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【175不思議】男の大事なもの

 窓の向こうの夜空に浮かぶ月が、一年E組を覗き込んでいる。

 教室は蛍光灯も仕事をしておらず、月明かりだけがその場を照らしていた。

「どうも、こんばんは」

 後ろのロッカーに腰を下ろした賢治は、いつもと変わらない無邪気な笑顔を見せる。

 パッツンと切られた前髪の奥に覗く瞳が見下ろすのは、ある机を囲む女子三人衆。

 先程まで騒がしかったにも関わらず、賢治の登場で皆言葉を失っていた。

「……アンタ、誰?」

 一人が震え気味に口を開く。

 ようやく聞こえてきた女子の声に、賢治は丁寧に自己紹介した。

「隣のクラスの武田賢治。春ちゃんの幼馴染だよ」

「春ちゃん?」

 個人名を出されても、その呼称に聞き馴染みはない。

「君達と同じクラスの女の子だよ」

 ピンと来ていない女子達に、賢治は『春ちゃん』について補足を入れた。

 人差し指で、女子達の囲む机を指しながら。

「ほら、丁度その席に座ってる」

「「「!」」」

 そこでようやく気付いた。

 賢治の言っている、『春ちゃん』の正体。

 そして、どうしてこんな夜更けになってまで、更に他クラスの生徒がこの教室にやって来たのか。

「……ねぇ」

 吐息交じりの賢治の声に、一同に悪寒が走る。

「春ちゃんの席で、一体何してるのかな?」

 賢治の目は、吸い込まれそうな程に渦を巻いていた。

「なっ、なにって、えーっと……」

「これはっ、そっ、そのぉ……」

 女子達はろくに働かない頭を働かせ、なんとか言い訳を模索する。

 しかしこの現場はあまりにも決定的で、何を言っても不毛だという事は、誰でも出来る未来予想だった。

 賢治も、分かった上で訊いているのだろう。

 混乱する女子の中、その一人が一歩前へと出る。

「悪口書いてんの」

 どこか凛とした声に、賢治は目を向ける。

 どこか熟れた果実の匂いのする内巻きの彼女は、背筋もピンと張っていた。

「私達、あいつの事嫌いなの。だから嫌がらせしてやろうと思って、こうしてあいつの机に悪口書いて遊んでんの。なんか文句ある?」

 彼女から引け目は全く感じられず、寧ろ上等と言っているようだった。

 賢治も目を丸くする。

 思わず口元は吊り上がっていた。

「……随分と開き直ったね」

「悪い?」

 彼女にとって、悪い事をしているという自覚はあっても、反省するつもりなど毛頭ないのだろう。

 余裕あり気な彼女に、賢治は両手を上げた。

「別に。僕は人に善悪を諭せる程善人じゃないよ」

 返ってきた言葉は、女子達の予想していたものと違った。

「それに、多分春ちゃんも君達に酷い事したんでしょ?」

 彼女達が揃って思い返したのは、小春と初めて言葉を交わしたあの日。

 贔屓目を度外視しても、確かに小春に非はある筈だ。

「よく分かってんじゃん」

「そりゃあ幼馴染だから」

 幼馴染の悪事にも関わらず、賢治の表情は随分と穏やかだった。

 内巻きの彼女は敵意の無さそうな賢治に、安堵の息を吐く。

「良かったよ。『やめろ』なんて言われちゃったら、私達の楽しみが無くなっちゃ」

「でもさ」

 遮って聞こえた声に、彼女は目を向ける。

「例え君達が悪くなくても、春ちゃんが悪くても、春ちゃんが酷い事されてるんだったら、幼馴染として見過ごせないよ」

 賢治の笑顔の奥に、こちらを取って食おうとする獣が垣間見えた気がした。

 ロッカーから立ち上がった賢治に、女子達は一歩後ろへ退く。

 近付いてくる度、体が震えるのを感じた。

「なっ、なによっ! 幼馴染が偉そうに! アンタなんかに関係無いでしょ」


 ゴォン!


 突如教室に衝撃音が響く。

 最初は何が起きたか、目の前で見ていた女子達もさっぱり分からなかった。

 しかし空中に(・・・)蹴飛ばされた(・・・・・・)()が床に落下した音で、女子達はその現実を信じるしかないと思い知らされた。

「……関係無い?」

 賢治は顔を俯かせ、その表情は前髪で隠れている。

 とてもこんな卑弱そうな少年が机を垂直に蹴り上げたとは、夢でも想像できなかった。

「聞こえなかったのか」

 賢治は整えられた前髪から、その瞳を覗かせる。


「幼馴染だって言ってんだろ」


 その瞳は、月光に照り返る狂気的な瞳だった。

 瞳の標的となった彼女達の身の毛は、束になって弥立つ。

「なっ、なによっ!」

「行こ!」

「なんなのよぉ!」

「こいつやばいよ! 早く逃げよ!」

 賢治の出で立ちに恐れを為した女子達は、無我夢中に教室の外へと逃げ去っていく。

 教室に残されたのは、床に倒れた机と賢治一人。

 廊下にこだまする足音に、賢治は溜息を吐いた。

 視線を落とすと、夥しい罵詈雑言で埋め尽くされた小春の机。

「……消してけよ」

 一先ず賢治は、倒れた机を元の位置に戻した。


「やんちゃは辞めたんじゃなかったのかよ」


「!」

 突然声が聞こえて、賢治は振り向く。

 それは入学してからほぼ毎日顔を合わせてきた、賢治の先輩だった。

「ハカ先輩」

 博士は教室の扉の端に背中を預け、腕を組んだままこちらに視線を送っていた。

「どうしてここに……」

 この時間に校舎に残っているのも不思議だが、ここは一年校舎だ。

 二年生である博士がここにいる理由など、何一つも見当たらない。

「俺にはお節介な妹がいてな。そいつ、板宮と同じこのクラスなんだと」

 それだけで伝わるだろうと、博士はそれ以上何も言わない。

 ただ賢治には、それ以上の事も伝わってしまった。

「お節介は血筋なんですね」

「はぁ?」

 博士の不機嫌な声にも賢治はクスッと笑い、掃除用具のロッカーを開いた。

 中の雑巾は、掃除当番の絞りが甘かったのかまだ濡れている。

 賢治はそれを手にすると、小春の机に戻って、机を拭きだした。

 幸いマジックは水性だったのか、この調子なら文字を跡形もなく消し去るのも容易いだろう。

「……僕ね」

 ふと口を開いた賢治に、博士は耳を傾ける。

「不良を辞めたのも、春ちゃんの為なんですよ」

 賢治は雑巾で拭う力を緩ませないまま、当時の記憶を一つ一つ思い返した。

「生まれた時からどういう訳か喧嘩が強くって、ひょんな事から中学の時に不良に勝ってしまった。そこから噂を聞きつけた不良達が来るようになって、気付けば最強の不良なんて言われるようになってました。僕も断るのが面倒で、かかってきた不良達を片っ端から相手していった。そんな自分が、ちょっと楽しかったのも事実です」

 当時の楽しかった様子は、今の賢治の横顔を見れば分かる。

「そんな僕だったので、周囲の人達は皆僕を恐れて、友好関係は不良以外なくなってしまいました。それでも、春ちゃんはずっと、僕の隣にいてくれたんです」

 賢治の口元がふっと緩む。

「ある日気になって、春ちゃんに訊いてみたんです。『どうして春ちゃんはずっと僕の隣にいてくれるの?』って。そしたら春ちゃんが」


『だって、賢ちゃんは賢ちゃんでしょ? 何も変わってないじゃない』


「……あいつらしいな」

「でしょ?」

 博士の微笑に、賢治も白い歯を見せて笑った。

 しかしその笑顔は、次の瞬間曇りがかる。

「……でもその時、クラスメイトによる春ちゃんへのイジメが始まっていた」

 声色の変わった賢治に、博士は目を戻した。

「我の強い春ちゃんだから、今回みたいにイジメのターゲットにされる事も少なくなかったんです。でも、その時は違った。春ちゃんは、……不良である僕の幼馴染だからっていう理由でいじめられてたんです」

 雑巾を握る力が、より一層強くなる。

「僕のせいで、春ちゃんは……」

 当時のクラスメイトの思考回路は、容易に想像できた。

 口にするのも恐ろしい本人に歯向かう事は出来ずとも、その側近にいるか弱いものに手を上げるのは誰にでも出来る事だ。

 敵を生む事も多い小春なら、罪悪感も少ないだろう。

「それを知ったのは、イジメが始まってからしばらく経った後でした。春ちゃんは、僕に何も言わなかったんです。これは私の問題だからって。僕は、知らないうちに春ちゃんを傷つけていた。僕は、何も出来なかった。それから僕は、不良を辞めました。誰から喧嘩を売られても、無視し続けました。僕が暴力を振るう事で、春ちゃんを傷つける事に気付いたから」

 小春の笑顔に、賢治の胸は締め付けられた。

「……でも、春ちゃんに被害があったら話は別だ。僕は何があろうと、春ちゃんに向いた牙は全てこの手でぶち壊していく」

 賢治は自分の掌を見つめる。

 その掌を強く握り締めると、賢治は扉で待つ博士に目を向けた。

「これが僕の、力の使い方です」

 その瞳は熱を帯びた覚悟を宿していた。

「……間違ってますかね?」

 ふと目を逸らした賢治は、どこか弱気なのか笑いも乾き切っていた。

 返答の欲しそうな賢治に、博士はしばし考える。

「……いや、良いんじゃねぇか?」

 返ってきた返答は、賢治の自分語りと比べて随分と軽かった。

「お前が生まれ持った力だ。どう使おうがお前の勝手だろ。例えそれが間違っていたとしても、お前の使いたいように使えばいいんだよ」

 博士の回答に、賢治は虚を衝かれる。

 表情を作るのも忘れた賢治に、博士は口角を吊り上げた。

「あいつを守るんだろ?」

 それは自分があの日誓った宿命だ。

 こうして改めて自分の耳に聞かされ、賢治もいつもと同じあどけなさの残る笑顔を浮かべた。

「はい!」

 小春の机の落書きは、もうさっぱり無くなっていた。


●○●○●○●


 翌朝。

 毎日の通り欠伸を垂らしながら教室に到着した小春は、慣れた足取りで自分の席へと向かう。

 今日も語彙力の欠如した暴言が、机に書き殴られている事だろう。

 そう身構えていた為、拍子抜けしてしまった。

「……え?」

 机にはいつも書かれていた暴言はなく、代わりに可愛らしい文字フォントで『ごめんなさい』と記されていた。

 小春は例の女子三人組に目を向ける。

 女子達はこちらと視線をぶつけると、慌てて目を逸らしてしまった。

 その様子は反省には見えず、寧ろ怯えて見えた。

「?」

 小春が首を傾げていると、遅れて到着した理子が小春の席まで寄ってくる。

「おはよう小春ちゃん! ……って小春ちゃん、それ……」

「あぁ、……うん」

 皆まで聞く前に、理子は小春の胸へと飛び込んだ。

 突然襲ってきた理子に、小春はなんとか受け止める事で精一杯だ。

「あれ?」

「どした?」

「いやっ……、なんか俺の机引っ込んでね?」

 そんな会話が後ろの席から聞こえてくるも、今はそこまで気が回らない。

 未だ疑問点の残る机の文字だったが、胸に埋まる涙目な理子の横顔に、一先ず今は何も考えないでいようと決めた小春だった。


●○●○●○●


 その日の放課後も、至って平常運転だ。

「見ろこはるん! 昨日こはるんがピーナッツばっかり食ってたせいで、もう柿の種しか残ってねぇじゃねぇか! どうしてくれんだ!」

 乃良は大皿に給仕された柿の種を見せて、そう小春に激昂した。

 無論小春も、そう易々と頭を下げはしない。

「食べればいいじゃないですか」

「ずっと柿の種食ってたら口の中辛くなるだろ!?」

「そんなの知りませんよ」

「なんだとぉ!」

「まぁまぁ」

 小春は自分の非を一切認めず、そっぽを向いてしまった。

 更に怒りが募り、臍で茶を沸かせそうなレベルまで達した乃良を、千尋が優しく宥める。

 すると千尋は、荷物の詰まった自分の鞄を漁り始めた。

「そう思って、私ナッツ買って来たから!」

「本当か!?」

 乃良の期待が高まる中、千尋はお目当てのものを鞄から取り出す。

「はい! マカダミア!」

「なんでマカダミア!?」

 千尋の取り出したナッツは、ハワイアン仕様なパッケージをしていた。

「なんでマカダミアナッツなんだよ! ここは普通のピーナッツだろうが!」

「なんで! マカダミアナッツ美味しいじゃん! 折角買って来たんだから、つべこべ言わずにとっとと食え!」

 気付けば乃良と千尋の間で内乱が勃発し、小春は孤立してしまった。

 蚊帳の外となった小春は、疲労の息を吐く。

「アッハッハッ」

 隣から聞こえた笑い声に、小春は目を向ける。

 賢治は先輩達の争いを眺めて、随分と楽しそうだった。

「……ねぇ」

「ん?」

 声をかけてきた小春に、賢治は振り向く。

 その顔は、十何年も見続けている幼馴染の賢治に紛れもなかった。

「……ううん、なんでもない」

 かける言葉も見失って、小春は幼少期を思わせる笑顔を見せる。

「……そっか」

 その笑顔が、賢治の一番の元気の源だった。

「よし!」

 小春は身を引き締めると、立ち上がって因縁の無表情な相手に決闘を申し出る。

「零野花子! 今日こそはこの清めのお札で貴様をあの世に送り返してやる!」

「えっ!?」

「清めのお札って、この前失敗してたじゃねぇか」

「フッフッフ、笑止千万! 今回は悪霊除霊の為、入念な下準備を行ってきた!」

「下準備!?」

「さぁ! あとはこの裏面のテープを剥がすだけ!」

「両面テープじゃん!」

「喰らえぇ!」

 入念な下準備の最終調整を終えた小春は、清めのお札を花子の額に叩きつけた。

 勿論それで除霊が叶う筈もなく、花子は首を傾げるだけ。

 嘆く小春に、部室は笑いで包まれた。

 手を叩いて笑う賢治も、全てを見守っていた博士も。

 そして、最後には小春も。

 賢治のいる限り小春の笑顔は約束されるだろうと安心しながら、今日も部室は平和に放課後を送っていた。

賢治編完結!

ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!


この賢治編、実はどんな内容にしようかずっと悩んでいました。

他の回でも同じような事を言っていたかもしれませんが、それとはもう比にならないぐらいに。

いつもはある程度『こういうテーマ』だとか、『こういうシーン』だとか、書きたいものがあるんですよ。

そういうものがゼロから始まった賢治編は、この皆にスポットライトシリーズで一番の曲者でした。


それでももう書かなきゃいけない時期に差し掛かって、賢治編のテーマを考えました。

最初に浮かんだのは、小春との関係性。

そして、賢治が不良を辞めた理由。

賢治が不良を辞めたのは、きっと小春の為なんだろうなって。

だから小春の為だったら、どんな手段を使ってでも小春を助けるだろう。それが賢治だって。


その時に浮かんだのが、今回の冒頭のシーンです。

そこからは案外スムーズに話が組み立てられたような気がします。


賢治編のサブタイトルは、百五十一話の賢治紹介回で使った『nuts』という単語の日本語訳にしてみました。

調べてみたら色んな意味があって面白かったです。

今回のサブタイトルはニュアンスを崩して書いているのですが……、気になる人は調べてみてくださいww


という事で賢治編完結!

次回からは平常運転で参ります!


それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!

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