々羅を信用しているのではなく、単純に逢魔が信用できないだけという事は、今は口にしない事にした。
「そんなに警戒しないでよ。同じ人間なんだし」
「!」
人間という言葉に、博士は敏感に反応する。
平常心を装ったつもりだったが、逢魔の目には見透かされていたようだ。
「聞いたんでしょ? タタラから」
心の中を覗く様に、逢魔はこちらを覗く。
「……じゃあ本当に」
「そうだよ。僕は人間。君達よりちょっと長生きなね」
ちょっとの基準が不安定になっているようにも思えるが、多々羅から聞いた情報は全て真実なのだろう。
「ねぇ、この前教えてもらった道順でも屋上に行けなかったんだ。だから今日は、一緒に屋上まで連れてってよ」
こちらに歩み寄る足音が、空虚な校舎に響く。
「ちょっとした退屈しのぎに、さ?」
様子を窺いながらおどける逢魔。
博士はしばらく無言で苦悩したが、胸の内に残る好奇心が断らせてはくれなかった。
●○●○●○●
人気の無い校舎に、二人分の足音が響く。
生徒は勿論先生の姿も見えず、まるで世界は、本当に二人を置いて消えてしまったみたいだ。
「えっ、じゃあ宿題を取りに来る為だけに、わざわざ教室まで戻ってきたの?」
二人は屋上までの道すがら、他愛もない世間話を交わす。
「……まぁ、はい」
「へー、今時そんな子いるんだ。一日ぐらい忘れちゃってもいいのに」
「……アンタ、あいつと気ぃ合うと思いますよ」
「?」
部室で似たような事を口にしていたポニーテール。
きっと彼女は、七番目の七不思議と同じ価値観だと知ると、ワールドカップ進出が確定した時のサポーターの如く熱狂するだろう。
考えただけで、頭が痛くなった気がした。
七番目の禍と称される逢魔と、こうして横並びで歩く不気味さも相まって、随分絶不調だ。
逢魔は博士に首を傾げつつも、目を天井に泳がせる。
「そっか。……じゃあ博士君にとって、その宿題は大切なものなんだね」
「……大切なもの?」
その言葉に、博士は振り向いた。
逢魔の目は、達観的に物事を観測しているようだった。
「そう。誰にでも命より大切なものってあるでしょ? 君は一日ぐらい忘れてもいい筈の宿題を、わざわざ取りに戻ってきた。それぐらい君にとって、この宿題は大切なものだったって事だよ」
「いや、そこまでじゃねぇっすよ」
語った逢魔に、博士は否と訂正する。
「確かに勉強は大切で、宿題はその勉強を効率よく行う大切なものではあるけど、勉強は命をより充実したものにする為のもので、命より大切かって言われたら、それは別に」
「じゃあ博士君にとって大切なものって何?」
「えっ?」
突然胸元に飛んできた質問に、博士の喉は詰まった。
「そりゃあ、家族とか」
「とか?」
「………」
自分で「とか」と接続詞を付けておきながら、そこから続く答えはどこにも見当たらなかった。
口を閉じた博士に、逢魔の口元は緩む。
「まぁ、まだ気付いてないだけかもしれない。本当に大切なものってのは、案外すぐ傍にあるものだからね」
灯台下暗し、とでも言いたいのか。
世間話も程々に、目的地はもうすぐそこだった。
「……そろそろ着きますよ」
職員棟三階の、更に上行きの階段を上る。
毎日学校に通っている博士でも、初めて足を乗せる階段だ。
上りきった先には鉄製の扉が待ち構えており、ひんやりとしたドアノブに手を掛ける。
鍵が掛かっていると思われた扉は、すんなりと開いた。
そこから見える空は、昼と夜と中間の様な黄昏色に染まっていた。
「……ここが」
道案内した筈の博士も、そこから見える景色は初体験だった。
校舎、校庭、グラウンド、学校敷地外まで、往来している場所をショーケースの外から眺めている気分だ。
「あー! ここだよここ! やっと来れた!」
久々の屋上に、逢魔も大興奮している。
「……ここが僕のお気に入りの場所なんだ。この学校が、全て僕の手の中にあるような感じがしてさ」
景色に釘付けな逢魔の目は、随分と景色に見惚れていた。
逢魔の横顔を観察してから、博士は目を逸らす。
「じゃあ俺は帰りますね。もしまた下りるような事があれば、その時は壁からでも上ってきてください。多分そっちのが早いんで」
「うん、じゃあそうしてみるよ」
ちょっとした冗談のつもりだったが、逢魔には全く無効のようだ。
博士は疲れて重くなった足を、校内へ運んでいく。
「博士君!」
名前を呼ばれ、博士は振り返った。
「ありがとね」
ただ、それだけ。
それだけの一言で、逢魔が禍と称される理由が皆目見当もつかなくなった。
●○●○●○●
その日の事を、博士は誰にも言っていない。
多々羅に言えば拳骨を貰うだろうし、千尋に言えば面倒事になるのは間違いなかった。
当の千尋は、今は校庭で植物を揺らしている。
「よし! これでオッケー!」
植物を壁に立て掛け、千尋は息を整えた。
壁に凭れた立派な植物には、無数の願い事が飾られている。
そう、今日は待ちに待った当日だ。
「もう七夕かー」
「天の川、綺麗に見えるといいなー!」
「天気予報じゃ、確か快晴って話だったよ」
「本当!? やったー!」
校庭に群がるオカ研部員達は、今日の夜に夢を膨らませていた。
博士が先日七番目の七不思議と遭遇していたなど、この場の誰の脳内にも過っていなかった。
乃良はふと、下手すれば自分の背丈をも上回る壁掛けの植物に目を奪われる。
「……にしても、ちひろんこれどうしたの?」
「へっへー、今日の為に買ってきたの!」
「マジか!」
「やっぱり七夕って言ったら笹の葉でしょー!」
千尋の七夕への情熱は、どうやら人一倍では足りないようだ。
「てか、なんで外に置いてんだよ」
「何言ってんの! 外に出しとかないと、私達がなに願ったか織姫様と彦星様に伝わらないでしょ!?」
「願い叶えてくれるのって織姫と彦星なのか?」
率直な疑問に、博士は首を傾げる。
謎の多い逢魔より、千尋の方が謎は多いのではないだろうか。
千尋は爛々とした目で、じっと空を眺める。
「あーあ、早く夜にならないかなー!」
このまま日没まで、ずっと空から目を離さない気すらした。
そんな千尋に視線を送り続けていたのは小春だ。
小春の目はどこか葛藤しているような目で、千尋と交互に例の笹飾りを凝視している。
「……あのぉ」
「どしたの小春ちゃん!」
満面な笑みの千尋に、小春の良心が軋む。
「いやっ、あの、大変言いづらいのですけど……」
そう前置いてからも、言葉にするか否か迷っていたが、意を決して小春は恐る恐るその真実を口にした。
「……それって、竹じゃありません?」
突如、千尋の幸福が雷に打たれる。
「あっ、やっぱり?」
「笹にしてはデカいと思ったんだよな」
「どう見ても竹ですよね」
他の部員達も薄々気付いていたらしく、小春を皮切りに続けて口を開いていった。
千尋はあまりの衝撃を受け止めきれず、体が震えている。
「……えっ?」
「でっ、でもっ! 地方によっては竹を飾るとこもあるみたいですから! 別に問題は!」
両目に涙が滲んでいく千尋を、小春は必死で宥めに入る。
しかし、時既に遅かった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」
千尋の目から、ナイアガラの滝に匹敵する程の涙が溢れ出した。
「だってぇ! 笹と竹って似てるから! 分かんなくて! 分かんなく……うわぁぁぁぁぁぁぁ!」
「ごめんなさい! 大丈夫です! どっちでも大丈夫ですから!」
大号泣する千尋を、小春が介抱する。
正直笹か竹かなど、周囲の部員達はどっちでも良かった。
「……帰るか」
「そうだな」
「ほら、石神先輩も帰りましょ! 願い事叶うといいですわね!」
「うん……」
部員達は短冊の飾られた竹飾りを残して、校庭を後にしていく。
泣き崩れていた千尋も、小春の肩を借りて、千鳥足ながらもなんとか共に帰路を歩き出した。
花子も茫然としながら、一同の背中に引っ付いていく。
その筈だった。
「………」
後ろに気配がして、花子は振り返る。
さっきまで竹飾りしかなかったそこには、一人の人影があった。
黒いスーツに袖を通した、顔の整った男性。
七不思議が七番目、七番目の禍こと逢魔創人だ。
「……久し振り」
一般の生徒は勿論オカルト研究部員も、七不思議でさえ逢魔の顔を知っている人は数少ない。
花子とも、正真正銘これが初対面だ。
しかし、逢魔はそう言った。
そして、花子も逢魔の顔を知っていた。
「さゆり」
瞬間、花子の頭の中で、何かが弾けたような気がした。
●○●○●○●
風が強く吹いている。
空き缶を吹き飛ばす様な荒々しい屋上の風は、塀の上に立つ彼女の髪を荒く靡かせた。
少年は使い古した雑巾みたく、ぐちゃぐちゃに泣いている。
一方の彼女は、塀の上にも関わらず、いつもと変わらない笑顔を見せていた。
「 !」
彼女の声に、少年は顔を上げる。
涙の止まらない少年の視界では、ろくに彼女の顔立ちも確認できなかった。
しかし彼女は、
少年の滲んだ視界でも、一歩でさよならな死の際でも、
ただ、美しかった――。
「 」
そう言い残し、彼女はベッドに体を預ける様に、少年の視界から消えていった。
●○●○●○●
夜も更けた博士の部屋。
天の川が街を照らす七夕の夜も、博士にとってはいつもの夜となんの遜色も無かった。
ただいつもと同じく、課題を解き明かしていくだけ。
そんな日常に、一つの着信音が鳴った。
画面に映った着信相手を確認して、博士の眉は八の字に顰む。
「なんだよこんな時間に。俺はお前らと違って忙し」
またいつもの暇潰しに付き合わされるだけだ。
そう思って電話を出てすぐ文句を言ってやったのだが、返ってきた声色はいつもの陽気と違った。
「……は?」
電話越しの声に、博士は口を歪ませる。
「花子がいなくなった?」
その瞬間、七夕の夜はいつもの夜からくるりと姿を変えてみせた。
オカルト研究部、最大の危機。
ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!
今回、正直なにが起こっているのか分かっていない事でしょう。
分からなくて当然です。
今回のシーンは、執筆当初からなんとなくで描いていたシーンでした。
花子と逢魔の邂逅のシーン。
このハカセ編では、このシーンの様にずっと前から描いていたシーンをいくつも書く事になります。
「さゆり」と文字を打つ時、いつも以上に力を入れていた記憶があります。
謎の屋上のシーンも、その一つです。
まだ書けない事もたくさんあるので、今はご想像にお任せします。
とにかく今はハカセ編です。
花子失踪の原因とは?
次回、ハカセが動きます。
それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!