【170不思議】君が律する狂想曲
月曜日、夕暮れ時の音楽室。
「よくも現れたな悪霊!」
「えぇ!?」
淑やかな筈のその部屋から、今にも肉弾戦の始まりそうな剣幕の怒号が響いた。
怒号を唸らせたのは小春。
猛獣の様に嘶く小春に、怒号を浴びたヴェンはどうにか興奮状態を落ち着かせようと宥めていた。
「現れたのは君達でしょ!?」
「言い訳は無用! 霊媒師・板宮の名において、ここで貴様を祓ってみせる!」
ヴェンの声は、空しくも小春の耳を掠めもしない。
「観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄!」
「あぁなんかよく分かんないの唱えてる! かっ、神様! 今まで僕がしてきた業を全て許さなくてもいい! ただ今だけは! 今だけは助けてぇ!」
このままでは小春に除霊されると、ヴェンは藁にも縋る思いで、吸音性の天井に救いを求める。
その救いが届いたのか、二人の間に仲裁が入った。
「ストーップ!」
「「!?」」
二人の間に入ったのは千尋だ。
「もう! もしかしてと思ったら案の定こうなんだから! 二人共仲良くしてよね!」
「ハカセ君ー!」
「いや助けたのは一応あいつなんすけど」
窮地から救われたヴェンは、同伴していた博士の胸へと飛び込む。
命の恩人といえど、女性恐怖症のヴェンが女子の胸に飛ぶのは、流石に出来なかったようだ。
集中の途切れてしまった小春は、やむなく経を中断して千尋に歯を向ける。
「ちょっと! なにするんですの!?」
「それはこっちの台詞だよ! 小春ちゃん! 私はヴェンさんにたまには挨拶するようにって言ったんだよ!? なのになんで成仏させようとしてるの!」
「私は言われた通り、彼に別れを告げに来ただけです」
「最期の挨拶しに来るな!」
どれだけ言っても、小春に反省の色は見えない。
千尋の説教を眺めていた博士は、ふともう一人送り出した一年に目を向ける。
「……武田、お前どうして止めなかったんだ」
賢治は小春とは対照的に、七不思議に好印象を抱いていた筈だ。
そんな賢治と一緒ならと小春を送り出したのだが、賢治は博士からの問いに無邪気な笑顔で返す。
「えっ、だって僕とヴェンさんそこまで仲良くないし」
「お前結構ドライだな」
想像以上に、彼の考え方は冷酷だった。
一方の千尋は、未だめげずに小春を説得している。
「いい!? 小春ちゃん! ヴェンさんは小春ちゃんが言ってるような悪霊じゃないの! 心優しい幽霊なんだよ!? 全然人間にも悪い事しないし、成仏するべき幽霊じゃないの!」
小春はふと視線をヴェンに逸らす。
ヴェンはこちらを怯えた目で見ながら、体を幽霊らしからぬように震わせている。
こちらと言うのには、もしかすれば千尋も含まれているのかもしれない。
「……例えば、なんですか?」
「えっ?」
唐突に現れた質問に、千尋はキョトンとする。
「優しい幽霊って、例えばどんなのですか? なにか具体例などはありませんの?」
「えっ、えーっと……」
自分で蒔いた種だったが、頭を絞っても何も思い出が芽吹かない。
必死で記憶を探る千尋に、小春は息を吐いた。
「……分かりました」
「!」
ヴェンが除霊対象から外れたのかと、千尋の顔色がパッと咲く。
「それでは彼が本当に悪霊でないのか否か、検証する事にしましょう」
「えっ?」
期待した筋書きとは異なり、千尋の喉から間抜けな音が漏れる。
小春の言葉に首を傾げたのは、この音楽室の主であるヴェンも同じだった。
●○●○●○●
舞台のセッティングは整い、これで全ての準備が完了した。
「これより、音楽室の伴奏者ことヴェンの、悪霊か否かを裁決する裁判を開廷します」
裁判長席に立つ小春の挨拶で、裁判は開廷した。
音楽室は裁判所を模しており、即席にしてはそれなりの出来栄えだ。
生徒達はそれぞれ役職の席を一人ずつ確保しており、開廷の礼を六十度曲げると、その腰を静かに下ろす。
「えっ、何これ?」
未だ状況の読めていないヴェンは、一人混乱状態に陥っていた。
「ねぇこれ何!? 裁判!? なんの!? これ今から何するの!?」
「被告人は前へ」
「僕被告人!?」
恐らく自分の事を差しているのだろうが、頭にヒヨコの回るヴェンは一歩も動けない。
それを見かねて、後ろの賢治が優しくヴェンを証言台へとエスコートした。
ヴェンが証言台に立ったのを確認し、小春は右に目を向ける。
「それでは弁護人の石神先輩、弁論をお願いします」
「はい!」
名前を呼ばれた千尋は、小学生の授業参観の様に元気よく起立した。
「ヴェンさんは悪霊なんかじゃありません! 何故なら、ヴェンさんはとっても優しい幽霊だからです!」
これもまるで小学生の作文の様だ。
それでも千尋は、ヴェンの為に弁論を熱弁していく。
「幽霊と聞けば、普通は夜な夜な人間の前に現れて脅かしてきそうなものですが、ヴェンさんはそんな事しません! 何故ならヴェンさんは女性がとても苦手で、寧ろ女性と遭遇すると、ヴェンさんの方がビビってしまうからです! その証拠に、この学校に伝わる七不思議も、真実はヴェンさんが女子生徒から怖くて姿を消したという情けない怪談です! その時ヴェンさんが弾いていたピアノを、証拠品として提出します!」
「証拠として不十分です。却下します」
自信満々にピアノを差した千尋だったが、それは秒で棄却された。
「とにかく! ヴェンさんは悪霊なんかじゃありません! 以上です!」
言いたい事を言い終えた千尋は、すぐに席に座る。
小春は千尋の話に、どこか頷いているようだ。
ヴェンも千尋の弁論を聞いて、心に安らかなメロディが鳴るのを感じた。
――石神さん……! ところどころちょっと引っかかるところはあったけど、僕の為にそこまで!
感動も束の間、小春は次に左に目を向ける。
「それでは検察官の箒屋先輩、論告をお願いします」
「はい」
「!」
検察側で立ち上がる博士に、ヴェンは目を真ん丸に見開いた。
博士は書面の様なものを手に取りながら、論告を始める。
「辞書によれば、悪霊とは人間に災禍、不幸をもたらす霊であると記されています。この定義のもとに判断するのならば、彼は間違いなく悪霊でしょう」
「!?」
悪霊と断定してきた博士に、ヴェンのド肝は見事抜かれた。
「ちょっ、ちょっとハカセ君!?」
「その理由は彼の死因にあります」
博士はヴェンの声も聞かぬまま、論告を進める。
「彼が命を落としたのは約五十年前、ここから遠く離れたドイツになります。生前の彼は、毎晩夜を明かす相手を変える程のプレイボーイでした」
「はぁ!?」
博士の論告に、今まで感情を隠していた裁判長の小春が、堪らず顔を歪める。
「彼は事件の晩も、とある女性と一夜を共にする予定でした。しかし彼の前に現れたのは別の女性。女性は彼が別の女性と夜を明かす事に嫉妬心を抱き、他の誰かに奪われるぐらいなら一緒に死のうと、彼を殺害した後に自分も自害しました。全ては彼の女性癖から始まった事件です」
「最低じゃん! こいつ最低じゃん!」
残酷な死因を最後まで聞き終えた小春は、酷くヴェンを侮辱していた。
ヴェンも黙っている訳にはいかず、博士に問い質す。
「なんでそんな事言うの!? 今そんな事言う必要無かったよね!?」
「いや、ヴェンさんが悪霊か否かって議題に、とことんまで突き詰めた結果こうなっただけで」
「変に真面目にならなくていいよ! このままじゃ僕悪霊判定だよ!」
「まぁまぁ、落ち着いて」
傍に立つ賢治に諭され、ヴェンはやむなく口を閉じる。
「異議あり!」
そう立ち上がったのは、まるで本物の弁護士の様な貫録の千尋だ。
「石神さん!」
「今ハカセが言ってたのは生前の話でしょ!? もしハカセの言う通り、悪霊の定義が不幸をもたらす霊なら、人間だった頃のヴェンさんはノーカンになる筈だよ!」
「おぉ!」
いつになく頼もしい千尋に、ヴェンの期待値も上がる。
千尋は顔を俯かせながらも、反論に力を入れた。
「それにヴェンさんの女性癖はもう治って、代わりに女性恐怖症になっちゃって、そのせいで私がどんだけ近寄っても、ヴェンさんは私から遠ざかる一方で、だから……、だから……」
弁護人席に、一粒の雫が零れ落ちた。
「石神さん!?」
「なんで……、なんでヴェンさんは私と仲良くしてくれないのぉ!」
気付けば千尋の顔は涙でぐしゃぐしゃに濡れ、反論もままならない状態だ。
泣き濡れる千尋を見て、小春はヴェンに蔑みの目を向ける。
「自分を庇ってくれている女子をこんなにも泣かせて……、立派に不幸もたらしてるじゃないの! これが悪霊以外のなんだって言いますの!?」
「いや違う! 石神さん! 僕だって君と仲良くしたいさ! でも体が」
「ヴェンさんのバカァ!」
「石神さん!」
これでは弁論などする余裕もないだろう。
なんとか千尋に声を届けたかったヴェンだったが、拘束するようにヴェンの腕を賢治が掴む。
「まぁまぁ、落ち着いて」
「君は一体なんなんだ!」
爽やかに向けられる笑顔が、今は無性に腹が立った。
裁判は渾沌と化し、もう何の音も聞こえないと思われたが、ガベルを鳴らす音が音楽室に轟く。
一同音の鳴らした小春に目を奪われた。
「静粛に!」
小春は裁判所が静まったのを確認すると、いざ心を整える。
「分かりました。これより判決を言い渡します」
判決を下す小春の目は、酷く冷徹だった。
「主文、死刑」
「死んでるのに!?」
矛盾を抱えた判決にヴェンは控訴を申し立てたかったが、小春はその隙も与えず裁判長席に足を乗せる。
「何が悪霊じゃない! 人間に禍をもたらし、不幸に落とす、正真正銘の悪霊じゃないですの! やはり貴様はここで祓うが賢明! 素直に私に祓われろ!」
「嫌だ! こんなの間違ってる! 司法はもっと神聖であるべきだ! あぁ、神様! 貴方が私を裁いてくれ! 貴方の裁いた罪なら、僕は喜んでその罪を受け入れよう! さぁ、この僕に天罰を!」
ヴェンに経を唱える小春。
神に裁きを委ねるヴェン。
泣き崩れる千尋に、静かに見守る賢治、呆れて溜息を吐く博士と、音楽室にもう裁判所の形跡は残っていなかった。
悪霊に認定されたヴェンに、小春は除霊の欲を更に強くしただろう。
主文、ヴェンは悪霊。
ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!
久々にヴェンを書きたい!という事で、今回はヴェン回になりました。
ヴェンといえば前回小春と面白い因縁が生まれそうだったので、この二人でどう遊ぼうか考えていきました。
その結果、何故か皆で裁判をする事にww
今回、僕としては随分気に入った回になります。
論理のぶつかり合いというのがそもそも僕の趣味だったりするのですが、それを悪霊裁判として上手くネタに昇華できたのが個人的にお気に入りなのです。
小春の「主文、死刑」もすごく気に入ってますww
ただもっと僕に文才があれば、皆さんにもっとこの面白さが伝わったのかなと、自分の力不足を恨むばかりです。
それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!