【178不思議】星に願いを
誰もいない筈の真夜中の校舎に、軽妙な鼻歌が聞こえてきた。
照明は月明かり。
どこかで聞いた事のあるようなその曲は、嘘を吐くと鼻が長くなってしまう映画の曲だった。
曲の拍子とは随分崩れた、高く響く足音もこだまする。
廊下で足を鳴らしながら鼻歌を歌うその音色は、彼の性格を表しているようだ。
その曲も中途半端に、ピタリと鼻歌がやむ。
足音も一緒に止まると、男は何も見えない真っ暗な校舎を、一つ二つと見回した。
そこで彼は確信する。
「……ここ、どこだ?」
誰もいない校舎に、道案内してくれる人などいる筈もなかった。
●○●○●○●
舞台は放課後のオカルト研究部部室。
場所も時間も展開した舞台だったが、奇遇な事に聞こえてきたのは、同じく軽妙な鼻歌だった。
嘘を吐くと鼻が長くなってしまう映画の曲。
ただその音域は女子特有のもので、陽気に鼻で曲を奏でているのは千尋だった。
千尋は歌を歌いながら、右手に携えたペンを走らせる。
背後からその様子に気付いた乃良が、ひょこっと顔を出した。
「……ちひろん、何書いてるの?」
乃良からの質問に、千尋が口角を吊り上げる。
「願い事だよ!」
「願い事?」
満を持して答えた千尋に、乃良は思い当たりが見つからず疑問符を浮かべた。
「そっ! もうすぐ七夕でしょ!? だからこうやって短冊に願い事書いて、笹の葉に飾ろうと思って!」
「あー七夕か」
千尋に言われ、乃良も思い出す。
カレンダーは七月に突入しており、あと週末を待たないうちに七月七日が待ち構えていた。
その日が何を示すか、勿論把握済みだ。
「七夕! 機織りの織姫様と牛牽きの彦星様が、年に一度天の川を越えて会える特別な日!」
「ちひろんほんとイベント好きだよな」
「あー! 私も星になりたい!」
「それちょっと意味違ってくるからやめときな?」
星を夢見て蕩け目になる千尋を、乃良は愛想笑いで済ませる。
「それで、ちひろんはなにお願いしたの?」
乃良はそう言って、千尋の手元の短冊を覗こうとした。
一旦千尋は両手で塞ぐも、隠すつもりはないのか、後に堂々と乃良の目に見せつける。
「『期間限定の期間が、もう一週間長くなりますように』!」
「どうでもよくない!?」
短冊に太い文字で書かれた願い事に、乃良は目を疑った。
「えっ、ちひろんそんなの願ったの!? しょーもなっ! どうでもいいわそんなの!」
「だって期間限定商品って案外終わるの早いんだもん! 今度食べよって思ってたのに、次の週行ったらもう終わってて! あと一週間あったらってどんだけ思った事か!」
「一週間伸びたところでそんな変わんねぇだろ! ちひろんの事だから、『からかさ小僧とツーショット撮れますように』とかそんなのだと思ったわ!」
「あっ、それも書いたよ」
「書いたのかよ!」
千尋の見せた色の違う短冊には、確かに乃良と一言一句違わない願い事が書かれている。
その他にも、千尋の前には山の様な短冊が確認できた。
「ていうか短冊多っ! どんだけ願い事叶えてもらうつもりだよ! 欲望の塊かっ!」
「別に良いじゃん! いっぱい書いた方が叶えてくれるの多そうでしょ!?」
山を一部覗いてみると、『小豆洗いと一緒に洗った小豆でぜんざいを作りたい』という一生叶いそうにない願いから、『白熊の抱き枕が欲しい』というネット通販で叶いそうな願いまであった。
全て確認するだけで、今日の放課後が潰れそうだ。
「乃良も願い事書く?」
「えっ? ……じゃあ書こうかな」
お言葉に甘えて、乃良は短冊を受け取る。
改めて考えるとそう簡単に願望は思い浮かばず、一緒に貰ったペンを顎に添える。
すると、不意に頭の中に願望がパッと顔を出した。
早速乃良は、流れるように願い事を綴る。
「なに書いたの?」
千尋の質問に、乃良は即行で書き上げた短冊を見せて答えた。
「『コーラが飲みたい』!」
「飲めば!?」
それはただの心情を綴った短冊だった。
「飲めばいいじゃんか! 買いに行きなよ! コーラなんて学校の自販機に売ってあるでしょ!?」
「いや、今カロリーゼロのコーラしか置いてねぇんだよ。俺が今飲みたいのは、むちゃくちゃ体に悪いコーラなの」
「知らないよ! だったらコンビニでも行って買ってこればいいでしょ!? 今すぐ叶うわその願い事!」
千尋の言っている事は正論だったが、乃良はその場を一切出ようとしなかった。
くるりと体の向きを変えると、他の部員達にも声をかける。
「他の皆も短冊書こうぜ!」
「えっ、良いんですか?」
「うん! まだいっぱいあるからどんどん書いて良いよ!」
少し遠慮気味だったのか、賢治は千尋の寛大な言葉で、ようやく短冊へと手を伸ばす。
もう一人の後輩は、椅子から一歩も動こうとしなかった。
「はい、小春ちゃんも!」
「えっ?」
死角から短冊を差し出してきた千尋に、小春は思わず肩を弾かせる。
やむなく受け取ると、千尋は満足気に笑顔を向け、他の部員達に短冊を配りに行った。
しばらく小春は短冊と目を合わせる。
話は左から右に聞き流しており、特に願い事など考えていなかった。
「………」
ふと顔を上げる。
そこには華奢な指で本を捲る百舌の姿。
目の前の机には、千尋の用意した短冊が置かれているが、百舌の澄んだ瞳には微塵も映っていない。
目を向けたら最後、小春の目が離れなくなる。
願い事を考える暇さえ失った。
「書けましたー!」
「おっ! 賢治君はどんな願い事書いたの!?」
「見せて見せて!」
彼方でそんな会話が耳を擽るも、小春の心はそこにない。
「『春ちゃんの足がもうちょっと長くなりますように』」
「おいごらぁ!」
しかしその願い事という名の暴言に、小春は絵空も吹き飛んで牙を向けた。
「どういう意味!? あぁ!? 私の足が短いって言いたいの!?」
「いやそうじゃなくて、もうちょっと長くなったら良いねって」
「遠回しに短いって言ってるようなものじゃない!」
「だってそうしたら、先輩と気兼ねなく並んで歩けるでしょ?」
「余計なお世話よ!」
賢治ならではの気遣いだったのかもしれないが、小春にとっては要らぬお節介だ。
当の百舌は、全くの無関心でページを捲っている。
「春ちゃんはどんな願い事書いたの?」
「『この笹の葉に書いてある願い事全て無視されますように』って書いてやるわ!」
「小春ちゃん! それは困る!」
暴走した小春の願い事を阻止しようと、千尋や乃良が総出で止めにかかった。
凄惨になる現場を、花子は対岸の火事の様に無表情で眺める。
ふと千尋から貰った短冊を見つめた。
先程願い事を書くと千尋に教えてもらったはいいものの、何を願えばいいのか花子は全く思いつかなかった。
願い事を探して、花子は隣に目を向ける。
「……ハカセは、願い事なに書くの?」
「ん?」
不意に声をかけられ、博士は振り向く。
ただ博士が口にした答えは、全く参考にならなかった。
「俺がそんな意味ねぇもん書く訳ねぇだろ」
「はぁ!?」
博士の言葉にいち早く反応したのは千尋だ。
千尋は小春のもとからズカズカと博士のもとへ歩いていき、博士の眼前に不機嫌な面を持ち込む。
「意味無いってどういう事!?」
「願い事だよ。短冊に願い事書いて叶うんなら世話ねぇだろ」
千尋の不機嫌面にも、博士は立ち向かう姿勢だ。
「そもそも、七夕ってのはなんでもかんでも願っていい日じゃねぇんだよ。基本は芸事の上達の祈願、七夕の由来となる中国の行事『乞巧奠』では裁縫の上達を祈願してたんだ。そんな私利私欲に塗れた願い事なんか書いたって意味ねぇの。それに短冊の色にも、赤・青・黄・白・黒でそれぞれ意味があった筈だ。なんだこの不気味な紫。絶対願い事叶わねぇだろ」
「五月蠅いなぁ!」
聞いているだけで耳が痛くなるような解説に、千尋は耳を塞いだ。
傍で聞いていた小春も、視線が冷ややかになる。
「先輩、生き辛そうな性格してますね」
「ほっとけ」
博士は小春から目を逸らすも、目の前の千尋は逃がしてくれない。
「別に願い事願うくらい良いでしょ!? 楽しいんだからさ!」
「だからお前は楽しむ前にもっと行事について調べろって」
「じゃああれは!? 織姫様と彦星様! あれも作り話って言うの!?」
「あれは元々作り話だろ!」
「なに言ってるの!? 実話だし! 彦星様、天の川遠泳して織姫様に会いに来るんだし!」
「泳いでかよ! 天の川何光年離れてると思ってんだ!」
千尋につられて博士の語調も荒くなり、最早風物詩の様な二人の論争が、いざ尋常に火花を散らした。
二人を止めようとする人など、一人もいない。
花子も、ただ無表情に見守っていた。
「………」
ふと花子はペンを取る。
頭の中に思い描いた願い事を、短冊へと丁寧に認めていった。
●○●○●○●
気付けば空は夕暮れ色。
時計に目を向けてみれば、最終下校時刻がもうそこまで迫っている。
「あっ、もうこんな時間か」
「じゃあそろそろ帰るか」
「えー」
「えーじゃねぇよ」
まだ部室で怠けていたいという本心を胸の内に仕舞って、一同は帰りの支度を始める。
鞄の中身を確認していると、ふと博士が気付いた。
「……あっ」
あるべき筈のものが、鞄の中に入っていない。
「忘れ物?」
「あぁ」
「宿題でも忘れたか」
「よく分かったな」
「別に良いんじゃない? 今日ぐらい忘れても!」
「良い訳ねぇだろバカ」
博士は一足早く準備を整えると、部室を後にする。
「ちょっと取ってくる」
「もう鍵返しとくぞー」
「分かった」
「じゃあなハカセー」
「バイバイ」
「お疲れ様です」
「また明日ー!」
「おー」
博士は適当に部員達に別れを告げて、昇降口とは正反対の教室棟、二年A組まで駆け出した。
校舎に他の人の気配はない。
最終下校時刻の差し迫ったこの時間では、もう皆校門を出ている頃だろう。
結局誰とも遭遇しないまま、博士は目的地に辿り着いた。
自分の席の引き出しを覗いて、問題集を取り出す。
他に忘れ物が無い事を確認すると、博士は安堵の溜息を吐いてから教室を飛び出した。
「博士君」
その声に、博士の足は止まる。
やけに聞き覚えのある声だった。
心に土足で入ってくるものの、どこか嫌な気分はしない声。
博士はどこか覚悟した表情で、ゆっくり振り返る。
廊下に佇んでいたのは、スーツ姿でこちらに微笑みかける最後の七不思議、逢魔創人だった。
「また逢ったね」
「………」
窓から差し込んでくるオレンジ色の斜陽。
廊下に伸びていく極めて濃い影が、逢魔の存在を強く証明していた。
その名も、ハカセ編。
ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!
今までメインキャラが多いが故にやってきた、スポットライトを当てていこうシリーズ。
もしこれを物語の主人公でやるならどんな話だろう。
そんな考えで始まったのが今回から始まる話、通称ハカセ編になります。
この話も当然の如く執筆当初からなんとなくは決まっていたのですが、七夕と関連付けるのは実は直前になって決まった事でした。
ふと二年目に差し掛かって、そういえば昨年は七夕の話書かなかったなと。
願い事とかオカルティックだし、今年は是非書こうと思いまして。
一話完結の話で作ろうとも思ったのですが、ハカセ編をこの時期に書くのは決めてたので、どうせならそれと組み合わせようと思った訳です。
ちなみに作中でハカセが、『七夕の短冊の色にはそれぞれ意味がある』と言っていましたが、どうやら紫でも黒と同じ意味があるそうです。
そこはハカセの知識不足という補足でお願いしますww
そんなこんなで始まったハカセ編!
主人公の名前を冠する訳ですから、下手な話にする訳にはいきません!
このマガオカにとっても転機となるだろうハカセ編に、これからしばらくお付き合いください!
それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!