【177不思議】ノラ猫の目の様
いつものオカルト研究部部室。
「あっ!」
何かを思い出したにしてはあまりにも大きな千尋の声に、部室にいたほとんどがそちらに視線を向けた。
「ピアス落とした!」
どうやら落とし物をしたようだ。
棚の隙間に入っていったのか、千尋は薄暗い隙間を覗いている。
随分と奥深くに、キラリと光るお目当ての物が確認できた。
「お前、耳に穴なんて開けてたか?」
「校則違反だから開けてないよ! この前見つけた時可愛かったからつい衝動買いしちゃったの!」
振り向かないまま博士に答える千尋は、隙間に片腕を伸ばした。
「あぁどうしよう! 全然取れないよぉ!」
届く兆しは全く見えず、千尋は涙目になる。
滲んだ視界に、ふと愛しきピアスの輪郭が思い描かれた。
「呪いのピアス」
「呪われんの?」
不吉なその名前に、博士は思わず声に出る。
「あれすっごく気に入ってたのに!」
「ねぇ、それ呪われんの?」
「高校卒業したらピアス開けて付けようと思ってたのに!」
「呪われるつもりだったの?」
博士の幾つもの疑問も全く聞こえない程、今の千尋は切羽が詰まっていた。
腕が千切れる覚悟で伸ばしても、一向に掴めそうにない。
「ぐがぁぁぁぁ!!」
「お前の腕が太いだけじゃねぇか?」
「入らないんじゃなくて届かないの!」
「ちょっと良いですか?」
千尋を一旦退かして、賢治も隙間に手を入れてみる。
「……あぁ、これは無理そうですね」
「そんなぁ!」
「なんか隙間に入れられそうなものありますかね?」
「ハカセ定規!」
「嫌だわそんな埃っぽそうなとこ」
博士に即刻で断られながらも、千尋は諦めるものかと隙間に入れられそうな細長い棒状の物の捜索に当たる。
そんな現場を、乃良は畳スペースから眺めていた。
「……俺行こうか?」
「えっ?」
ふと聞こえた乃良の言葉に、千尋は整理が追いつかなかった。
乃良は呆然な千尋を置いて立ち上がる。
すると、机や椅子の雑多するデスクスペースの反対側に隠れ、一同の視界から姿を晦ませた。
何事かと一同が眺めていたその瞬間、
机の脇から、小さな金色の猫がひょこっと顔を出した。
「「「「「「!」」」」」」
ニャァと猫撫で声を上げた子猫は、そのままスルリと隙間の中に入っていく。
尻尾も隙間に隠れると、十秒も経たぬうちにまた顔を出した。
口元には光り輝くピアスが見て取れる。
「わぁ! ありがとう乃良!」
手に届かなかった宝物を持ち出してくれた乃良に、千尋は純粋に猫を愛でるように顎を撫でた。
一方の小春は、若干引いた目で猫の姿となった乃良を見つめている。
「……そういえば、あの人化け猫だったんでしたね」
完全に姿を晒した乃良を見たのは、これが初めてだった。
しばらく千尋に撫でくり回された乃良は、プイッと千尋から踵を返して歩き出す。
向かったのは再びデスクスペースだ。
乃良はそこに姿を隠すと、今度は人の姿に戻って千尋の前に立った。
「はい」
呪いのピアスは、未だ乃良の舌の上だった。
「汚っ!」
念願の宝物に、千尋の顔は引きつる。
「なんで戻ってから返すの!? さっきの猫の状態で返してくれれば良かったのに! 嫌だよ! アンタの口の中に入ってたピアスなんて!」
「なんだよ取ってきてやったのに! 猫の状態でも人の状態でも結局は一緒だろ!?」
「気の持ちようが違うでしょ!」
「さっきまでお気に入りって言ってたのに」
「もう! アンタのせいで呪いのピアス付けられなくなっちゃったじゃんか!」
「寧ろ助かったじゃねぇか」
呪いの効能までは考えていないのか、千尋は心底机に項垂れていた。
花子が千尋を気に掛ける中、博士はそれよりも気になった事に目を向ける。
「……改めて考えると、ほんと不思議だよな」
「ん?」
視線には気付くも、その意図が乃良には読めなかった。
「変化の原理だよ」
「あぁ」
明瞭に言葉にされて、ようやく気付く。
「お前の体どうなってんだ?」
「さぁな。考えた事ねぇし、考えたところで分かる事もねぇし」
「……ちょっと解剖させてくんねぇか?」
「お前その後の事考えてる?」
一か八かの提案を、流石に受諾する訳にもいかなかった。
博士は舌を打ちながらも、他の謎に話を逸らす。
「そういえば服はどうなってんだ? さっき猫になってから戻った時、またちゃんと制服着てたけど」
確かに猫の姿の時は何の衣類も纏わなかった乃良が、人の姿に戻ると当然の様に制服に袖を通していた。
衣類は身体に属さない為、一緒に変化するのは不条理な筈だ。
「あぁ、それはな」
乃良は博士の疑問に、丁寧に答える。
「だって猫から人に戻ってすっぽんぽんじゃあ格好もつかねぇだろ?」
「理由になってねぇよ」
博士の疑問は、一切晴れなかった。
「とまぁぶっちゃけた話をすると、元々服は変化の対象に含まれない予定だったんだけど、前回百六十話で俺が猫から人に戻った時に普通に制服来て戻っちまったから、その辻褄合わせで人に戻る時は服も着たままになったんだよ」
「ぶっちゃけすぎだろ」
乃良の淀みのない笑顔に、博士もこれ以上この話を掘り下げるのをやめた。
「じゃあさっき変化する時に机の裏に隠れたのは?」
机を親指で差して、博士は尋ねる。
「あぁ、それは単純に、見られながらだと上手く変化できねぇんだよ。分かるだろ? トイレで後ろに立たれると出るもんも出ない感じ。あれと一緒だよ」
「あんなんと一緒でいいのか」
同等として捉えていいのかは些か不明だが、絶妙な例えではあった。
博士はしばし考えて、乃良に話を持ちかける。
「ちょっとここで変化してみてくれよ」
「えっ!」
博士の頼みに、乃良は過剰に反応した。
「変化って……ここで?」
「うん」
「皆に見られてる前で?」
「当たり前だろ」
「………」
「なに照れてんだ気持ち悪ぃ」
乃良らしくないしおらしい横顔に、博士は躊躇なく罵った。
カチンッと乃良の頭にゴングの様な音が鳴り、試合開始だと乃良も鬨の声を上げる。
「なんだとお前!」
「おら、良いからさっさと変化しろよ」
「臨むところだおらぁ!」
売り言葉に買い言葉で、乃良は変化の段階へ移り変わった。
しかし、そこで静かに乃良の頭から血が引いていく。
変化に奮い立つ乃良に、部室にいた全員、蹲っていた千尋までもが注目を浴びせていた。
視線を感じる程、乃良の額から冷や汗が滲んだ。
猫耳は糸を張った様にピンッと立ち、尻尾はしなやかに、猫特有の細長い髭や、金色の薄い毛が乃良の肌を覆っていく。
着実に猫に変化しつつ乃良だったが、もう限界は近かった。
「ダメだぁ!」
「乃良!」
床に倒れそうな乃良を、寸前で千尋が助けに入る。
乃良の息は全速力で走ってきたかの様に荒く、相当の体力を消耗したようだ。
「やっぱ人前じゃ出来ねぇのか」
「テメェ……」
冷静に判断する博士に、乃良は七代まで祟る勢いで睨みつける。
「でも、大分変化してたね! もう半分くらい猫だったよ!」
雰囲気を明るく変えようと、千尋が無邪気に口を開いた。
「猫耳とか尻尾もあったし、髭だって伸びてた!」
「耳や尻尾は普段から生えたりするからね。驚いたり、意識してなかったりすると、そこら辺は無意識に出ちゃうんだよ」
段々と呼吸を整えた乃良は、掠れた声で解説する。
博士も二人の会話に、頭を巡らせていた。
「半分……、ね」
ふと博士の頭上にアイデアが舞い降りて、博士はそのまま口にする。
「乃良、お前って頭だけ猫とか出来るのか?」
「えっ?」
博士の質問に、堪らず乃良は首を傾げる。
「いや、さっき千尋が半分猫って言ったからさ。もしかしたら部分的に猫に戻ったりも出来んのかなって」
それは単なる好奇心から生まれた疑問だった。
「あーどうだろ。やろうと思った事ないから分かんないけど、それだったら人前でも出来るかも」
乃良も少し興味があって、早速変化に取り掛かる。
千尋の傍から立ち上がり、頭に集中的に力を込める。
時間はそれ程かからなかった。
「あっ、出来た」
「うわぁ!」
首から上が猫に挿げ変わった乃良に、傍にいた千尋は驚きのあまり引き下がった。
指や言葉を巧みに操る猫の顔をした生物は、どう見ても異質だ。
「気分は?」
「いやっ、特になんとも。寧ろ調子良いぐらいだ」
「調子良いの!?」
金色の猫の顔色は、人目では不調にしか見えない。
「じゃっ、じゃあさっ! その逆も出来るの!?」
「頭は人、体は猫って事? この感じだと多分出来るんじゃないかな?」
「ちょっとやってみてくれよ」
「おぉ、流石に机の裏でやらせてもらうぞ」
「どうぞ」
乃良はそう言って、奇妙なまま机に紛れて姿を晦ませる。
先程衝撃映像を瞼に焼き付けた千尋は、どこか期待しながらも妙に逸る鼓動を落ち着かせていた。
しかし、その時間も間に合わず、
「おぉ、出来たぞ」
「あっ、これは気持ち悪い!」
短い足でスタスタと現れた見慣れた顔に、千尋は間髪入れずに暴言を吐いた。
先程を遥かに凌駕する衝撃映像だ。
「おい! なんて事言うんだ!」
「いやこれはキモい! 頭が猫なのはまだ見てられたけど、これは流石に見てられない!」
「そんな事言うなよ! ほら! こっち見ろよ!」
「うわぁ! 来ないでぇ!」
「おいちひろん!」
「先輩、私の半径十メートル以内に近寄らないでもらえます?」
「俺先輩だぞ!」
「僕は可愛いと思いますよ。なんか人面犬みたいで」
「全然嬉しくねぇ!」
四方八方から部員達の罵詈雑言を浴びる乃良は、人の目から涙を滲ませていた。
心に傷を負っていく乃良を観察し、博士は実験結果をメモに書き記す。
書き上げたところで、この実験の必要性が皆無な事に気付いた。
体の部分を分けて変化が出来るという新事実を知ったところで、乃良はそれ以降その新事実を用いる事は残り六生無かったという。
想像してみたら確かに気持ち悪い。
ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!
久し振りに『ノラ猫』から始まるサブタイトルを書きたいな、と思ったのが今回の取っ掛かりです。
日常で使うような猫の慣用句はもう使い尽くしたので、『猫の慣用句』で検索して、なにかネタに出来そうな慣用句を探しました。
色々悩んだんですけど、今回は『物事が目まぐるしく変わる』という意味の『猫の目の様』から、乃良の変化をテーマにした話が生まれました。
変化については一度も触れていなかったネタなので、丁度良いと思いました。
話を考えていく上で自然とこのオチが浮かんだのですが、個人的には気に入ってます。
作中でも言っていますが、当初は人間に戻ってすっぽんぽーんっていう話を書こうと思ったんですよ。
でも書いてる途中に「待てよ」と思いまして、読み返してみたら見事に制服姿のまま乃良が人間に戻ってるんですよねww
やらかしたー!と思って。
まぁこれは正直に白状してネタにしようと思い立った訳ですww
それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!